文庫 - 日本文学

不謹慎上等、原発事故直後に発表され大議論を巻き起こした問題作。『恋する原発』

恋する原発

高橋源一郎

ファック震災! 被災者を救うベくチャリティAVを企画した男たちの奮闘記。正しさとは?愛とは?死を悼むとは? 不謹慎上等、原発事故直後に発表され大議論を巻き起こした問題作。「震災文学論」収録。

文庫化記念に巻末の解説を特別公開いたします。

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【解説】川上弘美

 

速い

 

この文庫本の底本となる長篇小説、すなわち二〇一一年十一月に発売された『恋する原発』の単行本の帯には、「大震災チャリティーAVを作ろうと奮闘する男たちの愛と冒険と魂の物語!」とあります。表紙の色は、ひまわりの黄色。大きなフォントで題名と作者名が左右に印刷され、まん中には放射能のハザードシンボルがひっそりと置かれています。初出は、二〇一一年発売の雑誌「群像」十一月号。東日本大震災と、福島第一原子力発電所の事故を受けて書かれた小説であるだろう、ということは、当時はあきらかでした。
この文庫本が出る二〇一七年、震災と原発事故が起こってから六年が過ぎています。「原発」という言葉が題にあるので、「おそらく福島第一原発の事故とつながっている小説なのだろうな」と、はじめてこの本を手に取ろうとする読者は思われることでしょうが、単行本が出た当時のようには、打てば響くようにこの小説を東日本大震災とつなげることは、もしかすると、なくなっているかもしれません。実は、わたし自身も、およそ六年ぶりに本書を読んでみて、最初に読んだ時とは少しちがう印象を得ました。そのことを、書いてみたいと思います。
 
小説の語り手「おれ」は、小さなAV制作会社で、宇宙人の「ジョージ」をアシスタントディレクターに使いながら、東日本大震災チャリティーAVをつくろうとしています。いったいどんなものをつくればいいのかと、「おれ」は、今までつくってきたAVを振りかえったりもします。この会社の制作するAVは、かなりニッチなAVです。わたしはAVを観たことがないので、『恋するために生まれてきたの・大正生まれだけどいいですか?』等々のAVが、もしかするとかなりメジャーな分野のものなのか、それとも違うのか、ということを判断できないのですが、まあたぶん、ニッチですよね。そのあたりの、高橋さんの軽やかさと飄逸さのセンスの面目躍如ぶりに、嬉しくなります。これは、六年前に読んだ時も今も、変わりありませんでした。
変わったのは、この小説が、東日本大震災だけをひたすらまっすぐに見つめて書かれたものにちがいない、という印象です。
もしかして、『恋する原発』という題の中の「原発」という言葉にひっぱられすぎていて、この小説の中にある、普遍的なものを、見逃していたんじゃないだろうか? こんかいわたしは、そう感じたのです。
そう思ってさらにもう一度読みなおしてみれば、たくさんのことに気がつかされます。たとえば、「おれ」の会社の制作するAVの、奇天烈なほどのニッチさは、ただのレトリックではなく、ニッチにならざるを得ない現在の社会のしくみを遠く想像させる部分なのではないか? あるいは、AVの企画会議で、唐突に「関係ないけど、今の天皇は最高だよね」と言いだす会長について、最初読んだ時には「ぶっとんだ、話せる、小説中の思想を語らせるにはとてもいい位置にあるじいさんだなあ」と感心するだけで過ぎてしまったけれど、実は「会長」とは、第二次世界大戦で理不尽に身内を亡くした日本人たちの象徴であり、良心そのものであるのではないか。それから、ケンタッキー・フライド・チキンをこの世から一瞬で抹消することのできる、宇宙人のアシスタントディレクター「ジョージ」。こちらも、「会長」と同様超現実的で、大好きな登場人物なのですけれど、大胆で一見乱暴にさえみえる彼の動きは、実は震災以前にも以後にも高橋さんの小説にしばしばあらわれる世界へのまなざしそのものであり、よくよく読んでみれば、その動きにしたって、乱暴などではまったくなく、たいそう繊細なものだったのです。またあるいは、小説の中に突然さしはさまれる「震災文学論」の章。本章によって小説にメタな視点がもたらされるわけですが、「震災文学論」と銘うってあるにもかかわらず、この章に展開されているのは、震災文学論だけにはとどまらない、「死」という現象全般について考えるための礎となる論なのです。そして、きわめつけは、震災直後の「言葉の発しづらさ」に対するあきらかな挑発および批判だと思われる放送禁止用語の羅列。これだけは、まさに震災後の空気を受けて高橋さんが腕をならして提示したものだよな、と思っていたのに、今になってみれば、結果としてこれらの言葉の羅列、このところますます強固になっている自己規制的な言葉の使いづらさへの予知的批判になっているではないですか。
すぐれたものは、同時代をうつすだけでなく、未来をもうつしだす、という言葉を聞いたことがあります。まさに『恋する原発』は、その言葉どおりの小説といえましょう。高橋さんは、わざと、軽くみえる言葉や、乱暴な表現を使ってこの小説を書きましたが、時間はそれらの言葉を反対に重く、また痛切に、みがきなおしてしまったような気がします。もしかすると、それは高橋さん自身にとっては、少しつまらないことかもしれません。これだけがんばってパンクなことをしたのに、パンクな部分の芯から、本質のようなものが、出てきてしまった。それも、たった六年で。「修行が足りねえなあ」と、高橋さんが頭をかいている姿が、ちょっと浮かんでしまいました。小説家って(もちろんわたしもです)、小説の本質よりも、小説の表面や細部や言葉尻などの、読者にとっては「どうでもいいんじゃないの?」というところに、ばかみたいにこだわるところがありますからね。
 
