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橋本治さんの名著『完本 チャンバラ時代劇講座』文庫化記念! 「第一講」を公開!

橋本治さんの名著『完本 チャンバラ時代劇講座』文庫化記念! 「第一講」を公開!

橋本治さんの名著と名高い『完本 チャンバラ時代劇講座』が単行本刊行の1986年から初37年の時を経て、初文庫化となりました!
チャンバラ映画論として大変優れているだけでなく、文学やテレビなど広範囲にわたるジャンルを語ることによって、日本の近代史が浮かび上がるというとてつもない内容となっております。
今回は、この文庫発売を記念して、「第一講 チャンバラ映画とはなにか」を公開します。

1 チャンバラ映画とはなにか

チャンバラ映画とはなにか? という答は存外簡単に出ます。チャンバラ映画とは即ち、殺陣・立回りを見せることを眼目にした映画だ、と。
ところでそうなって来ると話がつまらなくなって来るというのは、チャンバラ=立回りを眼目にした映画というのは、戦前のサイレント=無声映画にしかなくなって来るのです。
チャンバラ映画というのは大体三度変っているのですが――ということは、大体どんなものでも三回はリメイク(作り直し)されているということですが――その中で一番優れているのは戦前の無声映画時代のものというのが通り相場になっています。白黒スタンダードでサイレントの阪東妻三郎主演の『雄呂血』に於ける立回りの凄絶さと、戦後の総天然色東映スコープ市川右太衛門主演の『旗本退屈男』の、まるでチャンバラレビューのような華麗(?)さを比べて見ると、「そりャ戦前の方がすぐれてるんだろうなァ……」という答は簡単に出てしまいます。出てしまいますが、そうなると話というものはとってもつまらなくなります。
大体、チャンバラ映画というものはくだらないものだという通り相場は出来上っていますが、そういう考えを前提にすると話が間違って来るというのは、人というのは哀しいもので、「くだらない!」と言われると、すぐムキになって「いやそんなことはない、すぐれている!」という、間違った・・・・基準で話を進めてしまうということがあるからです。〝くだらない〟の反対が〝すぐれてる〟というのが曲者だというのはそこら辺でしょうね。人間が哀しいというのは、「くだらない!」と人から言われると、うっかりその点は認めてうろたえてしまうということです。「くだらない!」って言う方が間違ってるかもしれないじゃないか、「くだらない!」というだけで、そこにある重要なものが分らないだけじゃないか、ということだってあるんです。
〝チャンバラ映画〟と総称されるものがかなりに厄介なものであるというのは、うっかり「くだらない!」と人から言われてしまうような重要さ・・・を〝面白い〟という外側にしっかりと包まれて存在しているということにあるのです。面倒な話というのはここから始まります。

勿論、面白いということは重要なことです。でもそれを「面白いだけだ」と言ってしまったら、その面白さの内側にある重要なものが全部どっかへ行ってしまうというようなことだってあるんです。
〝面白いという外側に包まれた重要なもの〟が何か、ということはまだ言わないでおきましょう。但し、こういう面倒な言い方が実はすごく大切なんだという、その理由だけは簡単に言えます。それは、「面白けりゃいい!」という言い方が公然と罷り通るようになってしまった今の時代に、どうして本当に面白いものがなくなってしまったのだろう、ということです。
表面的な面白さというものは、実はひょっとしたらちっとも面白いものではなくって、面白いということは、ひょっとしたらその内側にある〝何か〟を含めて面白いんじゃないんだろうかということだってあるんです。だから、この本でいうチャンバラ映画とは、ひょっとしたら世間一般でいうチャンバラ映画とはちょっと違っているかもしれません。私の言うチャンバラ映画は、〝チャンバラを見せることを眼目にした映画〟ではなく、もう少し雑然としたものです。それは、〝「結局は最後のチャンバラでカタがついちゃうんだろう」と言われてしまうような外観を持った時代劇映画〟だからです。まァ言ってみれば、純粋なチャンバラ映画よりももう少し雑多で大まかな、いい加減な〝娯楽時代劇映画論〟というところかもしれません。そして、この娯楽時代劇映画というのは、〝時代劇なら全部娯楽として・・・・・・・見ることだって出来る〟でもあったりはするのです。「格調が高いから・・退屈」という見方もあれば、「格調が高いから面白い」という見方だってあるんです。格調の高さに訳もなく憧れてしまう通俗だってあるんだという考え方は、結構見落されがちであるだけに、重要なことだと思います。「チャンバラ映画はスカッとして面白い」という大衆だっていれば、「忠臣蔵は重厚だから・・・・・・ワクワクする」というのだって、やっぱりそれも大衆なのです。言ってみれば、この本の著者は、「通俗だったら全部取り上げる」と言っている著者です。「通俗だからこそ重要だ、その通俗の極致をこそ〝チャンバラ映画〟という表現で呼ぶのだ」というのが、この本の著者である私の考えであるようです。
という訳で、この本では『ひばり・チエミの弥次喜多道中』も『忠臣蔵』も、同じように通俗でチャンバラ映画です。
チャンバラ映画とはなにか、というのは、だからそういうことなんです。
チャンバラ映画とは、どこかに必ず「くだらない!」と言わせるだけの要素を持った、そして種々雑多にして膨大なる広がりを持った時代劇映画である、と。

まず初めに、チャンバラ映画の〝くだらない〟と思われている要素を箇条書き風に挙げてみましょう。そうすれば、チャンバラ映画の〝面白い〟ところが逆説的な形で浮かび上って来るような気もするからです。

