文庫 - 外国文学

「だけど、われわれは、実際みんな盲目じゃないか!」『白の闇』(ジョゼ・サラマーゴ 雨沢泰訳)訳者あとがき

 コロナ禍のいま、偶然にも復刊され、爆発的に読まれている作品があります。ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』。ポルトガル語作家としては初めてのノーベル文学賞作家となったジョゼ・サラマーゴの代表作です。
 今年のお正月、古今東西の「名著」を100分で読み解くNHK Eテレの人気番組「100分de名著」のスペシャル版として「100分deパンデミック」が放映されました。気鋭の論客がスタジオに集結し、各自が「コロナ禍の今、読むべき名著」を持ち寄り徹底的に考察した、そのなかでも最も熱を入れて論じられた1冊がこの作品。
 突然、失明する人々が急増。それはなんと、感染症であることが判明し──。
 番組内で高橋源一郎さんが「まず、ものすごく面白い」「「感染症」を描いて、『ペスト』を超えた、唯一無二の傑作」と絶賛された本作、放映されるやいなや、大反響を巻き起こし、いまや7刷まで版を重ねています。

 コロナ禍のいま、ひとりでも多くの方に読んでいただきたい傑作、2月5日の「100分deパンデミック」再放送を前に、この作品の創作秘話や魅力、彼の人生を解説した、訳者あとがきを公開します。

 

『白の闇』 文庫版訳者あとがき

 かつて二十世紀初めに、突然部屋で巨大な虫に変身した男の物語が書かれました。一方、二十世紀末に書かれた『白の闇』では、突然ある男が車の運転中に視界が真っ白になる病を発症し、失明が社会に伝染します。ともに超自然的な異変の原因は追究されず、起こったあとの人間の心理や、パニックにおちいった周囲の変化が描かれていきます。もちろん、あの『変身』と本書ではテーマが大きく違いますが、あり得ない災いを現実世界に持ちこんで、人間社会の変容を空想するところはおなじです。この『白の闇』の失明は原因不明のまま無差別にどんどん伝染し、失明者は集団隔離され、やがて一人をのぞいてすべての人間が視覚を失うに至ります。奇妙なことに人びとに見えるのは、のっぺりとした白い色だけ。そうなったとき、世界ではいったいなにが起こるのでしょうか。

 

 作者のジョゼ・サラマーゴは、この小説を着想したとき、レストランで食事をしていました。「もし、われわれが全員失明したらどうなる?」という問いが、無意識の淵から忽然こつぜんと頭に浮かんできたそうです。その問いに答えるかのように、彼は考えました。「だけど、われわれは、実際みんな盲目じゃないか!」
 サラマーゴはこのひらめきを物語にしようとしました。まず全員が失明したら、つぎになにが起こるのか。目が見えることを前提として考えられ、つくられた文明社会。そのなかで暮らすわれわれが視覚を失ったら、「極めて暴力的な、私自身をもぞっとさせるくらいの真に恐ろしい暴力的な状況」になるのではないか。サラマーゴは政治的経験からそれを出発点と考えて、理詰めで物語を組み立てていきました。作中でも、ある登場人物に、これはとても論理的な病気だと語らせています。
 世界全体が盲目になるという設定は、あきらかに比喩にすぎません。いわば人間の精神が裸にされ、理性や感情が極限まで追いつめられる部分にこそ意味があるのです。サラマーゴは、「人間が理性の使用法を見失ったとき、たがいに持つべき尊重の念を失ったとき、なにが起こるかを見たのだ。それはこの世界が実際に味わっている悲劇なのだ」と言っています。

 『白の闇』Ensaio sobre a Cegueira(原題の意味は「見えないことの試み」)は一九九五年に刊行され、一万部売れればベストセラーといわれるポルトガルで、たちまち十万部が店頭からなくなりました。九七年秋に英語版が出ると、反響はさらに世界へ広がりました。九八年、サラマーゴはポルトガル語圏で初めてノーベル文学賞を受賞しました。本国やヨーロッパではすでに評価の定まった作家だったとはいえ、やはり受賞のきっかけとなったのは、奇抜な着想で人間社会の光と影を描いた本書の成功でした。その各国語版の書評には、「カミュの『ペスト』やゴールディングの『はえの王』のようなモダン・クラシック」といったものや、サラマーゴの天性の語り部ぶりをたたえるものがあります。しかし、ややもすれば美辞に類する言葉よりも、「想像力、あわれみ、アイロニーに支えられた寓話によって、われわれがとらえにくい現実を描いた」というスウェーデン王立アカデミーの発表したサラマーゴへの授賞理由が、いちばんこの物語の特徴を言いあてているように思われます。