もう一つ、この小説に関して聞いたことを、覚えています。実は、『恋する原発』の元になる小説を、高橋さんは二〇〇一年九月十一日の、アメリカ同時多発テロの後に書き始めたけれど、完成することができなかった、ということです。
なぜ、高橋さんは、二〇一一年になったら、『恋する原発』を書けたんだろう。アメリカのことではなく、日本のことだから、書けたんだろうか。でも、そんな単純なことではないのでは? ずっと、気になっていました。その答を、わたしは二〇一六年十一月に出版された、高橋さんによる新書『丘の上のバカ』の中で、得たように思います。新書の中で高橋さんは、鶴見俊輔さんがご子息に対して言った言葉を引用しています。
 
小学校六年生くらいのときだったろう。彼は動揺して私のところに来て、
「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」
とたずねた。私の答は、
「してもいい。二つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦したくなったら、その前に首をくくって死んだらいい。」
鶴見俊輔著『教育再定義への試み』より
 
この鶴見さんの答について、高橋さんは新書の中でこう書きます。
 
これを最初に読んだのはいつのことだったろうか。そのときのショックは忘れることができない。「とたずねた」から「私の答は」までの間に、おそらく、数秒の間もなかったのではないだろうか。そんな気がするのである。鶴見さんは、もっとも答えにくい問いに、考えうる限り、もっとも「速く」答えた。あるいは「応えた」。なぜ、そんなことが可能になったのだろうか。(中略)鶴見さんの思考は、こういう回路を巡っている。難しい問題が与えられる→答える。これでお終い。どうして、鶴見さんの思考の回路は、こんなに短いのか。それは、鶴見さんが「どこかにある正しい回答」を探さないからだ。でも、回答はあるのだ。どこに? 鶴見さんの「中」にである。いや、もっと正確にいうなら、「鶴見俊輔」そのものに、だ。(中略)外からやって来るどんな問いも、必ず、鶴見さんの「身心」を通過する。だから、速い。ほんとうに速い。(中略)自分という存在が「なにもの」で、それはどんな風にできていて、世界で起こる出来事に対してどんな風に反応するのか。鶴見さんは、いつも注意深く観察していた。別の言い方をするなら、自分に対して「他者」になることができた。自分というものに溺れることがなかった。
 
あっ、これなんだ、と思いました。高橋さんは、いつの間にか、「世界で起こる出来事に対してどんな風に自分が反応するのか」を、「速く」書けるようになっていたのではないか。そうやって、二〇一一年、震災が起こって後のわずかな間に『恋する原発』という長篇小説を書き上げた。震災を受けて書かれた小説だと思っていた『恋する原発』が、もっと広い普遍性をもっているのは、当然のことだったのです。なぜなら、震災という出来事が、高橋さんの身体を通過し、その結果が長篇小説となってあらわれた時、そこには、高橋さんの中にある、すべてのことがあらわれていたからです。いちばん「速く」、高橋さんは、この小説を書きました。そして、「速い」ものは、いつだって、わたしたちの心をとらえ、決して離さないのです。

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著者

高橋源一郎

1951年、広島県生まれ。81年『さようなら、ギャングたち』で群像新人賞優秀作を受賞しデビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎賞を受賞。

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