文庫 - 日本文学
全米図書賞受賞の柳美里『JR上野駅公園口』はこうして書かれた。
柳美里
2020.11.20
日本時間11月19日朝、すばらしいニュースが飛び込んできました。柳美里『JR上野駅公園口』(モーガン・ジャイルズ訳 『TOKYO UENO STATION』)が、2020年の全米図書賞(National Book Award 翻訳文学部門)を受賞したのです。
全米図書賞は、今年で第71回を迎えるアメリカで最も権威のある文学賞のひとつで、1967年から1983年まで設けられていた翻訳部門では1982年に樋口一葉著『たけくらべ』(ロバート・L・ダンリー訳)、『万葉集』(リービ英雄訳)が受賞。
2018年に新設された翻訳文学部門では、多和田葉子著『献灯使』の英語版 『The Emissary』(マーガレット満谷訳)が日本の文学作品として36年ぶりの受賞となりました。今回の受賞はこれに続く快挙となり、受賞のニュースは大変大きなインパクトを以て日本中を駆け巡りました。本作は福島県相馬郡(現在の南相馬市出身)で、1964年東京オリンピック前年に出稼ぎ労働者として上野に上京、高度経済成長ののち、そこでホームレスとなった男性が主人公。柳美里さんが一貫して取り組んできたテーマ「居場所のない人に寄り添う物語」です。
本作がどのようなきっかけで、どのようにして描かれたか、2014年に刊行された単行本版のあとがきに、本人の筆で綴られています。
今回の受賞を受け、切実な出会い、縁(えん)、思いで描かれた本作の背景を知っていただきたく、その部分を無料公開いたします。
『JR上野駅公園口』
あとがき
柳美里
この小説を構想しはじめたのは、十二年前のことです。
二〇〇六年に、ホームレスの方々の間で「山狩り」と呼ばれる、行幸啓直前に行われる「特別清掃」の取材を行いました。
「山狩り」実施の日時の告知は、ホームレスの方々のブルーシートの「コヤ」に直接貼り紙を貼るという方法のみで、早くても実施一週間前、二日前の時もあるということで、東京在住の友人に頼んで上野公園に通ってもらい、貼り紙の情報を送ってもらいました。
上野恩賜公園近くのビジネスホテルに宿泊し、ホームレスの方々が「コヤ」を畳みはじめる午前七時から、公園に戻る五時までのあいだ、彼らの足跡を追いました。
真冬の激しい雨の日で、想像の何倍も辛い一日でした。
「山狩り」の取材は、三回行いました。
彼らと話をして歩き、集団就職や出稼ぎで上京してきた東北出身者が多い、ということを知りました。彼らの話に相槌を打ったり質問をしたりしていると──、七十代の男性が、わたしとのあいだの空間に、両手で三角と直線を描きました。
「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と言われました。
彼が描いたのは、屋根と壁──、家でした。
その後、八年の歳月が過ぎ、わたしはこの作品のことを気に掛けながら、五冊の小説と二冊のノンフィクションと二冊の対談集を出版しました。
二〇一一年三月十一日に東日本大震災が起きました。
三月十二日に東京電力福島第一原子力発電所一号機が水素爆発、十四日に三号機が水素爆発、十五日に四号機が爆発しました。
わたしは、原発から半径二十キロ圏内の地域が「警戒区域」として閉ざされた四月二十二日の前日から原発周辺地域に通いはじめました。
二〇一二年三月十六日からは、福島県南相馬市役所内にある臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」で、毎週金曜日「ふたりとひとり」という三十分番組のパーソナリティを務めています。
南相馬在住・南相馬出身・南相馬に縁がある「ふたり」と話をするという内容です。
二月七日現在で、第九十四回まで放送されたので、二百人以上(ゲストが三人以上の時もあるので)の方々とお話をしたことになります。
放送とは別に、南相馬市内(主に鹿島区)にある仮設住宅の集会所を訪ね、お年寄りのお話を聞きに行くこともあります。
この地に原発を誘致する以前は、一家の父親や息子たちが出稼ぎに行かなければ生計が成り立たない貧しい家庭が多かった、という話を何度も耳にしました。
家を津波で流されたり、「警戒区域」内に家があるために避難生活を余儀なくされている方々の痛苦と、出稼ぎで郷里を離れているうちに帰るべき家を失くしてしまったホームレスの方々の痛苦がわたしの中で相対し、二者の痛苦を繫げる蝶番のような小説を書きたい──、と思いました。
それから、南相馬と鎌倉の自宅を往き来するあいだに、上野公園近くのホテルに泊まるようになりました。
上野公園は、わたしが最初に「山狩り」の取材をした二〇〇六年から比べると、劇的にきれいになり、ホームレスの方々は限られたエリアに追いやられていました。
昨年、二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定しました。
先日、東京五輪の経済効果が二十兆円、百二十万人の雇用を生むと発表されました。宿泊・体育施設の建設や、道路などの基盤整備の前倒しが挙げられ、ハイビジョンテレビなどの高性能電気機器の購入や、スポーツ用品の購入などで国民の貯蓄が消費に回され景気が上向きになるとも予想されています。
一方で、五輪特需が首都圏に集中し、資材高騰や人手不足で東北沿岸部の復旧・復興の遅れが深刻化するのではないかという懸念も報じられています。
オリンピック関連の土木工事には、震災と原発事故で家や職を失った一家の父親や息子たちも従事するのではないかと思います。
多くの人々が、希望のレンズを通して六年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。
「感動」や「熱狂」の後先を──。
最後に本書を出版するに際して──、
一九六四年に開催された東京五輪の体育施設の建設工事の出稼ぎの詳細をお話しいただいた、南相馬市鹿島区にある角川原仮設住宅にお住まいの島定巳さん、ありがとうございました。
原発を誘致する以前の相双(相馬・双葉)地区の様子を教えてくださった、小学校の教員をなさっていた菅野清二さん、ありがとうごさいました。
相双地区における真宗移民の歴史を教えてくださった南相馬市鹿島区・勝縁寺のご住職・湯澤義秀さん、同市原町区・常福寺のご住職・廣橋敬之さん、ありがとうございました。
細かい方言指導と時代考証をしてくださった鹿島区の佐藤和哉さん、ありがとうございました。
そして、この小説の完成を粘り強く待ってくださった『文藝』の高木れい子編集長と、わたしと主人公と共に物語の時間を歩んでくださった担当編集者の尾形龍太郎さん、ありがとうございました。
二〇一四年二月七日
柳美里
*本稿は文庫版の『JR上野駅公園口』にも収録されています。