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天竺奇譚「インド映画『RRR』にみる神話と宗教」──『世界の宗教大図鑑』刊行記念コラム② 

「宗教的であるとはどういう意味だろうか。この世に宗教的でないものは何ひとつないともいえる。宗教は人間の生と死の全般に関わるからだ。」
(『世界の神話大図鑑』「まえがき」より)

 世界の宗教について、五大宗教はもちろん、古代宗教から民間信仰まで豊富なビジュアルで解説した決定版図鑑、『世界の宗教大図鑑』(ジョン・ボウカー著/黒輪篤嗣訳/中村圭志日本語版監修)が好評発売中です。
 この図鑑に寄せて、いま私たちが世界各地にある宗教について俯瞰して眺め、その教えと生き方について知ることにはどのような意味があるのか、その重要性と楽しみ方についてインド神話・インド文化研究家の天竺奇譚さんに寄稿していただきました。

 

 

 

インド映画『RRR』にみる神話と宗教
天竺奇譚(インド神話・インド文化研究家)

 

 

 

『RRR』の快進撃

 

インド映画『RRR』の快進撃が続いている。『RRR』は過去に日本で一番ヒットしたインド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』の記録を塗り替え、2023年7月には興行収入22億円を達成した驚くべき作品である。劇中歌「NAATU NAATU(ナートゥ ナートゥ)」がゴールデングローブ賞、アカデミー賞の歌曲賞を受賞したこともあり、昨年10月の公開から9ヶ月が過ぎているにもかかわらず、いまだに上映している映画館も多い。

また、7月28日からは日本語吹き替え版が劇場公開され、2024年には宝塚歌劇団での舞台化も決定している。これほど注目を集めている『RRR』は、いったいどのような映画なのだろうか。

『RRR』の舞台は1920年、英国統治下のインドである。独立運動が激しさを増すなか、敵対していることを知らずに出会った二人の男たちの、熱い友情と戦いを描いた物語だ。

主人公たちのモデルになったのは、実在したインド独立運動の活動家たちだが、彼らが出会ったという史実はない。『RRR』は「もしあの二人が出会っていたら」という歴史のIFを描いたフィクションである。そのためか、主人公たちはリアルな人間でありながらも英雄としての要素が強く打ち出されている。

インド独立運動という重いテーマを扱った『RRR』がこれほどまでに人気が出た背景には、エンターテイメントを追求した怒涛の映像や綿密に練られたシナリオがあるのはもちろんだが、大胆に神話を取り入れた設定や展開も大きく関係していると感じている。
『RRR』の主人公たちは、過酷な世界で虐げられてきた人々を救う英雄だ。観客は英雄の活躍を目の前にし、神話を体験することになる。

 

 

愛されるインド二大叙事詩

 

 インド映画には、インド神話、特にインド二大叙事詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』のエピソードを含んだ作品が数多く存在する。『RRR』もその中の一つと言えるだろう。『RRR』のラージャマウリ監督が『アマル・チットラ・カター』(インド神話のコミックを出しているレーベル)に影響されたという話は広く知られている。監督の前作『バーフバリ』シリーズが、叙事詩のエピソードをたくみに取り入れた物語であることからも明白だろう。

『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』はインド神話の中核であり、紀元前から何百年もかけて編纂された大長編の英雄譚である。どちらもインドでは大変人気があり、現在でも叙事詩を題材にした小説や漫画、映画やアニメ、絵本などが数多く作られている。

ヒンドゥー教徒にとって、『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』は重要な聖典である。神々の教えや宗教的な規範、身分制度も叙事詩の中に組み込まれており、信仰の拠り所ともいえる存在である。
しかし、叙事詩のエピソードは、仏教やジャイナ教の説話にも取り入れられている。古代インドで愛された物語が、普遍的な面白さと人気の高さ故にそれぞれの宗教、地域、思想にあった形に発展したのである。

