新フランス大統領、マクロン誕生! 次回2022年大統領選の衝撃を描くベストセラー『服従』より佐藤優の解説を特別公開!

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新フランス大統領、マクロン誕生! 次回2022年大統領選の衝撃を描くベストセラー『服従』より佐藤優の解説を特別公開!

服 従
ミシェル・ウエルベック 大塚桃  佐藤優解説

世界を揺るがす衝撃のベストセラー、緊急文庫化!
2022年6月、極右・国民戦線マリーヌ・ル・ペンと穏健イスラーム政党党首がフランス大統領選の決選に挑む。しかし各地の投票所でテロが発生。国全体に報道管制が敷かれ、パリ第三大学教員で19世紀の文学者を研究するぼくは、若く美しい恋人と別れてパリを後にする。テロと移民にあえぐ国家を舞台に、個人と自由の果てを描き、世界の激動を予言する問題作。

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極右の台頭は事を少しばかり興味深くはした。討論の中に、忘れられていたファシズムの恐怖が滑り込んできたからだ。しかし、はっきりと変化が訪れたのは2017年の大統領選の決選投票だった。(…中略)投票に続く何週間かの間、奇妙に抑圧的な雰囲気が国内に広がった。それはまるで、叛乱のほのかな希望が現れては消える、息詰まるラディカルな絶望にも似ていた。(本文より)
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本書収録の佐藤優さんによる解説を特別公開いたします。

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解説

佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

 

今年(二〇一五年)七月中旬、イスラエルの友人が訪日した。この友人は、私が外務省国際情報局で主任分析官をつとめていたときのカウンターパートで、イスラエル・インテリジェンス機関の元幹部だ。最初、ヘブライ大学で歴史学を専攻したが、途中でテルアヴィヴ大学に移り国際関係論を学んだ。軍事インテリジェンス機関でソ連情報を担当した後、対外インテリジェンス機関に移り、分析部門、工作部門、管理部門で活躍した。インテリジェンスの生き字引のような人だ。
鈴木宗男事件に連座した私が東京地方検察庁特別捜査部に逮捕、起訴された後もイスラエルの友人たちは、政府機関に勤務する人々を含め、私との関係を断たなかった。この事件に巻き込まれたことにより、私との関係がより深くなった人もいる。
この友人は読書家で一級の知識人だ。中東情勢やインテリジェンスだけでなく、哲学や文学に関する話もよくする。今回は、ウエルベックの『服従』が話題になった。

佐藤「ミシェル・ウエルベックの『服従』を読んだか」
友人「最新作だね」
佐藤「そうだ。ヘブライ語に訳されているか」
友人「訳されている。イスラエルでも大きな話題になっている。二〇二二年のフランス大統領選挙の決戦投票で、イスラーム政権が成立するという話だよね」
佐藤「そうだ。第一回投票で、移民排斥を訴える国民戦線代表のマリーヌ・ル・ペンとイスラーム同胞党のモアメド・ベン・アッベスが一位と二位になる。ファシストかイスラーム主義者かという究極の選択をフランスの有権者は迫られる。左派の社会党と保守・中道派のUMP(Union pour un Mouvement Populaire、国民運動連合)は、ファシストよりはイスラーム主義者の方がましと考える。それで決選投票ではベン・アッベスを支持するようにと訴える」
友人「話としては面白いね。しかし、現実にそのような状況が生じたら、UMPは国民戦線を支持すると思う。社会党は立場を表明することができないので、自由投票になるだろう」
佐藤「その場合、社会党支持者はイスラーム同胞党を選択するだろうか」
友人「そうは思えない。フランス人の反イスラーム感情は根強い。社会主義者だって例外じゃない。もっともファシストを選ぶ気にはならないだろうから、棄権するんじゃないだろうか。そして、いずれの政権ができるにせよ、それを打倒することを考える」

フランスにはレジスタンスの伝統がある。それだから、イスラーム政権かファシスト政権ができるならば、友人が言うようにレジスタンス運動が起きるかもしれない。政権側は武力による弾圧を行うだろう。その場合、レジスタンス側も武器をとる。内戦になる。

佐藤「『服従』がヨーロッパでこれだけ大きな衝撃を与えているのはなぜだろうか」
友人は少し考えてから、こう答えた。
友人「二つの要因がある。第一は、『イスラーム国』に対する恐怖心だ」
佐藤「今年一月七日のシャルリー・エブド事件が契機なのだろうか」
友人「シャルリー・エブド事件が引き金を引いたことは間違いない。ただし、それは契機であっても原因ではない。原因はもっと構造的で、ヨーロッパ人のイスラーム世界に対する無理解だ」
佐藤「しかし、伝統的にヨーロッパがイスラーム教や中東地域研究の機関車役を果たしてきたのではないか」
友人「それは、あくまでもインテリの世界に限られる。『服従』でウエルベックが見事に描いているように、インテリは弱い存在だ。国家権力に自発的に迎合する人がほとんどだ。ヨーロッパのイスラームや中東の専門家の知識に政治家は敬意を払っていない。ましてや、大衆には、アカデミズムの成果を尊重しなくてはならないという発想すらない。EU(欧州連合)諸国もアメリカも『イスラーム国』の実態をわかっていない」