2 チャンバラ映画はこうして・・・くだらない

チャンバラ映画がくだらないと言われる最大の理由は、それが「チャンバラである」からでしょう。
いわれもない差別のような考え方ですが、そういう考え方が出て来る根拠は二つあります(〝根拠〟という表現もヘンですが)。一つは、チャンバラ映画が、最終的にはチャンバラですべてを解消してしまうアクション映画=活劇であること。そしてもう一つは、それを見た子供がチャンバラごっこをするから(したから)です。
チャンバラ映画というのは、その程度のもの・・・・・・・なんです。どの程度のものかというのは勿論子供が真似られる程度、真似をするとしたらそれをするのは子供だけだという程度、です。
結局、話し合いですべてを解決するのではなくて、立回りでうまくおさめてしまう、だからそれはくだらないというのは、〝思想〟優先的なインテリの考えですが、それがそのまんま通ってしまったのは、「じゃァ結局は、お前はチャンバラごっこをしたい子供とおんなじ程度なのか?」という暗黙の問い直しがあったからなんですね。チャンバラ映画を面白いと思ったとしても、それがそのまんま「チャンバラ映画の重要性!」という言葉で素直に出て行かなかったということは。でも今は違いますね。「面白いということは重要なことだし大事なことではあると思うけれども、でも自分にはどういうことが面白いのか、それが正直いってよく分らない」というのが、一般的な現代の真面目な人の困惑ではある訳ですから。そういうことの重要な鍵は子供、又は子供時代というものが握っているんだという考え方がクローズ・アップされて来るのも、こういう現状が前段としてあってのことなんだとは思いますが、結局、「子供騙しじゃないか」というのは、それに素直に乗れない大人のテレなんですね。十分な子供騙しというものだったら、それはやっぱり十分に〝大人騙し〟にもなれたようなものだったんですね。
子供はズーッとそのまんまのノリで突っ走れちゃうけれども、大人は、うっかり走り出して〝現実〟というようなものの冷静な表情に出会って、その相手の中にうっかり〝怪訝な目〟というものを見てしまうというだけなんですね。優れた〝子供騙し〟に大人がテレを見せるということは。
だからこういう本・・・・・だってあるんだと思います。「くだらない、程度が低いとしか言われなかったようなものが実は面白かった。そして、そのことに対して面白いと思っていた自分てなんだったんだろう?」というようなことの内実が今迄明らかにされたことって、あんまりなかったんです。くだらないことの中にある重要性というのは、とっても捕まえにくいものですからね。捕まえに行く人間は「お前はくだらない人間だ!」と言われることを覚悟しなければならない訳ですから。
という訳でこの本は〝講座〟です。「くだらない」で簡単に放り出されてしまったものの中には、こんなに重要なこともあったんです。
という訳で、チャンバラ映画はこうしてくだらない、の二番目。こういう理由だってあるんです、「チャンバラ映画は、時代劇だから・・・・・・くだらない」。

勿論、チャンバラ映画は刀を振り回さなければなりませんから、人間が当り前に刀を差して歩いているという時代背景が前提になければいけません。映画というものは、江戸時代が終って明治になってから登場したものですから、当然のことながら〝チャンバラ映画のやれる時代背景〟というのは過去のものです。「現代と関係ないことをやってる」から、いけないんです。もう終った時代を舞台にするのが時代劇ですから、時代劇は時代劇である限り、いつだって〝後ろ向き〟というレッテルを貼られる覚悟をしていなければいけなかったということです。
明治という時代は、外国から黒船というものがやって来て始まった時代ですが、それまで鎖国していたのを開国してみたら分ったことはたった一つ、「日本は遅れてる!」ということだけだったのですから、時代遅れはいけなかったんです――この百年ちょっとばかりの間ズーッと。
明治維新から八十年ぐらい経って、日本が戦争に負けて、やっぱり「日本は遅れてる!」ってことだけ・・が明らかになったものだから、後ろ向きはいけなかったんですね。
しかし、というのはここです。だったらじゃァなんだって多くの日本人は平気で時代劇を見ていたのかっていうことだってあります。ひっくり返すと簡単だという逆転の発想を使いますと、意外なことが分ります。

「どうして時代劇は現代が舞台じゃないのか?」
「どうして現代に生きている現代人は平気で(又は〝喜んで〟)時代劇を見るのか?」
答は簡単です。それは、「だって、現代ってそんなに魅力的な時代じゃないもの」っていうことを、日本人は黙って、チャンバラ映画及び時代劇を見ながら言っていた、ということです。
〝意外な真実〟というのはどんなものでしょう。〝意外な真実〟というのはこの場合、〝言われて初めて「ホントだ!」って気がつける真実〟っていうことですが――。
そうなんですよね。どうして現代って魅力的な時代じゃなかったんでしょう? どうして、明治から後もズーッと、江戸時代はあったんでしょう?
答は後回しにして、次です。

チャンバラ映画はこうしてくだらない、その三番目の理由はこうです――即ち、「チャンバラ映画は映画だから・・・・・くだらない」と。

映画は新しい芸術です。新しい芸術というのは、その〝新しい〟という理由でなかなか芸術としては認めてもらえなかったという歴史だってあるんです。今みたいに「新しけりゃなんでもいい」という時代は異常な時代で、そんな時代ってなかなかあるもんじゃありません。普通、人間ていうものは新しいものを突きつけられたら、「ヘェーッ‼」って感嘆して惹きつけられるのと、「なんだこれは?」と思って一歩退くのと、両方の反応を同時に示すものなんです。
という訳で、映画はなかなか〝芸術〟だとは思ってもらえませんでした。
ということは、〝なかなか芸術映画も芸術だとは思ってもらえませんでした〟ということにもなります。「映画は映画であってチャンとしたものだ」っていう考え方が定着して、まともに映画というものが論じられるようになったのは、まだこの後です。長い間、〝映画評論家〟は〝映画解説者〟〝まだ見ていない人の為のアラスジ語り〟であったのは、そんな為ですね。
映画が普通の人の〝教養〟になって、娯楽でしかなかったものがちゃんと語られるようになったのはいつからか? もうちょっと簡単に言ってしまって、図書館に映画の本がチャンとした形で置かれるようになったのはいつ頃からのことでしょう? ここ十年か十五年ぐらいのことではないでしょうか。大体その頃既に映画は〝斜陽産業〟になっていた訳ですが、斜陽になった後で評価が始まるというのも、皮肉なもんです。
という訳で、「映画は映画であるからくだらない→従ってチャンバラ映画は映画であるからくだらない」という考えを御紹介しましたが、「映画は新しい芸術だからなかなかそれを芸術だと思ってもらえなかった」という考えがある以上、映画はまず〝新しい芸術〟になります。〝映像美〟なんていう難しい言葉が持ち出されて来ます。難しくないとなかなか〝芸術〟とは思ってもらえないんですね、日本では。
という訳で映画は、〝映像美〟を持った〝視覚芸術〟として語られる時、とってもつまらなくなっていたのでした。
という訳で、映画は、物語(ストーリー)を語るものとしては〝小説〟との関連で論じられていましたし、俳優が演技をするものとしては、〝演劇〟の親戚として位置づけられていました。
という訳で、ここから先は各論的な方向になります。チャンバラ映画はこうしてくだらないの四番目と五番目は、「映画は小説じゃないからくだらない」「映画は舞台芸術じゃないからくだらない」という、そういう方面から語られることになるんです。

