書評 - 文藝

言葉で想像の幅を突破する中原中也賞詩人が描く、肉体ではない新たな関係の物語

 

 

『うみみたい』

水沢なお著

 

評:梅﨑実奈(書店員)

 

 

 水沢なお「うみみたい」を説明するとき、〈反出生主義〉という言葉が力強く使われていたら、そうだけど、そうなんだけど、ちがうよね、と心に引っかかってしまうと思う。確かに主人公であるうみは、うみたいけれどそれが異性との性行為でしか叶わないことに絶望を抱いている。共にいるみみも、〈だれがうめと頼んだ、だれがつくってくれと願った。わたしはわたしをうんだすべてをうらむ〉という台詞を吐いたポケットモンスターのキャラクター、ミュウツーに共鳴している。ふたりはうむこととうまれることの生物学的側面や、当たり前に蔓延る人生観に違和を抱いている点では同じだが、内実は決定的に異なっている。

 もしこの物語が社会への違和感とそれぞれが抱く思いの差異までしか描いていなかったら、特に言いたいことはなかった。でも読んでいてこんなにも「愛おしいなあ」と微笑んだり、「大丈夫か……」とそわそわしたりできるのは、ほかに何かがあるからだ。

 いちばんのポイントは〈反出生主義〉ではなく、別々のほうを見つめているふたりが、それでも「ずっと一緒にいたい」と互いに思い合っていることなんじゃないだろうか。きらきらと瞬くはかないふたりの関係に、わたしはとても惹かれた。関係を強める一般的な方法のひとつは肉体の接触だろう。手をつなぐ、髪をなでる、唇を合わせる、セックスをする。でもうみとみみに肉体の結びつきはなく、別のところでつながる。それは「言葉」と「見る」ことだ。建物の外壁を見て〈かびた食パンみたい〉と言い合うような些細な会話の端々、互いの美術作品を見て正直な感想を言い合う。そもそも「うみみたい」というタイトルにすでに作者が思いを込めた仕掛けがあって、リリカルな要素が物語全体にうまく絡んで形を成している。自然体で見事な作りだ。小説中、一般的には漢字で記すであろう言葉をひらがなにしているのが散見されるが、これらを漢字にはできない。「うみたい」を「産みたい」と記せば途端に水沢の作品ではなくなってしまう。詩人としてデビューし、『美しいからだよ』『シー』という詩集を出しているが、どちらも表記ではなく音を前に出すことで意味に幅を持たせている。言葉で想像の幅を突破する。これは詩にも小説にも共通する、最も重要な夢だと思う。

 なにものにもとらわれずふたりだけの関係を作り、できる限り保持する。それは、人生のすべてをかけてもいいと思えるほどの命題だとわたしは思う。ふたりだけのまじめで泣きたくなるほどはずかしく、もっとも尊い瞬間を物語の終わりにきらめく水しぶきをあげながら描く「うみみたい」。違うふたりが互いを見つめながら同じ景色のなかにいる。ここにあるのは希望だけじゃないかもしれない。でもほんとうに忘れがたく、ふたりのこの先を願わずにはいられない素晴らしい最後だった。

 

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