ためし読み - ビジネス
人間がAIより遥かに優る能力とは? 発見された知的能力とは別種の「知性」
恩蔵絢子
2026.03.13
注目の脳科学者・恩蔵絢子さんの最新刊『感情労働の未来──脳はなぜ他者の“見えない心”を推しはかるのか?』が、メディアやSNSで話題になっています。
「感情労働は必ずしも悪いものではなく、自分も他人ももっと幸福にする感情の動かし方がある」と言う恩蔵さん。
“自意識と感情” を専門とする脳科学者が、現代の「感情労働」に迫った本書に対して、「これまで読んだ本のなかでも、ダントツよかった」「感情について、全く違う見方ができる」「今なぜ自分が息苦しさやもやもやを抱えているのかが、見えてくる」「脳科学の本ですが、感動しました。何度でも読み返したい」など、次々に感想が寄せられています。
大ヒットを記念して、本書より「3 脳はどのようにして人の心を理解するのか?」の一部を公開いたします。

『感情労働の未来──脳はなぜ他者の”見えない心”を推しはかるのか?』
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人の気持ちを考えて、自分の感情を表出する
「人間らしさ」の一つの定義は、人間に独特な意識や、自意識、他者意識を持ち、自分とは違う他者のことを思いやって行動できることである。しかし他者を思いやるというのは、自分を消して他者に合わせるという意味ではなく、自分の気持ちも他者の気持ちも大事にし、自分の感じていることを伝え合い、交渉し、時にはぶつかったり、嫌な気持ちになったり、させたりしながら、その責任を取り、調和して暮らせるようになることだ。
私たちは自分でも把握しにくい感情を、なんとか把握して社会に向けて言葉で表現したり、社会の要求に注意を向けることで感情を他人と協調させたりして、生きていかなければならない。
こんな実験がある。例えばイナゴの佃煮が、ある人にとってはタンパク質たっぷりのごちそうでも、ある人にとっては食べ物には思えない、というように、ある文化ではごちそうだけれども、別の文化の人には、グロテスクに見えることがある。
豊かな食文化を持つ中国には、鳥の脚そのままの姿煮というものがあるようで、かぎ爪までそのままの形だから、慣れない人にはなかなかショッキングな見た目らしい。コラーゲンたっぷりで、おいしいらしいのだが、それを全く文化の違う西洋の人に出した時、どのような反応をするかが調べられた(*19)。
レストランで、中国のウェイターがその料理を持ってきて「これは私の国のごちそうです、さあ、どうぞ」と自信たっぷりに料理のふたを開けられるのと、西洋のウェイターが持ってきてただ「○○という料理です」とふたを開けられるのとでは、反応が変わってくるだろう。どんなにびっくりしても、中国の人の前では、気を遣って自分の反応をコントロールしようとするだろう。しかし、自分と同じ文化の人の前では素直に、驚きを表現できるだろう。
自分から遠い人の前では反応に気を遣い、逆に自分に近い人の前では、そこまで気を遣う必要がない。それが、例えば仲間同士で本音を言って、外部の人について悪口を言い合うことで、自分たちの 絆 を確認し、深めるというような行動にもつながる。しかし一方で、それは行きすぎると、仲間ならば自分と同じ感情を持っているはずであると、仲間に対する強いプレッシャーになる。また恋人同士で、本音の応酬をして取り返しがつかなくなったりもする。近くの他者には気遣いをしなさすぎて問題になることがあるのである。
いずれにしても、第一印象で思ったことを言うのにはあまり苦労はいらないのだ。言わないでいること、言い方を考えることには努力を要し、認知的な負荷がかかる。その証拠に、この中国料理の実験前に8桁けたの数字を覚えておくように言われていたグループは、その料理のふたを開けられた時、課題をさせられなかったグループよりも、「こんなの食べられない」という感情を出しやすかった。8桁の数字を覚えておくという、別の認知的な負荷のために、この料理を持ってきた人に対する気遣いができず、ウェイターが中国出身の人であっても、嫌だという気持ちをそのまま出してしまったのである。
すなわち人の気持ちを考えて、自分の感情を表出する、というのは、感情と高次認知機能の共同作業であり、それが、感情労働の基本的な仕組みなのである。
感情は今の自分の主観的な価値判断を表しているものだと述べた。Aさんが目の前にいる時の自分と、Bさんが目の前にいる時の自分は違う自分だろう。その意味では私たちは常に、演技をしていると言える。しかし自然に出てくる自分、自然にそういう感情が動くというところから、感情を人に合わせて動かすというところまで感情労働には幅があって、ここに大脳新皮質の調整が入っている。
また感情労働に関し、ここで言えるのは、認知的負荷がかかっている時、感情抑制はしにくいということだ。仕事が忙しすぎたり、悩みがあったりすると、人に優しくすることはできない。自分に負荷がかかりすぎている時は、人よりもむしろ自分のほうが大切にされるべきだと感じて、自分の要求ばかりを人に伝えてしまうこともある。自分で持てる以上の荷物をなるべく持たないことが大事で、人に優しくできなくなったらそれは、荷物を減らせというサインなのである。
AIは感情労働が苦手?