3 チャンバラ映画と小説

「映画は小説じゃないからくだらない」という考え方が出て来るのは勿論、映画が〝小説を映画化する〟という形で、小説と密接な関係を持っているからですね。
小説というのは大体、長いものです。勿論短いものだってありますが〝文芸大作・・〟なんて言われる時の〝原作〟なんていうものは大長篇です。トルストイの『戦争と平和』やミッチェル女史の『風と共に去りぬ』を一日で読めるなんていう人は、特殊な人でしょうけど、でも映画にすれば三時間か四時間です。ということは、映画化ということはダイジェスト化(簡略化)でもあるということです。逆の場合だってあります。森鷗外の『雁』や川端康成の『伊豆の踊子』なんて、一時間もかからないで読めてしまいます。でもこれを映画にすれば、大体一時間半はかかります。かかって、映画化された作品を見ると、小説にあった何かが必ず抜けています。
小説というのは、ある意味でクドクドと説明するものです。小説の描写というのはそんなものです。人間の心理であろうと風景であろうと、文字だけでそういうものを伝えて行こうとする時、ある意味でまだるっこしい段取りになるのは仕方のないことです。読者というものは、そういうくどくどと細かい説明に一々うなずいて行くことに快感を覚える人達なのですから。
ところで映画というのは違います。〝あそこに森があってそこにはどんな木がどんな風に生えていて、天気はどんな風で季節はいつで、そこがどこのどういう場所で、その森の手前には草地があってそこにはどんな植物が生えていて、そこを見た感じはどんなもんで、そこに人間がいるとどんな風になっていて、そこの端に家が建っていて、それはいつどんな風に建てられて、それにはどんな歴史があるのかないのか、それを見た感じはどんなものか、そしてそこにかくかくしかじかの人間が住んでいて、その人間が歩いている〟なんていうメンドクサイ段取りは、映画の場合、一切なしです。そういう風景・・・・・・の中にそういう人間・・・・・・を歩かせて、それをカメラに収めればいいのですから。
それを見る人の感想は「なるほど」です。そこにそういうものがある・・・・・・・・・・・・のですから、それが映画なんです。
という訳で映画は、小説の中にある、〝くどくど説明されて行くことに対して一々うなずいて行く快感〟を小説から奪って出来上っています。映画化とは、まずそういう段取りから始められます。だから、小説の〝よき読者〟という人は、その小説の映画化に際しては必ず、なんらかの肩すかしを喰うことになるのです。映画が小説に対して軽く見られていたのはこれです。
勿論、映画は映画で、全く別の説明・表現をします。ただ、原作の持っている執拗なまでのくだくだしさ――往々にしてそれが小説の持つ〝説得力〟だったりします――に押し潰されて失敗した・・・・映画化作品を見て、右のような失望感を味わうことが多かったというだけです。
小説を映画化するということは、その小説からエッセンスだけを抽出して、そのエッセンスをもう一度、映画として豊かに再展開して行くことですから、言ってしまえば、エッセンスが濃厚でありさえすれば、原作の小説がくだらなくたってつまらなくたって失敗していたって未完成だって、一向に構わないんです。つまらない小説が面白い映画に変っていることなんて、ザラにあります。チャンバラ映画の多くは、そんな関係を小説と持っているというのは極端かもしれませんが、しかしそれはある部分においての〝真実〟ではあります。
チャンバラ映画の多くは、その原作を〝大衆小説〟というものから持って来ましたが、つまらないことを下手くそに(しかももったいぶって)説明している大衆小説よりも、つまらないかもしれないことを面白く見せている・・・・・・・・チャンバラ映画の方がズーッと優れているというのは、今や明らかです。
大佛次郎の小説『鞍馬天狗』にノスタルジックな愛着を感じていらっしゃる方々には酷な言い方かもしれませんが、今あの小説を読むと全くいけません。というのは何故かというと、鞍馬天狗が全く噓臭い人間にしか見えないからです。
御承知のように、『鞍馬天狗』という小説は幕末の動乱期を舞台にしています。新撰組や桂小五郎やその他大勢、史実に残る有名人物が出て来ます。昔は、こういう人達に関する史実というのは、実に大雑把にしか知られていなかったのです。だから、そこに〝正義の味方〟という曖昧にして素姓も明らかではない人間が出て来て、かなりいい加減といえばいい加減な活躍を〝日本の未来の為〟にしたって、まァ目は瞑れたのです。瞑れたのですがしかし、今やいけません。鞍馬天狗という噓臭い人間を通して導かれた読者の、その時代・・・・に対する関心が、今度は逆に鞍馬天狗というものを存在させなくなってしまうのです。
「幕末という時代に対する認識が大雑把→だから鞍馬天狗はいくらでも活躍出来る→その鞍馬天狗を面白いと思うことによって幕末という時代への関心が導かれる→幕末に関する史実がどんどん明確になって行く→その時代を面白いと読者が思って、興味が物語から歴史へと移って行く→実際の歴史の中に鞍馬天狗が実在していた訳がない→夢が消えて事実が残る」――この間の推移というものはこんなものでしょう。
大体、いい加減な(というか〝面白い〟)大衆時代小説を書いていた作家は、徐々に大成して行って、ある時期から大衆小説作家ではなく〝歴史小説〟を書く国民作家に変って行きます。吉川英治だってそうだったし、今生きている人なら司馬遼太郎がそうです。この人が昔〝忍者小説〟を書いていたことなんてもう忘れられているかもしれませんが、そうでした。『鞍馬天狗』の大佛次郎だって、『パリ燃ゆ』『天皇の世紀』と、だんだん歴史記録(ドキュメント)作家になって行きました。ある意味で、明治からこちらの時代小説を書く小説家の役割というものは、講談から史実へ移行するような橋渡しのようなものではありました――この件に関しては後に触れられますが。
という訳で、チャンバラ映画の原作というのは、「講談→大衆小説→歴史小説→史実の確定」と移行する流れの中の、一番最初にしていい加減な段階・・・・・・・に属していたということになります。
小説家というのはやっぱり、どこかで説明することが好きな特殊な人間なのかもしれませんが、説明するとなったら、架空の人間に関する噓の説明をするより、まだ知られていない本当のこと(〝埋れた史実〟というような)を掘り出して説明して行く方がズッと、張り合いというものはあるのです(ここら辺がインテリの弱味かもしれません)。ある段階で――それは勿論、大衆小説作家が歴史小説の国民作家に変身して行く段階で、ですが――ヒーローという架空の人物が小説の中から放り出されて行くのは、だから宿命のようなものではあったのです。
小説はそうですが、しかし映画は違います。〝映画とは、カメラの前に存在するものを映すもの〟です。史実だって、カメラの前に存在しなかったら、映画にはなりません。噓であっても、カメラの前に存在してしまったら、それは簡単に実在してしまうものである、というのが映画です。〝幕末〟なんていう膨大な現実時間を存在させるよりも、嵐寛寿郎に黒覆面をさせる方がズーッと簡単で本物であった、というのが映画なのです。
嵐寛寿郎が〝羽団扇(はうちわ)〟の紋のついた黒の着流しで宗十郎頭巾をかぶれば(勿論その頭巾はピンと立つように針金の芯が入っていますが)、そこに鞍馬天狗は、紛れもなく実在するのです。この世界では、鞍馬天狗こそが実在で、桂小五郎や近藤勇といった歴史上の人物の方が噓であるという、逆転が起こったのです。
なんでそんなことが平気で可能なのか?
そんなことは簡単です。その方が面白いから・・・・・・・・・、です。そうじゃなかったら、鞍馬天狗の活躍が噓になるからです。小説に比べて娯楽映画がくだらないと言われるのだとしたら、それはここでしょう。映画は平気でラチもない噓をつく、と。しかしこれも間違った比較で、娯楽映画を小説と比較してくだらないというのだったら、それは、娯楽・・映画と娯楽・・小説(大衆小説)の〝娯楽性〟――つまり〝くだらなさ〟とを共に比べてでなければ噓です。娯楽小説(大衆小説)はやがて歴史小説に変って行く・・・・・・・・・・・・・ものである。だから噓が少ない。しかし、娯楽映画は娯楽映画止まりだから噓だらけ、というのだとしたら、それはあまりにもバカげた比較であるということになりましょう。チャンバラ映画は〝噓か・噓じゃないか〟という基準で出来上っている訳ではなくて、〝面白いか・面白くないか〟という基準で出来上っているという、それだけなのですから。
はっきりしていることはたった一つです。面白いことを「くだらない」としか言えなかったら、そりゃァ人生つまらなくなるだろうなァと、ただそれだけのことなのですよ(そうでしょう?)。

