ためし読み - 日本文学

小川哲、1年ぶりの新刊『スメラミシング』表題作冒頭、緊迫の約1万字超を無料公開。 【2024年10月10日発売】

第13回山田風太郎賞、第168回直木三十五賞をダブル受賞した『地図と拳』をはじめ、これまで数々の文学賞を受賞し、近作『君のクイズ』『君が手にするはずだった黄金について』が2年連続で本屋大賞候補作となるなど、今最も注目を浴びる作家・小川哲による最新作『スメラミシング』は、信仰の虚妄と救いを描いた現代の黙示録的作品集(2024年10月10日発売)。

この刊行を記念して、カリスマアカウントを崇拝する覚醒者たちのオフ会を描いた「陰謀論×サイコサスペンス」、表題作「スメラミシング」の冒頭約1万字超を無料公開いたします。

反ワクチン、ディープステイト、暗黒政府、イルミナティ――、数多の陰謀論と思惑を取り込み、生きる価値のない現実を打倒する、救世主<スメラミシング>のマスタープランとは一体何なのか。

異彩を放ち続ける作家・小川哲による、超弩級のエンターテインメントをぜひご堪能ください。

==↓ためし読みはこちらから↓==

スメラミシング
小川哲

 

 

 高校生のころ、必要のない電車に乗るために、何度か母に「朝練がある」と噓をついた。

 まだ暗いうちに家を出て、自転車で新検見川(しんけみがわ)駅に向かい、始発の総武線各駅停車に乗る。津田沼駅で総武線快速に乗り換え、東京駅から京葉線で折り返す。早朝の車内はいつも空(す)いていた。進行方向に向かって左手の席をいつも選んだ。海側が見える席だ。写真に収めて自慢するような景色ではない。ただゆっくりと、時間とともにぼんやり明るくなってくる。停止した葛西(かさい)臨海公園の観覧車を、頭の中でゆっくり回転させてみる。薄明かりの中で、無人のディズニーランドを眺める。シンデレラ城の上に広がる橙色(だいだいいろ)の空を見る。電車に並走する車のフロントガラスが輝き、駅に向かって足早に歩くサラリーマンが白い息を吐く。

 蘇我駅で内房線に乗り換える。千葉駅から総武線快速で稲毛(いなげ) 駅まで乗って、そこからバスで高校に向かう。到着するころには、ちょうど朝礼の時間になっている。

 通勤ラッシュの時間はとっくに過ぎていたので、車内はさほど混雑していなかった。僕は扉の前でスマホを取りだした。ドアが開閉して、ゆっくりと発車する。十両編成の細長い車両が、二本の細い針の上を滑らかに加速していく。金属と金属が擦(こす)れあう高い音がする。トトン、トトンという振動を足の裏で感じる。夜勤明けの重い瞼(まぶた)を開き、日光が外の景色に溶けていくのを待つ。こうやって、ときどき意識的に景色を眺めた。何百回、何千回と乗った電車だし、特筆すべき景色でもない。感心することも感動することもないが、少なくとも眺めている間は他のことを考えなくてすむ。電車が稲毛駅から離れていく。東関道(とうかんどう)の高架をくぐるとき、日陰の暗闇が冷たい。線路沿いの一軒家が目の前を流れていく。適当に選んだ家に目を凝らす。軒先に置かれた子ども用のプールに日差しが反射している。手前に置かれた三輪車のハンドルがこちらを向いている。そうやって切りとられた景色も、やがて僕から離れていく。

 スマホをポケットに入れて、ゆっくり瞬(まばた)きをする。ブレーキの音とともに電車が減速していき、ついには停車する。扉が開いて、島式ホームの日陰で冷やされた外気が首の隙間から全身へ流れる。「新検見川、新検見川」というアナウンスが聞こえる。横に立っていた女子高生が降車する。「ドアが閉まります。ご注意ください。次の電車をお待ちください」