では、インド二大叙事詩とは一体どのような物語なのだろうか。
『ラーマーヤナ』は、ラーマ王子が魔王にさらわれた妃を救い、魔王を退治するという古典的な英雄譚である。勇敢なラーマ王子と貞節を守ったシーター妃は、インドでは理想的な夫婦と考えられている。
また、ハヌマーンは風神ヴァーユの息子であり、西遊記の孫悟空のモデルとも言われている猿の英雄だ。力持ちで、空を飛び、薬草を運ぶ際には山ごと持ち上げて持ってきたという逸話が有名である。

『マハーバーラタ』は神の息子である五人の王子たちと、従兄弟たちとの王位継承争いの物語である。ヒンドゥー教の聖典としての要素が強く、この世の無常さが語られている物語ではあるが、英雄だけではなく悪役までもが個性的で頼もしく、大戦争のシーンでは映画さながらの派手な武器が登場する。神々の血を引く王子たちの大活躍は、まさにインドのアクション映画そのものである。
また、主人公の一人であるアルジュナ王子に、ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナが人生の在り方を説いた教えは『バガヴァッド・ギーター』と呼ばれ、ヒンドゥー教で最も重要な聖典とされている。

 

 

『RRR』の中にある叙事詩

 

では、『RRR』の中にはインド二大叙事詩がどのように取り入れられているのだろうか。
『RRR』の主人公のビームは、誘拐された少女を取り戻すためにデリーに潜入している。一方もう一人の主人公のラーマは、ビームを捕らえるよう英国政府の命を受けている。お互い素性を知らず友人になるものの、相反する立場からは悲劇的な結末しか想像できない。

しかし叙事詩を知っていると別の見方ができる。まず、名前からはラーマは『ラーマーヤナ』のラーマ王子を重ねていることがわかる。
一方ビームは『マハーバーラタ』の五王子の一人、ビーマ王子である。ビーマ王子は風神ヴァーユの息子で『ラーマーヤナ』のハヌマーンの弟でもあるので、ビームはハヌマーンの役割も果たしている。

また、ラーマが『バガヴァッド・ギーター』の有名な一節を呟くシーンがある。その言葉の中に込められた意味を知ると、彼が英雄としての試練を受けたアルジュナ王子でもあることに気づかされる。

二大叙事詩の英雄たちが手を取り合って敵を倒す。近代を舞台にしながらも、ここにラージャマウリ監督による新たな神話が創造されているのである。

『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』は日本語でも多くの本が翻訳されているので、気に入った本を手に取ってみるのもよいだろう。映画と叙事詩を照らし合わせる楽しさも、インド映画の醍醐味である。

 

 

インド映画の中にある宗教

 

インド映画を観ると、叙事詩以外にも多くの宗教的な要素が溢れているのに気づくことだろう。インドはヒンドゥー教のほかに、イスラーム教、ジャイナ教、仏教、キリスト教、シク教、ゾロアスター教など、様々な宗教を信じる人たちが共存している。このような世界で作られる映画に、宗教的な要素が入るのは当たり前と言える。

RRRの中にも多くの宗教的な要素が登場している。例えば、主人公の一人であるビームは、森に住むゴーンド族である。ビームは名前をイスラーム風のアクタルと変え、イスラーム教徒(ムスリム)になりすましてデリーに潜伏する。

また、映画冒頭で群衆の中から警察官たちを挑発した男はシク教徒である。シク教徒の聖地アムリットサルは、1919年にインド独立運動が激化するきっかけとなったアムリットサル虐殺事件が起こった場所でもある。あの群衆の中にシク教徒がいることで、当時の事件を思い起こす人もいるだろう。

人間ピラミッドが印象的な祭りは、ヒンドゥー教の主神であるヴィシュヌ神の化身、クリシュナの誕生日を祝うためのものだ。人間ピラミッドに登って壺を割ることができれば幸運が訪れるという。その名誉ある役割を、ヒンドゥー教徒であるラーマとイスラーム教徒に扮したビームが行っている。

インドにおけるヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間にある歴史上の確執についてここで解説するのは割愛するが、現在の政治的背景も絡み、両者は良好な関係とは言い難い。『RRR』はインドにおける宗教問題がテーマではないが、主人公たちが仲良く祭りで壺を割ることには意味があると思いたい。