4 チャンバラ映画と演劇と、長谷川一夫と流し目と

「映画は演劇じゃないからくだらない」という考え方は、多分今ではもう死滅してしまったとは思うのですが、「映画は本格的な・・・・演劇じゃない」ということに象徴される、映画と舞台演劇の演技の質の差・・・・・・というのはあまり分られてはいないような気もするので、ちょっと触れてみましょう。
映画と演劇の、その最大の演技の差は〝声〟です。
舞台に上った役者は、その劇場全体に届くような声を出さなければなりません。でも、映画スターはそんなことをする必要がないのです。それだけの差です。
サイレント映画というものを考えてみれば分ります。無声映画は声が無いのです。口が動いてさえいれば声なんか出さなくてもいいというのが無声映画です。サイレント時代の逸話で〝撮影中に台本のセリフを忘れてしまったら「イロハニホヘト」と言え、それで通るから〟というのがありますが、極端な話、映画は、そこまで声を出さなくてもよいのです。
映画は、結局はフィルムに定着したものがすべてです。フィルムを回して動き出す映像と音とで映画は出来上っています。映画が最終的には監督のもの・・・・・で、映画の現場では映画監督が一番エライというのは、結局その一切をフィルムに定着させて行く作業を監督し・・・統率して行くのが映画監督だからなんです。
映画は、フィルムという白いキャンバスの前にはすべてが〝素材〟となる、そういうものですから、そこでの演技は、通常の演劇の演技とは違うのです。
声は、マイクが拾ってくれます。表情は、カメラが接近してつかまえてくれます。劇場全体に声を届かせ、舞台の上では常に全身を観客の視線にさらしておかなければならない舞台の演技と、映画の演技は違うのですね。
演劇では、舞台にいる俳優と観客席にいる観客との距離は一定です。見たいからと言って、観客が舞台の上に上って行くことなど許されません。でも映画は違います。観客の視線はカメラと一緒になって、どこまでも近づいて行きます。〝アップ〟という特殊な〝演技〟は映画及び、テレビにしかありません。
〝アップ〟が特殊な演技術であるというのは、スクリーンに大写しになった俳優の表情を見るだけで、観客は何か・・をつかまえてしまうことが出来るという意味です。
男と女が何か話しています。その二人は〝恋をしている〟というような二人です。男と女が話していて、一瞬女の方の顔が大写しになって、その瞳が何かを訴えるように輝いた――そうした時、スクリーンの中の彼女が〝せつない想いを訴えた〟ということはもう、一目瞭然です。実際は、〝何か話している二人〟をカメラが追っていて「ハイ、カット!」という声が監督からかかって、それで接近していた二人の男女はホッと気を抜いたように離れて、「じゃ、彼女のアップ行こうか」と監督が言って、それまでそのカメラの外で待機していたスタッフがゾロゾロと動き出して、そのアップ用の照明を準備し始めて、女優さんの方は隅の方で、寄って来たメイク係にお化粧を直してもらって、「今のとってもよかったですよ」とお世辞を言われて、「あら、そうお?」と、せつない恋に胸を焦がす女優とは全く関係ない日常的な声を出して、「じゃ、行ってみようか」という監督の声で、改めてアップの撮影用にセッティングし直された現場に立って――勿論そこに相手役の男優なんかいる必要はありません――一人でせつなげな表情をカメラに向かってする、そして監督がその表情のあまりのワザとらしさ稚拙さにうんざりして、「そこでね、指先にトゲが刺さったみたいな顔をしてごらん」と言って、言われた女優が「はい」と言ってそうしたとしても、です。
実際に映画というものはこのような段取りで撮られて行くものなんです。映画というものは、そういうリアリズムなんです。前後のつながりではなく、瞬間瞬間のホントさがズーッとつながって行って全体の流れを生むという。
だから、映画スターが舞台に立って失敗するということは、昔はザラにありました。スクリーンの上ではあんなに魅力的だったスターが、実際の舞台上ではなんともせせっこましくしか動けないんです。そして、舞台俳優が決して映画スターにはなれないということだって、ザラにありました。舞台の上では説得力を持っていたものが、スクリーンの上では不必要なまでにクドイからです。
映画と舞台では、そのように演技の質が違ったのです。「映画は本格的な演劇じゃない」という考え方が昔はあった、というのはだから、ヘタクソな映画スターの舞台での芝居だけを見て、映画と演劇の差を考えないでいた人の錯覚があった、ということなのです。なのですがしかし、これだけですむ訳には行かないのがチャンバラ映画です。
チャンバラ映画は時代劇で、日本にはこの時代劇を専門に演じる特殊な演劇、歌舞伎というものがあったからです。
チャンバラ映画の場合、映画と演劇という関係は〝歌舞伎〟という特殊なものを挟んで存在しているのです。

