単行本 - 児童
「自分の知っている、その魚<らしさ>を描きとめたい」 絵本『きりみ』刊行記念! 作者・長嶋祐成さんインタビュー【後篇】
2018.07.30
大注目の魚譜画家・長嶋祐成さん『きりみ』刊行記念インタビュー! 後篇の今回は、初期の作品まで遡りながら、それぞれの魚が持っている<らしさ>をどのようにつかみとってきたのか、お話しいただきました。
――そもそも、魚を描こう、とされたのはなぜなのでしょう?
長嶋 今思えば、子どもの頃に海で釣った魚を「自分の力量では飼えないな」と絶望したことで、描くようになったんだと思います。それまで熱帯魚を飼っていた時には、それを絵に描くことにはそれほど執着がなかったんですね、ずっと目の前にいますから。
でも、海釣りをしていて出会った魚たちを、なんとかしてその姿のまま目の前に止めておきたいと思った時に、描くようになりました。自然での魚との出会いは一期一会です。そして特に、「釣り」という出会い方は心の中にさまざまな感情を呼び起こします。
何が釣れるんだろうというワクワク感や、釣れた達成感はもちろんのこと、鮮やかにきらめく魚たちが威嚇したり苦しそうにパクパクしたりするのを見ると、感嘆や愛おしさ、申し訳なさ、食べちゃおうかという生々しい欲求や葛藤……。
そうやって揺れ動く心に刻みつけられる、魚たちの<らしさ>、それが僕は大好きで止めおきたくて、絵に向かったのだと思います。
子どもの頃は、今とは全然違う、イラストタッチの絵を描いていました。しばらく魚から離れた後、社会人になってもう一度魚に触れるようになって、絵もまた描き始めることになります。
その頃は「子どもの頃に描いていた魚たちの姿」を止めおきたいという気持ちが強かったですね。一枚の紙に、ひたすら、子どもの頃に描いた魚を羅列して描いていきました。
――そうやって魚譜画家になっていかれたということなんですね。
長嶋 8年くらい前、会社員をやりながら、久しぶりに絵を描こうと思い始めた頃の絵を見ていただくとわかり易いと思うのですが、今と全然違うんですね。
これと同じようなタッチ、大きさでカサゴも描いたのですが、それを自分では「人類史上最もうまく描かれたカサゴだ」と思ったんです(笑)。
こんな風に描かれたカサゴがかつてあったか?と。今見るとオモチャみたいな可愛い絵で、当時の自負が信じられないんですが(笑)。
最近の画風と違うとはいえ、このイラストタッチの絵を描きたいという気持ちは今でもあります。
それがどういうモチベーションなのか、自分でも長らくわからなかったんですけれど、2015年に、神奈川県立生命の星・地球博物館であった「生き物を描く」という企画展を見に行って、わかりました。そこにはいろんなスタイルの生き物の絵が展示されていたんですが、その中に、魚類研究の大家・瀬能宏さんが描かれた絵がありました。
同じような体型のハタの仲間を、はっきりとした簡潔な線で並べて描いたもので、キャプションには「模式図」と書かれていました。それはつまり、そのハタの仲間を見分けるポイントがどこなのかを伝える目的で、それぞれの魚種の<らしさ>を、学術的かつ簡潔にビシッと示したものだったんです。
それを見た僕はとても心地好く感じて、ああ、これが自分の描きたかったものだ、と思いました。絵のタッチや目的に違いはあれど、僕が絵に止めおきたいと思うのも、その魚種の<らしさ>だと。
このモチベーションは、画風が昔より絵画的になった今も変わっていません。<らしさ>をつかみたい、自分の知っている<らしさ>を描きとめたいと思っています。
なので描く対象の魚は、基本的に自分が直接見たり触ったりした魚です。自分の中にはっきりと<らしさ>があるもの、ということなんですね。
最近はお仕事で魚種をご指定いただくことも増え、特に海外からだと実物を見ずに資料をもとに描くケースも出てきていますが、こういう色は興奮した時に出す色だよな、とか、こういう表情で口を開けるんじゃないか、といったことを自分の中で理解して描くようにしています。
――今回は「きりみ」というテーマですが、釣った魚は自分でさばかれますか?
