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クリステン・R・ゴドシー『エブリデイ・ユートピア』刊行記念  訳者・高橋璃子さんあとがきを発売に先駆け無料公開

歴史は夢みる人によってつくられてきた。必読 ―― トマ・ピケティが絶賛!
家族の形や住まい、所有、教育などの私的領域から社会を変えるための思想や多様なコミュニティの実践例を紹介し、ユートピア=夢物語という捉え方を覆す、革新的な1冊。

本書の訳者である高橋璃子さんの「訳者あとがき」を 5月28日の発売日に先駆けて公開いたします。

ぜひご一読ください。

 

===↓訳者あとがきはこちらから↓===

エブリデイ・ユートピア
クリステン・R・ゴドシー著
高橋璃子訳

 

訳者あとがき

 本書は『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』に続く、クリステン・R・ゴドシーの2冊目の邦訳作品です。
 前作では「社会主義国の女性が資本主義国よりも豊かな性生活を楽しんでいた」という刺激的なファクトを紹介し、寝室というきわめて親密な場所から新自由主義的資本主義の問題点を浮き彫りにしました。社会主義の政策を公平に再評価し、女性がもっと生きやすい社会を作ろうと呼びかける著者の声は、日本でも多くの読者の共感を呼びました。
 本作は前作よりもぐっとスケールを広げ、プラトン以来2500年のユートピア思想史を振り返りながら、私たちの家族の形や家庭生活の営みを問い直す野心的な内容となっています。住まい、子育て、教育、物の所有、そして家族とは何かについて、現代の常識にとらわれない発想と豊富な実践例を紹介していきます。内容は多岐にわたりますが、著者の主な関心は前作と同じく、女性の立場の改善にあります。女性の経済的自立を阻むケア労働の重圧を取り除くためには、性別分業的な家族のあり方を変えなくてはいけません。そのための介入の切り口を、家族やコミュニティのユートピア的挑戦に見いだしていきます。
 著者ゴドシーはペンシルベニア大学ロシア・東欧学の教授で、2022年からはチェア(学科長)を務めています。東欧の社会主義政権崩壊と資本主義への移行による経済的影響を、普通の人々の生活、とりわけ女性の暮らしに焦点を当てて研究してきました。その業績は高く評価され、2012年には卓越した学術能力や芸術的才能を持つ個人に贈られるグッゲンハイム・フェローを獲得。新聞や雑誌、ラジオなどのメディアにも精力的に寄稿・出演しています。ニューヨーク・タイムズ紙に寄せた記事を元にして書かれた前作『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』は15か国語に翻訳され、世界中で話題となりました。
 著者が一貫して目を向けるのは私的な領域、言いかえれば公的領域から排除されてきた部分です。家事育児など親密な領域でおこなわれる行為は、いわゆる大文字の政治や仕事の世界に比べると些細な問題に見えるかもしれません。しかしそうした私的領域の軽視こそ、「再生産」を生産から切り離して核家族の内側に閉じ込め、無償ケア労働を女性に強いてきた家父長制的資本制の策略であることを忘れるわけにはいきません。著者が言うように「政治的なことは個人的なこと」、私たちの日々の生活こそが政治の目的であり実践であるべきです。それなのに、身体や生殖、家事や人間関係に関することは、あたかも重要度が低いかのように扱われます。
 その構造を覆し、家事や育児を核家族の内部に隠そうとする線引きを攪乱できれば、私たちの世界は一変するはずです。「日常生活の変革」こそが社会を変えるのに不可欠な要素だと著者は言います。長年繰り返されてきた「家庭生活の習慣的なリズム」が崩れるとき、今とは違う世界の可能性が見えてきます。現状に甘んじなくていいのだ、別のものを欲してもいいのだと多くの人が気づけば、それは変革のうねりになります。現実の暮らしがどんどん変わっていけば、政治家もそれを無視するわけにはいかないでしょう。また家族やコミュニティは、新しい世代が生まれ育つ場所でもあります。未来の人間を育てるという「ラディカルな行為」を通じて、家庭やコミュニティは変革の可能性を秘めた人々を社会に送りだすことができるのです。だからこそ、保守的な政治家は「伝統的家族」を意地でも守ろうとし、それを少しでも変えるようなアイデアを全力で潰しにかかるのでしょう。
 アメリカで「伝統的家族」といえば異性愛夫婦と子どもからなる核家族を指しますが、日本で「伝統的家族」というときには、異性愛核家族に祖父母を加えた3世代同居の意味合いが含まれることがあります。いずれにせよ、そうした伝統とは作られた伝統であり、近代になって形成された「近代家族」を指すと考えて差し支えないと思います。社会学者によると、日本で明治民法によって成立した「家」と第二次大戦後の家族はどちらも近代国民国家に広く見られる近代家族に相当し、家父長制は戦前も戦後もその性格を大きく変えることなく持続しています(たとえば上野千鶴子『近代家族の成立と終焉 新版』〔岩波書店、2020年〕を参照)
 ここで少し注意しておきたいのは、本書の後半で論じられる「家族拡大」論が、日本でいう伝統的大家族への回帰を意味しないことです。3世代同居はたしかに一種のアロペアレンティングとして機能する可能性はあります。しかし親世代との同居が「伝統的家族」として押しつけられるとき、そこには老親介護を家庭内ケア労働に引っくるめて、女性に無償でやらせておこうという政治的意図があります。これでは核家族よりもさらに女性の負担が重くなるだけです。介護保険制度がじわじわと追い詰められている現在、介護の負担を女性に押しつけようとする動きには充分な警戒が必要です。
 だからこそ、血縁からなる拡大家族ではなく、家族の定義を拡大する家族拡大が必要なのです。多様な家族の形はすでに現実となってきています。アメリカでは同性婚の権利が全国的に保障されましたし、第7章で触れているように、州によっては3人親家族も正式に認められました。またコミュニティのレベルで核家族の壁をゆるめ、さまざまな形の共同生活や共同育児を試みる例が本書では多数紹介されています。日本でも若い人を中心にシェアハウスやソーシャルアパートメントといった暮らし方が身近になり、高齢者向けシェアハウスも登場してきました(第2章で論じられるコリビングのモデルに近いでしょう)。性愛を抜きにして友人同士で家族を作るのも素敵ですし、単婚に縛られないポリアモリーの家族も今後はもっと増えてくるかもしれません。
 同性婚も夫婦別姓も未だ認められない保守的な日本で暮らしていると、あまりに遠い話に思える部分もあると思います。しかし遠いことは不可能を意味しません。たとえば日本で普及しているような保育園も、かつては手の届かない理想論でした。しかしユートピア思想家たちはそれを果敢に想像し、自分たちにできる形で実践していきました。どうせ手が届かないと諦めるのではなく、遠くても実現に向けて歩みだすことの大切さを、本書は説得力をもって教えてくれます。具体的な想像はそのための重要な一歩です。
 ユートピアという言葉には夢物語のようなイメージがあるかもしれませんが、本書が取り上げるのはけっして甘い楽観論ではありません。むしろ絶望的な状況のなかで要請され、閉塞を突き破る力となるのがユートピア思想であり実践です。描いた理想は今すぐには実現しないとしても、確実に社会の可能性を広げてくれます。地平線の少し向こうにユートピアが存在しているからこそ、私たちは前に進めるのでしょう。理想を描く人をお花畑と笑っていては、現状の檻から抜けだせません。絶望の可能性に満ちた場所においてこそ、自分たちだけでなく未来の世代のために、私たちには希望を選びとる責任があるのだと思います。

