書評 - 文藝

何度となく吹いてきた、女という風の記録。作家・皆川博子が12世紀を舞台に描く少女の物語

 

 

『風配図 WIND ROSE』

皆川博子著

 

評:深緑野分(作家)

 

 

 人類という動物はなぜか、自分たちの半分を中心に社会を形成し権力を持たせ、もう半分は学問や権力に相応しくないとして、家庭や生殖の役割に縛り付ける。前者は男、後者は女である。

 皆川博子の最新長編『風配図』の舞台は、商人が活発に移動して商いを行っていた十二世紀、バルト海周辺である。十五歳の主人公ヘルガは、北海・バルト海貿易の中心であるゴットランド島の族長の娘で、理解のない夫と結婚したばかり。季節外れの嵐によって大破した、ドイツ北部の新興都市リューベックの商船から、唯一の生存者を救ったことにより、運命が大きく動く。

 公平で正義感と闘争心が強いヘルガは、生存者ヨハンの代わりに決闘裁判に挑み、相手の男に猛然と歯で噛みついて勝利する。しかし口さがない者たちはフェンリルの化身、人狼などと言ってヘルガを忌み嫌い、特に夫は彼女を疎み、街ぐるみで排除してしまう。ヘルガはヴィスビューを出て、リューベックで商いを学ぼうとするが、無学のヘルガには難題が多い。それでも、ヘルガを愛する兄弟や大商業都市ノヴゴロドの商人ユーリイとその従者で完全奴隷のマトヴェイ、義妹で親友のアグネなどと交流しながら、ハンザ同盟前夜といえる時代を生きていく。

 ヘルガは羽を切られた鳥で、足には数多くの重しがついている。自分を忌み嫌う夫、離婚できない教会の制約、学問の機会を奪われたために読み書きや算数を十五歳ではじめなければならない状況、など。

 これまで物語は何度となく、女に生まれたゆえに学問や自由を奪われた女性の苦境を描いてきたが、今なおこうした話が必要なのは、社会がろくに変わっていないからだと日々痛感させられる。政治家の写真には男性ばかりが写り、大学受験でも性別による差別が発覚し、女性の数少ない権利は当てこすられ、男性差別を主張する声すらある。女が自我を持つ前に芽を刈り取り、女の敵は女であると信じ込ませようとする者もいる。十二世紀から千年近く経ってこうならば、千年後の未来も変わらないのだろうか。

 時代の背景は、ヴァイキングやルーシなどの交易がますます盛んになる中、ドイツ人が新たに加わり商売の形や勢力図も変わるなど、複雑で込み入っている。その点を本作では戯曲化することですっきりと見せ、読者の感情移入のバランスを巧みに調節している。小説パートでは当時の雰囲気や手触り、風のにおいまで体感できる描写が豊富で、「風は夏の海面(うなも)を薄く削る」のような、簡潔でいて類を見ないほど美しい文章表現に心を奪われる。皆川博子の小説を味わう喜びは何にも代えがたい。

 海は頑迷だ。それでも、風は海の形を変えるのである。そして風配図は、予報を図にすることでこれから起こるであろう風を知るものであり、これまで吹いた風の記録でもある。この物語の先にハンザ同盟という大きな変化があるように、ヘルガがその前夜の時代を生きたように、我々自身もまた新たな風配図の中にいて、自分もその風のひとつになるのだと信じたい。

 

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