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なぜすれ違うのか、すれ違っているのになぜほうっておけないのか 『科学を語るとはどういうことか 増補版』について

 

科学を語るとはどういうことか 増補版』の増補対談のために、初版をもとにした提題をくださった、谷村省吾氏(理論物理学者)から、提題にいたる背景や本書への感想を寄せていただきました。『科学を語るとはどういうことか』は、科学哲学について異なる見解をもつ、須藤靖氏(科学者)と伊勢田哲治氏(哲学者)が、時にケンカのようになったり、時に粘り強い説明をしてくださったりしながら、長時間にわたって行った真摯な対話をまとめたものです。科学者側・哲学者側それぞれに共感する意見を持つ人たちどうしが、すれ違うのではなく、議論をし続けるための新たな提題のひとつとしても、谷村氏からの論考をお楽しみください。

 

* * *

 

私、谷村省吾は理論物理学を専門とする者です。書籍科学を語るとはどういうことか』は、2013年の出版直後に、関心を引かれてすぐに買って読みました。もともと私も科学哲学に関心はあり、関連する本を読んだり、哲学者から話を聴いたりしていましたが、科学哲学の内容には何となく違和感を感じていました。それは一言で言えば、「俺たちのやっていることはそんなんじゃないんだけど・・・」という感想でした。

そう、科学者と科学哲学者は視点・論点がずれているのです。もちろん専門分野が異なるのですから、関心の対象や流儀の違いがあるのは当然だと思いますが、科学者と科学哲学者は、ともに「科学」に関心を持ちながら、ずれています。科学者にとっては宇宙や生物などが研究対象となり、科学者の営みの総体が科学であるわけですが、他方、科学哲学者は「科学」という総体を研究対象とするので、科学者と科学哲学者の関心の対象がカテゴリー的にずれているのは当然なのですが、それにしても内容への踏み込み方(着眼点や問題の立て方や答えの出し方)が激しくずれているのです。

科学者にしてみれば、そんなことはどうでもいいと思うようなことを哲学者たちが真剣に議論しているように見えます(因果論や実在論やクーン・ロスなど)。また、哲学者は「科学ってこういうものなんでしょ」という科学の特徴づけをしようとしているっぽいですが、科学者にしてみれば、「いや、あなたの言っているようなそんな型どおりのものじゃないんだけど」と言いたくなります(パラダイム論など)。挙句の果てには、「科学者の役に立つために科学哲学があるのではない、科学哲学には固有の意義がある」というようなことを言われます。はい、それはそうでしょう、固有の意義がおありなのでしょう、しかし、当の科学者に「それは違う」と言われるような「科学とはこういうものだ論」にいかなる価値があるのかと不思議に思うのは、ごく自然な疑問だと思います。

科学哲学には、科学の全体像を特徴づけようとするグローバルな議論(パラダイム論やリサーチプログラム論など)と、科学に現れる個別の概念の意味を明らかにしようとするローカルな議論(実在論や時空論など)の両面があるらしいことは私にもわかってきましたが、私の目から見れば、どちらの面においてもそれぞれつっこみどころがあります。科学哲学のテーマは、哲学者同士の間で議論しているうちにどんどん科学の実態から離れていってしまった感があり、どうして私たち科学者に相談してくれなかったのですか、と言いたくなります。

本書において、伊勢田氏は、私見をあまり強調せず、科学哲学の始祖にあたる人たちも含めて哲学者たちの思想・問題意識を公平に須藤氏に紹介しようとしているように見えます。それは非常に誠実な態度だと思うのですが、物理学者というのは、「いま、あなたはそれが正しいと信じているのか」という点に最大の関心を持つ人種なので、現代物理学者が聞くと、なんでいまさらそんな話を真剣に検討しなきゃいけないんだ……という感想を抱きがちで、これがまたすれ違いに拍車をかけているように思います。

科学を語るとはどういうことか』の新装版を作成するにあたり、著者の須藤靖氏・伊勢田哲治氏の対談を再開しよう、他の学者からも対談のテーマを頂戴しようということになり、提題者候補として谷村の名が挙げられた、という旨を河出書房新社の編集者である朝田明子さんからお聞きしました。私は哲学者にもの言う物理学者として近年有名になってしまった感がありますし、本書に関しては言いたいことが山ほどあるという気持ちを燻(くす)ぶらせていましたので、自分で言うのも何ですが、私は提題者として最適、と言うか、須藤先生の代わりに私が伊勢田先生と対談したいくらいだと思いました。もちろん提題者の役を引き受けました。