 

 

宗教・神話的背景を知ることで更に楽しめる

 

では、『RRR』以外のインド映画ではどうだろうか。
現在ミニシアターを中心に公開中の『響け!情熱のムリダンガム』は、キリスト教徒の若者が差別を乗り越え、ヒンドゥー教の古典音楽の演者として成功をめざす物語である。ヒンドゥー教徒の中でカーストが低く差別を受けてきた人々が、集団でキリスト教や仏教に改宗することは多い。主人公はまさにそういったカーストの出身である。

ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒といえば、『バジュランギおじさんと、小さな迷子』をぜひ紹介したい。敬虔なヒンドゥー教徒の主人公が、迷子になったイスラーム教徒の少女を故郷のパキスタンに帰すために旅に出る感動作である。美しいカシミールでどのような宗教的な衝突があったかを知ると、彼らの旅の重みを理解することができるだろう。

叙事詩が絡む作品では、Netflixで配信中のドラマ『聖なるゲーム』は、各話タイトルに叙事詩の登場人物の名前が使われている。また、インド・パキスタン分離独立の際に引き裂かれたパンジャーブ地方で、シク教徒たちがどれほどの試練を受けたのかを知ると、物語への解像度があがる。

全米映画ランキング初登場第2位を記録したファンタジーアクション映画『ブラフマーストラ』はインド神話における神の武器「アストラ」が物語の主軸になる作品である。ブラフマーストラは創造神ブラフマーの武器であり、『ラーマーヤナ』のラーマ王子や『マハーバーラタ』の英雄たちが使用することでも有名だ。

また、7月に公開された『K.G.F Chapter 1,2』は、インドでは『RRR』の興行成績を抜いたことでも有名なアクション映画だ。登場人物と宗教に注目すると、ヒンドゥー教やイスラーム教、キリスト教など様々な宗教が存在するインドの多様性が配慮されている作品と言えるだろう。

 

 

インドの宗教を知るのに最適な『世界の宗教大図鑑』

 

『RRR』のヒット以降、筆者宛にインドの神話や宗教を知りたいという問い合わせが増えている。なにかよい資料がないかと探していたとき、河出書房新社から『世界の宗教大図鑑』をご恵贈いただいた。

ページをめくってまずびっくりしたのは、キリスト教、イスラーム教、仏教だけではなく、ヒンドゥー教やシク教、ジャイナ教など、インド固有の宗教についてもかなりのページ数を割いて紹介していることだ。ヒンドゥー教については叙事詩や神々を図像学的な視点から解説してあり、聖典の内容や寺院の参拝方法まで網羅しているのには正直驚いた。

もう一つ素晴らしい点は、図版が全てカラーだということだ。色鮮やかな図像がぱっと目をひく。少々専門的な知識でも、絵があるだけで理解度が格段あがる。宗教思想を理解する上で、歴史的にも視覚に訴える図像がどれほど重要な存在だったかを、挿絵を眺めながら改めて感じている。

前述したように、インド映画には宗教問題や差別などを取り上げた作品も多い。宗教と神話の違いや、宗教の持つ危険性についても明示しているこの本は、現代インドの多様性や、右傾化する政治情勢の背景となる思想を知る上で最高の参考書になるだろう。

今後、『RRR』をきっかけに、日本にもより多くのインド映画が入ってくるのは確実だと思われる。インド映画は、宗教や神話の要素を知らなくても楽しむことはできるが、少しでも知識があると、作品への理解の手助けになる。もし映画を観てもっと深くこの文化が知りたいと思った人は、ぜひ新しい世界を探索してほしい。

関連本

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著者

天竺奇譚(てんじく・きたん)

作家、インド神話・インド文化研究家。東海大学大学院文学研究科博士課程前期修了。文明学専攻。専門は南アジア文明、ヒンドゥー教図像学。学生時代よりWebサイト『天竺奇譚』を運営して、聖と俗を併せ持つインドの神様たちの魅力をわかりやすく発信し続けている。著書に『いちばんわかりやすい インド神話』(実業之日本社)がある。

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