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『嘘つき姫』あとがきに代えて

 

嘘つき姫』あとがきに代えて

 

 私の実家には勝手口がひとつあった。
 その東京の外れにあった勝手口は、すりガラスがはめ込まれた細めの扉で、塀との隙間の狭い通路につながっていた。主に、生ゴミを捨てるときに使っていたが、勝手口らしい用途は他にもあった。例えば、玄関の鍵を忘れたときは、錠がいつも開いているそこを利用した。子供のころ、しこたま怒られたときには、そこから放り出されることもあったし、逆に、その勝手口から出て行くこともあった。ボールがうちの庭に入ったとき、小学生がやってきて、その扉越しに「すみませーん」と声をかけた。室内で飼っていた犬も、そこからおしっこをしに庭へと出た。それから、一緒に暮らしていた猫は、よくその勝手口を開けろと命令するように、にゃあん、と鳴いた。半開きにしていれば、勝手に出ていき、勝手にそこから帰ってきた。まったく知らない猫が、その扉を抜けてやってきたこともある。
 今住んでいる家には勝手口はない。ベランダに通じる窓はあるが、それは窓であり、入口でも出口でも裏口でもない。窓は窓だ。出入り口としての用途は付随要件であり、そこは存在の立ち位置が違う。私は幼少期からそこそこ長くその実家で暮らしたために、はじめてひとり暮らしを狭いアパートで始めたとき、扉がひとつしかないのか、と思ったことがある。それから、実家の勝手口がなかったら、と想像した。台所に設置されたそれを取っ払い、同じようなクリーム色の壁紙で埋め尽くしてしまう。もしそうであるならば、鍵を忘れたときは虚しく玄関の扉を叩き、怒られた子供の私は押し入れにでも閉じこめられ、猫はかりかりと壁紙に爪を立てたことだろう。私はその縦にまっすぐ入った幾筋かの爪痕までも鮮明に想像できる。たぶん、大きくはなにも変わっていない。私は私のままだったろうし、その家はその家のままで、私の記憶に残っていたはずだ。勝手口のない家として。
 今回上梓した『嘘つき姫』には、玄関と勝手口を用意した。玄関は「ニューヨークの魔女」で、勝手口は「日出子の爪」だ。華々しいニューヨークでのショーを見たあと、最後は日本の小さな海辺の町の雪を眺めながら、そっと本を閉じてもらえるように。そこに至るまで、どのような廊下を歩き、部屋でくつろぐかを考えながら、短い物語を敷いた。無論、これは作者の考えであり、読者にとっては、その玄関と勝手口を逆さまに考える人がいてもいい。「リモート」を玄関とし、「電信柱より」を勝手口のように思ってもらっても構わない。好きなものから読み始め、なにかひとつでも心に残る物語があれば、作者としてこれ以上うれしいことはない。
 以下、新築の家の内見のように、簡単に収録作について紹介をする。

 

 

