
書評 - 文藝
「該当作なし」芥川賞候補作のひとつ、向坂くじら『踊れ、愛より痛いほうへ』はどんな小説なのか?
評者:伊藤亜和(文筆家)
2025.08.29
向坂くじら 著
評:伊藤亜和(文筆家)
小説第2作にして第173回芥川賞候補作となった、向坂くじら『踊れ、愛より痛い方へ』が刊行。本作について文筆家の伊藤亜和さんが語る。
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小学生のころ、私は気まぐれに「口がきけなくなったふり」をすることにした。夕食の時間、いつものように私に話しかけてくる母に返事をせず首を縦に振ったり横に振ったりして、どうしても言いたいことがあるときは、引き出しから引っ張り出してきたメモ用紙にそれを書いて母に見せた。母は早々にうんざりとした表情になって、吐き捨てるように「いいかげんにして」と言ったきり、私から視線を外した。不機嫌そうに黙った母のようすに耐え切れず、私はまたいつも通り口を使って言葉を話した。いつも通りの自分に戻りながら、私もまた母にひどくがっかりしたのを憶えている。私はいったい、母になにを期待していたのだろうか。
「焼夷……つまり愛することなのだ。自衛。つまり、愛するもの以外を、愛さないということだ。」本書の主人公、アンノはそう思い至る。B’zの「愛のバクダン」の歌詞が私の頭を過(よぎ)っていったが、一旦それは無視しよう。小学生になったアンノはある日、両親が彼女にバレエを続けさせるために2人目の子どもを中絶していたことを知る。自分が愛されるために、別の誰かが排除されたという事実。「生まれなかった子ども」は白昼夢のようにアンノの前に現れ、ふたりは対話を繰り返していく。「生まれなかった子ども」を置き去りにして成長し続けるアンノは、誰かに愛されそうになるたび「割れ」てしまう。愛されるということは、他者がまるで自分の一切を理解したかのように振舞うということなのだろう。そういう場面に陥るたび、アンノはそれを拒絶して割れる。アンノはそれを頭がてっぺんから割れる感覚だと説明するが、私には、アンノを愛そうとして誰かが形作ったガラスの檻を、彼女が内側から突き破る行為のようにも見えた。周囲から期待されたアンノという人格から、そして、誰かを犠牲にして愛されてしまったうしろめたさから逃亡するために、アンノは割れるのだ。
私はあの日、言葉を話し、母に愛されることを選んだ。あのときほんのひととき生まれた「口のきけない自分」を犠牲にして、それを愛さない母に失望しながら檻に留まったのだ。愛されることは失望と同じだ。アンノと同じように悪態をつきながらひとりで暮らしていた老婆の「あーちゃん」があっけなく家族のもとへ帰っていったとき、彼女はそれを思い知ったようにも思う。誰もが愛されることに少しずつ抗いながら、最後はやはり逃げおおせることはできないのだ。
“愛の侵略”から身を守るテントを失った彼女はどうなっていくのだろう。これ以上割れることなく、静かな檻の中へ戻っていくのだろうか。帰るべき場所もわからないまま、彼女の身体は次の瞬間へと踊り続ける。愛のバクダンは絶えず私たちの上に降り注いで、いつか跡形もなくすべてを燃やし尽くしてしまうだろう。
書誌URL:https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309039701/