感情労働には高次認知機能が関わっていると述べた。しかし、学校の試験で良い点数が取れることと比べて、人間と人間とが協調してうまく生活することもまた難しいことであり、これらには種類の違う難しさがあるように思われる。
私たちは長い間、テストで測れるような知性を重んじ、ずっと机にかじりついて、体を全く動かさずに「勉強」をしてきたが、それだからこそ最近では「座りっぱなしの生活スタイルは良くない」と言われるようになり、立ちながら仕事をするスタイルが提案され、さらにフィットネスで体を鍛えるというように、運動の必要性が訴えられている。「知性」を鍛える中で、「身体」は一度追放されたからこそ、見直された。Zoom が増えた現在、空いた時間にジョギングなど、運動を取り入れる人が増えたのは、まさにこの流れである。
しかし、知的な努力や、肉体的な努力は、その成果が比較的人の目に見えやすい。学校での成績があがれば、大人が褒めてくれるかもしれない。iPhone のような素晴らしい製品が作れれば、問答無用で人は拍手を送るだろう。肉体労働でも、例えば一人では運べない引っ越しの荷物を、次々積み上げ運ぶことができれば、人は感謝するだろう。スポーツ選手の、他の誰にも真似のできないしなやかな身体運動を見れば、人は感激するだろう。しかし、人が人のために感情を動かす感情面の努力は、これらよりも見えにくいところがある。第1章で、蛇を見たら一瞬で冷や汗をかくという身体の反応が感情のはじまりであると述べたように、感情は身体と密接に関係しているものなのに、そうした衣服の内側で起こっている身体の働きのコントロールは無視されて、ただ外から見えやすい身体の働きのコントロールのみが評価されるにとどまっている。iPhone を作るのにも、スポーツ選手が素晴らしいプレーをするのにも、もしかしたら感情面の努力が大切な役割をしているのかもしれないのに、それが人に知られることは稀なのである。
「感情労働」という言葉を作ったホックシールドは、知的労働や肉体労働は価値を評価することもできるけれども、感情労働はより目立たない形で行われているものなので、評価されるのが遅れたと指摘している。仕事場でどのように感情を働かせるべきかが規定されているのは「感情管理」に当たり、人のために感情を使うことは、知的に難しい問題を解いたり、肉体を酷使したりするのと同様、疲れるのであり、人と人との間である種の難しい問題解決をしているのであって、その影響が個人にとってどれほど大きいかが、ホックシールドによって初めて論じられたのである。
身体的能力がより高い人は、人にできない仕事ができる。だから人を助けることができる。そしてこの肉体労働に関しては、蒸気機関の発明に代表される18世紀から19 世紀の産業革命で、人間の仕事が多く機械に代替されていった。
そして知的能力がより高い人は、人にできない仕事ができる。だから人を助けることができる。そして2025年現在、ChatGPT などの大規模言語モデルが世間を騒がせているが、これは人間社会にとっての産業革命に次ぐ革命と言われている(*20)。
機械が人間の知的労働を多く代替しようとしているからである。
そして感情労働をする能力がより高い人は、人にできない仕事ができる。だから保育・介護職というプロの人たちは、今困っている他人の家族を助けることもできる。しかし、まだここにおいては産業革命や大規模言語モデルのように人間に代わる革命は起こっているとは言えない(*20・21)。 見えにくいものだからこそ、代替されずに残されてきた。ただし、テレフォンオペレーターなどのように他者から苦情を受けて、感情労働をすることが必須な仕事にAIを導入し、相手の音声から感情をリアルタイムでパターン認識して、「この人は怒っているけれども、それはこの人の状況のせいであって、あなたのせいじゃない。だからあなたは落ち着いて、いつものように質問をすればいい」というように、その人の感情労働を補助するシステムは登場しはじめている(*22)。しかしそのようなシステムはまだ、繰り返し使っていると、いつも似たような励ましになることが多く、オペレーターが効果を感じにくくなっていく点があり、今のところは人間の代わりになっているとは言えない状況である。AIの導入で、むしろ人間にやっかいな感情労働が増えるという研究もある(*23)。
感情労働は、今一番得意なのが人間で、知的能力とは別種の知性といっていいのである。人間の可能性が一番あるのもここなのかもしれない。
19 von Hippel, W.,& Gonsalkorale, K. (2005) “ at Is Bloody Revolting!” Inhibitory Control of oughts Better Left Unsaid. Psychological Science, 16, 497-500.
20 「AI革命の未来──松尾豊氏・鈴木健氏・ ShaneGu 氏・上野山勝也氏が語る、最新トレンドと課題」GLOBIS 学び放題×知見録 2024年 https://www.youtube.com/watch?v=kzHTMp84PI4
21 Frey, C. B., & Osborne, M. A. (2017) e future of employment: How susceptible are jobs to computerization. Technological Forecasting and Social Change, 114, 254-280.
22 Swain, V. D., Zhong, Q. J., Parekh, J. R., Jeon, Y., Zimmermann, R., Czerwinski, M., Suh, J., Mishra, V., Saha, K., & Hernandez, J. (2024) AI on My Shoulder: Supporting Emotional Labor in Front-O ce Roles with an LLM-based Empathetic Coworker. arXiv:2411.02408.
23 Oder, N., & Béland, D. (2025) Arti cial intelligence, emotional labor, and the quest for sociological and political imagination among lowskilled workers. Policy and Society, 44, 116-128.
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