ためし読み - 新書

本当のことを書きすぎてイスラエルにいられなくなった、ユダヤ系イスラエル人歴史家による究極の入門書『イスラエル・パレスチナ紛争をゼロから理解する』を解説する

本当のことを書きすぎてイスラエルにいられなくなった、ユダヤ系イスラエル人歴史家による究極の入門書『イスラエル・パレスチナ紛争をゼロから理解する』を解説する

2023年10月7日のガザ一斉蜂起とそれを奇貨としたイスラエルによるガザ壊滅作戦の恐怖は、アメリカが主導する和平計画の難航とともに、現在もなお世界を震撼させ続けています。

しかし、この戦争はこの日に始まったものではありません。1967年にイスラエルがヨルダン川西岸を占領したとき(第三次中東戦争)でも、1948年にイスラエル国家が宣言されたときでもありません。その始まりは1882年、最初のシオニスト入植者が当時のオスマン帝国領パレスチナに足を踏み入れたときに遡ります。

このたび刊行された河出新書『イスラエル・パレスチナ紛争をゼロから理解する』では、イスラエル/パレスチナ現代史の世界的第一人者であるイラン・パペ氏が、複雑をきわめる当地の歴史を読み解くために最も重要なエッセンスを、初学者でもわかりやすいかたちで解説しています。発売にあわせて、監訳者・早尾貴紀氏による解説を公開いたします。

 

『イスラエル・パレスチナ紛争をゼロから理解する』
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監訳者解説

早尾貴紀

1 著者について

 著者のイラン・パペ氏は、1954年にイスラエルのハイファ市に生まれたユダヤ系イスラエル人であり(現在はイギリス在住)、氏の両親はナチスが台頭するなかで1930年代にドイツからパレスチナに移住してきたユダヤ人である。このことは、本書をはじめとするパペ氏の書籍が、「パレスチナ人の側」から書かれたものではなく、イスラエルのヨーロッパ系ユダヤ人というマジョリティの立場で獲得された視点で記述されたものであることを示している。

 パペ氏は実証的な歴史研究者であり、イスラエル建国の1948年前後のパレスチナで、イギリス、シオニズム組織、周辺アラブ諸国、そして地元パレスチナ人がどのように動いたのかの分析を通じてユダヤ人国家建設の実態を解明する仕事が、パペ氏の研究の出発点であった。これは、従来の公式的なイスラエル史が、古代ユダヤ人王国からの「離散」とシオニズムによる「帰還」という神話、「土地なき民に民なき土地を」という神話を土台としてきたことに対する、新しい世代の実証史的歴史研究ということで、「ニュー・ヒストリアン」と呼ばれた研究潮流を代表するものとなった。また、これは1980年代以降に機密解除された外交文書や軍事文書によって進展した研究であり、その決定的なパペ氏の業績が、『パレスチナの民族浄化』(原書2006年/日本語訳は法政大学出版局より)であった。

『パレスチナの民族浄化』は、ユダヤ人国家建国の運動が、周到な計画と準備に基づいた、パレスチナ全土に対する乗っ取りであったこと、そしてそれが未完のプロジェクトとして現在進行中であることを、100年スパンで明らかにした。すなわち、「離散と帰還」の神話を否定したのみならず、宗教対立や民族対立といった図式的理解や、あるいは1948年前後の戦争による避難民の発生といった偶発的な一回だけの出来事とする理解を、きっぱりと否定したのだ。シオニズムとは、パレスチナ「全土」の乗っ取りがその本質なのであり、その地のパレスチナ人はできるだけ追放するということが、第一次世界大戦後のイギリス委任統治の時代から綿密に計画され、そしてその実現に向けて調査が進められていたのである。同書は、1947年の国連パレスチナ分割決議から、48年のイスラエル建国を挟んで49年の第一次中東戦争休戦までの時期に、いかにその乗っ取りと追放が進められたのかに焦点を当てながら、1920年代の計画段階から、建国後も続く取り残した土地の占領や、残ったパレスチナ人に対する迫害、さらには建国期の暴力や破壊の隠蔽などについても、綿密に論証していった。そしてそれらは、端的に「民族浄化(エスニック・クレンジング)」として一貫して分析・説明すべき事柄であることを、パペ氏は喝破したのである。

