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芥川賞受賞作家最新作! 絲山秋子『細長い場所』【無料公開】
絲山秋子
2025.11.28
個であることをやめるとき。名前も記憶も肉体も失って、気配や残像となったわたしたちの心は、最後に誰とどんな場所を訪れるのか――。
著者の新境地を拓く不穏な物語の刊行を記念して、絲山秋子さんが本書に寄せたコメントと、「第4章 木に咲く花」の冒頭を特別公開いたします。
絲山秋子 最新作『細長い場所』
物語は自ずからそこにあって、著者はそれを伝える担当だとわたしは考えています。無限と有限の価値が等しくなってしまう「細長い場所」で、それがやってくるのを待ち、その声に耳を傾け、手探りで文章を書きました。
さまざまな声がありました。気配の声、残像の声、水の声、動物の声。決して語ってはくれない者たちの姿もわずかながら見えました。
出発点はわたしたち人間が嵌め込まれている「型」を外してみたいという思いでした。生きている限りわたしたちは自分が自分であること、固有の顔や肉体、名前、体験や記憶を所有することから逃れられません。書いているうちに、この「型」に強く関与しているのが脳であり、生を終えることは心が脳の支配と肉体の制約から解放されることだと確信できました。
結果として少し変わった印象の作品になったかもしれません。しかし同時に、多くの人が奥深くで既に知っていることの片鱗に触れたような気もしています。
とはいえ、小難しい話ではありません。ゆるやかな球を受け止めては投げ返すキャッチボールのように、作品とご自身を行き来しながら読んでいただけたらありがたいと思っています。
──絲山秋子
第4章 木に咲く花
暗い岸辺にやってきたのは小さな木造の和船だった。
浮桟橋から乗り込んだ私が平らな船底の板子(いたご)に腰を下ろすと、船頭もいないのに岸を離れた。
湖のように穏やかな川面を船は音もなく進んだ。まるで意思があるみたいだと思ったが、振り返って自分が来た方を見ようとしたときの挙動から、船の舳先(へさき)が自分の視線と連動しているのだとわかった。私は自分の体のように船を操ることができるのだった。左手を水平に上げれば左方向に旋回し、右手を水平に上げれば右方向に旋回する。川の中央部にさしかかって、もう一度背後を確かめると岸辺はぼんやりと霞んでいて、灯りもわずかしか見えなかった。
私は視線を対岸に向け、上半身を前に傾けた。すると船は速度を上げて対岸へと向かっていくのだった。冷たいまっすぐな光やどぎつく追いかけてくるような光がはっきりしてきた。ずいぶん賑やかな街のようだった。雁木(がんぎ)のある船着場が見えてきたので視線を上に向けると船は静かに接岸した。
港の倉庫の脇に動くものが見えた。左右に、迷うように行き来していたそれは次第に近づいてきて静止した。数秒後、打たれたかのように跳ね上がり、犬のかたちとなって駆け寄ってきた。
しかしそれは実体のある犬ではなくぼんやりした灰色の影で、手を伸ばしても触れることはできなかった。足元で私を見上げて尻尾を大きく円を描くように回していた犬のかたちはやがて落ち着いた。それから謙(へりくだ)るように頭を低くして、
「お久しゅうございます」
と言った。口を開いて言葉を発したわけではなかったが、それは間違いなく犬の声として私の頭のなかに響いた。
「迎えにきてくれたんだ」
私は言った。
犬は立ち上がって体をぶるぶるっと震わせた。そして私の方を向いて尻尾をきりりと巻き上げ、
「参りましょう」
と言った。
私と犬は狭い路地を歩いて行った。アスファルトを蹴る犬の爪の、チャカチャカという音が後ろからついてきた。雲が切れると月明かりが差し込んで、夜道が妙に白っぽく感じられた。
路地を抜けると、小さな店がぎっしりと並ぶ通りに出た。
道の両側にはあらゆる飲食店が揃っていた。居酒屋、寿司屋、ビストロ、焼鳥屋、サンドイッチの店、ショットバー、蕎麦屋、喫茶店、カレー屋、中華料理店。ほかにも、タイやトルコや韓国やイタリアなどさまざまな国の料理を出す小さな店が、万国旗のように華やかに、楽しげにひしめきあっていた。何軒もはしごして歩いたらどんなに楽しいだろうと思ったが、一向にお腹は減らないのだった。