 降りなければならないが、粘土色の床が両足にしがみついているようで体が動かない。

 扉が閉まる。僕は最寄り駅をそのまま通過する。ポケットでスマホが震えている。母からの電話だろう。僕はただ、車窓から外の景色を眺めている。

 

 

 待ち合わせていた喫茶店に入って店内を歩きまわった。純喫茶風のチェーン店で、まん延防止等重点措置の期間中だったが、それなりに賑わっていた。店内の構造のせいか、奥まった場所にあった座席だけ違う種類のテーブルと椅子が使われていたのが気になった。ぐるりと店内を一周し、入口の近くを歩いているときに女性の声がした。

「タキムラさん?」
「そうです」とうなずきながら、私は彼女の向かい側の席に座った。
「イソギンチャク@白昼夢です」
「はじめまして」

 タキムラです、と続けそうになって我慢した。「タキムラ」は本名ではなく、自分の口で発するのに少しだけ抵抗があった。

「はじめまして。もしかして、店内を探しちゃいました?」
「はい」と私は噓をついた。本当は、店に入った瞬間にイソギンチャク@白昼夢さんがこの席に座っていることに気づいていた。広い店内で、マスクをしていなかったのは彼女だけだった。自分から呼びかけたくなくて、気づかなかったふりをした。

 彼女は「前からタキムラさんとお話ししたかったんですよ」と話をはじめた。私はなんとなく耳を傾けながら、彼女のことをどう呼べばいいのか考えた。できれば「イソギンチャクさん」と口にしているのを周りの席の人に聞かれたくはない。だからといって、他の適切な呼び方も思いつかない。もちろん彼女の本名も知らないし、知りたくもない。

「昔から味覚が敏感で、他の人にはわからない『毒素』を感知することができたんです」

 簡単に自己紹介をしてから、イソギンチャクさんはそう言った。こうやってネットで知り合った人と会うのに慣れているのか、本題に入るのが早い。

 小学生のころ、塾の帰りに惣菜屋で買ったコロッケを食べて、舌に電流が走ったこと。それから頻繁に同じ現象が起こったこと。スーパーで買った野菜を食べるといつも舌が痺(しび)れたこと。十八歳のとき、不安になってネットで詳しく調べ、農薬が原因だと気づいたこと。ベトナム戦争で枯葉剤を作ったモンサント社が、その見返りに除草剤の臨床データを政府ぐるみで改竄(かいざん)していたと知ったこと。モンサント社は種子の市場を陰で独占し、農薬や遺伝子組み換え作物を使って、人々を洗脳するナノマシンを植えつけていること。暗黒政府は、ナノマシンを通じて人類を支配しようとしていること。自分が「覚醒」したのは、ナノマシンの味がわかったおかげであること。コロナは、ナノマシンの入ったワクチンを全人類に投与するために人工的に開発されたウイルスであること。両親も兄弟も自分の話を一切理解してくれず、SNSにしか同志がいなかったのに、ツイッター上の覚醒者が次々とアカウントを凍結されていること。それもこれも、すべて暗黒政府の陰謀であること。

「病気になると錠剤より注射の方が効くでしょ? 遺伝子組み換え作物に含まれているナノマシンを、今後は直接血管に流しこもうという計画なんです」

 イソギンチャクさんは何か返答を求めるように、こちらを見つめた。

 私は「なるほど」とうなずいた。ようやくやってきた店員にアイスティーを注文し、イソギンチャクさんがテーブルの上に無造作に置いていたマフラーを畳んで端に置いた。

「あ、すみません。邪魔でした?」
「いえ、私が直したかっただけです」と答えながら、我慢しろ、と自分に念じた。奥の座席だけ、違うテーブルを使っていたことが、ずっと気になっていた。

