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絶望的な状況を笑い飛ばす「絞首台のユーモア」──『マーリ・アルメイダの七つの月』訳者あとがき先行公開

1990年、スリランカ内戦の混乱を舞台にしたゴースト・ミステリ『マーリ・アルメイダの七つの月(上・下)』は、その新時代の魔術的想像力、鋭い政治的諷刺、そして悲しく燃えたぎる笑いによって高く評価され、2022年ブッカー賞を受賞しました。グロテスクな惨状を貫く愛と笑いの物語はどのように書かれたのか。本書の邦訳刊行に先駆け、訳者の山北めぐみさんによるあとがきを公開します。

 

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マーリ・アルメイダの七つの月 上・下
シェハン・カルナティラカ著
山北めぐみ訳

 

 一九九〇年、内戦に揺らぐスリランカ最大の都市コロンボ。戦場カメラマンにしてギャンブラー、クローゼットのゲイにして無神論者のマーリ・アルメイダは不慮の死を遂げ、冥界で目を覚ます。なぜ死んだのかは記憶にない。だが、彼にはやり残した仕事があった。秘蔵のスクープ写真を公開することで、腐敗した政権を倒し、長引く祖国の内戦を終わらせるのだ。冥界の役人から与えられた猶予は七日間。その間に自らの死の謎を突きとめ、愛する人たちを写真のありかに導かなければならない。物語は冥界と下界、過去と現在、さらには歴史小説、ゴーストストーリー、フーダニット、タイムリミットサスペンス、ロマンティックコメディといったジャンルの枠さえ跳び越えて、青年の愛と正義を賭けた七日間に並走する。

 スリランカ出身の作家シェハン・カルナティラカが英語で執筆した本書『マーリ・アルメイダの七つの月The Seven Moons of Maali Almeida』は二〇二二年のブッカー賞を受賞した。選考委員長でナショナル・ギャラリーや大英博物館の館長を歴任したニール・マクレガー氏によれば、「野心的な題材」、「可笑しくて奇抜な語りの妙」が高い評価を集めたという。さらに、マクレガー氏は本書が高い娯楽性と深い哲学性を兼ね備えている点に着目し、「読者は血で血を洗う内戦下のスリランカにいざなわれ、人間社会の闇を突きつけられるが、同時にそこに優しさや美しさ、愛と正義、あらゆる命を肯定することの価値を見出す」とも指摘する。こうした二面性(あるいは多面性と言ってもいいかもしれない)は本書を語る上でのキーワードになると訳者も感じている。主人公マーリの人物像もまた、矛盾に満ちた二面性を持って描かれる。「〝敬虔な無神論者〟にして皮肉屋でありながら、ジャーナリズムの力をほとんど宗教的と言えるまでに信じている(ロサンゼルス・タイムズ紙)」マーリは自虐ネタを繰り出しては、あっけらかんと開き直る、弱さと図太さを併せ持つ愛すべきキャラなのだ。

 語りの妙としては、全編「おまえ(You)」という二人称を用いた点が挙げられるだろう。マーリに呼びかけているのが誰なのかについては、読者それぞれの解釈に委ねたいが、訳者はこの「おまえ」という呼びかけが、あたかもVRゴーグルのような働きをして、主人公との一体感や作品世界への没入感を高めてくれるように感じた。生と死、肉体と霊魂、西洋と東洋など、さまざまな対立する概念が交差して織り成す、この万華鏡のようなめくるめく物語を楽しんでいただけたらと思う。

 

 本書はもともと二〇二〇年にインドでChats with the Dead(死者とのおしゃべり)のタイトルで出版された。英国での刊行にあたって、改題されるとともに、スリランカの歴史や文化になじみのない読者にもわかりやすく読めるよう修正が加えられた。それでも現地の言葉がぽんぽん飛び交い、聞き慣れない地名や人名、料理の名前などが随所に出てくるから、読者はあたかもコロンボの喧噪に放り込まれたかのような感覚を味わうだろう。邦訳に当たっては、あまりうるさくならない範囲でルビや注による説明を補足した。また、登場する組織の名称や対立関係については、上巻四十一頁に、主人公が米国人記者に渡した「カンニングペーパー」の形で解説されているので、こちらを参照しながら読むのもおすすめだ。背景のさらなる理解のため、以下にスリランカの概要と歴史をまとめるが、読みながらピースをつなぎ合わせていくのも読書の醍醐味だと思うので、本編を未読の方は飛ばしていただいてもかまわない。すでに読み終えた方には、復習のつもりでお付き合いいただけたらと思う。

