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私たちに足りないのは「ひとり時間」だった! 『最先端の科学が教える ひとり時間のすごい力』ロバート・コプラン 訳者による著者インタビューを特別公開!

私たちに足りないのは「ひとり時間」だった! 『最先端の科学が教える ひとり時間のすごい力』ロバート・コプラン 訳者による著者インタビューを特別公開!

 

『最新科学が証明する ひとり時間のすごい力』
ロバート・コプラン 上杉隼人訳
amazon、Rakutenブックスほか全国書店で発売中

 

 

 

 

つながりすぎの現代で、自分とのつながりを取り戻す

創造性・メンタルヘルス・幸福感・集中力・リラックス……

たちまち人生が好転する
「科学的に正しい」ひとり時間の過ごし方!

 

ひとりで過ごす時間がひどく多いと思う人もいれば、
少なすぎると思う人もいるだろうし、
ちょうどよいと思う人もいるだろう。
本書はそんなすべての人に対し、
ひとりの時間からどのようにして多くのものを引き出せるか、
なぜそれが可能なのか、解き明かしてみたい。
(第1章「わたしはひとり」より)

 

カナダ・カールトン大学で30年以上にわたり「人の孤独」について研究してきた第一人者が、「ひとり時間」を持つことによる効果をわかりやすく解説した『最新科学が証明する ひとり時間のすごい力』。現在好評発売中!

この記事では、本書の翻訳を担当された上杉隼人氏による著者インタビューを、無料公開いたします。

 

「ひとりで過ごすこと」と「孤独」の違いとは?
なぜ私たちに「ひとり時間」が必要なのか?
AIによって、私たちの「ひとり時間」はどう変わる?

 

本書の核心に迫る充実のインタビューを、ぜひお楽しみください。

***

 

An Interview with Dr. Robert J Coplan
『最先端の科学が教える ひとり時間のすごい力』

ロバート・コプラン(インタビュー)
上杉隼人(インタビュー、音声聴き取り、翻訳、動画制作) 
 
 
上杉隼人(インタビュアー) 『最先端の科学が教える ひとり時間のすごい力』の中でも触れられていますが、これから読む方のために、まず本書を書こうと思ったきっかけを教えていただけますか。
 
ロバート・J・コプラン(著者) もちろんです。わたしはもともと発達心理学を専門としていて、子供の心理を研究してきました。研究者としてのキャリアの大半を、内気でおとなしい子供たちの研究に費やしてきました。学校や校庭でそうした子供たちを長い時間観察していると、たいていひとりで遊んでいるのです。そこでわたしは共同研究者たちと、ひとりでいる子供、ひとりで遊んでいる子供を見つけて、その行動を観察しました。もちろん、そこから多くのことがわかりました。
 
一方で、観察を続けているうちに、ひとりで遊んでいるのに、内気には見えない子供たちがいることにも気づきました。そういう子供たちは、ひとりですごく楽しんで遊んでいるように思えました。誰かがやってきて、「一緒に遊ばない?」と誘われれば、一緒に遊びます。でも、そのあとはまたひとりになって、積み木で遊んだり、砂場で遊んだりしているのです。それを見て、子供たちがひとりで過ごすのは、実はさまざまな理由があるのではないか、と大いに興味を持ちました。
 その後、研究を続けるうちに対象も広がり、年上の子供たち、思春期の若者たちについても研究しました。「ひとりで過ごすこと」がもたらすかもしれない悪影響については、もちろん大変な関心が寄せられています。そのことについてもこのあとお話ししますが、一方で心理学の世界においては、ひとりで過ごすことのよい面について、ほとんど関心が向けられていません。
 
わたしは「ひとりで過ごすこと」についてもう30年以上研究しています。ですので、そろそろこれまで研究を通して学んできたことを書いて、みなさんと共有する時が来たと思いました。というのも、ひとりで過ごすことがなぜ人にとってよいものになりうるのか、それを具体的な科学的証拠によって示せるようになったのは、ここ数年のことだからです。それがこの本を書こうと思ったきっかけです。
 
 
上杉 本書の中で、「ひとりで過ごすこと(solitude)と孤独(loneliness)は同じじゃないんだ!」、「ひとりの時間を過ごそうと思うのは、まったく問題ない!」と繰り返しされています。これからこの本を読む人たちに、solitudeはlonelinessと違うことと、ひとりで過ごすことが人生を過ごす上でマイナスにならないことを簡単に説明していただけますか。
 
コプラン ええ、そのふたつを区別するのはとても大事なことなので、ご質問いただき、ありがとうございます。
 
ただ、その前に、こちらからひとつ質問してもいいでしょうか。言語によっては、solitude と loneliness に同じ言葉が使われていて、このふたつを区別する別々の言葉がない場合があります。
 
日本語ではどうでしょう。solitude と loneliness は、それぞれ違う言葉で表すことができますか。
 
上杉 ええ。実を言うと、コプランさんの本を翻訳していて、わたしも改めて、日本語には solitude と lonelinessをそれぞれ表現する言葉がないことに気づきました。solitude を表そうとすれば、「ひとりで楽しむ」とか「ひとりで過ごす」といった表現を使うことになると思います。一方、loneliness というさびしさを表すのであれば、「孤独」という言葉がいちばん近いでしょう。この本を翻訳して、solitude という言葉がどちらの意味(「ひとりで過ごすこと」と「孤独」)も持っていることがよくわかりました。
 
コプラン では、まず loneliness(孤独)から始めましょう。この語のほうがこれまでずっと多く語られてきたと思います。ここ数年、「孤独」は非常に大きな注目を集めています。イギリスでは「孤独の蔓延」が問題になっていますし、日本にも「孤独・孤立対策担当大臣」がいますよね。「孤独」はきちんと目を向けなければならない重要な問題です。わたしはsolitude(ひとりで過ごすこと)のよい面を研究しているので、「コプランさんは、孤独はそれほど重要な問題ではないとお考えですか」とよく聞かれます。でも、もちろん孤独は非常に重要な問題です。
 