「タキムラさんの意見が聞きたいんです」

 イソギンチャクさんはそう聞いてきた。

「なんの話ですか?」
「ワクチンのことです。タキムラさんが自分の意見を言っているイメージがないので」
「私の意見なんてありません」

 私はそう答えた。「私の仕事は、さまざまな情報を集めて、みなさんの判断材料を増やすことです。イソギンチャクさんのように、ワクチンの中に何かが仕込まれていると考えている人もいますし、そういうわけではないが、安全性が保証されていないと考えている人もいます。ワクチン接種後に死亡した人などの実例もあります」

「たしかに意見が分かれる部分だと思います」
「新型コロナウイルスに関しても、人工ウイルスだという説もあれば、そもそも存在していないという説もあります。存在しているし、自然発生したウイルスだけど、危険性がない、という考えの人もいます」
「新型コロナが人工的に開発されたウイルスであることを示すフィンガープリントは、イギリスのダルグリッシュ教授の研究によって明らかにされています。タキムラさんはダルグリッシュ教授の論文のこと、知っていますか?」
「ええ、もちろん。英語は読めないので、原文にあたったわけではないですが」
「大丈夫です。いろんな人が翻訳し、わかりやすくまとめてくれています」
「そうですね」
「メディアはこの事実すら報道しようとしません。すでに世界中のメディアがモンサント社や暗黒政府の手の中にある証拠ではないでしょうか。スメラミシングもそのことを繰り返し警告していました」
「正確には違います」と私は否定した。「スメラミシングはコロナやワクチンやパンデミックといったもののすべてが『マスタープラン』の一部であることと、その証拠が今後暴かれていくだろう、ということを仄(ほの)めかしただけです」
「『マスタープラン』とは、暗黒政府が世界を支配するために立案した『三十三段階計画』のことで、『証拠』とはダルグリッシュ教授の研究結果のことです」
「決めつけるのは早計です。スメラミシングが暗黒政府や三十三段階計画の存在を認めた証拠はありません。彼はただ、『マスタープラン』としか言っていません」
「それはそうですが――」
「――スメラミシングはこうも言っています。『《乗客》たち。同じ箱の中で争うな。行き先は同じ』」

 イソギンチャクさんは「早計でした」と頭を抱えた。「私としたことが、タキムラさんの前でスメラミシングの講釈を垂れてしまうなんて愚かなことを」

 人間が頭を抱えるのを見たのは初めてかもしれない。素直な人だな、と思った。

 店員がやってきて、アイスティーを私の前に置いた。ストローをさすと、袋が空調の風でテーブルから飛んでいった。私はテーブルの下に潜ってストローの袋を拾い、角に置いたが、再度袋が飛んだ。

「どうしました?」とイソギンチャクさんが聞いてきた。私は「大丈夫です」と答えた。ストローの袋がどこにいったのか、気になって仕方なかった。

 気を逸(そ)らすため、私は「ちなみに、ナノマシンはどんな味がするんですか?」と聞いた。

 

 

 千葉県の駅を東京都内の駅に喩(たと)えてみる。千葉駅は東京駅か新宿駅だ。利用者の多いターミナル駅だし、房総半島へ向かう電車の乗換駅でもある。船橋駅は近くに公園があるので上野駅。柏(かしわ)駅は茨城県民も多く利用するので、埼玉県民が利用することの多い池袋駅と似ているかもしれない。津田沼駅は御茶ノ水駅に近いだろうか。駅前に多くの予備校があるし、大学もある。

 津田沼は大きな駅だ。総武線快速が停車する。京成本線、京成千葉線、新京成線の乗換駅でもある。津田沼が乗換駅として発展したのには理由がある。戦前、津田沼には陸軍の鉄道第二連隊の施設があった。戦時における線路の敷設、撤去や機関車の運転などを演習していたという。当時の演習線の一部が戦後に払い下げられ、新京成線として利用された。図書館で本を借りて、総武線の歴史について調べたときに知った。大きな駅には、その駅が大きい理由がある。

