はじめに
―時間術の〝不都合すぎる〟真実
時間を有効に使いたい。
そんな欲望の歴史は古く、古代ローマの哲学者セネカは「我々に与えられた時間は短いわけではなく、その多くを浪費しているだけだ」と唱え、レオナルド・ダ・ヴィンチは早くも1490年にToDoリストの利用をスタート。19世紀のはじめにはアメリカの出版社が世界初のスケジュール帳を印刷しており、このころに世界の先進国でタイムマネジメントの意識が根づき始めた様子がうかがえます。
それは現代人も例外ではなく、サイエンスジャーナリストである筆者のもとにも、時間に関する悩みが毎日のように寄せられます。
「時間の使い方に満足できない」
「もっと時間を有意義に使いたい」
「大事なことがあるのに手をつけられない」
「やりたくないことに時間をとられすぎている」
こうして見ると、やはりほとんどの人は、時間の使い方によって人生の成功と幸福が決まることを実感しているようです。時間を無駄に使うことは、すなわち人生の無駄使いにつながるわけですから、これは当然のことでしょう。
そんな需要に応えて、これまでに無数の「時間をうまく使う方法」、いわゆる時間術が提案されてきました。
◦仕事のプロセスを効率化して、早く作業を終わらせよう
◦仕事を小さく分割して、すきま時間に作業をしよう
◦無駄なタスクを見つけて、そこに使う時間を限界まで減らそう
◦綿密な締め切りを設定して、モチベーションをアップしよう
いずれも時間術としては定番のテクニックであり、それぞれが作業の効率化や無駄の排除、行動の最適化などを、時間管理の悩みへの答えとして提示しています。そもそも現代人は圧倒的に自由な時間が足りないのだから、作業のスピードを限界まで高め、1日のスケジュールを最適化し、徹底的に無駄を省いていくしかない、というわけです。
ところが、残念ながら、これらの技法によって長期的な効果を実感できる人は多くありません。
パフォーマンスが上がったと思えたのは最初だけで、いっこうに時間のプレッシャーは減らないまま。やがて再び締め切りを守れなくなり、やるはずだった家事を放置し、結局は大事なことに手をつけられない―。
そんな問題に苦しむ人が大半なのです。
この事実はデータでも裏づけられており、マッキンゼーとオックスフォード大学が5400を超えるI Tプロジェクトを調べた研究によれば、参加者の大半がなんらかの時間術を使っていたにもかかわらず、期限に間に合ったものは全体の3分の1を下まわり、たいていは当初の予想の3・5倍もの時間がかかっていました(1)。また、心理学の学生を対象に行われた調査でも、卒業論文を予定どおりに提出できたのは、全体の30%にも満たなかったと言います(2)。
世の中にこれほどの時間術があるにもかかわらず、いまだに多くの人が時間の悩みを抱えているのはなぜか?
謎を解くために、筆者は時間に関する研究を2000件近く調べ、さらには認知科学、心理学、経済学、医学の各分野から、国内外の専門家約20人に最新の見解を尋ねました。その結果わかったのは、次のような事実です。
◦万人に効果がある時間術は、いまだひとつも見つかっていない
スケジュール帳、ToDoリスト、タイムログ、締め切り設定―。
定番の時間術はいくつもありますが、どんな調査においても、現時点で「確実に時間の使い方がうまくなる」と言えるテクニックは存在しません。序章から詳述しますが、いまのところ大半の技法にはたいした効果が認められておらず、そもそもまともな検証すら行われていないケースが普通なのです。
出鼻をくじくようで恐縮ながら、いま時間術を語るなら、まずはこの点を押さえておかねば話が始まりません。まさしく時間術に関する〝不都合すぎる〟真実であり、万人に通じる技法がないならば、多くの人がいまだ悩みから解放されていないのも当然です。
この難しい問題について、果たして私たちにはなすすべがあるのでしょうか?