孤独(loneliness)を定義するとすれば、「自分が望んでいる人とのつながりと、実際に得ている人とのつながりとのあいだにずれが生じる時があるが、そこで感じるひどくつらい思い」と言えるでしょう。これはどれくらい人と会ったり一緒に過ごしたりしているかということになりますが、それ以上に重要なのは、おそらく人とどれだけ「質」の高い交流ができているかということにもなります。人間には、人とのつながりが必要です。人とつながりたいという欲求を満たせないと、心の中で嫌な感情が生じます。それが「孤独」です。
 
もちろん、人類は歴史を通じて集団の中で生きられるように進化してきました。初期の人類にとってほかの人と一緒にいるのは生きるために必要なことでした。集団に属していなければ、肉食獣などから身を守ることができませんし、食料を手に入れるのも、必要なものを分けあうのも、配偶者を見つけるのもむずかしくなります。人間は集団の中にいることで生き延びてきたのです。
 
ですから進化という観点から考えれば、孤独は一種の警報装置のようなものです。心の中で警報が鳴って、「気をつけろ。人との交流が足りていないぞ。外に出て、誰かとつながれ」と知らせてくれるのです。
 
孤独な状態が続くとさまざまな深刻な問題が生じることがわかっていますから、孤独にはきちんと目を向けなければなりません。慢性的に孤独であると感じたり、実際に社会的に孤立した状態が続いていたりすれば、幸福感が損なわれ、メンタルヘルスに悪影響をおよぼします。悲しくなったり、不安になったりします。身体の健康にもよくありません。実際、孤独によって死亡リスクまで高まることを示した研究もあります。有名な研究では、慢性的に孤独の状態にあることは、1日にたばこを15本吸うくらい体に悪いことが示されています。驚くべきことですよね。ですから、孤独は言うまでもなく、わたしたちが真剣に考えなければならない問題です。
 
でも、わたしがいつも言っているように、孤独(loneliness)と「ひとりで過ごすこと」(solitude)は同じではありません。孤独(loneliness)はわたしたちが感じる「嫌な感情」(bad feeling)ですが、ひとりで過ごすことは、言ってみれば、ひとつの「場所」に身を置くことです。特に自分からその「場所」に行くことを選んだ場合、そこでさまざまな感情を抱くことができます。そこでは必ずしも孤独やさびしさを感じることはありません。実際、たくさんの人に囲まれていても、孤独であると感じることはあります。たとえば、パーティーや仕事の集まりに参加したとしましょう。まわりには大勢の人がいて、みんな楽しそうにしています。でも、自分は少し離れたところにいて、まわりの人たちの様子を眺めています。みんなは笑ったり、乾杯したり、楽しそうに交流しています。そんなパーティーを後にする時は、まわりにはあれほどたくさんの人がいたにもかかわらず、そこに来た時よりもかえって強い孤独感に駆られているかもしれません。逆に、もちろんひとりでいてもまったく孤独を感じないことがあります。ですからひとりでいることはさまざまな可能性が開かれた「場所」なのです。
 
ひとりでいる時に孤独を感じることもあるでしょう。でも、ひとりでいるからといって孤独を感じるとは限りません。
 
上杉 ありがとうございます。ご著書の中で、とても興味深い“aloneliness”という概念を紹介されていますね。これはどういう意味なのか、そしてなぜこれが重要だと思われるのか、簡単にご説明いただけますか。 
 
コプラン もちろんです。先ほど少しお話ししたように、これまで「ひとりで過ごすこと」についての研究では「あまりに長くひとりで過ごしているとどうなるか」、特に「自分では望んでいないのに、ひとりであまり長く過ごさなければならないとどうなるか」ということに主に関心が向けられてきました。あまりに長い時間ひとりで過ごしていると、ストレスを感じたり、悲しくなったり、孤独を感じたりします。そうした悪影響については、すでに少しお話ししましたね。でも、わたしは逆に、「ひとりで過ごす時間が足りないと、どうなるのだろうか」と考えるようになりました。
 
先ほどお話ししたように、人間には人とつながりたいという欲求がありますから、それが満たされないと問題が生じます。でも同じように、人間にはひとりで過ごしたいという欲求もあると言えるのではないでしょうか。そこで数年前、わたしたち研究チームは、この考えについて研究を始めた時、「ひとりで過ごす時間が十分に取れなかったら、つまりひとりの時間が足りなかったら、それも問題になるのではないか」と考えました。
 
調べてみて少し驚きましたが、心理学の観点からこの問題を本格的に研究した人はほとんどいませんでした。さらに驚いたことに、ひとりで過ごす時間が足りない時に生じる嫌な感情を表す言葉が英語にありませんでした。
 
そこでわたしたちは新しい言葉を作らなければなりませんでしたし、それは言ってみればloneliness(孤独、さびしさ)の裏返しのような感情であると考えました。lonelinessは、自分が望んでいる「人と過ごす時間」と、実際に得られている「人と過ごす時間」とのあいだにずれがある時に生じます。そこでわたしたちは、その反対に、自分が望む「ひとりの時間」と、実際に得られている「ひとりの時間」とのあいだにずれがある時に生じる嫌な感情を表す新しい言葉、aloneliness (ひとり時間不足感)を作り出したのです。
 
この考えを提唱してから、わたしたちチームは一連の研究を行い、ひとりの時間が足りない時も、あまりに長くひとりで過ごさなければならない時と同じような悪影響がもたらされるかどうか調べてきました。この研究はまだ始まったばかりですが、これまでの初期の研究から、ひとりの時間が十分に取れないと、孤独であると感じる場合と同じように、ストレスを感じたり、腹が立ったり、悲しくなったりする傾向が見られることがわかっています。ですので、この aloneliness (ひとり時間不足感)という考え方をもっと多くの人に知ってもらうことが大切だと思っています。
 