 

 それでは、ここからサラマーゴの人生をたどり、作品を見ていくことにします。(このあとがきで引用するサラマーゴの言葉は、一九九九年七月にNHK教育テレビ「人間講座」で放送されたインタビューのテキスト、『NHK人間講座︱一九九八ノーベル賞 二一世紀への英知』から要約したものであることをお断りしておきます。インタビューは同年三月、当時サラマーゴが住んでいたスペイン領カナリア諸島のランサローテ島でおこなわれました。)

 

 ジョゼ・サラマーゴは一九二二年十一月十六日、ポルトガルの寒村アジニャーガの小さな農家に生まれました。二歳のとき、一家は貧困から逃れるために百キロほど離れた首都リスボンに引っ越して、下町に住みつきました。その年、四歳の兄が病気で亡くなっています。父は警察官になりましたが、リスボンでの暮らしは貧しく、一軒の家に、二、三家族が同居するという間借り生活でした。彼はリスボン移住後も親戚のいるアジニャーガと行き来があり、苦しくも楽しい牧歌的な少年時代をすごしています。この断片的な思い出や、素養、親戚、家族については、サラマーゴという名前の由来もふくめて二〇〇六年に刊行された『ちっちゃな回想録』As Pequenas Memórias(近藤紀子訳、彩流社、二〇一三年)で読むことができます。サラマーゴは貧しさから高等中学を中退し、工業学校で機械に関する技術を修得しました。十八歳から二年間、工員として働いたあと、職業を転々とすることになります。

 青年時代、サラマーゴは読書好きでしたが、本が買えなかったため、知識欲はもっぱらリスボンの公立図書館に通って満足させていました。図書館の一隅でひたすら本を読みつづけることで、サラマーゴの文学的教育がなされたそうです。二十代はジャーナリストをこころざして試行錯誤の日々をおくり、二十二歳でイルダ・レイスと結婚し、ヴィオランテという娘をもうけました。一九四七年、二十五歳のときに『罪の土地』Terra do Pecadoという小説の出版にこぎつけたものの、「自分が言わねばならない非常に重要なことなどなにもない」と考えて、それから約二十年間、作品を発表しませんでした。
 一九六六年と七〇年に一冊ずつ詩集を出したサラマーゴが、そのころ全力を傾けたのが、雑誌と新聞に書いた文学的な社会時評でした。一九七〇年には妻に先立たれましたが、時評は七一年と七三年にそれぞれ『この世について、あの世について』Deste Mundo e do Outro、『旅人の荷物』A Bagagem do Viajanteという本にまとめられました。ここには、サラマーゴがのちに書く小説にこめたテーマや主張が、すでになんらかの形であらわれているようです。サラマーゴは六九年に共産党員となり、ポルトガルの独裁政権を倒した七四年の「リスボンの春」をジャーナリストとして支援しています。また、彼は十九世紀に多く語られたポルトガルとスペインの政治的統合をめざす統合主義イベリスモを唱えて、論議をまき起こしました。
「この時代を通じて私が過ごした人生は、非常に質素なものでした。個人的な野望はもちろん、物質的な意味での野心や、作家としての活動に関する野心といったものも、まったく持ち合わせませんでした。私は公務員として社会福祉施設で働き、短いあいだですが出版社や新聞社で働きました。要するに、日々の暮らしのなかで自分のできることをしていったにすぎないのです」
 一九七五年十一月、ポルトガルの新聞「ディアリオ・デ・ノティシアス」の副主幹をつとめていたサラマーゴは、前年の政治活動を理由として、軍部による介入によって失職したため、専業作家となることを決意します。そして、八〇年の長編小説第三作『大地より立ちて』Levantado do Chãoで独特のスタイルを確立します。サラマーゴの読者にはおなじみの、語りの地の文と会話のあいだに「 」などの記号がなく、段落も極端に少ない、読みにくいスタイルです。これはアレンテージョ地方の農業従事者一族の生活を、二十世紀初頭から三世代にわたって描いた物語でしたが、サラマーゴによれば、自分と農業従事者との接触のすべてが書き言葉では言いあらわせないことに気づき、口から発せられた言葉を口承的に伝えるスタイルとして編みだしたものだそうです。原文では会話の最初が大文字になっているかどうか、また文節の終わりがピリオドかカンマかによって、セリフか否かを判断しなければなりません。ただし、慣れてくると不思議にそれがおもしろく思えてきます。
 一九八二年、八四年と、サラマーゴはたてつづけに傑作を発表し、海外で注目を集めました。八二年の『修道院回想録︱バルタザルとブリムンダ』Memorial do Convento(谷口伊兵衛/ジョバンニ・ピアッザ訳、而立書房、一九九八年)は、ポルトガルの年間最優秀小説賞に選ばれ、各国語に翻訳されて、彼のたぐいまれな想像力を印象づけ、名声を決定づけた作品でした。これは十八世紀を舞台に、史実と虚構をないまぜにして織りあげた空想歴史冒険恋愛ロマンとでもいうべきもので、透視力をもつブリムンダという女性の恋が描かれています。