長嶋 実は、自分で釣った魚は、子どもの頃から自分でさばいています。最近は食べずに海に返すのがほとんどですが、釣りを始めた当初は、やっぱり食べるところまで含めて楽しくて。母からさばき方をざっくり教わって、小学生の頃から台所に立って、下手なりに刺身を作っていました。今回の『きりみ』に出てくるタチウオなど、本当によくさばいていました。
僕自身もそうでしたが、子どもって、自分の釣ってきた魚を刺身で食べたがるんですね。甥っ子や、知り合いの子が石垣島へ遊びに来ると、釣った魚は刺身にしたいと言うことが多いです。
たぶんスーパーで売っている刺身からだと、もともとの姿が想像できなくて、ギャップがあるのでしょうね。だから、今自分が釣ったこの魚が、刺身になるまでの行程を見てみたい。それは、小さい頃の僕も同じでした。もとの魚をこうして切ってこうしてこうして…、するとスーパーで売っているあの刺身の形になった!という、頭の中で結びつく感動があるんです。
それに、自分で刺身を作ってみると、1尾の魚から、こんなにちょっとしか身が取れないのか!といったこともわかるようになる。
あと、魚の体の構造が分かっていないと、刺身にしようとさばいていても、包丁が骨に阻まれたり身の真ん中を切ってしまったり、そうこうしてるうちに身がぐちゃぐちゃになってしまうんですね。僕も、子供の頃に自分で刺身を作るようになって初めて、魚の体の構造がわかったという覚えがあります。
そういう思いがあるので、2年前に石垣島へ遊びに来た、友人の中学1年生の息子さんが「自分で釣った魚を、自分でさばいてみたい」と言ったときに、まず簡単に解体図を描いて説明しました。ここがこうなっているから、骨をこうさけてね、みたいに。先回りして説明しすぎるのはよくないかもしれないけど、刺身を作ることの難しさとともに、うまく作れる心地好さや面白さも共有したかった。
――最初にさばいたのは何でしたか?
長嶋 最初の1匹は覚えていないですけれど、刺身がこんなに難しいのかと思ったのは、メバルが最初でした。頭が大きくて、身が小さいので、初めてさばいた時は、全然うまくいかなかったです。必死にさばいてずたずたの刺身ふた切れ、みたいな(笑)。
一番たくさんさばいたのは、サバですね。サバをさばくのってとても気持ちいいんです。まず、目立ったとげがないので、手触りが優しい。エラも簡単に外れる。それに腹を開くときに、肛門までの長い距離が、包丁を抵抗なく受け入れてくれる。肋骨もプツプツと切りやすい。
たとえばアジだと、骨が硬くて、ちょっと引っかかりがあるように感じるんです。そしてサバの内臓は脂が乗っているので、ひとかたまりで掻き出しやすい。そういうすべてが、色っぽいっていうとちょっと違うんですけれど、いい感触だなと思いながらさばいていました。
僕が絵に込めるその魚らしさには、そういった体験も含んでいると思います。
――1冊できあがったばかりですが、絵本をこれからも作ってみたいと思われましたか?
長嶋 「子どもだから、この程度の内容でいいでしょう」とか、「子どもにはこういうことを知っていてほしい」というような大人の計算が働いた目線ではなくて、純粋な好奇心のまま、子どもも大人も楽しめる本を作っていきたいと思います。
帯に書いた文章は、まさにそんな気持ちを表しています。
普段なにげなく買い物しているスーパーの鮮魚売り場を、発見に満ちた場に。
日常を好奇心で彩る楽しみを、この絵本を手に取られたみなさんと一緒に感じられたらと思います。(帯文より)
僕が魚を好きでよかったなと思うのは、スーパーに行くだけでも楽しいし、街の川を見ても魚の姿を想像するし、そんなふうに好奇心が日常を楽しくしてくれることです。そういう楽しみを読者の方が持つことを手伝えるような作品を、今後も作りたいです。
僕は今回の絵本を、年齢を問わずたくさんの方々に見ていただきたいと思っていますが、とりわけ子どもが持っている豊かな選択肢やこれからの時間に対して、僕がこれまでの35年の人生でいいなと感じたものを、少しでも共有していければと思っています。
(前編はこちらです。)