『パレスチナの民族浄化』は、パペ氏がイスラエルのハイファ大学在職中に英語で執筆されて2006年に刊行されるや、アラビア語や日本語も含めて広く各国で翻訳されて、世界中に読者を得たのだが、しかし地元のイスラエルにおいてヘブライ語で刊行することはできなかった。すでにパペ氏のシオニズムを根底から批判する歴史観は、イスラエルにおいて「非国民」と言われんばかりの反発を引き起こし、ハイファ大学でも冷遇されていたのである。結果、パペ氏は翌07年にイギリスへ移住し、エクセター大学に移籍することとなった。

 それ以降パペ氏は、ヨルダン川西岸地区・ガザ地区の軍事占領地や、イスラエル国籍のパレスチナ人、アラブ出身のユダヤ教徒移民(アラブ系ユダヤ人)、イスラエルの政治神話などを主題とした著書を次々と刊行していった。それは、パレスチナ/イスラエルに関するあらゆる問題を論じ尽くすような勢いであった。

 

2 本書の位置づけ

 本書『イスラエル・パレスチナ紛争をゼロから理解する』は、それまでのパペ氏の全著作を土台としながら、パレスチナ/イスラエル問題の基本的歴史認識をコンパクトにまとめて読みやすい形で世界に投じたものである。もちろんすでにこの分野では「入門書」と呼ばれるものはたくさん出されている。だが本書は、他ならぬパペ氏の手によるものである。誰よりも当事者性と責任感を持って、そして誰よりも広くかつ深くかつ確かな知識に基づいて書かれたものだ。しかも、その分量たるや小さな判型の原書でわずか144頁。そこにパペ氏の長年にわたる歴史研究の粋を結集して書かれている。つまり、分かりやすいとかバランスが取れているとか、ということではない。歴史事象を単純化することなくその核心を論じ、かつ厳格な批判性が伴っている。パペ氏にしか書くことのできない究極の入門書と言える。

 そして真の専門家がこうした入門書をあえて書くことになった経緯、書く動機づけは、もちろん2023年10月7日のガザ一斉蜂起とそれを受けたイスラエルによるガザ壊滅作戦、ジェノサイドが長期間にわたって展開されていたことだ。イスラエルは〈10・7〉ガザ蜂起を、「卑劣なテロ」だと声高に叫び「報復」を宣言し、そして「イスラーム過激派」ハマスとの「戦争」と称して圧倒的な攻撃を仕掛けていった。さらには、イスラエルのネタニヤフ首相とヘルツォグ大統領は揃って、「ガザ戦争は西欧文明を守る戦いなのだから、欧米諸国はイスラエルを支援すべき」と訴え、ガンツ国防大臣は「ガザにいるのは人間動物なのだから、電気・ガス・水道・食糧を全部止めてやる」と宣言して、そのとおりに長期にわたる兵糧攻めを開始した。

 英米独仏はもちろん日本も、「ハマスのテロ」を批判し、イスラエルの自衛権を支持すると発表。イスラエルはとくにアメリカとドイツから手厚い武器・弾薬の支援も得て、何ら罰せられることなく、衆人環視のもとで、SNSによる実況中継のもと、空爆・侵攻によるジェノサイドと、人工的飢餓政策を推し進めてきたし、それは現在進行中である。そのような非人道的な虐殺・飢餓が許容されてしまうのは、あたかも2023年10月7日の蜂起が突然かつ一方的に発生した「テロ」であるかのような、しかも「ハマス」というイスラーム組織の過激思想のためであるかのような宣伝がなされ、そしてそれがイスラエルのみならず欧米日本などのメディアでも拡散したからである。

 歴史家であるパペ氏は、この「ハマスのテロが始まり」「イスラエルの自衛戦争」という理解が全くの虚偽で、意図的な政治プロパガンダであるというだけでなく、シオニズム運動の始まりから一貫して企図されてきたパレスチナの民族浄化の決定的な一段階であるということ、そしてそれは欧米・アラブの各国の利害がずっと絡んできたシオニズム史の歴史的文脈に位置づけられる、ということを本書において示そうとしたのである。