 

 スリランカはインドの南に位置するセイロン島と北西部の小さな離島から成る島国だ。外務省ウェブサイトによれば、二〇二一年現在、人口は約二千二百十六万人。うち約七十五%がシンハラ人で、その大半が仏教徒、約十五%がタミル人で、多くがヒンドゥー教徒である。残る十%をイスラム教徒のムーア人やヨーロッパ系の植民者の血を引くバーガー人などが占める。先住民族のヴェッダ人も少数ながら今も山間部に暮らしている。

 セイロン島に最初に王国を築いたのは、紀元前五世紀に北インドから移り住んだシンハラ人だと言われている。ただし、この建国の神話は学問的に証明されたものではなく、近年の研究によれば、十九世紀に至るまで南インドから移住したタミル人のほうが数の上では勝っていたとも指摘される。とは言え、長年の間、両民族は大きな衝突もなく共存してきた。この状況に変化をもたらすきっかけとなったのが、ヨーロッパによる植民地化だ。十六世紀にはポルトガルが、十七世紀にはオランダが、さらに十八世紀にはイギリスがセイロン島に侵攻。イギリスによる全土支配は第二次世界大戦後の一九四八年、セイロンがイギリス連邦内の自治領として独立するまで続いた(国として完全独立し、シンハラ語で「輝ける島」を意味するスリランカに改称したのは一九七二年のことである)。植民地時代のキリスト教教育や英語の公用語化は、その反動として「スリランカはシンハラ人のもので、真のシンハラ人は仏教徒である」とするシンハラ・ナショナリズムと呼ばれるイデオロギーを形成・拡大させた。さらに、独立直後から一九七〇年代にかけて、シンハラ人のエリート層が要職を占める政府は「シンハラ・オンリー政策」を推進。シンハラ語の公用化や仏教保護政策によってシンハラ人を優遇するいっぽうで、タミル人の市民権をはく奪する。これに反発したタミル人の間で分離独立運動が興り、過激派は武装組織を結成、国内での反政府テロ活動を激化させた。その代表格が一九七六年設立の〈タミル・イーラム解放の虎(LTTE)〉である。そして一九八三年七月、北部の都市ジャフナでシンハラ人兵士十三名がタミル人に殺害されたことが引き金となって、コロンボなどの都市部でシンハラ人暴徒が多数のタミル人を虐殺、以後LTTEと政府軍は泥沼の内戦に突入する。

 一九八七年になると、スリランカ政府の要請を受けたインドが平和維持軍を派遣し、LTTEとの仲介に乗り出す。今度はこれが共産主義を掲げるシンハラ・ナショナリズム過激派、人民解放戦線(JVP)を刺激。JVPは反インド・反政府を表明して中部や南部で暴動を起こし、その結果、指導者ローハナ・ウィジェウィーラが一九八九年に殺害されるまでの二年間に、 無辜の市民も含め二万人以上が政府による弾圧の犠牲となった。

 つまり、本書で描かれる一九九〇年前後は、政府軍、LTTE、JVPという三つ巴のテロ、報復合戦により、スリランカが混迷をきわめた時期なのだ。その後も政府軍とLTTEの戦闘は激化し、この内戦は二〇〇九年五月、政府軍がLTTEの最高指導者ヴェルピライ・プラバカラン(本書ではおもに「スープレモ」の名で呼ばれる)を殺害して、勝利宣言を出すまで四半世紀にわたって続いた。総死者数はじつに十万人を超えたとされる。また、島はその間の二〇〇四年末に、沿岸部を中心に三万人余りの犠牲者を出したスマトラ沖地震によるインド洋大津波にも見舞われている。内戦が終わったのちも、長い戦渦で荒れ果てた北部・東部の戦闘地域と都市部との地域格差は広がったままで、シンハラ人とタミル人の真の和平が課題として残された。

