ためし読み - 文藝
阿部和重 約十年ぶりの短編集『Ultimate Edition』刊行記念 全収録作解説インタビュー(15)「Neon Angels On The Road To Ruin」
阿部和重
2022.11.08
十月二十五日、全十六作を収録した阿部和重の短編小説集『Ultimate Edition』が刊行された。初めて阿部和重を読む人に、阿部和重のこれからを読みたい人にうってつけの作品集。氏の作品を知り尽くすフィクショナガシン氏を聞き手に、この究極の一冊への扉として全収録作自作解説を十六日連続でお届けする。
「Neon Angels On The Road To Ruin」
アメリカのロックバンド「The Runa ways」の楽曲名
https://music.apple.com/jp/album/neon-angels-on-the-road-to-ruin/1444044870?i=1444045406
──ああ、その感じは伝わりますね。『ブレードランナー』のあの形容し難い収斂の仕方と重なってくる。ここからはやや長めの作品が二編続きます。「Neon Angels On The Road To Ruin」には、懐かしい名前も登場しますね。トーマス井口。『グランド・フィナーレ』に収録されていた短編の主人公です。
「よく気付いてくれましたね。おっしゃる通り、『馬小屋の乙女』という短編に出てきます。あれもひどい作品で(笑)」
──芥川賞受賞作を表題作にした本の収録作とは思えぬ、くだらなくてすばらしい作品でしたが、今回は作品としての繫がりを意識されたんですか。
「いえ、内容の繫がりというよりも掲載誌を意識したアイデアです。この作品が掲載されたのが『新潮』の今年の新年号で、『馬小屋の乙女』も『新潮』の二〇〇四年新年号に載せてもらっていたんです。つまりですね、時代を股にかけてトーマス井口が同誌の新年号に登場するという試みがマルチバースっぽくて面白いかなと思いやってみたのですが、誰も気付いてくれませんでした」
──とことんプロジェクトの人ですねえ……。いやはや。この間に何があったのか、トーマス井口はちょっと「出世」していますね。物語の冒頭でテスラCEOのイーロン・マスクの名前が出てきますし、これから何が始まるんだろうという期待感が高まる作品です。
「もともとはイーロン・マスクよりも、カルロス・ゴーンの保釈中逃亡劇について書こうと思っていたんです。そこから日本の自動車産業が直面中の、電気自動車製造・販売への移行にまつわる産業構造の変化という問題を浮き彫りにするつもりでした。その詳細は作中で紹介されているのでここでは繰り返しませんが、それは時代の転換点には違いないので、現在を重視する風刺作家のわたくしとしては当然ながら書くべき題材だったわけです」
──最初はカルロス・ゴーンが中心だったんですね。
「そのつもりだったのですが、いろいろと記事をチェックしてはみたものの、あの逃亡劇はこちらの予定している物語にうまくはまりそうになかったんです。なので、自動車産業の過渡期的問題を念頭に内容をあらためて練り直してみたところ、テスラ対トヨタならいけると思いつき、新興勢力と旧勢力の対立劇という構図ができあがったんです」
──面白いですね。壮大なコンセプトが背景にあることで、実際に物語られる高級車窃盗団の人間模様のコントラストが際立つ。短編というより、長編の呼吸で書かれている印象があります。
「そうですね。テスラ対トヨタの枠組みが生まれた時点で、ガソリンスタンドに勤めていた男が自動車泥棒に転身するというプロットは固まっていました」
──母子が犠牲になった池袋の自動車暴走事故も題材になっていますね。
「当時報道されていたさまざまな自動車関連の出来事を組み合わせて、一作にまとめようと意図していたんです。わたくし自身としても、報じられる加害者の言動に対しては、それなりに負の感情を搔き立てられるものがありました。遺族男性が何度も記者会見を開いていて、同じように妻と幼い子がいる自分を彼に重ねるところもありました。同時に、それとは別に、当事者ではない人たちがネット上で引き起こしている過剰なバッシングの問題もあった。それら全てを含めて描かないと、これを書く意味はないだろうと考えたんです」
──あなたは信頼をとても大事にしてきた作家です。この作品でも信用できない状況や裏切りが描かれる一方、泥棒一味を結び付けているものは信頼ですよね。相手とどう思い合うことができるのかを、しっかり書く。読者が感じるのは、信頼する、あるいは裏切るとはどういうことなのかという問いです。それはこの短編集全体に通底してもいます。
「物語を組み立てたり、キャラクター同士を組み合わせたりする中で、両者を心理的に結び付ける信頼の印のようなものを描かないと、小説として成り立たないとは思っています。ただ、自分自身がそこまで明確に、信頼というものを一貫したテーマのように書いてきた意識はありませんでした。もしかすると、図らずも出てしまった無意識の部分かもしれませんね」
──登場人物同士の信頼だけでなく、著者と読者との間の信頼、あるいは自分が信じるものを書くという著者の自分自身への信頼、それが伝わってくるように思うんですね。長い時間をかけて短編を書き継いでこられたからこそ、じわじわと伝わってくるものもある気がします。
「わたくしが主に書いてきたのは裏側の世界で、犯罪模様とかスパイ劇とか、非常に危うい関係の中で結ばれる人々のやり取りですよね。そこにある人間関係やコミュニティーは、ちょっとしたことで崩れてしまうし、露見したら捕まってしまう。公的に保証され得ない関係性だからこそ、信頼とか信用性を常に確認していなければならない。そういう関係を書きたいから裏社会を書くのか、あるいは裏社会を書きたいから結果的にそういう関係性を書くのか、どちらが先かは分かりませんけどね」
(つづきは明日9日公開)