チャンバラ映画のスターは、多く、売れない歌舞伎役者から来ました。最初のチャンバラ映画というのは、歌舞伎をそのまんま野外で演じたのをフィルムに収めるという、そういう映画でした。この二つが合わさると、売れない歌舞伎役者が地ベタで芝居をしているということになります。そして実際、日本映画の草創期にチャンバラ映画のスターがそのような見られ方をしていたのは確かでした。歌舞伎役者は〝河原乞食〟と言ってさげすまれる。男のクセに白粉塗って、と。でも、上から差別されるものは、機会さえあれば自分の下に平気で差別出来るようなものを作りたがる、ということで、「河原乞食と言われたって、こっちは檜の舞台の上で芝居している、それなのにあいつら・・・・はなんだ、板さえもない泥の上だ」というような、映画俳優に対する差別だってあったのです。
映画俳優の演技は本格的な深みを持たないというのは、こうした歌舞伎演技との比較から来たというのもあるんですね。ありますけど勿論その前には「歌舞伎なんか能に比べりゃ薄っぺらだ」という、そういう比較論だってあるんですね。これはもう、「昔はよかった」という、老人の繰り言に近いようなものではありますけれども。

長谷川一夫という、偉大なる〝映画スター〟がいました。晩年は舞台専門でしたが、しかし彼は〝映画スター〟であったと言った方がいいような気もします。
この人は元々歌舞伎の女方で、その美貌を買われて、映画の方に転向しました。だからこの人は、映画スターと言っても舞台俳優としての基本は全部備えている人ではありました。
そして、長谷川一夫といえば〝永遠の二枚目〟という言葉と共に、〝いやらしい流し目〟という、やっかみ半分の揶揄でも有名でした。
「あの流し目がゾッとする」というようなことを、生前、長谷川一夫はズッと理性ある男性観客・・・・・・・・から言われ続けていました。舞台俳優に転じてからも、彼が歌舞伎座の舞台に立って芝居をした時などは劇評で、「あの観客に媚びるような流し目を今回は抑えている・・・・・ので大分よい」などという言われ方をしていたものでした。
長谷川一夫は映画・・の二枚目です。スクリーンに大写しになった顔の中心にある、濡れるような瞳で芝居をする――それが天職ででもあるような人でした。多分長谷川一夫は、日本の演劇の歴史で最初に、顔で芝居をする、目だけで芝居をするという、表情演技を確立した人です。
映画という、カメラが動く――監督がカメラを操ることによって、そこに映るすべてのものを物語の素材に変えて行く、そういう表現芸術の中で生まれて育てられて行った直截にして即物的なリアリティーが長谷川一夫の演技術であったということは言えましょう。
映画スターの表情がアップになって銀幕(スクリーン)に映し出される――それは、映画スターが観客の胸の内を直に覗きこむことです。その直截さはほとんど〝エロ〟と呼ばれるものと同質のものです。
それ故に、長谷川一夫に直接胸の中に踏みこまれた女性の観客はうっとりとし、男性観客は拒絶し嫌悪し嫉妬したというだけなのです。
「流し目は下品だ」というのは簡単です。それを「エロだ」と決めつけるのも簡単なことです。でも、大衆芸能というものは、元はみんな卑俗(エロ)で下品なものなのです。「奥深い芸術でございます」という顔をしている能だって、更には雅楽だって、元はみんな卑俗な(いやらしい)大衆芸能だったのです。というより、すべての芸術・芸能の元は、みんな大衆芸術・大衆芸能であると言った方が正解でしょう。
人間の行動はすべて性行動と直結しているといった心理学的・民俗学的考察なんかよりは、芸能的な考察というのをしましょう。

