書評 - 文藝

野間文芸賞新人賞受賞の鬼才・金子薫『愛の獣は光の海で溺れ死ぬ』幻覚剤が蔓延するスラム街〈奇天座〉の出口なきデスゲーム(評者:小川公代)

 

愛の獣は光の海で溺れ死ぬ

金子薫 著

 

評:小川公代(英文学研究)

 

 

 

野間文芸新人賞受賞の鬼才・金子薫の最新刊『愛の獣は光の海で溺れ死ぬ』が刊行。
本作の魅力を英文学研究者・小川公代が語る。

 

***

 

 “道化”や“愚者”と呼ばれる人たちはこれまで社会の規範の外にある異物として排除されてきた。だが、他方で、彼らは知的文化の伝統も担っている。シェイクスピアのコミック・リリーフの役目を演じる道化たち、それ以前には、政治的不満を代弁する宮廷道化師たちも実在し、一六世紀イタリア喜劇では、快活なアルレッキーノや内気なプルチネッラも活躍していた。

 ここに収録された六つの短編のいずれにも“道化”の出現を必要とする人間が描かれている。このテーマは、監督官に危害を加えられながら機械工として金属製の蝶を作る天野正一が主人公の前作『道化むさぼる揚羽の夢の』でも探求された。近代以降の合理主義によって硬化してきた社会で天野はいつしか道化アルレッキーノを演じることによって突破口を見つけようとする。本書の「独白する愛の犠牲獣」では、眼球を摘出され、舌を抜かれた愚天が幽閉されている。しかし「肉を欠いた肉声」でも語り、陶酔しながら、現実と夢、正気と狂気のはざまに生き続ける。

 自明に見えることを疑い、演じることで社会の閉塞感に風穴を通すのが道化であるなら、「天使の虫喰う果樹園にて」では周防隆吉という男こそ道化の名にふさわしい。幻覚剤ロロクリの原料であるロロクリットの果樹園では、労働者たちを規範に従えさせるために、ルールを破った周防は鉄柱に鎖で繋がれ、半強制的に愚天蟲を食べさせられている。愚天蟲とはロロクリットの果実を食べた蟲で幻覚作用がある。労働者である語り手は、幻覚で陶酔できる罰則のためにあえて犯行に及んだ周防の物語に引き込まれていく。

「成るや成らざる奇天の蜂」では、主人公の西尾陽介が現実に疑いの目を向ける。彼は「凡庸で新味に欠ける現実ではなく、そのような凡庸な現実の複製のなかにこそ私の生きるべき世界は存在する」と考える“道化”志望の人間である。ロロクリを服用すると、幻覚のなかで動物だけでなく、道化師プルチネッラなど「自分とは異なる存在を演じて、生まれ変わ」ることができる。たしかにその効果は誰かになりきれる演劇の比喩でもあるが、強い麻薬による陶酔を拒む藤堂飛鳥のような人間にとっては、誰かに同化することで批評性が奪われる道化は痛烈な批判対象にもなる。イデオロギーへの陶酔が真の連帯を阻んでいる今のSNSへの風刺ともとれる。

 金子による『双子は驢馬に跨がって』はベケットの『ゴドーを待ちながら』のごとく、双子の到来を信じながらいつまでも幽閉され続ける道化的人間の物語だが、「愚天童子と双子の獣たち」と「言葉の海から」は、その物語をなぞりながら、演劇性をきわだたせている。愚天童子はじつは「芝居」であることを知らないまま双子を待ち、その双子は「沈黙」を守る役割が与えられている。

 金子の道化たちはあくまで寓話である。本書には道化の視点と道化を俯瞰する視点の両方が描かれ、それらが共振して規範が大きく揺さぶられる。そのようにして、創造的で、批評的な道化が生まれうる土壌を遂行的(パフォーマティヴ)に開拓しているのか。

 

関連本

関連記事

人気記事ランキング

  1. ホムパに行ったら、自分の不倫裁判だった!? 綿矢りさ「嫌いなら呼ぶなよ」試し読み
  2. 『ロバのスーコと旅をする』刊行によせて
  3. 鈴木祐『YOUR TIME 4063の科学データで導き出した、あなたの人生を変える最後の時間術』時間タイプ診断
  4. ノーベル文学賞受賞記念! ハン・ガン『すべての、白いものたちの』無料公開
  5. 小説家・津原泰水さんの代表作「五色の舟」(河出文庫『11 -eleven-』収録)全文無料公開!

イベント

イベント一覧

お知らせ

お知らせ一覧

河出書房新社の最新刊

[ 単行本 ]

[ 文庫 ]