ところで、この言葉を日本語ではどのように訳されたのか興味があります。
 
上杉 ええ、実を言うと、これにぴったりの日本語を見つけるのは、とても苦労しました。読者のみなさんには、わたしがこの言葉をどう訳したのか、ぜひ楽しみにしていただきたいと思います。
 
コプラン 日本のようにみんながとても忙しく過ごしている社会では特に重要なことだと思います。子供たちは学校へ行って勉強し、大人たちは仕事をしています。自分から選んでひとりで過ごす時間は、なかなか取れません。だからストレスを感じたり、少し不機嫌になったり、イライラしたりすることがありますが、どうしてそんな気分になっているのか自分でもわからないかもしれません。
 
だからこそaloneliness (ひとり時間不足感)の考え方をもっと多くの人に知ってもらう必要があります。少しイライラしている、なんとなく悲しい、ストレスがたまっているのはどうしてかと言えば、ひとつにはひとりで過ごす時間が足りないからかもしれません。それがわかれば、たとえ忙しくても、少しだけ時間を作って、ひとりで過ごしてみることができます。そうやって自分に必要な「ひとりの時間」を確保できれば、「ひとりの時間が足りない」という感覚をやわらげることができます。
 
上杉 ええ。この本は日本人にとって、とても重要な本だと思います。というのも、おっしゃるとおり、日本人はとても忙しいからです。先週、立教大学の学生たちとこの本を読んで考える機会がありました。学生たちも、自分たちは忙しいけれど、本の一部を読んで、solitude(ひとりで過ごすこと)がとても大切だと気づいたし、 aloneliness(ひとり時間不足感)とは何なのか、もっと知りたくなったと言ってくれました。
 
コプラン solitude(ひとりで過ごすこと)について、少し誤解されていることのひとつに、その効果を得るには、長い時間ひとりで過ごさなければならないと思われていることがあります。たとえば森のなかを2時間散歩しなければならないと思う人がいて、それはわたしにとってはとても魅力的な過ごし方ですが、多くの人は毎日2時間森を散歩する時間は取れません。
 
でも実は、1日にわずか15分でも、ひとりで過ごすことによる効果が得られることがわかっています。どれほど忙しくても、仕事があっても、学校に行かなくてはならなくても、家族のためにしなければならないことがあっても、そうです。どれもとても大切ですが、それでも1日わずか15分だけでも「ひとりの時間」を優先して確保できれば、それに見合った効果が得られることが今は確かな研究によって示されています。投資した時間に見合う効果が得られるのです。 
 
1日に15分、質の高いひとりの時間を過ごせば、そのあとリラックスして、集中力を高めることができますし、エネルギーが充満し、仕事や勉強の能率も上がります。さらに集中して仕事に取り組めますし、やらなければならないことも効率よく片づけられますから、結果的に時間の節約もできるかもしれません。
 
ですから、自分には「そんな時間はない」と思うかもしれませんが(もちろんそんな状況にあることは誰もがわかっています)、15分間ひとりで過ごしてくることで、かなり限られた時間を有効に使えるようになるかもしれません。そしてひとりの時間を持つことで、人と過ごすことも楽しめるようにもなります。両者には相互作用があります。充実したひとりの時間を取ることで人と過ごすことが楽しくなり、人と過ごす時間が充実すれば、ひとりの時間ももっと楽しめます。
 
上杉 ありがとうございます。今のお話は次の質問へのよい導入になります。日本には「ひきこもり」という言葉があります。コプランさんも本の中でこの言葉を何度か記されています。
 
日本では長年、長期間にわたって自宅に閉じこもり、人との交流が極端に少ない「ひきこもり」が深刻な問題になっています。ひとりで過ごすことを長年研究してきた先生は、健全なsolitude(ひとりで過ごすこと)と、問題となる社会的な引きこもりとの境界をどこに引きますか。また、ひきこもりの状態にある人には、どのような支援やアプローチが有効だとお考えでしょうか。
 
コプラン まず、わたしは「ひきこもり」の専門家ではありませんが(発音が間違っていたらお許しください)、わたしの理解では、ひきこもりは当初、日本に特有の文化的な現象と認識されていました。ですが、ここ数年、北米を含めてほかの国でもいくつか同じような現象が報告されています。これは研究対象として非常に興味深い現象と言えます。というのも、ひきこもりの基本的な特徴は、非常に長い時間ひとりで過ごすことだからです。だからこそ、今おっしゃったように、健全なひとりの時間と、問題になりうるひとりの時間を区別する必要があります。
 
わたしが本書を通じてぜひ理解してほしいと考えている重要なテーマのひとつは、人間にはsolitudeが、つまりひとりで過ごす時間が必要ですし、ひとりの時間を持つことにはもちろんよい面があるということです。しかし同時に、すでにお話ししたように、人間は人とのつながりも必要としています。つまり、わたしたちは、このふたつをバランスよく取らなければなりません。 
 
ひきこもりには悲しみや不安の感情がともなうことがありますし、「なぜその人がひとりで過ごしているのか」ということも考えなければなりません。わたしの理解では、ひきこもりの状態にある人がひとりで過ごすことを選んでいるとしても、その最大の理由は、「ほかの人と一緒にいることを避けたいから」ということになります。
 
この場合、ひとりで過ごしたいからではなく、ストレスや不安を感じたり、場合によっては腹が立ったりする人たちとの交流を避けたいから、結果としてひきこもることになったのです。必ずしもひとりでいたいからそうしたのではなく、そんな状況に置かれるのが嫌で引きこもっているのです。
 
ほかの研究からもわかっていますが、自ら望んでひとりで過ごすのではなく、何かから逃げるために、あるいは何かを避けるためにひきこもっていると、そのひとりの時間が非常につらくなります。そうしてひきこもっているうちに、気持ちが落ち込んだり、強く不安を感じたりすることになります。同じことを何度も考えて、あれこれずっと心配することになります。ひとりでいるのが楽しいわけではなく、外に出て人と接することで感じるストレスや悲しさから逃れようとしているだけなのです。このような状態では、ひとりで過ごすこと自体が問題になります。
 