 一九八四年には、やはり年間最優秀小説賞に選ばれた『リカルド・レイスの死の年』O Ano da Morte de Ricardo Reis(岡村多希子訳、彩流社、二〇〇二年)が発表されました。リカルド・レイスとは、近年日本でも知られるようになったリスボン生まれの詩人フェルナンド・ペソア(一九三五年没)の別名です。ペソアはレイス名義で、浮世ばなれした古典主義的傾向の強い美しい詩を発表していました。若いころ、サラマーゴはその詩に強くひかれた時期がありながら、長年、「どうしてこれほどの知識と感受性と知恵を備えた人が、世の中で起こる問題に対して無関心でいられるのか」と疑問に思っていました。サラマーゴはこの疑問を解くために、リカルド・レイスの死んだ三五年から三六年にかけてのリスボンの社会状況を、この小説で再構成しました。つまり独裁体制、軍事警察、検閲といったファシズムがはびこる「灰色の、哀しい、陰気な世界」を描いて、どうしてあなたは黙っていられるのだ、とレイスに語りかけたのです。
 さらに二年後の『石の筏』A Jangada de Pedra(一九八六年)でも、サラマーゴは壮大な想像力を発揮しました。この小説は、ポルトガルをふくむイベリア半島がピレネー山脈でちぎれ、ヨーロッパ大陸から離れて大西洋を漂流し、南米大陸にせまり、最後には南米とアフリカのあいだでとまるという破天荒な物語です。これは当時ポルトガルの欧州共同体(EC)加盟に反対して書かれた本ではないかと騒がれました。サラマーゴはここでラテンアメリカやアフリカへの親近感を示し、自国の独自性について考えを深めています。暴力的なナショナリズムに断固反対する立場をとるサラマーゴは、「(われわれは)人類に属する人間という種類」なのだとのべています。
 一九八九年の歴史小説『リスボン包囲物語』História do Cerco de Lisboaの後、サラマーゴは『イエス・キリストによる福音書』O Evangelho Segundo Jesus Cristo(一九九一年)で聖書の世界を批判的にとりあげました。これは無神論者のサラマーゴを象徴する一冊として知られています。肉体を持つイエス・キリストの生涯についての私的解釈は大胆で、冒瀆的ぼうとくてきでもあったため、カトリック教会や自国の政府からの反発を招きました。これをきっかけにサラマーゴは母国を離れ、住まいをスペイン領のランサローテ島に移して、亡くなるまでそこで執筆を続けることになります。
 この本のなかで、彼は受胎告知をする天使であると同時に悪魔でもある羊飼いというミステリアスな人物を登場させていますが、こうした奇想天外な着想で現実を変容させる手法は、本書『白の闇』で見事に結実しました。これをサラマーゴは昔風の技だとのべています。
「たとえばテレビは現実のありのままの映像を映しだします……しかし、こうしたあまりに直接的な描写は、われわれをいくらか無感覚な人間にしたと言えます。このことから、かつて大いに使われていた、昔風の叙述法にのっとることも必要だろうと思うのです。ある十八世紀の哲学的な短編小説は、まったく別の問題について話をするために、ある歴史上の出来事を語っています」
 本書が刊行された一九九五年、サラマーゴはポルトガルでもっとも権威ある文学賞のカモンイス賞を受賞しました。三年後にノーベル賞を受けたのは前述したとおりです。私生活では一九八八年に、本書の献辞にある〝ピラール〟ことマリア・デル・ピラール・デル・リオ・サンチェスと再婚しました。彼女はスペインのジャーナリストで、彼の作品のスペイン語訳者でもありました。カナリア諸島のランサローテ島で暮らす二人のおしどりぶりは有名で、サラマーゴが亡くなった年には『ジョゼとピラール』José e Pilarという百十七分のドキュメンタリー映画がミゲル・ゴンサルヴェス・メンデス監督によって作られています。