 その後、国内情勢の安定により、成長を加速させたスリランカだが、現在は深刻な経済危機に陥っている。原因は慢性的な貿易赤字、財政政策の失敗に加え、コロナ禍による観光収入の激減だ。二〇二二年には政府に対する国民の不満が爆発、暴動が発生して大統領が国外逃亡し、首相が国家破産を宣言する事態となった。そんな中でのカルナティラカのブッカー賞受賞は、暗雲垂れ込めるスリランカにひときわ明るいニュースをもたらしたと言えるだろう。

 

 シェハン・カルナティラカは一九七五年生まれ、コロンボの英語を話す中流家庭に育ち、ニュージーランドの高校、大学を卒業。フリーランスのコピーライターとして活動するかたわら、二〇一〇年刊行の長編第一作Chinaman: The Legend of Pradeep Mathew で、旧英国領の優れた小説に与えられるコモンウェルス賞を受賞した。これは酒浸りの元スポーツ記者が失踪した伝説のクリケット選手を追うさまを、スリランカの政情や断絶した親子の物語をからめて描いたほろ苦くもファニーな風刺小説で、英国のクリケット年鑑『ウィズデン』による「クリケット本のオールタイムベスト」では第二位に選ばれている。

 デビュー作にして一躍注目を集めたカルナティラカだが、第二作の本書を刊行するまでにじつに十年のブランクがあった。インタビューでその理由を問われると、育児やコピーライターの仕事で忙しく、執筆の時間が思うように取れなかった、と答えているが、本書の構想自体は二〇〇九年の内戦終結直後にすでに生まれていたという。時代を一九九〇年に設定したのは「(当時の)悪者の大半がすでにこの世を去っているから」と冗談めかして語っているが、内戦が混迷をきわめた「記憶に残るかぎり最悪の年」だったことも大きな理由だろう。執筆を開始したのは二〇一四年で、その後いくたびもの推敲や出版社探しを経て、長らく温めてきた物語がようやく読者に届けられた。

 

 主人公マーリ・アルメイダのモデルは、本編でも何度か言及されるジャーナリストで活動家のリチャード・デ・ゾイサであることが明かされている。一九九〇年にコロンボで拉致・殺害されたデ・ゾイサとマーリの共通点は多い。シンハラ人とタミル人の血が流れていること、JVPとのつながりを噂されていたこと、そして、クローゼットのゲイだったこと。当事者ではない作家がクィアな人物を描くにあたって、著者は「エンパシーとリスペクトとスキル」が欠かせないとし、コロンボに暮らす世代の異なる同性愛者に取材をし、先行作品を読み込んだうえで執筆に臨んだと語っている。一九九〇年前後はエイズが死に至る未知の病として怖れられ、同性愛とエイズを結びつけた差別が横行した時代だった。それゆえ本書には現代の感覚に照らせば怒りや悲しみを禁じえない差別的な表現が出てくるが、原文の意図を尊重し、そのまま訳出したことをお断りしておく。

 実在の人物からヒントを得た登場人物は主人公マーリだけではない。冥界でマーリを導くラーニー博士のモデルは一九八九年に幼な子を遺して暗殺された医師でジャフナ大学解剖学部長のラジニ・ティラナガマ博士である。また、イスラエル人の武器商人二人組、ヤエル・メナヘムとゴーラン・ヨラムが映画監督メナヘム・ゴーランから名前を借りているのは、監督作『燃えよNINJA』シリーズのタイトルが本文中に登場することからも明らかだ。

 いっぽうで、政治家などの著名人が実名で登場するケースもある。「シンハラ・オンリー政策」を推し進めたS・W・R・D・バンダーラナーヤカがそのひとりで、冥界でマーリとからむ悪霊が生前彼のボディガードだったという設定になっている。また、「ラージャパクサの若造」などと言及される野党議員は、二〇〇九年の内戦終結時の大統領マヒンダ・ラージャパクサである(ちなみに、二〇二二年の経済危機で辞任・国外逃亡を余儀なくされたゴタバヤ・ラージャパクサ大統領はその弟にあたる) .とは言え、こうした背景を知らなくても、尻込みすることはない。むしろ、そのほうが、本書に描かれる腐敗を自分の知っている国、今住んでいる国などに自由に重ねて、痛烈な風刺をより痛烈に味わえるかもしれない。どこまでが真実でどこからが虚構なのか、想像をめぐらせてみるのも本書の楽しみ方のひとつだろう。