ですから、親には判断のむずかしい問題です。ひきこもりは、思春期から成人して間もない若者に多く見られるからです。しかも、この年代の若者にとって、ひとりで過ごす時間を持つことは大切です。自分だけの時間がほしいと思うようになりますし、それはまったく問題ありません。自分自身について考え、自分のことをもっとよく知り、自分が何者なのかを探っていきたいと思う時期です。「自分は何者なのか、これからどんな人間になりたいのか」と考えようとします。ひとりで過ごすことは、自分が何者なのかを考える格好の場です。
 
ですから、思春期から成人して間もない若者がひとりで過ごすことには、もちろんよい面があります。ただし、ひとりでいることで悲しくなったり、不安になったり、心配事ばかり考えたりすることもありますから、注意する必要があります。ただ、親にとってむずかしいのは、どこまでが健全なひとりの時間で、どこからが心配すべきなのかを判断することです。
たとえば「自分はどんな人間なのかを考えたい」、「リラックスしたい」、「さまざまなプレッシャーから少し離れて休みたい」と思ってひとりで過ごすのは健全ですが、ひとりで過ごす時間があまりに長いのであれば、注意しなければなりません。ひとりであまりに長い時間を過ごし、人とのつながりを持てなくなっているのであれば、心配しなければなりません。
 
人間は人とつながる必要があります。1日は24時間しかありませんから、多くの時間をひとりで過ごしていれば、その分人とつながる時間が失われます。自らひとりで過ごすことを選んでいても、ずっと何かを心配していたり、悲しい気持ちになったり、不安を感じたりするのであれば、その時間は本人にとってよいものにはなりません。臨床的には、ひとりで過ごすことで日常生活に支障が出ているかどうかが、ひとつの判断基準になります。
たとえば子供や思春期の若者であれば、学校へ行く必要があります。外へ出て友達と会ったり、家族の行事に参加したり、パーティーに出かけて楽しんだりすることもあります。ひとりで過ごすことでそうしたことができなくなっているのであれば、問題が生じていると判断できます。
 
ですから、ここでもバランスを取ることが大切です。ひとりで過ごす時間が過度に長くなっているのであれば、やはり注意しなければなりません。
 
上杉 新型コロナウイルスのパンデミック以降、ひとりで過ごすことに対する人々の意識が変化し、社会全体としてひとりで過ごすことを以前より肯定的に受け入れるようになったように思います。日本でもリモートワークが一般的になりました。パンデミックからほぼ開放された現在、こうした傾向は今後どのようになっていくとお考えですか。
 
コプラン とても興味深い質問ですね。もちろん、パンデミックによって世界は大きく変わり、ひとりで過ごすという経験にも非常に大きな関心が集まるようになりました。おそらくこの本が生まれた理由のひとつもそこにあります。わたしはパンデミック以前から何年も「ひとりで過ごすこと」を研究していましたが、パンデミックをきっかけに、多くの人がこの問題に関心を持つようになりました。
 
そしてソーシャルディスタンスやロックダウン中に、わたしたちは自分は何がしたいか自由に決めることができませんでした。選択する自由が奪われたのです。たとえばパンデミック期間中、ひとり暮らしをしていた人たちはひとりで過ごすしかありませんでした。そんな状態で孤独や悲しみを感じる人もいました。
 
一方で、まったく逆の状況に置かれた人たちもいました。たとえば夫婦ともに自宅で仕事をし、子供たちふたりはオンラインで授業を受けている家族を想像してみてください。突然ロックダウン措置が取られ、家族4人が小さなアパートでずっと一緒に過ごすことになると、4人ともひとりになれる時間がまったくなくなる。
つまりパンデミック期間中に多くの人が非常に苦しいと感じたのは、自分はどうしたいのか一切選べないということでした。自分はどうしたいか何ひとつ決められず、ずっとひとりでいるか、まったくひとりになれないかのどちらかを強いられました。この両極端の状態が大きな問題になりました。
 
そしてパンデミックから解放されると、おっしゃるように、ひとりで過ごすことを以前よりも肯定的にとらえる人は少し増えたと思いますが、パンデミック期間中にどのような経験をしたかによって、否定的に見るようになった人もいると思います。
 リモートワークも一気に普及しました。ただ、振り子は一度大きくリモートワークの方向へ振れましたが、今は少し戻りつつあるように思います。ここでも大切なのは、バランスを取ることです。
 
自宅で仕事をすれば効率よく働けますし、通勤する必要もないから楽です。Zoomなどでオンライン会議もできます。それでも人と直接触れ合うことは、やはり画面越しのやりとりとは何かが違います。人はハグを交わしたり、触れあったりすることも大切です。画面越しに相手の顔を見ているだけでは得られないものがあります。
 
ここでもバランスをどう取るかが重要です。仕事も同じで、時には自宅で仕事をすることで生産性や効率を高めることはできる。ですが、時に同僚と顔をあわせて一緒に仕事をし、関係を深めることも必要ですし、そんなつながりを持つことで仕事の効率も高まります。
 
上杉 なるほど。では、次の質問は、もしかするとコプランさんの次の本のテーマになるかもしれませんね。
 
コプランさんは本書のなかで、テクノロジーによって、ひとりで過ごすという経験そのものが根本的に変わったと論じています。スマートフォンがあれば、実際にはひとりでいても、退屈せずに過ごせますし、いつでもほかの人とつながることができます。そして今、AIが急速に普及し、アドバイスを求めたり、何かを教えてもらったり、日常のさまざまなことを判断したりする際にAIに頼る人が増えています。今後AIによって、ひとりで過ごすこととわたしたちとの関係は、どのように変わっていくと思いますか。AIによってこれまでより健全なひとりの時間を持てるようになるのでしょうか。それとも本当の意味でひとりになることがむずかしくなるのでしょうか。
 
