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イリナ・グリゴレ(Irina Grigore)「ドリームタイム」──『世界の宗教大図鑑』刊行記念コラム③

「宗教的であるとはどういう意味だろうか。この世に宗教的でないものは何ひとつないともいえる。宗教は人間の生と死の全般に関わるからだ。」
(『世界の宗教大図鑑』「まえがき」より)

 世界の宗教について、五大宗教はもちろん、古代宗教から民間信仰まで豊富なビジュアルで解説した決定版図鑑、『世界の宗教大図鑑』(ジョン・ボウカー著/黒輪篤嗣訳/中村圭志日本語版監修)が好評発売中です。
 この図鑑に寄せて、いま私たちが世界各地にある宗教について俯瞰して眺め、その教えと生き方について知ることにはどのような意味があるのか。その重要性と楽しみ方について、イリナ・グリゴレさんにご寄稿いただきました。
 ルーマニアの農家で生まれ現在青森県で文化人類学を研究するイリナ・グリゴレさんは、生まれた地とはまったく異なる日本の土着の宗教、信仰、神性に触れたとき、なにを感じたのか。その「宗教」体験の驚きとは。

 

 

 

ドリームタイム

 

 

 

知らない世界の入り口に立つという感覚

 

 クロード・レヴィ=ストロースが死んだ日、私は民俗学実習で訪れた青森県南部地方のある村で、他の学生と泊った温泉宿のテレビを観ながら夕飯を食べていた。その地域の新鮮で高級な食材である馬刺しがお皿に置いてあって、私は右目でクロード・レヴィ=ストロースが亡くなったというニュースを観、左目でそのお皿に置いている僅かな「赤くて生の馬の肉」を見ながら、どうやって処理したものか悩んでいた。次の瞬間、思わず隣に座っている女子学生にあげると、彼女は嬉しそうに「美味しいのに」とニコニコしながら食べた。それ以降、どうしても自分にとってクロード・レヴィ=ストロースと馬刺しが結びついている。
 「人類学」を学ぶために日本に来ていた私にとって、彼の巨大さはその時点でも分かっていて、青森の南部地方の村で彼の死のニュースを受け止めていた。その夜、温泉で先生にかけられた言葉も「イリナ、レヴィ=ストロースが死んだのを知っている?」だったが、しかしそれよりも、私にとっては他の女子学生と自分の先生と裸で温泉に入っていることや、馬刺しを食べることのほうが、自分の生まれた場所にはない、衝撃的な瞬間だったのである。確かに、私は自分が知らない世界の入り口にいた。

 

 

「ミクロ感覚」に触れる

 

 村にいるあいだ、日中は村中を歩き回った。神主さんから聞く土地の神社の由縁、仏教や山伏についての歴史、伝統芸能の鳥舞や権現舞──そこでの経験は、正真正銘「初めて」見て、聞き、触れることばかりだった。おまけにその村には、密かにこの地に辿り着いたキリストの墓があるのだという伝説まであった。
 夜、一日中村を歩いて村人から話を聞いた学生たちは、その日の話を皆の前でする。漬物の作り方から村のさまざまな行事まで、多様なエピソードが部屋の空気を満たす。その時、私から見ればあの村が小さな宇宙に感じられた。ルーマニアの農家出身の私が地球の反対側にきて自分の身体で確かめたかった、本でしか読んでないことを。
 例えば村の神主さんがうちは先祖代々山伏だったのだとキラキラした目で語り、資料を見せてくれるとき、「ミクロ」なレベルで、自分も目の前の人間も変化する歴史の一部なのだとわかる。それは、本や読んでいるときとは違う感覚だ。それを私は「ミクロ感覚」と呼んでいる。津軽地方での獅子舞の調査を始めた時も、さまざまな保存会を訪ねて話を聞いて、演舞を見て、「獅子舞は自分たちの血に流れている」という話を聞いた。「目の前」の生が身体から身体へと伝わるとわかる。
 イギリスの人類学者のティム・インゴルドによれば「他者との関係が、あなたの中に入り込み、あなたをあなたという存在にしている。そして同じように、関係が他者の中にも入り込むということなのだ」[インゴルド2020:118]。このように、私にとってフィールドワークは地元の人と「ともに」あって、内面的な世界を外へと繋げてくれる。