人間はエロに弱いものです。ポルノというと、すぐどこかで眼の色を変えてしまいます。それは、人間的であるということは極めて性的なことでもあるという、人間の生理的な根源に由来していることではありますが、と同時に、ポルノほど飽きの来るものはないということだってあるのです。
「だからポルノは下らない」という物分りのいい批判・・・・・・・・だってありますが、しかし一方では「人間というものは永遠に、ポルノ的なもの・・・・・・・に対しては飽きを知らない」という厳粛なる(?)事実だってあるのです。
核心はエロかもしれないが、核心だけを手にして喜んでいるほど、人間というものは単純ではないのです。その核心を包む、〝その他もろもろ〟を含めて、初めてなんだかわからない胸のときめき・・・・・・・・・・・・・・・を感じるのです。
どうしてポルノはすぐ飽きるのかというと、それは「下品なものは瞬間的なインパクト(衝撃)しかもたらさない」からです。瞬間はすごかったけど、でもそれを反芻しようとするとどうしていいのか分らなくなる――それがポルノに代表される瞬間的なものの限界です。ポルノを見て胸がドキドキはしても、胸がときめく・・・・というような情緒的な感じ方が出来ないというのはそういうことですね。そのインパクトは、心的なものではなくて肉体的なものですから。
瞬間的なインパクトに肉体がひきずられて、それに更に胸の内がひきずられて行く――だからある程度興奮は持続するけれども、それが感動として胸にとどまることはない、だからいずれ飽きが来るというのが、人間の仕組です。
だから人間は、それを永続的で長持ちがするようにと、〝芸術〟なるものを発明したのです。
下品でしかない、しかし瞬間的なインパクトだけは明らかにある――そういうようなものの内に隠されているものが、人間にとって〝永遠に飽きのこないもの〟なのです。だから、ポルノには飽きてもポルノ的なもの・・・・・・・には、人間は飽きを示さないのですね。そういうどこかヘンテコリンな踏み外し方をするのが、人間という〝心〟を持ってしまった動物の特性なんですね。
下品でしかないけれども瞬間的なインパクトを持っているものの中から〝永遠に飽きのこないもの〟を摘み取り、そしてそれを育てて行く行為が〝洗練〟であり〝表現〟であり、そうして出来上ったものを〝芸術〟と呼ぶという訳なのです。
〝芸〟というものは洗練して行く力で、それ故にこそ、元は卑俗(エロ)で下品だった大衆芸能が〝奥行きのある芸術〟に変る訳です。この〝奥行き〟というものこそが人間の内にあって〝感動〟というようなものを示す〝心〟の落着き場所ということになりましょうか。そして、感動というものはいつの間にかなだらかなものになって行ってしまって――洗練にはそうした老成現象が付きものです――そのまま、初めにあった〝下品〟と称されるインパクトを忘れてしまう。だからいつだって、人間の歴史というものは〝古い上品と新しい下品の対立〟になって表われるという訳なんですね。言ってしまえば、既に出来上っていた芸術には、流し目という新鮮な感動・・・・・が分らなかった。既に出来上ってしまった〝芸術〟にしてみれば、観客の胸の中に直接飛びこんで行く映画という芸能は、もうそれだけで下品だった。出来上ってしまった〝芸術〟にとって、芸術というものは、ある距離をおいて観客と接するものであって、そのいきなりの飛びこみ方はそれだけで下品だった、ということです。
流し目はそれだけで下品で、そこには〝上品な流し目・下品な流し目〟という区別なんかなかったという訳なのですね。勿論、〝上品な流し目〟というものは存在します。というよりは〝「すごい!」と言わせる流し目〟〝立派な流し目〟〝納得出来る流し目〟〝鑑賞に値する流し目〟〝人間的な表現としての流し目〟という風に言った方がいいでしょうか。やはり「流し目というのは下品だ」という常識はありますから、そういう〝常識〟にとっては〝上品な流し目〟というのは分りにくいでしょうが、私の言っているのは〝流し目に関する洗練された技術〟ということです。〝芸〟というものは〝洗練する力〟なのですから、勿論そういう立派な流し目・・・・・・は存在するのです。長谷川一夫の言葉に「一番苦しい姿勢を取っている時が、お客さんにとって一番〝美しい〟と思える時だ」というのがありますが、これこそが長谷川一夫の本質をもっともよく説明する言葉でしょう。これは、精神論ではなく、技術論なんです。そしてこの技術論は〝見せる〟ということを職業とする人全員に役立つ、万能の技術論なんです。「自分がうっとりしてたら、他人様はうっとりなんかしてくれない」という精神論・・・は、所詮この技術論からの派生品でしかありません。「ともかく無理なことをすれば、その無理加減は他人にインパクトを与える」という、この技術論は、そういうすごい技術論です。こんなに、いきなりむき出しであるような万能の技術論を吐き出してしまう人を、私はあんまり知りません。普通技術論というのはもう少し、その世界独特の専門的な色彩というものをまとっているものだからです。会社の経理課長の言う〝心構え〟を、まったく他のジャンルの人が納得する為には、やっぱりある種の翻訳が必要だというようなことです。
長谷川一夫が、なんでこうもいきなりむき出しに〝技術〟であったのかということは簡単なことです。それは、彼がどのジャンルにも属さない〝映画スター〟だったからです。
長谷川一夫は、五十五歳まで映画に出ていました。それは勿論主演で、大アップの流し目の二枚目として、です。なんと彼は、五十五歳になる年に〝(出演)三百本記念映画〟として『雪之丞変化』に主演して、若くて・・・美貌の女方を演じているのです。
この市川崑監督による一種前衛映画でもある『雪之丞変化』の一番すごいところは何かといいますと、それは、この長谷川一夫が平然と若くも美しくもない・・・・・・・・・・・・、というところにあります。この映画を見た私の友人などは「ちっともきれいじゃないんだよね!」などという異様な驚き方をしておりました。別の友人は「腰が抜けた」と申しておりました。若くも美しくもないから見るに耐えない・・・・・・・、のではなく、若くも美しくもないのに見せてしまった・・・・・・・という、これはそういう驚きです。この三上於菟吉原作による、自分の両親を殺した人間達に復讐を誓って歌舞伎役者になる少年・・の物語『雪之丞変化』で、五十五歳の長谷川一夫は、若くて美貌の女方を演じた・・・のです。若くて美しく見えるのではなく、若く美しいものを平然と演じてしまったから・・・・・・・・・、そこには何か・・があったのです。だから、それは鑑賞に耐えて、観客は見てしまったのです。それは〝異様な美〟であったのかもしれませんが、「異様だ」という声を黙らせるだけの力を持っていた〝美〟であることに間違いはありません。これが〝芸〟です。長谷川一夫は、そういう〝芸=技術〟を見せたのです。そして、長谷川一夫にそれを可能にさせた根拠は実に、「私は長谷川一夫である」という、その自信だけでしょう。他の何によりかかることも出来ない。五十五歳で二重顎のオッサンかもしれないけれども、私は長谷川一夫である――それだけのよりどころがあればなんだって可能だという、そうした自信です。ノン・ジャンルである――どこのジャンルにも属さないということは、むき出しに、自分は自分である、ということです(難しいことを言えば)。歌舞伎役者から転向して映画スターになって(しかもこの映画スターとしてのレパートリーは〝美貌の女方〟から「おのおの方!」の大石内蔵之助までの幅広いものです)、そして映画スターとしての盛りを過ぎようとする頃――二重顎や皺が目立ってアップが苦しくなる頃――再び舞台俳優へと転身して、そして最終的に宝塚の演出までしてしまう。「一番苦しい姿勢云々」は、この宝塚の演出の時の発言ですが、この、なんでもやってしまうチャンバラ映画のスターでもあった長谷川一夫というのは一体なんだったのかというと、正しく、「長谷川一夫は長谷川一夫である」としか言いようのない人ではありました。そして、チャンバラ映画というのも、実に〝長谷川一夫〟なんです。小説でもなければ演劇でもない。時代劇のくせに歌舞伎でもない。〝チャンバラ映画〟としか形容出来ない雑然としたものがチャンバラ映画である――その一点で、チャンバラ映画は〝長谷川一夫〟とおんなじなんです。立回りもあればレビューもある。「おのおの方!」の忠臣蔵だってやっぱりあるのがチャンバラ映画なんです。〝長谷川一夫〟と市川右太衛門の『旗本退屈男』は、ほとんどおんなじものであると、私は思います。