コプラン とても興味深い質問ですね。わたしがこの本を書いていたころは、AIがちょうど世の中に出てきた頃でした。それが、ほんの短いあいだに、これほど多くの人の日常生活の一部になったのですから、驚くべきことです。
 
おっしゃるとおり、テクノロジーがひとりの時間の過ごし方(solitude)をどう変えていくかということは、人間のあり方そのものにかかわる根本的な問題だと思います。わたしは本書の中で、ひとりで過ごすことを「舞台から降りること」にたとえて考えています。わたしたちは人と一緒にいると、自分が何を話しているのかを意識します。自分がどんな表情をしているのか、どんな言葉を口にしているのか、それをどんな言い方で話しているのか、自分がどんな姿勢をしているのか、いろいろなことを気にします。
 
同時に、相手のことにも注意を向けます。相手がどんな表情をしているのかを見て、「わたしの話をどう思っているのだろう。好意的に受け止めてくれているだろうか」と考えます。これはかなりの負担ですし、大きなプレッシャーになります。まるで舞台上で強いスポットライトを浴びて芝居をしているようなものです。
 これまで、ひとりで過ごすことで、舞台から降りて、スポットライトから外れることができました。舞台から降りれば、「ふうっ」と息をつけるのです。ようやく自分らしく過ごすことができるのです。自分が何を言っているのか、どんな表情をしているのか、体をどう動かしているのか、もうそんなことを気にしなくていいのです。
 
ところが、テクノロジーには、わたしたちをいつまでも舞台の上に立たせてしまう危険性があります。実際はひとりでいても画面を通じて誰かと顔を合わせて話していれば、相手が何を言っているのかを気にしなければなりません。あるいはひとりで画面を見ながら、ほかの人が書いたコメントを読んだり、誰かとメッセージをやり取りしたりするかもしれません。つまり、テクノロジーの台頭により、「舞台から降りる時間」そのものがなくなってしまう可能性があります。いつもスポットライトを浴び、常にプレッシャーを感じることになります。これはひとりで過ごすことに対する根本的な脅威だと思いますから、真剣に考える必要があります。
 
でも、「テクノロジーを使うな」とは言えません。テクノロジーはすでにわたしたちの生活に入り込んでいて、なくなることはありません。わたしたちはすでにAIも手にしていますし、なくなることはありません。ですから問題は、わたしも本書で述べていますが、「テクノロジーを悪い形ではなく、よい形で使うことができるか」ということです。
 
ひとりでいるのが苦手な人はいますし、実際ひとりで過ごすことが好きではない人はたくさんいます。そういう人には、少しずつ練習して、毎日ひとりで過ごす時間を少しずつ増やしてみてください。筋肉を鍛えるのと同じです。最初から無理をせず、少しずつ慣れていく必要があります。
 
でも、ひとりでいるあいだも、いつもスマートフォンを使って誰かと話したり、メッセージを送ったり、FaceTimeで話したりしていると、ひとりで過ごすことで本来得られる効果を自分から失ってしまうことになります。
 
もちろん、ひとりでいる時にスマートフォンを使ってはいけないというわけではありません。スマートフォンが役に立つことはあります。本を読むこともできますし、音楽を聴くこともできますし、どちらもとてもよい使い方です。瞑想用のアプリを使って、ひとりの時間を過ごすこともできるでしょう。ですから、ひとりで過ごす時にもスマートフォンは上手に使えば確かに役には立ちます。ただ、同時に多くの人は、スマートフォンを使ってつい誰かとつながりたいと思うことがきっとあるでしょう。ひとりでいて悲しかったり、孤独を感じたりした時に、スマートフォンを使って誰かとつながるのは、とてもよいことです。
 
でも、いつもそうする必要はありません。時にはアラートや通知を切って、スマートフォンを気にせずに過ごす時間を作り、ふたたび「舞台の上」に引き戻されないようにしてみてください。長い時間でなくてもかまいません。15分でもいいのです。15分だけスマートフォンを手放して、自分が楽しいと思えることをしてみてください。
 
ひとりで過ごすことについては、もうひとつ誤解があると思います。ひとりの時間を過ごすのであれば、「ヨガマットを敷いて瞑想しなければならない」と思う人がよくいますが、それはすばらしい過ごし方ですし、そのようなひとりの時間の過ごし方を望む人もいるでしょう。でも、それだけがひとりの時間の過ごし方ではありません。
 
わたしたちの研究によって明らかになったのは、興味を持てて、意味があると感じ、夢中になれることを見つければ、それをひとりの時間に行うことで、さまざまな効果が得られる、ということです。本を読んでもいいし、散歩に出かけてもいい。音楽を聴いてもいいし、自分で楽器を演奏してもいい。興味があり、楽しく、夢中になれることを見つければ、それをひとりの時間に行うことで、よい効果が得られます。
 
そして今、AIによって状況はさらに変わりつつあります。たとえば、「わたしは誰かと話しているわけではない。人と交流していない」と言いながら、ひとりでAIと会話しているような状況が生まれつつあります。ですから、端的に言って、AIとの会話によってわたしたちのひとりの時間がどのように変わるか、まだわからないのです。AIと会話している時も、わたしたちは「舞台の上」にいるのでしょうか。これはまだ答えの出ていない問題です。 もしかすると、わたしの次の本のテーマになるかもしれません。これから研究してみたいと思います。
 
わたしの研究チームが若い人たちにAIをどのように使っているのかをたずねてみたところ、興味深いことがわかりました。若い人たちはAIチャットボットとやり取りするよい点に、「自分が評価されていると感じない」ことを挙げています。何を言ってもいいし、評価されることも、批判的に見られることもない。だから自分をさらけ出して正直に話すことができる。AIを相手にしていると、人と話している時のように、自分のことをあれこれ判断されていると感じないのです。これは「舞台から降りている」ことなのでしょうか。まだわかりません。AIとそのようなやり取りをすることにも、何かのよい面があるのかもしれません。
 