 サラマーゴは二〇一〇年六月十八日、白血病により八十七歳でこの世を去りました。
 作家としては、六十歳代後半から七十代、八十代に世界が注目する作品をたくさん生みだし、老いて旺盛な筆力を発揮した、まれな才能でした。
 本書後の作品を簡単に解説しますと、この二年後、一九九七年には短編『見知らぬ島への扉』O Conto da Ilha Desconhecida(黒木三世訳、アーティストハウス、二〇〇一年)と、庶民的な人間存在の尊厳とおもしろさを描いた『あらゆる名前』Todos os Nomes(星野祐子訳、彩流社、二〇〇一年)、二〇〇〇年には陶工を主人公にした『洞窟』A Caverna、二〇〇二年には歴史の教師が自分の複製である別人を映画のなかに発見し、その男を探しあてる『複製された男』O Homem Duplicado(阿部孝次訳、彩流社、二〇一二年)を発表しました。これは二〇一三年に「Enemy(敵)」のタイトルで映画化されています。
 二〇〇四年、本書の続編となる『見えることの試み』Ensaio sobre a Lucidez、二〇〇五年に『中断する死』As Intermitências da Morte、二〇〇八年には十六世紀にポルトガル王がオーストリアの大公へ贈った象の長旅を描いた歴史小説『象の旅』A Viagem do Elefanteを発表。遺作である二〇〇九年の『カイン』Cainではふたたびキリスト教を読み解き、殺人者のカインをロバとともに放浪させてバベルの塔、ノアの箱舟などの聖書世界を体験させ、聖書の不毛さを語りました。精力的な作家というしかありません。