 さらに、この虚実ないまぜの物語が東西の宗教や神話から自由にエッセンスを取り入れていることにも触れておきたい。冥界最強の悪霊マハカーリーは、ヒンドゥー教の破壊と死を司る女神カーリーからビジュアルの一部と名前を借りている。また、本書で〈はざま〉と呼ばれる死後の世界はチベット仏教で死者が次の生を受けるまでの間に過ごすとされるバルドゥ(中有)と重なるし、〈はざま〉と〈光〉をつなぐ〈誕生の川〉はギリシャ神話に登場する冥府を流れる忘却の川レテを想起させる。ここにも、まさにマッシュアップとも呼びたい多面性が見られるのだ。

 

 本書は海外の書評などでは『真夜中の子供たち』のサルマン・ラシュディや『百年の孤独』のガブリエル・ガルシア゠マルケスといったマジックリアリズムの流れを汲む作品として紹介されることが多い。著者自身、ラシュディやマルケスを愛読し、強く影響を受けたことを認めているが、マジックリアリズムという括りには特にこだわりはないとしている。あえて本書をジャンル分けするなら、「殺人ミステリーであり、ゴーストストーリーだ」と言い、「核心にあるのは、三角関係を描いたロマンスだ」とも語っている。たしかに、マーリを慕う親友ジャキの切ない恋心やマーリがジャキに寄せるかけがえのない友愛の情は本書の白眉と呼びたい美しさで描かれる。

 そのうえで、著者は敬愛する作家として、本書にもオマージュが登場する『銀河ヒッチハイク・ガイド』のダグラス・アダムス、『十二月の十日』のジョージ・ソーンダーズらを挙げているが、影響の大きさで言うなら、カート・ヴォネガット抜きには語れない。著者は本書の語りの特徴である毒のある笑いを「絞首台のユーモアgallows humour」と表現し、絶望的な状況を笑い飛ばすスリランカ人のたくましい心性と重ね合わせているが、こうしたユーモアは最愛の作家ヴォネガットから学んだものでもあるのだ。なお、ブッカー賞のウェブサイトでは、著者が「カートおじさん」への愛を熱く語った記事が読める。

 また、全編にちりばめられた音楽や映画へのオマージュも、本書の読みどころのひとつである。訳者はマーリよりはだいぶ年下だが、著者より少しお姉さんの、八〇年代にティーンエイジャーとして洋楽や洋画に親しんだ世代だ。訳出中は、U2やジョン・レノンのヒット曲の歌詞や映画『カラテ・キッド(邦題:ベスト・キッド)』のもじり、『ブレードランナー』の名セリフなどを発見し、たびたびニヤリとさせられた。元ネタに言及するのは無粋なことと承知しているが、日本語に訳すと引用であることがわかりづらい場合には、適宜ルビや注を入れた。訳者が気づいていないオマージュもまだまだ隠れているにちがいない。ぜひ探してみてほしい。

 著者の最新作はThe Birth Lottery and Other Surprises というタイトルの短編集で、すでにインドでは刊行され、英国でも近く刊行の予定だ。birth lottery(生まれたときに引くクジ)とは本書にも何度か登場する表現だが、最近日本でよく言われる「親ガチャ」とも重なるところがあるかもしれない。収められているのはどれもスリランカにまつわる物語だが、SFあり、フラッシュフィクション(超短編)あり、さまざまな形式やヴォイスを試行した、著者いわく「コンピレーション・アルバムのような」作品集だということだ。

 

 シェハン・カルナティラカが作家であると同時に文学をはじめとするさまざまなカルチャーの愛好者ファンだとするなら、訳者もまた翻訳者である以上に無類の本好きを自認する者だ。この愛すべき物語に向き合う時間は、翻訳者としても一ファンとしてもこの上なく幸せだった。

 

山北めぐみ

 

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本編は単行本
マーリ・アルメイダの七つの月 上
マーリ・アルメイダの七つの月 下
でお楽しみください
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著者

シェハン・カルナティラカ

1975年、スリランカ生まれ。作家。2010年、初長編作品『Chinaman』でコモンウェルス賞を受賞。2022年、『マーリ・アルメイダの七つの月』がブッカー賞を受賞し、世界的な注目を集める。

山北 めぐみ(やまきた・めぐみ)訳

翻訳者。東京都出身。おもな訳書にフェリシア・ヤップ『ついには誰もがすべてを忘れる』、マーゴット・リー・シェタリー『ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち』などがある。

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