ただ、わたしが心配しているのは、あまりにも急速にすべてが進んでいることです。テクノロジー企業には「とにかく速く進めて、壊してしまえ」といった考え方があるようですが、人と人とのかかわりにおいて、テクノロジーによって何が破壊されるのか、わたしたちにはまだわかっていません。特に子供たちが心配です。今は子供たちもチャットボットとやり取りしていますが、ほかの人とどのように接すればよいのかも同時に学んでいます。もしチャットボットを手本にして人との接し方を学んでしまえば、ほかの子供と実際に話す時に適切な対応ができるとは思えません。
 
繰り返しになりますが、AIはまったく新しいテクノロジーでありながら、驚くほどの速さで社会の一部に、わたしたちの日常生活に入り込んでいます。AIが人間にどのような影響を与えるのか、わたしたちは今少しずつ理解し始めたばかりです。 
 
上杉 ええ、AIについてのコプランさんの本を読める日をとても楽しみにしています。本書では第8章以降には「ひとりの時間とうまく付きあうユーザーズ・マニュアル」が付いていて、健全なひとりの時間とうまく付きあう具体的な方法が紹介されています。これはとても実践的な内容が書かれていますから、読者はここから読み始めてもよいのではないかとすら思いました。まずこの部分を読んでから、前の章に戻るという読み方もできるでしょうか。
 
コプラン ああ、それは面白い質問ですね。まあ、本を書いた本人としては、「ぜひ最初から最後まで全部読んでください」と言わなければいけないのでしょうね(笑)。でも、おっしゃることはよくわかりますよ、結局この本に何を求めるかによると思います。あまり時間がなくて、本の一部しか読めない、それでも具体的なアドバイスがほしいのであれば、もちろん最後の数章を読んで、実践的なアドバイスを得ようとするのでもよいと思います。ひとりの時間をどのように過ごせばよいのか、いろいろなヒントが得られますし、役に立つと思います。
 
それでもわたしが本書の前半も読んでほしいと思うのは、前半を読むことで、後半のアドバイスがどのような背景から出てきたものなのかがわかるからです。ひとりで過ごすことをめぐる大きな問題や考え方が見えてきますし、なぜ後半でそのようなアドバイスをしているのかも、より深く理解できると思います。
 
もちろん、「とにかくアドバイスがほしい」という人もいるでしょうし、それでかまいません。ただ本書の前半を読めば、後半で紹介しているアドバイスが、どのような考え方や研究から生まれたものなのかを理解することができますから、試みる価値はあります。
 
上杉 ええ、「ひとりの時間とうまく付きあうユーザーズ・マニュアル」はとてもよく書けていますし、すごく実践的だと思います。読者はこの部分を読むだけでも、いろいろなことを学べます。でも、「ひとりの時間とうまく付きあうユーザーズ・マニュアル」を読んで、「これはすばらしい本だ」と思ったら、そこから最初に戻って読み始めればいいわけですね。
 
コプラン なるほど、いいですね。それなら前の部分も読んでみようという気になってもらえるかもしれません。ありがとうございます。
 
上杉 個人的なことになりますが、わたしはこれまでディズニー、マーベル、スター・ウォーズ関連の作品から、文芸書、ビジネス書、美術書、学術書まで、幅広い分野の翻訳を手がけてきました。本書は情報量が非常に多く、訳すのは大変でしたが、これまでの翻訳の中でいちばん楽しい仕事のひとつになりました。何より感銘を受けたのは、コプランさんの文章が厳密な学術研究に裏打ちされていながら、とても読みやすく、引きこまれるエピソードがたくさん盛り込まれていることです。このような文章の書き方はどのようにして身につけられたのでしょうか。
 
コプラン まず、そのようにおっしゃっていただき、本当にありがとうございます。この書き方を身につけるのは、本当に大変でした。わたしは研究者としてキャリアを積んできましたから、学術論文を書く時は非常に堅い言葉を使いますし、統計の話もします。
 
本書を書き始めた時に最初に考えたのは、自分のこれまでの研究をいわば「翻訳」して伝えたいということでした。でも、書き進めていくうちに、全体をつなぎ合わせるにはもっとたくさんストーリーが必要であるとはっきりわかりました。それは自分でも予想していなかったことでした。個人的な本を書くことになるとは思っていませんでしたし、自分の子供時代の話や、自分の身に起こった出来事を語るとは予想もしていませんでした。でも、執筆が進むにつれて、出版社と編集者からも、もっと個人的なものに、もっと読みやすいものにしてほしいと言われ、気がつくと実際に起こった出来事を探して自分の人生の個人的な側面を深く掘り下げていました。
 
自己啓発書を書く人たちは、とても興味深い経歴をお持ちの方が多いですね。たとえば脳外科医が自分の脳に腫瘍を見つけて、その立場から語るようなことをなさいます。最初は「自分の人生はそんなふうに面白く話せるストーリーなどない」と思いました。でも言うまでもなく、どんな人の人生も面白いのです。誰の話もとても興味深いでしょう。誰にでも語るべき物語があるのです。どれもわたしたちの身に起こるごく普通の出来事です。
 
ですから、わたしがすべきは、そうした日常の出来事と本書で扱っている事柄とを結びつけるテーマ、接点を見つけることでした。もちろん、ひとりで過ごすこと(solitude)はきわめて日常的な経験です。誰もがひとりの時間を過ごしますし、孤独(loneliness)がどういうものかもわかっています。誰もがそう感じたことがあるはずです。ですから、自分の人生や経験から、それに結びつくストーリーを見つけるのは結局それほどむずかしいことではありませんでした。
 
