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ププッ♪戦時下に響く平和の放屁! 浅暮三文が放つ奇想の物語

『ドラえもん』の「メロディーガス」というエピソードをご存じでしょうか。
 口にバンソウコを貼ったドラえもんが、「ポッポッポハトポッポ」と、口を閉じたまま歌いだす! 
 種を明かせば、ドラえもんは「音楽イモ」を食べていました。これを食べれば、ガスがたまって、「おなら」で歌えるようになるのです。
 じつは、音楽イモを使わなくても、このような「放屁芸」を操れる人間が実在します。
 世紀の放屁芸人ル・ペトマーヌは、史上もっとも有名な放屁芸人のひとり。パリのムーラン・ルージュでも活躍しました。
 奇想小説の名手・浅暮三文さんの書き下ろし連作集『我が尻よ、高らかに謳え、愛の唄を』の第1章では、ル・ペトマーヌの二代目が活躍します。
 本書の装画を担当したイラストレーターのYOUCHANさんは、戦時下に平和を希求するこの物語を読み、不覚にも「放屁なのに、感動してしまった」とか。
 ミステリ、SF、奇想小説とジャンルを超えた芳香を放つ、小説好きにはこらえきれない本書の魅力について、アメリカ文学者・翻訳者の木原善彦さん(『実験する小説たち』)に語っていただきます。
(以下は、浅暮三文『我が尻よ、高らかに謳え、愛の唄を』河出文庫の巻末解説の抜粋です)

 

 

 本書に収められた四つの短編はずばり「おなら、放屁ほうひ曲屁きょくひ」をテーマにしている。ここでおならという単語にひるんではいけない。今をさかのぼること約二百五十年、江戸時代に平賀源内はおならを見世物にしていた芸人について「放屁論」の中で触れ、その創造性をたたえている。私たちもおならを用いて浅暮さんが見せる芸と創造性に注目しなければならない。
 映画『男はつらいよ 葛飾立志篇』(シリーズ第十六作)に登場する考古学の教授は「おなら」を表す単語を英語・フランス語・ドイツ語……中国語・朝鮮語ですらすらと言って車寅次郎を驚かせ、大学教授と香具師やしの間にある距離をたちまち縮めた。このように放屁は下半身が発する人類共通の言語なのだ。
 さて、最初の短編は第二次世界大戦下のスペイン=フランス国境から始まる一種の成長物語ビルドゥングスロマン、第二の短編の舞台はそれよりもう少し昔、第一次世界大戦後のドイツで、これはドラゴンが登場するのでファンタジー作品と呼ぶべきだろうか。第三の短編はジュール・ベルヌ風の冒険物語、あるいはジェローム・K・ジェローム『ボートの三人男』風のユーモア小説、そして最後の短編はポリネシアの孤島を舞台とした災害ディザスター物語と、本書はバリエーションに富んだ短編から成る。ミステリー風のちょっとした謎解きやどんでん返しもあるので、これまでもっぱら浅暮さんのそうした作品に親しんできた読者の皆さんもすんなり入っていけるのではないだろうか。
 要するに本書は誰でも楽しめるのだが、私のような者が読んでいると気になる細部がところどころに埋め込まれている。第一章で主人公が弟子入りする元放屁芸人ジョルジュ・ピジョール(この人物は実在の人物ジョゼフ・ピュジョールがモデルで、若い頃の白黒動画やショーの音声はネットで視聴可能だ)は山小屋でロバを飼っていて、その名前はピンチョンという。これはヨーロッパ圏では珍しい響きの名前で、現代小説好きな読者としてはどうしてもトマス・ピンチョンというアメリカの作家を思い浮かべてしまう。彼はいわゆるポストモダン小説(物語の断片化や構成上の仕掛け、ジャンルの横断、言葉遊びや脱線を主な特徴とする、一九六〇年代以降に多く発表されたタイプの小説群のこと)の代表的な作家で、実験的かつ難解な作品を書いている。
 しかし、まあ、さすがにそれは偶然にすぎないだろうとやり過ごして読み進めていると、今度は主人公がパフォーマンスの相棒としてたこを選ぶという展開がある。なぜ蛸なのか。蛸はチンパンジーに劣らず頭がいいからだという説明が本文中にあるが、これまた私は同様の説明に見覚えがある。ピンチョンの代表作『重力の虹』を読んだ者なら、イギリスの秘密組織に調教された頭のいい巨大蛸が南フランスの海辺で女スパイを襲うというコミカルで印象的な場面を覚えているはずだ。こうなると、「我が尻よ」が『重力の虹』と同じく第二次世界大戦末期のヨーロッパを舞台としているのも偶然とは思えない。さらに付け加えるなら、前者は放屁を武器にも使える技として描いていて、後者は主人公の勃起ぼっきをV​2ロケットと関連付けており、下ネタ度で比較すると両者はいい勝負に思えてくる。第三章「三馬鹿が行く」ではトマスをリーダーとする三人組が飛行船に乗るが、トマス・ピンチョンのもう一つの代表作『逆光』でも飛行船が世界を股にかけた冒険を繰り広げる。これ以上手掛かりを拾っていくとひどいネタバレになるのでここでやめざるをえないけれども、『重力の虹』でロケット兵器を開発する男は元々月旅行に憧れる空想的な科学者だということも付言しておこう。
 本書が意識し、あるいは影響を受け、暗にオマージュを捧げているのはピンチョン作品だけではない。偽史的な要素を取り入れたり、故意に時代錯誤的な要素が本文中に混じっているのも、ポストモダン小説でしばしば見受けられるお遊びだ。普通の小説なら歴史的出来事や人物が作品の背景として扱われるが、ポストモダンの色合いが濃い本作では、虚構の登場人物が実在の人物と対等に交わる。浅暮さんは過去にパトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』(文藝春秋、一九八八年)の影響を受けた作品『カニスの血をぐ』(講談社、一九九九年)を書いていて、本作にもそれに似た、現実と魔術的世界が微妙に入り交じるマジックリアリズムの雰囲気が感じられる。こうして現在と過去、虚構と歴史、現実と魔法が不思議に溶け合っているのが『我が尻よ』だ。
 また、近年の世界文学で注目を集める一つの潮流として〝超越文学〟と呼ばれるものの増加があって、これも明らかに本書に影響を与えている。映画にもなったデイヴィッド・ミッチェル『クラウド・アトラス』(河出書房新社、二〇一三年)やマイケル・カニンガム『めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人』(集英社、二〇〇三年)のように遠く隔たった複数の時間と場所を行き来しながらそれらを重ね合わせ、あるいは響かせ合うように物語られる小説群がそう呼ばれるのだが、本書もその好例と言っていい。四つの短編は単に放屁でつながるのではなく、キャラクターやキーワードの再登場という形や、より深いところでは〝愛〟の変奏というテーマでもつながっている。それゆえ本作を〝おならをめぐる連作短編集〟と呼ぶのは間違いではないが、より適切な言い方をするなら、緩くつながる四章から成る超越的長編なのである。

 以上のような解説は大げさだろうか。たしかにそうかもしれない。しかし私のように海外の現代文学の紹介にかかわる人間としては(そしておそらく刺激的な海外文学を大事な栄養源としている浅暮さんも同じ思いだと思うが)、本書のような作品が広く読まれ、いわゆる〝普通〟とはひと味違うそのテーストに多くの人が触れることで、小説が持つさらに広い可能性の〝沃野よくや〟に読者が踏み出すきっかけになればとてもうれしい。

 

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