提題を引き受けて、科学を語るとはどういうことか』をもう一度読み直しましたが、久しぶりに込み上げる怒りと呆れと諦めの念の入り混じった不思議な感覚がよみがえってきました。提題は箇条書きで頂戴したいという編集者朝田さんの申し出でしたが、結局、私は言いたいことを文章として書き出してしまいました。とても再対談には収まり切らない分量の提題をしてしまったので、河出書房新社のご好意により(仕組まれた気がしなくもないですが)本書関連ウェブページに私の提題書を掲示していただくことになりました。それが以下の文書です。

見る人が見れば、「また谷村がやっている」と思われることだろうと思いますが、私もこうなったら「頑迷な物理学者役」を演じ続けてやろうと思い、私の提題を披露させていただきました。(リンク貼る)なお、ここで掲示した提題ですら、私が当初用意した提題書の一部にすぎず、本当はもっと書いていたということをおことわりしておきます。

なお、窺うところでは、須藤・伊勢田両先生の再討論は、かつてほどの熱は帯びず、比較的穏便に済んだようです。もちろんお二人がお互いの立論を以前よりもよく理解されているということの現れだろうと思います。が、私は、科学を語るとはどういうことか』の初版発行以来、科学哲学には取り立てて言いたくなるほどの進展はなかったということの現れだろう、と嫌らしく思っています。また、光子の実在性にコミットするとかしないとかいった哲学的問題に関して伊勢田先生がムキになって議論する気が薄れたのかもしれません。一方で、物理学の方では、私の手柄ではありませんが、ヒッグス粒子の発見、重力波の検出、ブラックホールの存在検証、多数の太陽系外惑星の発見、量子論的非実在性を検証するベルの不等式の破れの精密実験、量子コンピュータの実用化など、長年の研究を踏まえた進展が最近の10年間にもあって素晴らしいと思います。もちろん科学哲学が物理学の役に立つべきだとは私は思いません。

あと、この本が科学者と哲学者の対話を謳っていながら、須藤先生も私も、一般科学者というよりはもっぱら物理学者の観点からものを言うのはフェアではないと指摘する方もいるようですが、物理学が科学の一部であることは我々も十分に自覚している一方、科学哲学が全科学分野をカバーするような建前になっていながら、一人の物理学者すら「なるほど」と思わせることができず、「科学はそんなものじゃないと思う、少なくとも物理学ではそんなふうになっていない」という旨を言われることこそ科学哲学者が恥ずべきことではないのかなと思いました。つまり、全科学を背負っているのは物理学者の方ではなく、科学哲学者の方が全科学を語ろうとしていたのではないでしょうか。物理学者が統一的・普遍的な科学観を持っていないのはけしからんと科学哲学者の側が難じるのは筋違いではないか、むしろ統一的科学観を描こうとする科学哲学者の取り組みのほうが不適切なのではないか、と私は言いたいです。

以上は、私からの提題に至った経緯と、本書のほぼ主題とも言える科学者と科学哲学者のすれ違いについて私が思っていることを述べたものです。科学者(では広すぎるなら物理学者)と哲学者(では広すぎるなら科学哲学者)はなぜすれ違うのか、すれ違っているのになぜ私は哲学者をほうっておけないのか、と私は問いかけたかったです。なぜ私が哲学者に絡むのかと私が哲学者に問うのは筋違いかもしれませんし、尊大な態度かもしれませんが、それでも考えてほしいです。これが私からの最大の提題だったのかもしれません。

 

谷村省吾(名古屋大学大学院情報学研究科)
2021年5月

 

谷村省吾(たにむら・しょうご)
名古屋大学大学院情報学研究科教授。共著書に『<現在>という謎』があり、その補足ノートは谷村氏のホームページにて読むことができる。

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谷村省吾

(たにむら・しょうご)名古屋大学大学院情報学研究科教授。共著書に『<現在>という謎』があり、その補足ノートは谷村氏のホームページにて読むことができる。

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