ためし読み - ノンフィクション

ハードな仕事を与えられ、自分の持つ才能を発揮して太く短く生きるのと、座敷犬として平和に長生きするのと、どちらが犬にとって幸せなのだろうかーー登山家・服部文祥『山旅犬のナツ』はじめに 試し読み

北海道の野良犬から生まれた子犬・ナツが、登山家・服部文祥のもとにやってきて7年。狩猟や沢釣り、雪山登山から、古民家での自力生活まで、共に過ごす姿をとらえた初めてのフォトエッセイ『山旅犬のナツ』が刊行されました。服部氏が最も多くの旅を共にした相棒・ナツへの思いを論じた本書の、「はじめに」を公開します。

 

===試し読みはこちら===

山旅犬のナツ
服部 文祥

 

はじめに

 

 山の廃村に残った築一二〇年を超す古民家(屋号・百之助)で一年の半分を過ごすようになった。夏至の頃は、明るくなった五時前後に起きることが多い。私の覚醒に気がついたナツが、寝転んだまま頭だけ上げて耳を倒し、尻尾でパタパタと板間を叩いている。朝の挨拶である。
 私は布団から這い出して、ナツが寝転がっている横に座り、ナツの首から肩の筋肉の周りをマッサージするように撫でる。
少し撫でてから、庭から道に出て、朝一の用事をすます。家から五メートルも離れていないところで用を足すのを、ナツは快く思っていないかもしれない。ナツはそこそこ激しい雨が降っているときでも、家から三〇メートルは離れて、おしっこをする。
 戻り際にかまどに火を熾したら、またナツの横に座って、軽くマッサージする。
 私にとってナツははじめて飼う犬である。わかりやすいので「飼う」を使うが、私はこの言葉があまり好きではない。私とナツとの関係を正しく表しているとは思えないからだ。ナツは飼われているのではなく、一緒に暮らしている。ナツとともにこれまで距離にして三〇〇〇キロ以上を徒歩で旅してきた。旅の行程のほとんどがノーリードである。冬は一緒に猟もする。ナツは鹿を追って何度も山に消えてしまったが、そのたびにちゃんと戻り、山奥のこの廃村でもほぼ放し飼いで過ごしている。
 「どうすればナツみたいな犬ができるんですか」と聞かれたことが何度かある。他人にはナツは賢い犬に見えるらしい。
 どうすればナツのような犬ができるのか、私にもよくわからない。犬とともに山旅をしたくて、私なりに試行錯誤を繰り返してきたものの、その判断が正しかったのかは自信がない。猟犬を育て上げることに秀でた猟師から見たら、私など、ナツをスポイルしているように見えるかもしれない。ナツだって、私に対する改善要求をいくつも抱えているはずだ。
  ナツと過ごした日々を振り返りながら原稿を書いていると、いろいろなシーンが思い出され、今もこうしてともにあるのが奇跡のように思えてくる。ナツを愛おしく思う気持ちが抑えられなくなり、執筆を中断して、ナツが寝転がっている縁側に行って、ナツを撫でてしまう。生き物に触れるというのは気持ちが休まる。ナツは図に乗ってきて「もっと撫でてください」と前脚で要求してくる。とっくに満たされている私は、ナツの相手をしているのが面倒くさくなる。
  ナツは今も、それなりに満足そうに縁側に寝転がって、山旅がはじまるのを待っている。

 

===続きは単行本『山旅犬のナツ』でお読みください===

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著者

服部 文祥(はっとり・ぶんしょう)

1969年生。登山家、作家。世界第二の高峰K2などに登頂したのち食糧を現地調達する「サバイバル登山」を開始。『サバイバル登山家』『サバイバル登山入門』『息子と狩猟に』『お金に頼らず生きたい君へ』など。

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