 「ニューヨークの魔女」は、私にとっては玄関だ。初出は『スピン/spin』4号(河出書房新社)で、巻頭を飾らせてもらった。きっかけは、電気椅子に関する本を読んでいたときで、そのときに魔女との掛け合わせを思いついた。巷では作家と読書量のことが話題になっているが、私はいろいろなジャンルの本を読むことが自身の作品につながっている。見た目と中身、本物と偽物、本当と嘘、という対立は、私の作品の大きなテーマでもある。彼女たちもまた、「噓つき姫」だ。
 「ファーサイド」は、日本SF作家クラブ主催の「日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト」で、大賞である日本SF作家クラブ賞を受賞したものだ。〈朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。〉という共通書き出しで、各々が作品を作っていくというユニークな企画だった。1万字程度の短い作品だが、この作品集の中ではいちばん暗喩に富んだ、様々な捉え方のできる小説だと思う。Dとはなにか、「月の裏側ファーサイド」とはなにを意味しているのか、そんなことを考えながら読んでも楽しいだろう。
 「リトル・アーカイブス」の初出は『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』(Kaguya Books)。当該書は、第1回、第2回かぐやSFコンテストの受賞作家が中心となり、書き下ろしを集めたアンソロジーだ。芥川龍之介の「藪の中」を意識した、いくつかの証言をもとに、兵士の死の謎をめぐる短篇。実際の戦場で、地雷除去ロボットなどに愛着をもつ例があり、そのアイデアをもとに執筆した。ここまでアメリカが舞台の作品が続くが、私自身は海外在住の経験はあるものの、アメリカには行ったことがない。その意味で、アメリカは、私にとって字義通りの「外国」であり、そのために舞台に選ぶことが多い。
 「リモート」は、第1回かぐやSFコンテストで審査員特別賞を受賞した3000字に満たない掌編。私は、学生のころまでは小説を書いていたが、働き始めてからはまったく離れていたため、実に十数年ぶりに書いたものだった。再び書くことの楽しさを思い出させてくれた、自分にとっても意義深い作品である。こちらは、Toshiya Kamei氏による英訳もあり、「Daily Science Fiction」にも掲載され、海外の読者にも好評であった。
 「私のつまと、私のはは」は書き下ろし。プロトタイプは、『スピン』の執筆依頼を受けたときにできていたが、それを大幅に書き直し、分量が増えたものになる。擬似育児キット、というアイデアは前からあったが、なかなかうまく書けないでいた。今回の作品集に加えるにあたり、主人公たちの境遇や関係をよく考え直し、近未来ではありつつ、現在の諸問題を下敷きとした作品に仕上げることができた。
 「あーちゃんはかあいそうでかあいい」は、『零合 百合総合文芸誌』(零合舎)が初出。この作品集の中ではいちばん現代的であり、SF要素のない作品だ。これはまずタイトルと、「七月一日について思うことはいくつかある」という出だしが決まっていて、そこからお話が転がっていった。最後まで読み終わったあと、タイトルにもう一度戻ってもらえるとうれしい。
 「電信柱より」は、第3回百合文芸小説コンテスト、SFマガジン賞の受賞作。また、大森望編『ベストSF2022』(竹書房文庫)にも収録された。電信柱に恋をする女性を描いている。電信柱と恋、というと、コッパードの「若く美しい柳」(西崎憲訳、『郵便局と蛇』ちくま文庫所収)があるが、こちらは執筆当時は未読であった。本作品集の中ではいちばん突拍子もない設定かもしれないが、いちばん「やさしい」作品であると思っている。
 「嘘つき姫」は、第4回百合文芸小説コンテスト大賞の作品。表題作でもある本作は、1940年パリの脱出劇から始まり、この作品集を貫く「嘘」を一貫してつき続きた女性たちの物語だ。最後まで読むと、また最初のページに戻りたくなるはずだ。一種のミステリ要素もある作品だが、マリーとエマ、二人の「歴史」が描けたことは、私にとって幸せなことのひとつであった。
 「日出子の爪」も書き下ろし。この作品集の最後に位置づけ「次」に繋がるようにというリクエストのもと書いた。最後の二人の場面は、私自身も、この作品集の中で気に入っているもののひとつだ。同じように気に入ってくれる人がいたらうれしい。

 

 

 以上、「ニューヨークの魔女」を入口にして、「日出子の爪」という勝手口からそっと出て行けるよう、僭越ながら作品を紹介した。
 ただ、大切だと私が思うことは、この9つの物語が収められた作品集には、玄関も、勝手口もあるという、そのこと自体だ。堂々と正面玄関から入るのもよい。けれど、この本には「勝手口」がある、出入りの自由な入口(出口)がある。私個人の願いとしては、本とはそういうものであってほしい。いずれにせよ、この短い話をあなたが読んだとき、どこかであまやかな爪を研ぐ音が、聞こえてくるかもしれない。
 さて、先ほど思い出話にあげた私の実家は、この夏で取り壊されることが決まっている。屋根が落ち、壁が崩れ、あのすりガラスの細い扉が日差しの中で立っている様子を、その幻を、私は想像する。それは勝手口だったのか、どうか。覚えている人間がいるということは、幸いである。

 

2024年 春一番の日に 坂崎かおる

 

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坂崎かおる『嘘つき姫
◉発売日:2024年3月27日
◉仕様:四六判上製/単行本/264頁
◉定価:1,700円+税
◉ISBN:978-4-309-03178-1
◉装幀:名和田耕平デザイン事務所(名和田耕平+小原果穂)
◉装画:はむメロン

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著者

坂崎 かおる(さかさき・かおる)

1984年東京都生まれ。2020年、「リモート」で第1回かぐやSFコンテスト審査員特別賞。2022年、「嘘つき姫」で第4回百合文芸小説コンテスト大賞。ほか受賞・入賞作多数。『嘘つき姫』が初単著となる。

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