文庫 - 随筆・エッセイ

子どもにとってよい本とは?──石井桃子『新しいおとな』解説公開中

『新しいおとな』

石井桃子

文庫解説公開中

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「新しいおとな」は出現したか?
松岡享子[著]

石井桃子は、生前子どもの読書についての本を二冊著わしている。一冊は、一九六〇年に国土社から出た『子どもの読書の導き方』であり、もう一冊は、一九六五年に岩波新書として出版された『子どもの図書館』である。後者は、二〇一五年に『新編子どもの図書館』として、岩波現代文庫の一冊に加えられ、今でも読むことができるが、前者は、すでに入手不可能になっている。こうした中、石井が折々に新聞・雑誌等に発表した子どもの読書に関するエッセイを集めた本書は、先の二著につぐ貴重な〝子ども読書論集〟となっており、読みやすい文庫本の形での刊行を歓迎したい。
本書に収められたエッセイは、そのほとんどが一九五〇年代後半から、六〇年代の終わりにかけて書かれている。この十数年は、石井が子どもの読書と図書館に強い関心をもち、そのための活動に多くの時間と力を注いだ時期であった。自宅でかつら文庫という子どものための小さな図書室を開いたのが一九五八年。その一年前には、同じような家庭文庫を開いていた村岡花子、土屋滋子らと「家庭文庫研究会」という会を結成して活動をはじめている。(その会の活動の様子は、本書の「家庭文庫研究会会報」で読むことができる。)そして、一九六五年には、かつら文庫の最初の七年間の記録をもとにした『子どもの図書館』が刊行され、大きな反響を呼ぶ。
もともとは、翻訳家、作家、編集者として、本をつくる側に身を置いていた石井が、子どもと本を結ぶ仕事、具体的には子どもに対する図書館活動に関心を寄せるようになったのは、一九五四年八月から一年間、ロックフェラー財団の研究員として、アメリカへ留学した経験によるところが大きい。このとき、石井は、アメリカ、カナダ、イギリスなど各地で、数多くの子どもの本の関係者に会い、児童書出版の現状を視察し、大学院で児童文学の講義を受けるなどしたが、特に、石井の注意をひいたのは、訪問する先々で見た先進的な公立図書館の児童サービスであった。
そこでは、専門の教育を受けた児童図書館員が、子どもたちに直接本を手渡すのはもちろん、本に対する子どもの反応を観察して、知識を蓄え、それを児童書の出版社へフィードバックする。また、子どもたちが喜んでくり返し読む本を、毎年買いつづけることで、安定したマーケットとして機能し、質のよい出版活動を支える。その実際を目の当たりにして、石井は、質のよい出版を支えるには、児童図書館(公立図書館の児童室)の存在が欠かせないことを深く認識する。
石井が帰国した当時の日本の公立図書館は、数も少なく、子どもに対するサービスもほとんど行われていない状況であった。そこで、小仕掛けではあっても、「子どもと本を一つところにおいて、そこにおこるじっさいの結果を見てみたい」と、自宅を近所の子どもたちに開放し、自身の蔵書数百冊をもとに小規模な図書室、家庭文庫の開設に踏み切る。本書に収められているエッセイの多くは、石井が開いたこの「かつら文庫」での子どもの様子をもとに書かれている。
石井は、かねてから「児童文学といわれるものを書こうとしたり、訳したり、子どもの本の編集をしたりしながら、直接、それを読むじっさいの子どもとの交渉が少ないため」「子どもがどんな本をじっさいに喜ぶか、どんなことがどんなふうに書いてあれば、子どもにおもしろいかということがわからない」不安を感じていた。かつら文庫で、何より石井がしたかったのは、子どもから学ぶということであった。(ほんとうに石井は、生涯を通じて学ぶことの大好きな人であった。)そして、石井は、文庫の子どもたちから学んだことを、本書に収められたエッセイによって、惜しみなくわたしたちに分けてくれている。
よい子どもの本をつくりだすためには、子どもの心を知らなければならない。石井は、本書のなかで、尊敬するカナダの児童図書館員の先達リリアン・スミスの、「私たちおとなが、子どもの心をうかがい知る道は、私たち自身の記憶と想像力と観察にある」ということばをくり返し引いて、「つくづくその真実さにうたれないわけにはいかない」と、述べている。
石井の『幼ものがたり』を読めば、石井がどんなに鮮明に、繊細に自分の幼時の記憶を保っているかがわかるし、創作や翻訳作品を読めば、やわらかくのびやかな想像力を感じないではいられない。そして、観察ということになれば、本書のエッセイの随所に、子どもを見る石井の観察の目の細やかさ、的確さ、あたたかさを見ることができる。石井の耳もまた、子どもの洩らすほんとちょっとしたことばをキャッチして、そこから子どもの〝秘密の世界〟へ分け入っていく。
これらのエッセイは、別々の新聞や雑誌に、別々なときに書かれたものであり、基本的には一般の人向けにやさしく書かれた短い文章で、一見ばらばらのように見えるかもしれない。しかし、実は、本書は、子どもにとっての読書の意味、子どもを本の世界に導き入れる手立て、すぐれた児童文学の備えていなければならない条件、児童図書館の必要性と、その望ましいありよう、さらには、お話を語ること(ストーリーテリング)の要諦にいたるまで、子どもの読書について網羅的に論じたすぐれた参考書といえるものだ。多くの資料からこれだけのものを丹念に探し出し、石井の主張がしっかりと伝わる形に構成した編集者の労を多としたい。
書かれたのは半世紀も前のことになるが、内容は少しも古くなっていない。古いどころか、図書館員という、一つの国の文化にとって大きな意義をもちうる仕事が尊重されず、児童図書館員の身分が確立されていない状況は、五十年経った今でも変わっておらず、石井の訴えがさらに痛切にひびく。生活のなかで自然に受け継がれていた伝統が、農村でさえ途絶えていて、自分のまわりの自然に目も向けず、親や家族から昔話を聞くこともなく育つ子どもたちが、「いままで日本人の中に伝わってきた知恵から根こぎにされて、その時どきに感覚的な勘にたよって生きていくように」なったら、とんでもないことになりはしないかという石井の恐れもまた、ますます差し迫ったものになっている。
それでも、石井の書くものには、希望が残されている。一九六六年、石井は、新聞の連載に「子どもといっしょに笑い、子どもといっしょに胸をうずうずさせることのできるおとなが、身辺にだんだんふえてきているような気がする」と書き、そんな「新しいおとな」から、「日本にも、[ほんとうに子どもの心にひびく 筆者注]子どもの話がふきこぼれるように出てきそうな気がしてしかたがない」と、述べた。
はて、そんなおとなは、ほんとうにふえているのであろうか?

(翻訳家、東京子ども図書館名誉理事長)

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