そう言って友人は、「イスラーム国」の現状について説明した。友人の話をまとめるとこうなる。スンニ派に属する「イスラーム国」にとって重要なのは、シーア派との党派闘争だ。当面、「イスラーム国」がイラクとシリアで実効支配する地域からシーア派を放逐することが戦略的課題になる。さらに「イスラーム国」は、スンニ派内での覇権獲得に腐心している。パレスチナ自治政府のガザ地区で、同じスンニ派に属する過激派ハマスと「イスラーム国」が内ゲバを展開している。ハマスの主敵はイスラエルだ。これに対して、「イスラーム国」はイスラエルとの対峙を避けている。「イスラーム国」は、ガザ地区で覇権を確立し、エジプトを攻撃する根拠地にしようとしている。レバント地域(レバノン、シリアなど)に続いて、エジプトに「第二イスラーム国」を建設しようとしている。「イスラーム国」は、いま直ちにEUやアメリカを攻撃することは考えていない。ヨーロッパ人は「イスラーム国」の脅威を過大評価している。ヨーロッパ人の心象風景が『服従』に反映されているので、この小説は強い衝撃を与えている。
確かに友人の見方には説得力がある。さらに踏み込んだ話を聞きたくなった。

佐藤「『服従』がヨーロッパ人に強い衝撃を与えている第二の要因は何なのか」
友人「ヨーロッパが崩れかけているからだ」
佐藤「崩れかけている」
友人「ギリシャ危機に象徴されるが、EUの通貨統合も危機的状態になっている。一〇年前ならば、EUに共通通貨ユーロが導入されたのだから、次は政治的統合と考えられていた。しかし、現在、EUが経済的、政治的に統合できると考えているヨーロッパ人はいない。EUは再び分解過程を歩み始めている。EUが分解し、ドイツとフランスが対立するようになると再び戦争が発生するのではないかという不安がヨーロッパ人の深層心理に潜んでいる」
佐藤「二一世紀の独仏戦争?」
友人「そうだ。EUが分解するとその危険が生じる。それよりも、イスラーム教のもとでヨーロッパの統一と平和が維持される方がいいのではないかという作業仮説をウエルベックは『服従』で提示しているのではないかと思う。ヨーロッパ人は、自らが内的生命力を失ってしまっているのではないかと恐れている。この恐れが『服従』からひしひしと伝わってくる」

友人が言う「ヨーロッパ人は、自らが内的生命力を失ってしまっているのではないかと恐れている」という趣旨の話をどこかで読んだことがあった。自宅に戻って本棚を眺めているうちに記憶が鮮明になった。ユダヤ系のオーストリア人作家シュテファン・ツヴァイク(一八八一~一九四二年)の遺書だ。ナチス・ドイツの台頭によってツヴァイクは亡命を余儀なくされる。最終的にブラジルの東南部、リオデジャネイロ州の高原にあるペトロポリス市に居を構えた。しかし、六〇歳の誕生日を迎えた約三カ月後に妻とともに服毒自殺をした。そのときツヴァイクは以下の遺書を残した。

 

自由な意志と明晰なこころでこの人生からお別れするまえに、私はぜひとも最後の義務を果しておきたいとおもう。私と私の仕事に対して、このように居心地のよい休息の場所を与えてくださった、このすばらしい国、ブラジルに、心から御礼を申しあげたいとおもう。日一日といやますおもいで、私はこの国を愛するようになった。私自身のことばを話す世界が、私にとっては消滅したも同然となり、私の精神的な故郷であるヨーロッパが、みずからを否定し去ったあとで、私の人生を根本から新しく建てなおすのに、この国ほどに好ましい所はなかったとおもうのである。
けれども、六十歳になってから、もう一度すっかり新しくやりはじめるのは、特別な力が必要であろう。ところが私の力はといえば、故郷もない放浪の幾年月のあいだに、尽きはててしまっている。それで私は、手おくれにならないうちに、確固とした姿勢でこのひとつの生命に終止符を打ったほうがいいと考えるのである。この私の生命にとっては、つねに精神的な仕事が、もっとも純粋な喜びであり、個人の自由が、地上最高の財産であった。
友人のみんなに挨拶を送ります! 友人たちが、長い夜の後になお曙光を目にすることができますように! 私は、この性急すぎる男は、お先にまいります。

シュテファン・ツヴァイク
ペトロポリス、一九四二年二月二十二日
(『ツヴァイク全集20 昨日の世界Ⅱ』原田義人訳、
みすず書房、一九七三年、六四六ページ)