盛りを過ぎて・・・・・・長谷川一夫は舞台に立ちます。観客席との間に距離をおいて、アップのない舞台では、皺も二重顎も気になりません。だからそこでは、長谷川一夫は相変らず全盛期の二枚目です。そして、相変らず全盛期の二枚目である長谷川一夫は、〝流し目〟という言葉で代表される、直接観客の胸の中に届いて行くような細かい表情演技を、劇場中に届かせるような演じ方で、演じ直さなければなりません。その結果長谷川一夫は、歌舞伎でもない新劇でもない、〝東宝歌舞伎〟と呼ばれるような、一種独特の〝長谷川一夫の演劇〟を作り上げるのです。
お客さんは来ます。だから公演は続けられます。しかしこれは、どこにも属さないジャンル分け不能の〝長谷川一夫の演劇〟なのです。どっかで見たことがあるものを全部寄せ集めて、どこにもないような、しかし違和感を全く感じさせない当り前のものを作ってしまう――日本的といえば、正にこのやり方こそが日本的の最たるものですが、それが〝長谷川一夫〟であり、チャンバラ映画なのです。
長谷川一夫は東宝歌舞伎の中で、オーケストラという〝洋楽〟を使って日本舞踊を踊ったのです――それは、ジャズからベートーベンの『運命』までという、突拍子もなく幅の広いものでした。そしてサイレント時代、チャンバラ映画は、洋楽の伴奏で――しかも曲は三味線音楽でした――立回りのシーンをバンバン回したのです。
どちらも同じものです。

それ迄の基準で行けば〝いかがわしい〟〝くだらない〟〝品がない〟と言われるようなものを平気で組み合わせて消化させて、それでチャンと見せてしまう。チャンと見せているにもかかわらず、それがどこに所属するものかがさっぱり分らないから、とりあえず〝ジャンル分け不能〟の〝くだらない〟という領域にほうりこまれる。日本という国に於ける〝日本的〟というものは、実にこういう存在の仕方をします。唐の時代の中国を模倣した奈良から平安朝に移って〝国風文化〟というものが出来た。そして、国風文化の代表とされるのが女の子のお喋りに類するような〝女流文学〟であるという、〝日本的〟のルーツを頭におけばこんなことは不思議でもなんでもないのですが、しかし、誰もこんな風には考えないですね。考えた方がいいし、考えるべきだと私は思いますですね。というのは何故かというと、この〝日本的〟ということの核には、とっても重要なものがあるからです。

平安朝の女流文学だって、もともとは個人的なものでした。女学生の日記でしかないようなものが『枕草子』だったり『更級日記』だったりする訳ですからね。じゃァなんだって一体、そんな個人的なものが立派な〝古典〟なんていうものになったのかというと、それは、そんな〝個人的なもの〟が「だって、私は私でしょ」という立派な力によって支えられていたからです。
個人的ということは公けの公式ジャンルからははずれているということですが、はずれていてもいつか立派に存在してしまったというのなら、そこには勿論、それだけの力があったからです。ノン・ジャンルの長谷川一夫が、あくまでも〝長谷川一夫〟であったというその〝力〟と、この力は同じものです。この〝力〟、それは勿論〝芸〟ですね。
人の心に訴えかける〝何か〟が、〝芸〟〝技術〟という力によって育てられる。それは〝芸術〟と呼ばれるものであろうけれども、その〝芸術〟の中には従って、「私は私であるけれども、それと同時に、やっぱりみんなもみんなだよね」という、広がりを持っているということになります。
この広がりは、多分〝善〟であり必要であるようなものだろうと思われます。それまでにそういうものがなかったからなんだかヘンな扱いを受けるけれども、必要なものは必要なものでチャンと進化して行くということですね。
チャンバラ映画には〝新しい何か〟があって、それが発見されなかったばっかりに「くだらない」と言われていたのだというのがここまでですが、それでは次に、その〝新しい何か〟を前面に押し出す為にチャンバラ映画が明白についた〝噓〟のお話をすることにしましょう。この一点で、チャンバラ映画は多分〝いい加減〟だったんだと思いますよ。それは、〝お歯黒〟の話です。