自然に読めるとおっしゃっていただけてうれしいのですが、そう思ってもらえるようにするには、やっぱりずいぶん手間がかかりました。でも、ありがとうございます。
 
上杉 幼稚園でのご経験を読ませていただいて、とても楽しかったです。トマトがどれだけお嫌いかという話も大変印象に残りました(笑)。コプランさんのお話は、どれもとても興味深いです。
 
コプランさんのご経歴でもうひとつ興味を惹かれたのが、音楽の素養です。プロのピアニストになれるだけの才能をお持ちでありながら、最終的に研究者の道を選ばれました。現在も音楽を楽しみながら、研究と執筆を精力的に続けていらっしゃいます。そこでおたずねしたいのですが、複数の分野でこれだけ高い生産性を保つには、まとまったひとりの時間が必要なのでしょうか。ある意味で、コプランさんご自身が、ひとりで過ごすことをもっとも有効に活用されているとお感じなのではありませんか。
 
コプラン 今のこの質問で触れられた問題のひとつは、ひとりで過ごすことと人とつながることにおいてどうバランスを取るかということだと思います。すでに申し上げましたが、これはおそらく本書でもっとも重要なテーマです。確かにわたしは読者に、ひとりで過ごす時間を見つけて、その時間を楽しみ、そこから得られるリラックス感などの効能を存分に味わってほしいと呼びかけています。でも、だからといって、人とのつながりが必要ないとは決して言っていません。そのバランスを取ることがとても大切ですし、おそらく何より重要なのは、そのバランスの取り方が人によって違うということです。
 
ですから、「毎日4時間はひとりの時間が必要だ」とか「3時間は人と過ごさなければならない」と言う人がいると、心配になります。それはある人には当てはまるかもしれませんが、誰にでも当てはまるわけではありません。誰もが自分なりにひとりで過ごす時間と人と過ごす時間をバランスよく取らなければなりません。ひとりの時間が多くなる人もいれば、人と過ごす時間が多い人もいる。それでいいのです。
 
そしてわたしたちはどちらかの方向に自分を少し押し出してみる必要があります。ひとりで過ごす時間が多すぎるのであれば、思い切って人と関わる時間を取ってみることです。ひとりで過ごすのがまるで好きではなく、いつも誰かと一緒にいたいのであれば、少しだけひとりの時間を取ってみるといいでしょう。
 
ひとりで過ごすことの効能として、まだお話ししていないことがひとつありますが、それはひとりで過ごすことは「創造性が生まれる場であり、その土壌になる」ということです。これは音楽についてのご質問にもつながります。興味深いのは、ひとりで過ごすことには「創造の場」というイメージが定着している一方で、創造性について研究を進めてみると、やはりひとりの時間と人と過ごす時間のバランスこそが、わたしたちをもっとも創造的にするようであるとわかります。実際、新しいアイデアを出そうとする時にひとりで考える時間を持ち、それを集団で話し合い、また戻ってひとりで考える。そうやって行き来することが、もっとも多くの新しいアイデアを生む組み合わせであると示した研究があります。
 
わたし自身の音楽についても同じことを感じてきました。時にただひとりになりたくて、ピアノの前に座り、目を閉じて弾きたくなります。それはわたしがひと息つける最良の方法であり、研究職のストレスや日々の慌ただしさから解放されます。
 
でも同時に、音楽はほかの人とつながるための手段でもあります。わたしはほかに3人のミュージシャンとバンドを組んでいて、彼らとは気持ちよく時間が過ごせますし、一緒に演奏していると創造性が湧いてきます。ですからわたしはひとりでいたい時もあれば、仲間と一緒にいたい時もありますし、この仲間たちとステージに上がって聴衆に自分たちの音楽を届けたい時もあります。そうしたさまざまな場を行き来するバランスこそが、わたしにいちばんの充実感を与えてくれるのだと思います。
 
そしてこれは人生のよいモデルにもなっていると思います。誰もが時にはひとりの時間が必要ですし、人と過ごす時間も必要です。あとは人と過ごす時間とひとりの時間を交互に取りながら、自分にとって最良の道筋を探り、ちょうどよいバランスの取り方を見つければよいのです。
 
上杉 本書の結びを読んで、とても心強い思いがしました。パートナーのクリスティさんについて触れられていますね。クリスティさんはコプランさんがひとりの時間を必要としていることを理解しながら、同時に「一緒にいるほうがいい」ということも日々示してくれます。読んでいて、ひとりで過ごすことは大切だけれども、大切な人たちとの関係があってこそ、ひとりの時間がより豊かで意味のあるものになる、そしておそらくより幸せな人生につながる、という印象を受けました。本書のメッセージをこのように受け取ってよいでしょうか。
 
コプラン ええ、本書の主題をとてもうまくまとめていただいたと思います。もちろん、わたしたちにはひとりの時間が必要ですし、ひとりで過ごすことで、エネルギーを充填し、ぎすぎすした感情をやわらげることが大切です。でも、ひとりで過ごす時間は、つながれる人がいる、一緒に過ごせる人がいるとわかっていると、いっそう心地よくなるかもしれません。また繰り返しますが、それがいちばん大切なことなのです。つまりバランスです。
 
人とのつながりの相手は、配偶者やパートナーでもいいですし、家族でも、友人でも、あるいはペットでもかまいません。自分が近しく感じられる誰かであればいいのです。わたしたちにはそのつながりが必要ですし、直接顔を合わせる時間も、触れ合いも必要です。そして同時に、ひとりの時間も必要なのです。その両方を自分の生活のなかに取り入れる方法を、ひとりひとりが見つけていく。そうすることで、わたしたちはいちばんよい状態でいられますし、ウェルビーイング(幸福)を得ることができます。
 
上杉 最後に、次の研究プロジェクトや、次にお書きになる予定のことについて、少しお聞かせいただけますか。
 
コプラン ええ。まだごく初期の段階ですが、次はひとりの時間の過ごし方について、子供たちの親の皆さんに向けて書きたいと思っています。子供がひとりで過ごしている時、親は年齢に応じてどう受けとめればよいのか、多くの親の皆さんが疑問を抱えていらっしゃると思います。ですので、少し自分の原点である発達心理学に立ち返って、何かできればと考えています。
 
