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『夢を与える』綿矢りさ『夢を与える』綿矢りさ

夢を与える

綿矢りさ

 

【解説】犬童一心

スタジオのひかり、多摩のひかり

 

たくさんの子供たちをオーディションして来た。特にCMディレクターになりたての頃だ。映画を撮り始めてからも随分したのだが、たて続けにしていたのはその頃。
新人CMディレクターはまずお菓子やおもちゃのクライアントをまかされる。制作費の安い仕事が多いし、ある種のルーティンに沿った企画が多かったりすることもあるだろう。そういったCMの主役は子供である事が多いのだ。お菓子とおもちゃについて考え、子供を扱う中で、CMディレクターとしての技術を磨く。そして、上司や広告代理店の人にその資質を確かめられたりする。今思えば、こっちもオーディションされていたわけですね。

「はい、正面を見て、まず全身を撮るから」
ビデオカメラが回り始める。
「そのまま一周して。背中で一回止まってね……じゃあ次はアップ。はい、笑顔でね。横顔でまた少し止まって……正面で、今度は前髪上げてくれる。おでこ見るからね……」
ここで、代理店のクリエイティブディレクターが、
「食べるカットもあるから歯もちゃんと見せてくれる」
プロダクションのプロデューサーが、
「あと、指先もちゃんとアップ撮っとけよ。商品持つアップあるよ」
そして、演技。
「○○ちゃん、笑ってね、いい顔してね」
と、突然母親が声を荒げる。
「おうちではちゃんとできたじゃない!」
口だけが笑顔風になった光のない眼をした子供たち──。

そして、ほとんどの子供が高い確率でオーディションに落ち続ける。

撮影現場には、選ばれた子供と同じくらいの背格好の子供がもう一人いる。スタンドインだ。ライティングや軽いテスト用に呼ばれている。主役の着る衣装に似た、でも、ずっと主役のそれより安っぽいものを着せられている。何の撮影だったろうか? その女の子は、ただ立っているだけで良いのに、ライトの下で妙にニコニコとスタッフに愛嬌をふりまき、演技の動きもとても真剣だ。でも、結局本番になると違う子がやって来て交代してしまうのだ。彼女はちょっと、不思議そうにその場を譲る。
数カット撮影して準備の時だ、母親にぼそっと言う声が聞こえた。
「ほんとは、わたしのとき撮ってないよ」
ぞっとした。胸が痛んだ。
きっと、彼女にはまだスタンドインという概念がなかったのだろう。母親がオーディションに選ばれたと言って連れて来たのだ。その後、彼女の笑顔は消えた。ライトの下で暗い顔をして佇んでいた。きっと、自分が着せられている服がもう一人に比べとても粗末である事に気付いたろう。そして、ときどき皆がとても嬉しそうに笑うが、それは自分には向けられてはいない事にも気付いたろう。
何かちょっとした事で、心をスクラッチされ、いくつかの傷が残ってしまった子供たちは多いと思う。でも、
「人と比較され続け、自分の価値、その判断を他人に譲る事を良しとする。」
この契約書にサインしない限り、カメラの向こう側へは行けないのだ。スタートラインに立つことさえできぬのだ。だから、そこに傷つける側の罪はないことになっている。
それは、現在の世界が変わらぬ限り続いていく。
この小説の主人公夕子には夕子の契約がある。
その契約で手に入れた近道は、生える草にはとげがあり、足下は瓦礫だらけだ。知らず知らずにその心と身体は傷だらけになって行く。肌に滲む血は鮮烈だ。
彼女には娘として母と交わしたもうひとつの契約も重くのしかかる。それは、生まれる前に母が勝手にサインしたものなのに。
この物語には、理不尽な契約に気付いた者が解放のために立ち上がる姿が描かれている。そこへ至る心の移ろいが胸に迫った。
レースクイーン、マリとアケミの肉体がこの作品の重しのようだ。マリとのキスの感触のせいで夕子は上手に簡単に「セックス」ができなくなる。
抜け出そうとして死に絡めとられるアケミの姿は、神すらも契約の破棄を許さないかのようだ。彼女の死が「夢」という言葉から輝きを奪ってしまう。
僕には、夕子がダンサーの正晃に惹かれる気持がとてもよくわかる。テレビが価値としているものにてんで無頓着でいられる正晃に夕子は絶対的強さを見いだしてしまう。会社に帰依してしまい、そのルールが全てとなり、それに気付かずに善人面している大人たちの醜悪さ、それを感じながらも飲み込まれかけている自分を引き止めてくれそうな男が正晃なのだ。でも、結局その男にお前はあっち側の人間だと突き放され、彼女は宙ぶらりんになる。
酷いな。ページをめくる手が止まる。
多摩のシーンが大好きだ。
逆光の光、反射する水たまり、キラキラと輝く死んでしまった魚の鱗。光に満ちているそのシーンを撮ってみたいと思った。
多摩は海の匂いとともにいて波の音のように夕子を包み込む。もしなれるなら多摩のようになってみたいとこの歳でも思わされてしまう。(ほんとに、俺はしょうがないな。)
ラストの記者との対決はウエスタンだ。
夕子は腰の銃を眼にも留まらぬ早さで抜いている。彼女はその銃を抜くための訓練を日々欠かさなかったのだ。閉じ込められてはいても、常に有刺鉄線の向こうにある美しいものから眼を離さずにいたのだ。(これを、見事に積み上げて行けるところが綿矢りさだなあと思う。)
だから、彼女は彼女のやり方で勝ちに行けたのだ。
あのガンさばきを撮ってみたい。興奮する。撮ってみたいなあと思う。

銃をホルスターに戻しても、彼女は彼方へと去っては行かない。果たしてどちらへと向かえばいいのか? その場に立ち尽くすだけだ。
でも、その立ち姿はとても美しいと思った。

きっと、病室に差し込む窓からの光は多摩の日のそれだ。

関連本

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著者

綿矢りさ

1984年京都府生まれ。 2001年『インストール』で文藝賞を受賞しデビュー。04年『蹴りたい背中』で 芥川賞を史上最年少で、12年『かわいそうだね?』で大江健三郎賞を受賞。他の著書に『夢を与える』など。

【解説】犬童一心

1960年東京都生まれ。映画監督、CMディレクター、脚本家。

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