その答えを探すべく、筆者はあらためて複数のデータチェックと専門家へのインタビューを重ね、やがてひとつの結論にたどり着きました。その内容を端的にまとめると、こうなります。
❶私たちが本当に気にすべきは、時間ではなく〝時間感覚〟である
❷時間は平等だが、〝時間感覚〟には個体差がある
❸個体差に合わせて〝時間感覚〟さえ書きかえれば、あなたは時間を有効に使えるようになる
謎めいた表現で恐縮ですが、〝時間感覚〟の意味については、60ページから順を追って説明していくのでご安心ください。いまの時点では、ここまで述べてきた難問に対して、明確な解決策があるという点さえ押さえておけば十分です。
その後、筆者は、以上の発見をすべてまとめたうえで、再現性のある技法として構成し直す作業をスタート。できあがったプログラムは複数の協力者に試してもらい、会社員、起業家、教師、アスリート、学生など、10代から60代までの幅広い層を対象に、効果のレベルを確かめました。
結果は想像を上まわり、プログラムの実践後に集めたアンケートでは、実に95%の参加者が「以前よりも時間に余裕が出た」と感じ、92%は「勉強の成果が上がった」「先延ばしが減った」「余暇に使える時間が倍になった」など、なんらかの改善を報告しています。中には「うまくいかなかった」との感想もありましたが、それらの意見をもとにさらなる改良を続け、より汎用性が高い内容に鍛え上げました。
こうして完成したのが本書です。いわば「現時点で最良の科学的見解」と「実践的な技法」を組み合わせた内容であり、成果を上げたいビジネスパーソンはもちろん、勉強に忙しい学生や子育て中の方、生活が不規則なフリーランスなど、あらゆるタイプのニーズに役立つはずです。
余談ながら、筆者も本書の内容から大きな恩恵を受けており、いままでは年に1冊の自著を書くのがせいぜいだったのが、近年は年間3〜4冊を出せるまでスピードが上がりました。それと同時に、1日に平均で15本の論文を読みつつ、2万〜4万文字の原稿を書き、定期的に1回90分〜120分の動画配信をするなど、従来どおりのルーチンも乱れていません。だからといってプライベートを犠牲にするでもなく、睡眠や運動の時間は一切減らしていませんし、読書、映画、楽器の練習といった趣味を楽しむための余裕も十分に確保できています。それもこれも、〝時間感覚〟にもとづいて、日々の暮らしを組み直したおかげです。
本書の概要を簡単に見ておきましょう。
まずはじめに、序章と第1章では「なぜ私たちは時間術をうまく使えないのか?」という問題を考え、科学的な原因と対策の方向性を説明します。その後、第2章と第3章から実践編に移り、時間をうまく使うための具体的な技法や、時間術のポテンシャルを正しく引き出す方法を学習。最後の第4章と終章では、現代人を悩ませる時間不足の原因を、根本的なところまで掘り下げていきます。
以上のような本書の流れは、病気の治療になぞらえることができるでしょう。
たとえば、あなたが流行り病に感染し、幾日も続く咳と熱に悩まされたとします。このケースにおいて、私たちができる作業は次の4つです。
1 診察と検査:自分の身に起きた症状の原因を調べる
2 対症療法:解熱剤などを飲んで熱や咳をおさえる
3 原因療法:抗菌薬などを使い、原因となった菌を駆除する
4 体質改善:食事や運動の改善を行い、人体のシステムを整える
このメタファーに沿って考えれば、序章と第1章は診察と検査に相当し、まずはここであなたが時間をうまく使えない本当の理由を確認します。続く第2章の内容は対症療法に近く、先延ばしや締め切り破りといった、表面的な時間のトラブルに対処するのが主な目的です。一方で第3章の内容は、人間の「記憶」や「感情」の動きといった深いレベルを取り扱っており、原因療法に似た性質を持ちます。
さらに第4章と終章では、私たちが心の奥に抱く「概念」や「感覚」の領域まで踏み込み、「時間が足りない」問題の根本的な解決に挑んでいきます。このステップは、まさに〝体質改善〟に当たるでしょう。
なお、本書では数多くの技法を紹介していきますが、章ごとに止まって実践するよりは、まずはひととおり最後まで読み終えてみてください。本書が解き明かす「時間の正体」を理解したあとのほうが効果は出やすくなります。
また、紹介する技法は、すべてを試す必要はありません。25ページの「時間感覚タイプテスト」の結果を参考に、あなたにフィットしそうな技法をひとつの章ごとに1〜2つだけ選んでください。ただし、あなたが直感で「これはおもしろそうだ」と思えるものがあれば、テストの結果を無視して、好きな技法を選んでも構いません。1週間以上かけて実践し、もし効果を実感できなかったら、別の技法を検証してみてください。
いくら焦っても病気の治りは早まらないように、時間の使い方も一朝一夕には改善されません。あくまでスローペースで取り込んだあとで、それぞれの結果を振り返るのがおすすめです。
つまり、本書を使いこなすためにもっとも必要なのは、実験を行う科学者のような姿勢だと言えます。もちろん必要な情報を伝えるのは筆者の役目ですが、それはあくまでチームメイトによる助言のようなもの。実験を重ねて答えを探り出す作業は、あなたにしかできません。ぜひとも、科学者のような態度で、本書を使ってみてください。
