書評 - 文藝

「いい加減にしろ! いじきたねえんだよ」人間の一番見せてほしくない真実をえぐる19歳の独白 歌人・上坂あゆ美が紹介

 短歌をつくるのが楽しかったことなど、一度もないのかもしれないということについて考える。私にとって短歌制作は、嘔吐をこらえながら自分の呪いを見つめ、ひたひたと泣く夜を乗り越え、なんとか形にする作業。どちらかと言えば快楽主義の自分が、なぜそこまでするのだろうと考えると、それはきっと私が、できるだけ鋭くナイフを研ぐように短歌をつくっているからだ、と思い至った。

 すべてを糞ったれだと感じ、自分だけがまともだと思うとき、周りのやつらは何もわかっちゃいないと思うとき、人は世界に遠慮なくナイフを向けることができる。そのナイフは世界を遮断し、自己を守るものであると同時に、何も持たない自分の唯一の味方だ。そうしてナイフを手に入れた人間が世界を語るときは、なぜか必ず少し恍惚としている。どうしよう、その紛れもない快感を、私は知っている。

 ここでいうナイフとは、私にとっては短歌に私的な呪いを詰めることで、本書の主人公・ゆめにとっては「あくてえ(=悪態)」である。十九歳のゆめは、母と、不倫の末家を出ていった父の母である祖母と三人で暮らす生活に不満を募らせている。なかでも介護によって家族中を振り回しているにもかかわらず、横暴で不満ばかりもらす祖母に対して、ゆめは容赦のないナイフを向ける。また、実の母でもないのに献身的に祖母を介護する母を見ていると、自分の影が際立つように感じるのであろう、尊敬と同時にどこか行き場のない思いを抱えている。

 この本がすごいのは、ゆめが怒濤の勢いでナイフを振り回し続けていることだ。祖母にも、母にも、家を出た父にも、恋人である渉にも、そして、世界に対しても。ゆめは、かなり高い練度のナイフを持っている。私の経験上ナイフの練度は、それを世界に向けたときの快感と比例するため、作中に出てくるゆめの一方的な独白は、どこか「言ったった」感が漂う。これは人間の(というか私の)一番見せてほしくない真実をえぐり取られているようで、嫌なのに目が逸らせなくなってしまう。

 要介護の祖母に優しくしたい気持ちと、殺したいほどの憎しみの間で揺れるゆめ。ゆめは食事を通して、祖母と自分との違いを確認している。皿を舐めないこと、果物の汁が付いた手でリモコンを触らないこと、惣菜の海老フライの衣を残すことなど。だから、入れ歯の針金が舌に刺さり、慌てて通院準備をするゆめに向かって、当の祖母が吞気にも食べかけだったバナナをよこせと主張したとき、ゆめは「いい加減にしろ! いじきたねえんだよ」と、いつも以上に強いあくてえを吐く。

 ゆめが悩みつつも祖母に優しくできない理由は、実は自分が祖母に似ているところがあると感じているからではないか。自分だけはまともだと信じることが唯一の心の支えであったのに、結局は同じような人間なのだとしたら、ゆめはもう生きる意味がなくなってしまう。すべてのあくてえは他者に向けられているようでいて、実はゆめにとって精いっぱいの「自分だけは違う」という、世界への悲痛な叫びだ。

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