ためし読み - ノンフィクション
NHK朝ドラ『虎に翼』で法に関心を持った人にも:『法とは何か』試し読み
長谷部恭男
2024.08.02
なぜ法に従うのか。自分の問題として法をとらえ、より善く生きる道を問うにはどうすればいいのか。法はどうあるべきなのかーー。NHK朝ドラ『虎に翼』であったり、身近な出来事であったりをきっかけに、法の在り方に関心を持ちはじめた方にお勧めしたい、入門書のロングセラーの新装版が刊行されました。
「過去の思想は意識されることもなく、現に生きている人々の思考を捉え、束縛しているものです。」
これを機に加筆された「あとがき」を公開いたします。
===↓あとがきはこちらから↓===
「法とは何か」
長谷部恭男
本書は法とはどのような役割を果たすものか、そのために法はどのような特質を備えているべきか、また法はどのような内容を持つべきか、そしてどのような手続で制定されるべきか等の論点について、法と道徳との関係に焦点を当てながら説明したものです。
ところで、道徳と似たことばとして倫理があります。英語で言うと道徳はmorality、倫理はethics です。両者は同じ意味で使われることもありますが、少なくとも近代以降はしばしば異なる意味合いで使われます。
宗教改革を発端とする宗教戦争を経た近代ヨーロッパでは、人の内心のあり方を問題とする倫理よりは、社会生活における人の行動のあり方を問題とする道徳について、共通了解を構築すべきだという考え方が広まりました。中世においては単一であった信仰が相互に両立不可能な多数の信仰へと分裂し、血みどろの抗争を繰り広げた後では、アリストテレスのように人の内心のあり方や人としての善き生き方を問題とすることは深刻なリスクを伴います。
お互い命は大切にする、だから生きる糧である財産もお互い大切にする、世界観や人生観の対立を理由にむやみに人を傷つけたりしないといった、社会生活上の最小限の道徳をすべての人が守ることで、多様な世界観・人生観を抱く人々が公平に共存する社会を作る、それが近代以降の世界を生きる人々にとっての主要な課題でした。人はそれぞれ異なる格率にもとづいて行動するものだから、各人が自由に判断して行動できる範囲を公平に割り振って、人々が平和に共存できる社会秩序を設定すべきだと唱えたカントの法哲学は、こうした考え方を典型的に示しています。
ただ、こうした考え方に対しては、それでは人間の生きるべき途を十分には描き切れていないという批判があり得ます。ヘーゲルの立場がその典型で、彼は人が何を内心の導きとし、いかなる人生を理想とすべきか、人としていかなる徳を備えるべきかといった倫理の問題と道徳とは、切り離すことはできないと考えました。ある社会で生きる人々は、そうした倫理についても共通了解があってしかるべきだというわけです。ヘーゲルが共同体主義の祖と言われることには、十分な理由があります。
法の役割をどのように捉えるべきかは、カントとヘーゲルのいずれの立場を是とするかに大きく依存するところがあります。カントは異なる倫理を奉ずる人々が公平に共存し得る社会を構築することを目指します。国際関係においても同様で、民兵で武装する多数の共和国の独立と平等を認め、そうした国々の力のバランスを通じて世界の平和が維持されるべきだと考えました。
他方ヘーゲルによると、世界の歴史は理性の歩みであって、戦争や革命を通じて膨大な犠牲を伴いつつ旧来の秩序は破壊され、新しいより理性的な秩序が構築されていきます。ヘーゲルは彼自身の生きた時代、つまりフランス革命後の、すべての人民の自由が平等に保障された政治体制こそが最終的な、つまり理性的な政治体制だと考えたようですが、ヘーゲルの思想を受け継いだ人々はそうは考えないで、自分たちの民族あるいは階級が歴史的使命を果たすことで、ときには膨大な犠牲を伴いつつも、理想の政治体制がついには構築されるのだという物語を紡いできました。マルクス主義(ヘーゲル左派)やファシズム(ヘーゲル右派)がその典型ですが、現在のロシアもそうした思想の系譜に属しているように思われます。
本書はこの対立に即して言うと、基本的にカントの系譜に属するものです。これは、現代日本の公法学が基本的にカントの思想を引き継いでいることによるものです。この点については、拙著『法律学の始発駅』(有斐閣、二〇二一年)第五章「いろいろな法分野」をご参照下さい。カントとヘーゲルの対立については、たとえば拙著『歴史と理性と憲法と』(勁草書房、二〇二三年)第一章「道徳対倫理――カントを読むヘーゲル」をご参照下さい。
現代の日本の法律家の大部分はーーおそらく世界の法律家の大部分もーーカントやヘーゲルなど読んだこともないし、そんなことを意識したこともないのではないでしょうか。それでも、過去の思想は意識されることもなく、現に生きている人々の思考を捉え、束縛しているものです。カントやヘーゲルに捉えられているのはましな方で、訳の分からない三流思想家に操られていることも少なくありません。それと意識することもなく過去の思想に操られるよりは、自分がどのような立場を取っているか、それを明確に意識した上で、とるべき行動を判断する方が望ましいはずです。
本書の初版が発行されたのは二〇一一年のことでした。思いがけず多くの読者に受け入れていただいて、新版を刊行することができたのは望外の喜びです。この新版も多くの方々にお読みいただけることを願っております。