 電車は津田沼を過ぎ、東船橋に向かっていた。

 東船橋駅は島式ホーム一面二線の小さな駅だ。駅が小さい割に立派なロータリーがあるのは、四十年ほど前に開業したばかりの新しい駅だからだ。

 東船橋駅には長田(ながた)が住んでいた。高校二年生のときのクラスメイトだった。

 高校二年生の春休み前、長田から一泊二日の旅行に誘われた。それほど仲がよかったわけではなかったが、英会話の授業で「鉄道が好きだ」という自己紹介をして以来、ときどき鉄道の話をしたことがあった。

 長田は僕に「青春18きっぷを使って長野へ行き、小海(こうみ)線に乗る」という計画を話した。青春18きっぷは五枚綴(つづ)りなので、一緒に行ってくれる人を見つける必要があったようだった。僕は「行きたい」と言った。小海線は野辺山(のべやま)駅を通る路線として有名だ。野辺山駅はJ Rの駅で最も高い位置にある。ネットで八ヶ岳(やつがたけ)の山麓(さんろく)を通過する小海線の写真を見たこともあった。その場所に自分が行くことを想像してみた。雪の冠をかぶった八ヶ岳連峰を望みながら、高原野菜の畑の間を縫っていく。千曲(ちくま)川沿いの田園地帯を進み、一面の緑の中を走り抜ける。

 僕たちは放課後の教室で、時刻表と路線図を眺めながら計画を練った。初日に中央本線で小淵沢(こぶちざわ)駅へ行き、小海線に乗る。どのポイントで写真を撮るべきか、そのためにはどちら側の座席にいるべきか。そんなことまで考えた。

 野辺山を出たあとは、上田を経由して上田電鉄別所(べっしょ)線で別所温泉へ向かう。別所温泉で一泊してから高崎を経由して、北回りで帰ってくる。それぞれが沿線の乗りたい路線をピックアップして、どの列車に乗れば間に合うか計算した。完璧な計画だった。

 母に旅行のことを切りだしたのは、旅行のちょうど一週間前だった。母の調子がいいタイミングを見計らって、慎重に切りだした。

 計画をすべて伝える前に、「いいじゃない」と母は言った。「あんたももう、一人で旅に出る歳になったのね」

 友だちと一緒に行く、という話はしなかった。僕に友だちができたと知れば、母は不機嫌になる。ここ数年はずっとそうだった。その日の母はとりわけ機嫌がよくて、旅行代として一万円を渡してくれた。

 母の気が変わったのは出発の前日だった。最初、母は「本当に、一人で長野に行くの?」と言ってきた。僕は正直に「友だちと旅行をする」と答えた。「友だち」という言葉が出て、母の態度が急に変わった。

「その友だちとは、いつから仲がいいの? 私、何も聞いてないんだけど」
「最近」
「本当に友だちなの?」
「それは、向こうに聞いてみないとわかんないけど」
「それで、なんのために旅行をするの?」
「景色が見たいからだよ」
「景色? 景色なんかに興味があるの?」
「うん」
「やっぱり、私には信じられない」と母は言った。「旅行はやめなさい。きっと、ろくなことにならない」

 僕は少し迷ってから「旅行には行くよ、ごめん」と口にした。

「本気で言ってるの?」
「本気だよ」

 言葉を失ったのか、母はしばらく啞然(あぜん)としていた。そうやって母に反対されても、僕が意見を変えなかったのは初めてだった。何秒か経ってから、母はキッチンまで無言で歩いていって包丁を取りだした。

「わかった。やっぱり、もうあんたと一緒に死ぬしかない」と母は僕に包丁を突きつけた。

 僕は慌てて逃げだして、家の外に出てから叔母に連絡した。電話を受けた叔母は「もうウチには関わらないでほしいって言ったじゃない」と言った。それでも僕は、「どうしようもないんです」と助けを求めた。