 

3 用語解説

 本書を理解するうえで、やや特殊な用語の解説を加えておきたい。

・歴史的パレスチナ

 現在のイスラエル国家の領土と被占領地のヨルダン川西岸地区およびガザ地区を合わせた土地を指す。「イスラエルとパレスチナ」と言ったときに、一般にパレスチナが西岸・ガザのみであるかのように誤解され、パレスチナ人がイスラエルに攻撃を仕掛けているかのような言説を生む原因の一つとなっている。それに対し「歴史的パレスチナ」というのはイスラエルが建国されて奪われた土地も含めた全土がパレスチナであるということを明示する用語である。オスマン帝国時代はパレスチナ地方として明確な境界線があったわけではないが、第一次世界大戦後にイギリスとフランスによる植民地分割と委任統治によって、「パレスチナ」の範囲が確定した。

・キリスト教シオニズム

 ヨーロッパのユダヤ教徒をパレスチナに集団移民させることでユダヤ人国家を建設しようというシオニズム的な思想は、最初にキリスト教のとくに宗教改革・プロテスタントの中から生まれた。プロテスタントの終末思想における贖罪の実現の一段階にユダヤ王国の復活があり、そのための手段として、ヨーロッパのユダヤ教徒を利用することが考えられた。そこには排外主義的にユダヤ教徒を追放することと、パレスチナを含む中東地域を支配することの、二つの欲望が重なっていた。一九世紀を経て国民国家の展開と反ユダヤ主義の高まりの中で、ユダヤ教徒が「ユダヤ人」化しつつシオニズムを自ら担うようになっていった。

・入植者植民地主義(セトラー・コロニアリズム)

 植民地支配には経済植民地として経営するという様式もあるが、入植者植民地主義の場合は、宗主国からの入植者が組織的に大量に植民地に定住し、先住民を虐殺・追放することで、入植者がマジョリティとなる国家を形成する。建国後も出身地域との密な関係は継続する。入植者は元の出身国・地域では周辺化された階層の出身である場合が多く、それが集団移住として入植をする動機となっている。シオニズム運動・イスラエルの場合は、イギリスからロシアにかけてのヨーロッパ・キリスト教圏のユダヤ教徒マイノリティが迫害を受けていたことがパレスチナへの集団入植・ユダヤ人国家に繫がった。利害の合致するヨーロッパはそれを支援した。

・民族浄化

 民族浄化(エスニック・クレンジング)とは、ある地域の人口集団を抹消しようという意図的な企てを指す。その方法は大量虐殺(ジェノサイド)にはかぎらず、脅迫や説得や詐欺によって人口集団を追放することも含む。パレスチナ/イスラエルにおいては、「ユダヤ人の離散と帰還」という、あたかもそもそも先住パレスチナ人が存在しなかったとする神話があったが、それが批判されると今度は、パレスチナ難民の発生が戦時における自主的避難だとか偶発的出来事だという言説が流布した。それに対して「民族浄化」論は、シオニストの入植者コミュニティが先住パレスチナ人の追放を綿密に計画し周到に準備していたことを論証した。

 

おわりに

 2023年10月7日のガザ一斉蜂起とそれを奇貨としたイスラエルによるガザ壊滅作戦で、日本でもパレスチナ/イスラエルへの関心は高まっている。だが、「ハマースのテロが発端」や「双方の宗教対立」といった歴史的文脈を無視した暴論が今なおまかり通っており、結果としてパレスチナでのイスラエルの暴力が容認される国際社会に日本の政権も世論も加担してしまっている。重要な歴史書を書いてきた稀有な歴史家のエッセンスが詰まった小さいこの一冊は、日本社会の言論に大きな一石を投じるだろう。

 

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著者

早尾貴紀

1973年生まれ。東京経済大学教授。社会思想史。著書に『パレスチナ、イスラエル、そして日本のわたしたち 〈民族浄化〉の原因はどこにあるのか』(皓星社)、訳書にハミッド・ダバシ『イスラエル=アメリカの新植民地主義 ガザ〈10.7〉以後の世界』(地平社)ほか。

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