では、最初のステップです。あなたの時間の使い方にどんな特徴があるか、25ページの「時間感覚タイプテスト」で診断しましょう。まずは何も考えずに各項目を読み、できるだけ正直に答えてください。それぞれの文章に「自分がどれぐらい当てはまるだろうか?」と考え、各問5点満点で採点しましょう。全く当てはまらなければ1点、完全に当てはまれば5点です。
(※次のURLまたは下記のQRコードでウェブ上の診断ページにも飛べます。)
すべての採点が終わったら、次の項目ごとに点数を足し合わせましょう。
◦予期が「濃い」または「薄い」=項目1〜5の合計点
◦予期が「多い」または「少ない」=項目6〜10の合計点
◦想起が「正しい」または「誤り」=項目11〜15の合計点
◦想起が「肯定的」または「否定的」=項目16〜20の合計点
「予期」や「想起」といった用語については、第1章からくわしく説明します。いまの時点では意味がわからなくても問題ありません。
最後に合計点を27ページのグラフに記入し、あなたの「時間感覚」を判断しましょう。たとえば、項目1〜5の合計が20点で、項目6〜10の合計点が5点だった場合は、Bの「禁欲家」タイプに当てはまると判断できます。もし項目11〜15の合計が15点で、項目16〜20の合計が20点だったならEの「自信家」タイプです。
各タイプは、次のような特徴を持っています。
A 容量超過=つねに複数の作業に追われており、焦りや不安、圧倒される感覚に襲われやすいタイプです。そのため、決して時間の使い方が下手なわけではないものの、つねに自分の行動に不満を抱き続けます。
B 禁欲家=自分が立てた計画のとおりにタスクをこなすのはうまいものの、ときに勤勉すぎて目の前の喜びに目が行かず、人生の喜びを感じられなくなってしまうことも多いタイプです。
C 無気力=このタイプは、何をすべきかがいつもぼんやりし、長期プロジェクトにも意味を感じられません。そのせいで、無気力でどんなことにもモチベーションがわかない問題に悩みがちです。
D 浪費家=重要なタスクとそれ以外のタスクを見分けるのが苦手で、とりあえず簡単な作業ばかりに手をつけてしまうタイプです。結果として、長期プロジェクトが停滞しがちな傾向があります。
E 自信家=自己効力感が高いため、難しい作業にも臆せず取り組めるタイプです。ただし、自分の能力を信じすぎ、必要な助けやリソースを得られずに失敗することもあります。
F 怖がり=自己効力感が低いため、プロジェクトの失敗や他人の批判などを恐れて、すぐ作業に取りかかるのが苦手なタイプです。一方で、いったん作業を始めれば、意外とうまく計画を進められる傾向があります。
G 悲観主義=時間の見積もりが苦手で、そのうえ過去の自分へのネガティブなイメージが強いため、気分の落ち込みやイライラに悩まされやすいタイプです。気分が沈みがちなので、作業へのモチベーションも低くなります。
H 楽天家=作業に必要な時間を短く見積もることが多く、自分の能力にも疑いを持たないせいで、最後はプロジェクトの期限を破りがちになってしまうタイプです。過去の失敗をうまく活かすのが苦手なタイプとも言えます。
これらの分類は、「予期」(A B C D)と「想起」(E F G H)の各タイプが組み合わさり、私たちの「時間の使い方」に、人それぞれの違いをもたらします。たとえば、「禁欲家:B+自信家:E」や「浪費家:D+楽天家:H」といった具合で、このような組み合わせの違いを考慮しつつ、固有の対策を考えていく必要があるわけです(詳細は第2章と第3章でお伝えします)。
また、このテストについては、利用者からよく尋ねられる質問がいくつかあります。こちらも合わせて紹介しておきましょう。
◦テストの点数は高いほど良い?:このテストは、満点に近ければ良いというものではありません。具体的には、「禁欲家」タイプの説明(26ページ)でも見たとおり、「予期の濃さ」の点数が高くて「予期の多さ」の点数が低くなるほど、人生の喜びを感じにくい傾向があります。同じように、「想起の正しさ」と「想起の肯定」の点数がどちらも高いときは、過信によるトラブルが増えてしまいます。どのタイプにもデメリットがあり、「この点数がベスト」と言える基準は存在しません。
ただし、多くの場合、各スコアが15〜20点台に落ちついた人は、時間の使い方が安定してうまい傾向が見られます。とりあえずは、15点よりも少し上ぐらいのラインを目指すのが良さそうです。
◦全項目の点数が12〜13点だったら?:珍しいケースですが、ときおり全項目が真ん中に落ち着く人もいます。この場合は「中間型」と考えられ、すべての要素を薄めに合わせ持ったタイプと言えます。もしこの中間型になったときは、「予期の少なさと薄さ」(第2章)と「想起の否定と誤り」(第3章)向けの技法を行い、各スコアを15〜20点の間に収めるように意識するといいでしょう。
◦各タイプは一度決まったら動かない?:あなたの時間タイプは固定ではなく、第2章から取り上げる各種技法で変えることができます。あなたに適した技法を続け、時間タイプを適切なレベルに変えていくのが、本書の大きなポイントです。
また、一部には、タスクの種類や周囲の環境によってタイプが切り替わる人も見られます。「自宅では無気力だが、会社では自信家」といったように、状況に応じて時間の使い方が変わるわけです。
このような変化はテストでとらえきれないので、もしタイプが一定しないときは、作業を行う前に「自分はいまどのタイプに近いだろうか?」と考えてみてください。