「こんなふうに歩くのは久しぶりだね」
私が言うと、犬は立ち止まって電柱の根元を嗅いでからわざと目を逸らして、
「アハア」
と笑った。
街角の駐車場の隅では、大きな体を寄せ合うようにしてジャズのトリオが演奏していた。テナーサックスとウッドベース、フロアタムの編成で、曲が終われば互いに肩を叩き合ってげらげら笑うのだった。集まって聴いている人のなかには知った顔もあった。しかし挨拶をしようとするとふっと消えてしまったり、表情をこわばらせて歩き去ってしまうのだった。
私は駐車場の向かいの店に入り、トリオがよく見えるウッドテラスに席を取った。私はパスティス51と氷水の入ったデキャンタを頼み、犬は足元で水を飲んだ。
「踊らないのですか」
と犬が言った。
「どうして」
「家で音楽を聴きながらお酒を飲むと、あなたは気分が良くなって踊り出したものでした」
「そうだったかな」
「そうですとも。わざと変な顔をしたり、わたくしのことを思いつきの名前で呼んだりしました」
「そうかもしれない」
「ほかにも、いろいろなことがありました」
犬は言った。
「たとえばどんな?」
「友達と集まって肉を焼いたり、薪ストーブを囲んで夜遅くまで話したり、冗談を言って笑ったりしていました」
「そうだね」
「夜、眠るときにわたくしがあなたにお尻をくっつけるとあなたは困った様子でじっとしていました」
「そうだったね」
「地面に穴を掘っていたらいつの間にかすぐそばにあなたが立っていて、にこにこしていたこともありました」
「そんなこともあったね」
「次の日、あなたはその穴に足をとられて、少し怒っていました」
「それはそうだよ」
いつの間にか演奏を終えたジャズのトリオは立ち去ってしまい代わりに電柱のスピーカーから音の割れた民謡が流れていた。スチャラカホイホイという囃子詞(はやしことば)が私には面白かったが、犬は意に介さぬ様子で続けた。
「それに、あなたはよく泣いていました」
「そうだったかな」
「あなたが泣くのはいつも突然のことでした。理由がわからないのでわたくしはびっくりして駆け寄ったものです。元気づけなければと思って笑いかけました」
「本を読んだり映画を見たりして泣くんだね。あとは、よくない未来を想像したり、悔しかったことを思い出したりしてね。心配させて悪かった」
「わたくしの具合が悪くなって、ごはんも水も摂らなくなったときにも、あなたはたくさん泣きました。泣きながら鶏のささみを手で裂いて食べさせようとしていました」
「うん」
犬が黙り込むと、影の色がいっそう濃くなり、闇に溶け込んでしまいそうな気がした。私は不安になって言った。
「どうして会いに来てくれたの?」
すると犬は、
「記憶の地図があるんです」と言った。「匂いの記憶でできています。けれども、このところは何を嗅いでもさっぱり匂わない」
「それは不便だね」
「あなたがた人間の地図は違うんでしょう」
「そうだね、匂いの地図は使わない。人間の地図は文字や記号や線でできていて、見ただけで地形もわかるようになっている」
「あなたがた人間の鼻は節穴同然ですが、わたくしには色や景色がわかりません。一緒に歩いたなつかしい場所がどんなふうに見えているのか、確かめたいと思ったのです」
「でも、何のために?」
「思い出を閉じるために」
よくわからなくて黙っていると犬は、立ち上がって歩き出した。私も慌ててその後を追った。歩きながら犬は、
「まず、色について教えてください」
と言った。そこで私はこんなふうに説明した。
赤は熱くて、勇気の出てくる色、秋のモミジの色、生肉やりんごの色
黄色は眩しくて賑やかな色、稲刈りのころの田んぼの色、チーズの色
茶色は豊かで落ち着く色、家の床や木製の家具の色、土の色
青は涼しくて気持ちのいい色、空の色、湖の色、海の色
緑は爽やかでやさしい色、草の色、木の葉の色
黒は大人っぽくて品のいい色、夜空の色、私の髪の色
白は明るくて清潔な色、雪の色、雲や霧の色
「なるほど。雪は白ですか」と犬が言った。「雪が降った日は、つい嬉しくなって、転がったり滑ったりしてはしゃいだものです。いったいどうして若いころはあんなに何もかもがおかしかったのか」