 結局、叔母が警察に電話をしたようで、十五分くらいしてパトカーがやってきた。僕は玄関のドアの外から長田に電話をかけた。

「ごめん、明日の旅に行けなくなった」

 長田に事情を聞かれたが、説明することはできなかった。

 母はそのまま一週間ほど入院した。戻ってきてから、母は僕に謝った。「いろんなことを考えすぎちゃったの」と母は語った。

「もう二度とあんなことはしないし、もう少しあなたを信じてみる。約束する」

 高校二年の春休みが終わるとクラス替えがあり、長田とは違うクラスになった。一度だけ、帰宅中のバスの中で少し話をした。長田は進学組で、受験勉強を始めたと言っていた。僕は就職組だったので、いくつかの鉄道会社を受けてみるつもりだと言った。稲毛駅で、予備校に向かう長田と別れた。それ以来、彼とは一度も話していない。一緒に旅に出ることができていたら、僕たちの関係も変わっていたのだろうか。何度か、そんなことを考えたことがある。

 

 

 SNS上で知り合った人と会うのは、イソギンチャクさんで二度目だった。一度目に会ったのは「闘う医師@コロナはただの風邪」さんだった。彼は三十代の男性で、本物の医師だった――少なくとも私にはそう見えた。目の前で水色の医師資格証を見せてもらった。

 彼は西洋医学と闘っていた。研修医時代、予防接種後に体調を崩し、ほとんど心停止に近かったところで九死に一生を得て、「断薬主義」と「東洋医学の復権」に目覚めた。それ以来、「あらゆる医薬品、ワクチンは体に毒である」という考えを広めていた。彼は反ワクチンデモを主催しようとしていて、大人数を動員するためにスメラミシングの名前を使いたいと考えていた。どうすればスメラミシングのお墨付きをもらえるかを話し合うために、私を含む四人で集まった。

 彼はとにかく真剣だった。なんとしてでも人を集めたいと考えていたし、人を集めることでしか世界を変えることはできないと信じていた。

「このままでは、人類は薬漬けになります」と彼は言った。「その結果、薬の効かない新しいウイルスが発生するのです。人間が本来持っている免疫力で十分なんです」

 私は彼の真剣さを信じてスメラミシングにDMを送ったが、スメラミシングから返答はなかった。

 反ワクチンデモはスメラミシングの力を借りずに開催することになったが、それでも二百人が集まった。

「一年以内に、二万人に増やします」

 デモを終えたあと、闘う医師さんはそう言っていた。

 
「ナノマシンには米国製とドイツ製とロシア製と中国製があって、どれも微妙に味が違います」

 イソギンチャクさんはそう説明した。「どう違うんですか?」と私は聞いた。

「米国製は舌がピリピリする感じです。辛いのとも苦いのとも違います。舌先に微弱な電流が走るんです。ドイツ製は苦味とエグ味が強いです。ロシア製は電流が強く、ミントというか、人工的なスースー感があります」
「中国製は?」
「ナノマシン本来の味に近いです」
「ナノマシン本来の味」
「そういう味がした経験ってありませんか?」
「あるかもしれませんが、どうしてそれがナノマシンだってわかるんですか?」
「私と同じような経験をしている人が調べた結果、そうわかったんです。もちろん、私のように製造国までわかる人はあまり多くありません」
「ソムリエですね」
「たしかに、そういう側面もあるかもしれません」とイソギンチャクさんはうなずいた。

 きっと誰しも、何らかの分野のソムリエなのだ。私はそう考えている。では、私はなんのソムリエだろうか? 私には何の味がわかる?