 

 本書の翻訳作業もまた、絶望になんとか抗う実践でした。正直な話をすると、本書は自分には難しいのではないかと感じ、最初は引き受けるかどうか少し迷ったのです。実際、著者の知識の広さ深さについていくのはかなり大変でした。それでも訳したいと思ったのは第6章を読んだとき、あまりに見覚えのある風景に出会ってしまったからです。ありふれた核家族の壁の内側で、日々繰り返される暴力。幼い頃のおぼろげな記憶のなかで、私の祖母もまた、全力でわめきながら駆けつけてくれたことがありました。その場面が何を意味するのか、なぜ印象に残っているのか、本書を読んでようやく腑に落ちた気がします。
 子どもは親を選べません。いわゆる「親ガチャ」で外れを引いた子どもたちは、社会経済的にも心身の健康面でも、きわめて不利な立場でその後の長い人生をサバイブしなければなりません。そんな不公平な世界で子どもを作る行為自体を疑問視したくなることもあります。
 しかし、もしも親ガチャというゲーム自体を無効化できたなら、状況は違ったものになり得ます。子どもを父親や母親の私的所有物ではなく、「社会の公共財」と位置づける。子育てを核家族の要塞に閉じ込めず、なるべく多くの大人で少しずつ分担する。塾や私立校に課金しなくても、誰もが良い教育を受けられるようにする。そうしてすべての子どもにできる限り公平な機会を提供できれば、親ガチャはもはや人生を左右する要素ではなくなるのではないでしょうか。本書はそのための具体的で多様なビジョンを見せてくれます。個々の実践にはもちろん欠点もありますが、一部の人を犠牲にしつづける現在のやり方がそれ以上にうまく機能しているわけではありません。別の選択肢から学べることは大いにあるはずです。
 冷笑が蔓延し、諦めが常態化した世の中にあって、本書はそれでも希望のほうへと我々を導いてくれる頼もしいガイドです。一人でも多くの人が本書を手に取り、ユートピアの実現に向けて共に一歩踏みだしてくれることを願っています。

 

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本編は単行本
エブリデイ・ユートピア
でお楽しみください
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著者

クリステン・R・ゴドシー

ペンシルベニア大学教授(ロシア・東欧学学科長)。2012年にグッゲンハイム・フェローを獲得。記事や論説は世界25か国語以上に翻訳され、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ミズ・マガジン、ディセント、フォーリン・アフェアーズなど国内外の多数の紙誌に登場。これまでに11冊の著書があり、話題作『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』は15か国語で翻訳出版された。

高橋 璃子(たかはし・りこ)訳

翻訳家。京都大学卒業、ラインワール応用科学大学修士課程修了。訳書にゴドシー『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』、マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』、ノーデル『無意識のバイアスを克服する』、バークマン『限りある時間の使い方』、マキューン『エッセンシャル思考』など多数。

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