 

 

土着の宗教からしか見えないもの

 

 日本の土地土地に残る民俗──東北のシャーマンであるイタコ(女性)とカミサマ(男性)、女性の出産と子殺し、民間信仰のオシラサマ──を学ぶたび、自分が生まれ落ちたところと異なった自然観、宗教観、習慣を真剣に受け止めることができた。特に、ルーマニアの正教会の信者の家庭という共同体に生まれた私には、宗教、神話、信仰、儀礼、祭りといったものは最も興味をひかれる対象だった。なぜかといえば、そこには人間だけではなく、人間以外の「見えない」存在が含まれているからだ。『世界の宗教大図鑑』を読み、私が人類学者として一番興味を持ったのは最後の章に出てくる「土着宗教」である。宗教学者である著者のジョン・ボウカーは、この章までは世界の大きな宗教について丁寧に説明した上で、この章ではさまざまな各地の先住民の伝統的な宗教に触れることが欠かせないという姿勢を示している。キリスト教、仏教、イスラム教と違って、それらはしばしば文字で書かれた様式を持っていないため、儀礼や口承によって伝わる場合が多い。また、信仰者は自然に囲まれて生活している傾向にあり、「霊的な領域と日常生活がひと続きの同じものであり、宗教だけを切り離すことができない」[ボウカー 2022:321]。
 この図鑑の「土着宗教」の章では、シャーマニズムと創世神話について分かりやすく説明しながら、さまざまな民族について触れている。
 ヤノマミ族のシャーマンについての解説には、「シャーマンの体の中には、この世界と同じように山や森や海がある世界が広がっていると信じられており、そこに住みたい霊たちはシャーマンの指摘に従うようになる」とある。ヤノマミ族のシャーマンで市民運動家であるダヴィ・コペナワ・ヤノマミという、宗教家であり政治的リーダーでもある人物のことを写真付きで知ることもできる。
 私は授業で学生に『ヤノマミ』というドキュメンタリー映画を見せているが、このとき初めて人類学という学問を知る学生もいる。彼らはイメージと音を通してヤノマミの世界観を知るが、あまりにも自分達と生まれ育った環境と違うために、びっくりする学生も多い。
 映像には女性が森の中で出産をするシーンがあり、母親が生まれたばかりの赤ん坊を抱っこをすれば「人間として育てる」、抱っこをしなければ「精霊の世界に戻す」として、母親が子供の生死について決定権を持つという。
 出産後、母親が胎盤を葉っぱに乗せるシーンを見た男子学生は、「びっくりして話せなくなった」と感想を寄せた。その出産の生々しいシーンが映像を通してブラジルから遠く離れた日本の学生の前で披露されるが、血まみれの新生児も胎盤や臍の緒の処理も、基本的なところは世界共通なはずだ。
 また映像には子供を川で遊ばせながら、女性が赤い木の実を塗って顔と肌を整えるシーンもある。ある女子学生は、「この女性たちは化粧するわたしたちと変わらない」とコメントをくれた。そういえば、私自身もクロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』をフランス語の原書で読んだ時、写真がほとんどなかったにもかかわらず、語りがイメージの川のように流れ込んできたものだ。先住民はビーズが大好きで、いつも自分の身をビーズと鮮やかな色の羽で飾ると知って、内面的に自分と変わらないと思った。
 他者とは身近にいる生命だと分かった瞬間。他者とは内側で生じる。

 

 

そもそも宗教とはなにか

 