上杉(担当編集者・清水氏の質問を通訳して) 父親の立場からおたずねします。日本では、幼い子供もスマートフォンを使っていて、たいていはゲームをして長い時間スマホを見ています。人と接することなく、そうやってスマホなどの機器をずっと見ていても問題ないとお考えでしょうか。
 
コプラン なるほど。スマートフォンでゲームをすること自体は、スマートフォンが登場する前にみなさんが遊んでいたゲームや、テレビを見ることなどと、それほど大きく変わらないかもしれません。ですから、ご質問に対するいちばん無難なお答えは、「ほどほどに」ということになるでしょうか。そうは言っても、親が目を配っている限りにおいて、ということになります。
 
心理学者であれば、子供の年齢によって変わると答えるはずです。ごく幼い子供は、言うまでもなくスマホに触れる時間は必要ないと思います。たとえば1歳や2歳のよちよち歩きの時期であれば、スマホやタブレットを見る時間は必要ありません。それよりも身のまわりの現実の世界について学ぶことに意識を向けさせるべきです。
 
もう少し大きくなって、幼稚園や小学校に上がる頃になれば、スマホをどこでも目にすることになります。でも、そこで親の皆さんに何よりアドバイスしたいのは、おそらく研究によっても示されていることですが、子供がスマホなどを扱う時は、親も一緒にいてほしい、ということです。それによって親子で経験が共有できますし、一緒にそれについて話し、充実した時間をともに過ごすことができます。
 
ですから、とくに幼い子供に関しては、親がスマホなどを使う時間を制限するのはもちろんですが、それを使わせるのであれば、ベビーシッター代わりにしたり、ほかのことの代わりに使ったりするのではなく、一緒に使うのがよいでしょう。
 
そして子供が大きくなると、これがむずかしくなります。子供がある程度プライバシーを求めるからですが、それでも子供がスマホやタブレットを見ている時には何をしているのか、気を配り、把握しておくことです。そして、子供が小さいうちに、子供とできるだけ多く語りあい、経験を共有しておけば、大きくなって親がそばにいなくても、どんな経験をしているのか話してくれます。
 
上杉(担当編集者・清水氏の質問を通訳して) 「オフステージ」という言葉に、たいへん感銘を受けたそうです。オフステージの状態は、よりよく生きるうえで、時にとても重要なのかもしれません。オフステージについて、もう少し詳しくご説明いただけますか。 
 
コプラン もちろんです。これはかなり以前から使われてきた比喩です。もともとは社会学者のアーヴィング・ゴッフマン(Erving Goffman, 1922–1982)が考え出したもので、主に人と関わるストレスを説明する際に用いられました。
 
これはたいていの文化に当てはまることだと思いますし、日本の文化においては特にそうでしょう。人と一緒にいる時、わたしたちは自分がどう見られているか、常に意識します。よく思われたい、適切に振る舞いたい、と考えます。そしてその場にふさわしい振る舞いをするには、自分を監視しなければなりません。何をどう言うか注意し、相手の反応はどうか、何をどう言っているか、常に気を配らなければなりません。先ほども申し上げたように、相手の表情や姿勢に注意する必要があります。こんなふうに人と一緒にいる時に守らなければならない社会的なルールはたくさんありますから、疲れてしまいますよね。
 
ストレスにもなりますし、「この人はわたしのことをどう思っているだろうか」「まずいことを言わなかっただろうか」と、心配や不安を抱えます。ずっと人に囲まれて過ごし、こうしたことを気にかけ、不安に思っていると、バッテリーが消耗します。エネルギーがすっかり奪われてしまいます。
 
まるで何かを演じているようなものです。舞台の上に立って、顔に強いスポットライトが当てられ、客席を見渡しながら、観客によく思われたいと願う。人と一緒にいる時は一日じゅうそうだとすれば、オフステージは「ようやくそこから離れられて、誰もいなくなる状態」を指します。そして先ほど申し上げたように、ようやく「ふう」と息をつける。ひと息ついて、ありのままの自分に戻れるのです。自分が何を言うか、何を考えるか、何をするか。もう気にしなくていい。やっと休息を取れるのです。
 
わたしは「小休止」(レスパイト)という言葉を使いますが、そこはエネルギーを充電でき切る場所で、自分の言動やまわりの人の様子をあれこれ考えなくてよいのです。入ってくる情報も少ないので、いったんリセットできます。そうやって自分を立て直しておけば、次にまた人と関わらなければならない時には、前より多くのエネルギーと多くの燃料と多くの蓄えを持って臨むことができます。
 
上杉 コプランさん、本日は本当にありがとうございました。とても充実したお話をうかがえました。日本の読者のみなさんが本書を深く理解するうえで大きな助けになると思います。『最先端の科学が教える ひとり時間のすごい力』が日本の読者に届く日を楽しみにしています。本日はお時間をいただき、ありがとうございました。

2026年6月26日 河出書房新社にて

 

 

 

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こちらのインタビューの様子を収めた動画を、YouTubeにて公開中!ぜひご覧ください。

 

 

『最新科学が証明する ひとり時間のすごい力』
ロバート・コプラン 上杉隼人訳
amazon、Rakutenブックスほか全国書店で発売中

 

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著者

ロバート・コプラン

心理学者。カナダ・カールトン大学教授。30年以上にわたり、文化の違いを超えて孤独がもたらす影響を専門に研究。特に、孤独のメリットとデメリット、人見知りと内向性、社会からの引きこもりなどに焦点を当てる。

上杉隼人

翻訳者。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業、同専攻科修了。訳書に『「普通」ってなんなのかな』(文藝春秋)、『THE COMING WAVE AIを封じ込めよ』(日経BP)ほか多数。

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