 私はここ最近、さまざまな考えを持つ人々と交流を持つようになった。イソギンチャクさんのように農薬系の人もいれば、闘う医師さんのように断薬系の人もいる。フリーメイソン系、子宮系、ホメオパシー、新世界秩序系、財閥系、ケムトレイル、電磁波。

 私はたぶん、「世界を変えようとしている人」のソムリエだ。ワインのソムリエが、一口飲んだだけで「何年前、どこの産地で、どの畑で作られた葡ぶ 萄どうか」を当ててしまうように、ツイッターアカウントを見れば、その人が「どんな経験をして、何を信じられなくなって、どのように世界を変えようとしているのか」を、大まかに予測することができた。

 
 私は学生のころからずっと、世界を変えたかった。

 小学二年生のとき、学校で配られたプリントのサイズが違うことが気になって、丁寧に裂いてサイズを統一した。母に「プリントを破ってはいけません」と言われたが、プリントを裂く癖は治らなかった。四年生のある日、ランドセルに入れていた教科書とノートのサイズがバラバラなことが気になって、ハサミですべての大きさを合わせた。母は私を病院に連れていこうとしたが、父が反対した。私は自分の部屋に置いてあったすべてのプリントと本、計算ドリルの大きさも揃えた。Tシャツのサイズも合わせようとしたところで母がやってきて、私からハサミを取りあげた。私の部屋からさまざまなものが撤去された。最後には、部屋の中心に置かれたベッドと、窓際の学習机だけになった。

 自分でも何が気に入らないのかよくわからなかった。ある日突然、それまで気にならなかったものの順序やサイズがバラバラなことが許せなくなって、夢中で揃えていた。プリントや教科書を裁断しなくなったのは、A4やB5といった規格の存在を知ってからだ。もともとのサイズに規格があると知って、私の発作は止(や)んだ。

 何も置かれていない部屋で、私は高校生になった。

「世界を変えたい」と考えはじめたのは、そのころからだと思う。私は世界のすべてのシステムが崩壊し、一から綺麗に作り直すことを夢想しはじめた。本心をいえば、どちらかというと「世界を破壊したい」という願望だったが、口にすると角が立ちそうだったので、言葉を変えることにした。

 何度か、人前で「世界を変えたい」と口にしてみた。あるときは「何それ?」と笑われた。

「本気で言ってるの?」と心配されたこともあった。一番腹が立ったのは、「ああ、そういう時期って誰にでもあるよね」や「若いっていいよね」などと言われたときだった。

 大学を卒業してから、一度だけ「どう変えたいの?」と聞かれたことがある。私なりに精一杯説明したが、うまく伝えることができなかった。「ゲームのラスボスみたいだね」と笑われた。

 家に帰ってから私は文章を書いた。世界の何が間違っているのか。世界がいかに複雑で矛盾していて、規格が揃っていないか。何を変えれば、その間違いを正すことができるのか。誰にでも伝わるように書こうと努力した。

 私は「タキムラ」というツイッターアカウントを作った。私が考える世界の間違いを列挙し、どうすれば変えることができるかを考えた。ネット上には、真剣に世界を変えようとしている人がたくさんいた。私はそういった人を見つけ、フォローして引用リツイートをした。

 そうやって二年ほど地道にフォロワーを増やし、二千人ほどになったころ、相互フォローをしたのがスメラミシングだった。プロフィールには「世界を変える」とだけ書かれていた。当時のスメラミシングのフォロワーは十数人だった。そのとき目に入ったのは次のようなツイートだった。

「なぜ人間には右手と左手があるのか? 右手と左手は違ったものだが、もたらす結果は同じだ。右手と左手に指令を出しているのは誰? どこのドイツ人?」

 率直に言って意味がわからなかったというか、つまらないと思った。人間に右手と左手があるのは進化前の猿に右手と左手があるからで、猿に右手と左手があるのは陸に上がる前の魚に胸びれが二つあるからだ。最後に唐突にダジャレが出てくるところもつまらない。こんな呟きではフォロワーを増やして注目を浴びることもできないし、もちろん世界を変えることもできない。