 生涯と作品紹介の最後に、本書と関係が深い『見えることの試み』と『中断する死』の内容を補足しておきます。
 八十一歳で発表された『見えることの試み』は「見えないことの試み」という原題を持つ本書の姉妹編で、脇役として今回の主人公である医者の妻たちが再登場します。時は伝染性の〝白い失明病〟が終焉した四年後となり、首都である同じ街で議会選挙の投票がおこなわれています。政党は保守、中道、革新と三つありますが、投票日、なんと市民の八三パーセントが棄権を意味する白紙票を投票しました。政党はすっかり市民の支持を失っていたのです。政府は立法府の議員を選べなくなり、弱りはてた首相率いる政権は非常事態を宣言して、内閣を市外へ移すとともに、首都を封鎖して圧力をかけます。しかし、警察もなく、行政機構も手薄な自治体で、市民はとても穏やかに、平和に暮らしつづけます。苛立つ政府は民主主義を守るためと称して揺さぶりをかけますが、首都はまったくをあげません。そんな折り、集団白紙投票事件の首謀者は医者の妻だという匿名の告発状が政府首脳に届き、内閣は三人の刑事を首都に派遣して陰謀を暴きにかかります……。
 サラマーゴは本書同様、政治と社会、集団と個人、束縛と自由、それぞれにおける人間の尊厳といったものの関係性を、意外な設定で語り、最後の数ページでは甘い予測を打ち砕く結末をつけています。世界を盲目に変えた『白の闇』に対して、この続編では〝見えることの意味〟を読み手へ問いかけているようです。
 もう一冊の『中断する死』は、翌年八十二歳のときに発表されました。この物語の主人公は死神(伝統的な大鎌を持ち、フードをかぶったローブ姿の骸骨女性)ですが、全体の六割までは彼女と無関係に話がすすみます。ここでの奇想天外な着想は、ある新年が始まる一月一日午前零時をもって、その国の国境の内側では、どんなに死にかけている人でも死ななくなる、つまり一人も死者がいなくなってしまう、という事態が勃発することです。零時を過ぎたとたん人が死なず、一日ごとに状況は悪化します。病院は重病人で満杯、葬儀社はつぶれ、人は教会に行かない……。そこで暗躍するのが非合法活動を得意とするマフィアです。彼らは臨終間際の人を違法に国境外へ連れだし、死なせてから国境内に戻して葬儀をするというビジネスを大規模に展開するのです。ところが、それが何カ月も続いたあと、こんどは突然明日午前零時から人が以前のように死に始めるという紫色の手紙が、テレビ局の社長のもとへ届けられます。ここで封書の送り主である主人公の死神が本格的に登場し、意外にも、死の告知状を送るべき一人のチェロ奏者に関心を抱きはじめて……という具合に展開します。
 後半は『あらゆる名前』や『複製された男』などの作品にも共通する、一見小市民的なわかりやすいドラマになるのですが、テーマが「死」だけに読者はさまざまな想像にふりまわされることになります。
 サラマーゴ作品がどれもそうであるように、本書を含めたこの大胆な三作では特に、無神論者の視点で世界を描いていることを言い足しておきたいと思います。人には現世しかあり得ないという筋金入りの肯定感が背骨に入っている、とも言えるでしょうか。

 いずれにしてもこの『白の闇』は、さまざまに読みなおせる大きな器です。たとえばそれは、なぜ医者の妻のみが最後まで失明しないのか、なぜそれが女性であるのか、どうして登場人物には名前がないのか、なぜ彫像にも目隠しがされているのか、といった疑問として現れるかもしれません。物語を読み解くのは読み手の特権ですから、どんな疑問の解答も、わたしたちの自由な楽しみとすることにしましょう。現代ラテンアメリカ文学への親近性。レトリックにおけるギリシャ神話や、あるいはセルバンテス、スウィフトといったヨーロッパ古典文学の響き。ブリューゲル、ボスなどの写実的かつ幻想的な風刺性の濃い北方芸術への共感など、『白の闇』から喚起されるものは、おそらく、サラマーゴが小説宇宙にほどこした巧妙な仕掛け以上に数多くありそうです。また作者のユーモアと、太い精神力、忍耐強さがあちこちに表れているところも、魅力のひとつでしょう。

 

白の闇』は「ブラインドネス」のタイトルで、二〇〇八年にフェルナンド・メイレレス監督によって映画化されました。主演のジュリアン・ムーアが医者の妻を演じており、最初に失明した男とその妻を、日本人の伊勢谷友介と木村佳乃が演じました。
 翻訳の底本は一九九七年に刊行された翻訳家、ジョヴァンニ・ポンティエーロの英語版Blindness(The Harvill Press, London)を使い、オリジナルのEnsaio sobre a Cegueira(Caminho)を参照する形をとりました。ポルトガル語の解釈については専門家の長島幸子氏にご教示を乞い、ことわざや特有の言いまわしなどに有益な助言をたまわりました。氏によれば、一見とっつきにくいサラマーゴのポルトガル語の文体も、じつはすらすら読める流れるような文章だということです。この文庫化にあたって再び単行本の訳文を見直し、適宜改めて新版としたことをお断りします。サラマーゴの人と作品については『リカルド・レイスの死の年』に岡村多希子氏の、また『複製された男』に阿部孝次氏のくわしい解説があることも申し添えます。

二〇一九年十二月
雨沢泰

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著者

雨沢泰

1953年東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。翻訳家。おもな訳書に、J・サラマーゴ『白の闇』、P・ハミル『マンハッタンを歩く』、N・スパークス『きみに読む物語』、S・キング『ドラゴンの眼』など。

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