「人間だって同じだよ」
「雪はまわりの音を吸い込むから、くるまれたみたいに静かでしたね」
新雪に足跡をつけながら私たちは歩いた。その感触はたしかなものだった。
それから私たちは、満開の桜が咲く土手を歩いた。新緑の林のなかの道を、やわらかい水のような空気が包み込む神社の参道を、真夏の山の木漏れ日の下を、外輪山に囲まれた山頂のカルデラ湖のほとりを、コスモスが咲き乱れる丘を、紅葉に照らされた川沿いの遊歩道を歩いた。落ち葉を踏むときは、まるで犬に体重があるような音がした。見ているうちにスローモーションのように錯覚する滝を眺め、緻密(ちみつ)な石垣が支えている段々畑の脇道を通り、斜張橋やアーチ橋を渡った。
友達の家や知り合いが集まるカフェの前も通り過ぎたが、車も人影もなかった。駅前にも書店にも雑貨店にもホームセンターやスーパーマーケットにも人の気配はなかった。太陽が燦々(さんさん)と輝いているのに、夜中か明け方のような光景だった。あるいは、大きな災害の警報があって、全住民が立ち去ってしまったようでもあった。
それでも私と犬は旅を続け、細長い温泉街を抜けて突き当たりのダム湖にやってきた。湖面は、あまりにも濃く明るく、ほかのものすべてを撥(は)ね除(の)けてしまうような、ほかの色すべてが現実味を失ってしまうような強い青色をしていた。
湖畔のベンチには先客がいて、パーコレーターで淹(い)れたコーヒーを飲んでいた。さりげなく上質なシャツを着こなしている中年の男性だったが、足元のシャワーサンダルからのぞくラクダ色の五本指ソックスはこなれておらず、そこだけ見れば病院から脱走してきた患者のようでもある。
久しぶりに生きた人間を見た気がした。私が会釈するとかれは、
「かわいいわんちゃんですね」
と、やわらかい表情で言った。
このひとには犬が見えるのだ、と少し意外に思った。犬は特に何の反応もせず、静かに足元に立っている。
「この湖の奥に、野湯があるの知ってますか?」
かれは言った。
「ええ、でも」
ダム建設のときに発見された源泉を利用して造られた露天風呂の話なら聞いたことがある。よそから来た者たちに荒らされたため、何年か前に廃止されてしまったという。だがかれは言った。
「さっき入ってきたんです」
「え? 橋の手前の林道を行ったところですよね」
「そうそう! ご存じでしたか」
「あそこ、廃止されて湯船も完全に埋め立てられたって聞いてたんですが……」
「そうなんですか? じゃあ再開したんですね」
かれは事もなげに言った。
「最初は見つからなくて湖を一周したんですよ。そしたら二周目にすんなり見つかりましてね。なかなかいいお湯でした」
それからしばらく、あちこちの温泉や野湯について情報交換をしてから別れた。
「あのひとは同類なのかな」
と言うと犬は、おそらくそうでしょうと答えた。
「好きな場所に別れを告げにきたのかもしれません」
「だけど、どうして廃止になった温泉が復活したんだろう」
「一周目と二周目で、時間が違ったんでしょうね」
そこからまた山を二つ三つ越えて行くと、別の湖があった。前の湖と比べて山が迫っていないせいか、湖の色も穏やかでやさしい色合いに見える。湖畔の道を登れば、はるか遠くの山々まで見渡すことができた。
「ここに来られてよかった」
私は言った。いつもここに来ると気分がおおらかに羽ばたいていくように思えるのだった。
「ここでキャンプをしましたね。テントを張って、火を熾(おこ)して」
犬が私を見上げて言った。
「楽しかったなあ」
遠い夏の日、この犬とだったのか。この犬はいったい何色をしていたのか。私は一人だったのか。犬は一匹だけだったのか、ほかにも仲間がいたのではないか。
「翌朝、寝袋を片付けながらあなたは『来年もまた来ようね』と言いました」
「そうだね。毎年キャンプに来ていたからね」
「そのあと『再来年も一緒に来ようね』と言いました」
「うん」
「それからあなたは『その次も、次の次の年も、毎年来ようね』と言いながら泣きだしてしまいました。わたくしはびっくりして尻尾を振りながら駆け寄りました」
***
続きは『細長い場所』でお楽しみください。


絲山秋子 最新作『細長い場所』




