 そのツイートに、スメラミシングの数少ないフォロワーの一人が「下ネタですか?」とリプライをしていた。たしかにそう読むこともできる。だが、別の解釈もありえる、と私は思った。スメラミシングのツイートがあまりにもつまらなくて腹が立っていた。腹が立つとツイートをしたくなる。私は憂さ晴らしのつもりで以下のようにツイートした。

「右手とはつまり右翼であり、左手とはつまり左翼である。そして右翼は全体主義に行きつき、左翼は共産主義に行きつくが、歴史的にどちらも問題を生みだした。実は、世界には右翼と左翼の争いを指揮している隠れた存在がいる。そしてその存在は右翼と左翼をアウフヘーベンした弁証法的社会思想を手にしている(アウフヘーベンとは「ドイツ」人哲学者ヘーゲルが提唱した概念である)」

 そのツイートがそれなりにリツイートされ、私のフォロワーが増えた。どういうわけか、私はスメラミシングと相性がよかった。スメラミシングが支離滅裂なツイートをする。私はそれを自分の力でなんとか整える。彼のツイートを整えている間、頭の中はそのことでいっぱいで、他のすべての違和感を気にせずにすんだ。そんなことを繰り返すうちに、私とスメラミシングのフォロワーは徐々に増えていった。しばらくすると、私の真似をしてスメラミシングの解説をする人も出てきた。そういった人は「バラモン」と呼ばれた。私はバラモンの第一人者であり、スメラミシング学の専門家だった。いつの間にか、そういう立場になっていた。

 彼(スメラミシングの性別はわかっていないが、便宜的に「彼」と呼ぶ)は毎日のように、曖昧で支離滅裂で抽象的なツイートをした。狙っているのかわからないが、彼のツイートにはかなり広い解釈の余地があり、何人かのバラモンが自分の主観的な考察を述べた。頻繁に出てくるキーワードは「マスタープラン」、「《彼ら》」、「覚醒者」、「梁山泊(りょうざんぱく)」、「真理」などだった。

 スメラミシングが急激に有名になったのは去年の夏だ。

「0721。マスタープランによって仕込まれた運動。しかし、そこにあるのは虚無」

 当初、このツイートは一人のバラモンによって「『0721』とはオナニーのこと。『マスタープラン』とはマスターベーションのことで、『仕込まれた運動』とはシコるということ。つまり、オナニーを終えたあとの虚無について述べている」と解説されていたが、一年後に東京オリンピックが開幕するころに再発掘された。

 新たな解説によると、「0721」とはオリンピックの開幕日で(正確に言うと開幕日は七月二十三日だったが、二十一日には開幕に先駆けてサッカー女子とソフトボールの試合が行われた、ということでゴリ押しされた)、「マスタープランによって仕込まれた運動」とは(ディープステイトの一員である)バッハ会長が主導した東京オリンピックのことで、「そこにあるのは虚無」とは無観客開催のことだとされた。つまり、スメラミシングは開幕の日付を予言していた。東京オリンピックが延期されることや、無観客開催であることも正確に知っていた。普段から彼の無意味なツイートに触れてきた身からすると、到底予言には見えなかったが、ともかく彼のフォロワーは爆発的に増えた。

 そして、そのあたりから雰囲気が変わった。スメラミシングは「ネタ」の対象ではなく、「崇拝」の対象へと変わっていた。スメラミシングは、自分の言葉を信じる人を《乗客》と呼びはじめた。

 

 

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続きは単行本
スメラミシング』でお楽しみください
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著者

著者写真

小川哲

1986年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。
2015年、「ユートロニカのこちら側」でハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。2017年刊行の『ゲームの王国』で山本周五郎賞、日本SF大賞を受賞。2022年刊行の『地図と拳』で山田風太郎賞、直木三十五賞を受賞。同年刊行の『君のクイズ』が日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門受賞。近刊に『君が手にするはずだった黄金について』がある。
ラジオ・パーソナリティーとしても活躍。

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