 

「六十歳になってから、もう一度すっかり新しくやりはじめるのは、特別な力が必要であろう。ところが私の力はといえば、故郷もない放浪の幾年月のあいだに、尽きはててしまっている」というツヴァイクの認識にヨーロッパ人の疲れが表れている。
『服従』で、サウジアラビアの潤沢なオイルマネーに支えられたイスラーム政権にフランス人が順応していくのも、「もう一度すっかり新しくやりはじめる」のに必要な「特別な力」が欠如しているという諦念があるからだ。
『服従』の主人公フランソワは、パリ第四大学を優秀な成績で卒業し、博士号を取得し、現在はパリ第三大学で文学を教えている大学教授だ。一九世紀末のフランスで活躍したデカダン作家ジョリス=カルル・ユイスマンス(一八四八~一九〇七年)の研究者である。完全なノンポリではないが、政治とは距離を置いたインテリだ。大統領選挙のときは銃撃戦も行われた。面倒な事柄には巻き込まれないようにするというのがフランソワの態度だった。イスラーム政権の成立によって、大学はムスリム(イスラーム教徒)しか教鞭をとれなくなり、フランソワも解雇された。ただし、十分な年金が支給されるので(サウジアラビアをはじめとする中東産油国が資金提供をしているのでフランスのイスラーム政権は経済力がある)、生活には支障がない。最終的にフランソワは、ムスリムに改宗し、大学教授に復帰する道を選ぶ。その過程で重要なのは、先にムスリムに改宗したルディジェ教授のこんな説明だ。ルディジェ教授は、官能小説の『O嬢の物語』を題材にして、「服従」の必要を説く。

 

……『O嬢の物語』はぼくの気に入らない要素をすべて兼ね備えていた。そこで展開されるファンタズムはぼくをうんざりさせたし、全体的にはこれ見よがしのキッチュに満ちていた。サン=ルイ島のアパルトマンとか、サン=ジェルマン大通りの個人邸宅とか、ステファン卿とか、とにかく、うんざりするような本であったのだ。それでも、この本はある情熱、何もかもを奪いさる息吹に満ちていることには間違いなかった。
ルディジェは優しく言った。
「『O嬢の物語』にあるのは、服従です。人間の絶対的な幸福が服従にあるということは、それ以前にこれだけの力をもって表明されたことがなかった。それがすべてを反転させる思想なのです。わたしはこの考えをわたしと同じ宗教を信じる人たちに言ったことはありませんでした。冒瀆的だと捉えられるだろうと思ったからですが、とにかくわたしにとっては、『O嬢の物語』に描かれているように、女性が男性に完全に服従することと、イスラームが目的としているように、人間が神に服従することの間には関係があるのです。お分かりですか。イスラームは世界を受け入れた。そして、世界をその全体において、ニーチェが語るように『あるがままに』受け入れるのです。仏教の見解では、世界は『苦』、すなわち不適当であり苦悩の世界です。キリスト教自身もこの点に関しては慎重です。悪魔は自分自身を『この世界の王子』だと表明しなかったでしょうか。イスラームにとっては、反対に神による創世は完全であり、それは完全な傑作なのです。コーランは、神を称える神秘主義的で偉大な詩そのものなのです。創造主への称賛と、その法への服従です。通常は、イスラームに近づきたいと思っている人にコーランを読むことは勧めません。もちろん、アラビア語を学ぶ努力をし、原語で堪能したいと考えているのならば別ですが。それよりも、コーランの章句の朗読を耳で聴き、それを繰り返し、その息づかいを感じることを勧めます。イスラームは儀式的な目的での翻訳を禁止したただひとつの宗教です。というのも、コーランはそのすべてがリズム、韻、リフレイン、半階音で成り立っているからです。コーランは、詩の基本になる思想、音と意味の統合が世界について語るという思想の上に存在しているのです」
それから彼はまた、申し訳ないという仕草をした。自分の宗教勧誘を気まずく思っている振りをしたいのだろうと思ったが、同時に、自分の議論が効果をもたらすことについては十分意識しているだろう。彼が手元に戻したいと思っている他の多くの研究者にも、とっくにこの手の説得を試みたに違いないのだ。(本書二七二~二七四ページ)

 

この情景にも既視感がある。ソ連崩壊後、忠実な共産党員だったモスクワ国立大学や科学アカデミーの教授や研究者の大多数が、一瞬にして反共主義者になった。この人たちは、目の前にある「世界」をその全体において、「あるがままに」受け入れたのである。
『服従』を読むと、人間の自己同一性を保つにあたって、知識や教養がいかに脆いものであるかということがわかる。それに対して、イスラームが想定する超越神は強いのである。

(二〇一五年七月二十一日脱稿)

 

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★4/23のフランス大統領選、第1回投票の結果を受けたパリ在住の詩人・翻訳家の関口涼子さんのコメントもこちらで公開中です。

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