 もう一度『宗教大図鑑』を最初からめくると、著者は「この世に宗教的でないものは何一つないともいえる。「…」自然科学すら元は宗教的だった。宗教と科学が別々の探求の手段になったのは、わずか300年前のことにすぎない。」と冒頭で強調している。
 これは宗教学者の立場から書かれている本だからではなく、先ほども述べたように、先住民の「土着宗教」を例にとっても、生き方と日常と「目に見えない」霊の領域とを分けることができないからだ。英語のreligion という言葉はラテン語のレリガーレに由来する。訳すと「しっかり結びつける」という意味になる。いわゆる宗教と信仰は人を結びつけるシステムでもあるという。
 ここでは、私はレリガレの「レ」に注目したい。レリガレとは「再び」結ぶという意味も持つ。人類学者のインゴルドはこのように言った。
 「近代西洋人とは想像の産物である。あるいは哲学者ブルーノ・ラトゥールが有名な著書のタイトルを付けたように『私たちはこれまで近代人であったことはない」」[インゴルド2020:61]。
 このラトゥールの本のタイトルは、レヴィ=ストロースの著作のタイトルとよく似ている。「Nous sommes tous des cannibals(我々はみんなひとくい人種である)。」
 ヤノマミの映像を見た後、学生は感想を「現代日本と比べて」で始める。だから私はいつも、ヤノマミが同じ現代人であることを教える。そんな時、教えるには文章だけではなく、図鑑と映像、イメージという手法が大事と気づく。

 

 

ドリームタイム

 

 『世界の宗教大図鑑』のページをめくると、さまざまな世界宗教のイメージが丁寧に説明され、曼荼羅、仏像、お祭りと礼拝の様子、イコンなど、夢のような世界を知れる。特に、オーストラリア・アボリジニのドリームタイム(創世神話)の絵が印象に残る。女性は自分が住むことができる場所を探していて、結局、地球を見つけ、彼女は男性に狩りに使う槍を与え、ともに暮らし始めるという神話だ。ドリームタイムとは英語のdream timeであって、それは「夢の時間」を意味している。
 インゴルドによれば、人類学者は「夢を見る人」であり、人類を変容させる力があるという[インゴルド2020:146]。また、人類学者という存在はハンターと同じであるともいう。
 なぜならば、両者とも周りの環境を鋭い感覚で把握し、「観察から学び、物事の内側からそれを知るために皮膚の下に入り込む生の技法に従う」者だからである。
 加えて、アートと宗教の役割もこれと同じだ。社会や文化を「説明」することのできる数的なデータと違って、内面的世界には、分類も解釈も及ばない微細な感覚と真実がある。その意味では、インゴルドもマリノフスキーも同様の目的意識を持っている。そして、インゴルドの論述からは、この目的が他者と「ともに」行う作業の中で、複数の道が開かれる可能性が民族誌に存在することが示される。さらに、インゴルドは人類学という学問が、全ての人に居場所を作る方法を持っているとする。
 その「方法」とは、他者をカテゴリーや文脈に当て嵌めながら説明するのではなく、他者に気づきともに学ぶことである[インゴルド 2020:148]。ちなみに、インゴルドの「気づく」という訳語には「ケア」というルビが振られている。「夢を見ること」は、ケアすることと同じなのである。

 

 

参照文献
『世界の宗教大図鑑』ジョン・ボウカー著、2022、河出書房新社
『Ttristes Tropique』Claude Levi-Strauss、2015, Encyclopaedia Universalis
『Nous sommes tous des cannibales』Claude Levi-Strauss (French Edition) 2019、La Seuil
『人類学とは何か』ティム・インゴルド著、奥野克己/宮崎幸子訳、2020、亜紀書房

関連本

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著者

イリナ・グリゴレ Irina Grigore

1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し2007年に獅子舞の調査をはじめる。一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマ北東北の獅子舞、日本で生活して女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。

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