5 現代で時代劇をやる〝噓〟について

御承知のように、江戸時代の既婚女性はみんな・・・、お歯黒をしていました。眉を剃り落してお歯黒をつけるのが、江戸時代の普通の既婚女性でした。ついでですが、お歯黒をつけていたのは人妻だけではなく、遊女も勿論そうでした。遊女は眉を落しませんが、それでも、薄倖の遊女が寂しげに微笑んだ時、口の中が真っ黒だったという情景を考えて下さい。
どうです、ぞっとしないでしょう?
日本人がいつ頃からどうしてお歯黒をつけるようになったのかということはよく分りません。〝魔除け〟という呪術的な意味があったとか、お白粉ベタ塗りに象徴される肌の白さを引き立てる為のであるとか、出産で歯がボロボロになってしまうお母さん――お腹の中の赤ちゃんにカルシウムを取られてしまう為です――の話に代表される女性の弱い・・歯を守る為とか、説は色々あります。色々ありますが、事実としては、平安時代の王朝貴族達はみんな、男も女もお白粉つけてお歯黒つけて紅をさしていた――そういうお化粧をしていたということです。
室町時代に生まれた日本の代表的な芸能である能の能面――〝小面(こおもて)〟と呼ばれる若い女性の面は、眉を落してお歯黒をつけています。〝能面のような無表情〟という言葉の元はここですね。眉を剃ってお白粉で顔中を塗り潰してお歯黒をつけて、顔から表情というものをまず奪って・・・・・、そしてしかる後に〝きれいか・きれいじゃないか〟という〝美〟が問題にされたんですね。桶狭間の合戦で織田信長に倒された今川義元、この人も京風にお白粉お歯黒眉なし口紅のお化粧をしていました。今川義元にしてみれば、そういう風なお化粧をすることがまず第一の権力者の条件だったんですね。
平安朝の終りの源平時代から徳川幕府まで、日本の歴史は朝廷貴族と武士政権の幕府との対立の繰り返しでした。そして、政権を握った武士が力を失うのは大体いつも決って〝武士が貴族化したから〟ということでした。武士が貴族化するというのがどういうことかというと、それは端的に言ってしまえば、男がお歯黒をつけるようになってしまうということです。
壇ノ浦で滅んだ平家も、最後はいるんだかいないんだか分らない〝お人形〟になってしまった室町幕府の足利将軍も、みんなお化粧をしていました。今川義元だってそれにならってお化粧をしたのです。勿論それは滅びることを見ならったのではなくて、権力者のスタイルを見ならっただけなのですが、結局は古いものの宿命で、桶狭間の露と消えるところまで見ならってしまったのでした。あの「浪花のことは夢のまた夢」と言って死んで行った豊臣秀吉だって、最後はお化粧してたんですよ。だから・・・時代は簡単に徳川幕府になってしまったんです――今川義元とおんなじで。
お歯黒のお化粧は一種のステイタスでもありました。という訳で、江戸時代という、やっぱり現代とおんなじように〝大衆化現象〟の起こった時代には、女性はみんな、昔の貴婦人のような無表情になりました。だから当然、江戸時代の女の子は、「結婚したら眉毛が剃れる、結婚したら歯が真っ黒になれる♡ああ、嬉しい」と思っていたのでした。〝常識〟というものはそういう風に働きます。
ところで、結婚したら眉毛を剃ってお白粉をつけてお歯黒つけるというのはどういうことかというと、結婚したら無表情になる・・・・・・ということです。なにしろ、江戸時代の結婚というものは女性にとって〝夫に仕えること〟でしたから無表情は当り前だったのです。
ところが、明治になると女の人はお歯黒をつけなくなります。というより、結婚すると眉を落してお歯黒をつけるという風習はもう、はやらなくなります。近代の日本の変化で一番重要なものは実に、この〝もう、はやらない〟ではありましたけれども、要は、お歯黒は古さの象徴になってしまったということです。
「結婚したら眉毛が落せる!」と喜ぶ女の子はいなくなります。なりますが、かといって、江戸時代からお歯黒をつけて来て明治を迎えて、「だからといって急にやめる理由もない」とそのまんまお歯黒をキチンとつけているおばさん、お婆ァさんがいなくなる訳でもありません。そういう人はかなり長い間黒い歯のまんま生き残ったりはする訳です。
という訳で、古さの象徴になったお歯黒はここで、更にその〝古さ〟という意味合いを強固にする訳です。だって、陽の当らない部屋にジッとしているお婆ァさんがたまに口を開けると真っ黒である、とか、しなびたおっぱいぶらさげて下品に笑う婆ァさんの口許が真っ黒だ、というような形でしかお歯黒は残らない訳ですから。
ここでお歯黒は〝古くて不気味〟というイメージを付け加えられます。
という訳で、伺いますが、あなたは、チャンバラ映画の中でお歯黒をつけてニッコリ笑う可愛い・・・人妻とか、はかなげな遊女を見たことがありますか?
ないでしょう?
そういう黒い歯は大体、遣り手婆ァとか武家の堅実だけが売り物の地味なオバさんとか、好色な年増女というような形でしか出て来ないんですから――出て来るとして。
「そんなことはない、私はチャンと、そういう正式な人妻風俗・・・・・・・というのを映画で見たことがある」とおっしゃるんでしたら、それはあなたが芸術的な時代劇・・・・・・・しか見ない人だというだけです。
〝芸術〟の方から行くと、もう、江戸時代というのは即〝封建的〟ですから、そういう封建体制の桎梏の中で抑圧されて自由も奪われて人間性が剝奪されてる訳だから、当然女の人は無表情にならなくちゃいけなくて、お歯黒眉なしになるのです。
それが芸術であり本格である、という訳です。という訳で、溝口健二監督の『西鶴一代女』とか篠田正浩監督の『心中天網島』とか今井正監督の『武士道残酷物語』といった作品にはそういう女性・・・・・・達が出て来る訳です。
しかし、それはそれとしておいといて、まともで健全な感性を持っている現代の男性が、「お帰んなさい」と言って出迎えてくれる自分の奥さんの歯を黒くしたいとも思わないし、眉毛がない方がいいとも思わない訳ですね。そんなもん「可愛い♡」とは思えない訳ですから。
という訳で、チャンバラ映画は〝噓〟をついたんです。自分の可愛い奥さんやガールフレンドを、江戸時代の生き残りの不気味な婆ァさんのようにはしたくないと思って。

昭和三十年代の東映映画、中村錦之助(現・萬屋錦之介)主演のシリーズ物〝一心太助〟の中で、この主人公一心太助は結婚をいたします。普通、シリーズ物の主人公は結婚なんかしないんですけど――大体、主人公が結婚するとそのシリーズ物は終ってしまうんですけども(ここら辺は一昔前の少年マンガと似ています)、この一心太助は結婚します。その結婚相手は〝天下の御意見番〟大久保彦左衛門のところで腰元奉公をしていた〝お仲ちゃん〟です。この〝お仲〟に、あの歯磨のCMでおなじみの中原ひとみが扮しました。笑うと歯が真っ白で、目がクリクリッとしたあの人です。
今では二児の母になってしまいましたが、昔はこの人、日本のオードリー・ヘップバーンでした。
という訳で、この人が一心太助の許嫁に扮して結婚して若奥さんになったら、当然、真っ黒な歯に眉毛なしで、ガイコツのようなギョロ目を光らせて出て来ることになります。一体、どうしてこれで明朗娯楽時代劇になるのか? という訳です。
ならないからやめます。中原ひとみのお仲は、一心太助と結婚して夫婦になってからも眉を落さず歯も染めず〝処女〟のまんま平気でこの映画の中に出て来ます。
眉があって歯が白ければ、それは江戸時代の常識で言えば〝処女〟でした。もうそんな年頃でないにもかかわらず、歯を染めないでいる女がいたら、それは江戸の常識で言えば〝ツッパリ娘〟ということです。江戸の白い歯は、そういうものだったんですよ。
ところで、大久保彦左衛門という立派なお武家様のところで腰元奉公をしていて、その旦那様の仲人で一心太助の女房になったお仲がツッパリ娘である筈はありません。
だから〝一心太助〟のシリーズに出て来る太助の女房お仲は、考証的・・・には〝噓でいい加減〟なんですね。でも、ホントで正確にしたらどうなるかは前にも書きました。生きてる骸骨だって。
大体、エラが張ってギョロ目の女が、江戸時代の美意識でいって〝美人〟である筈がありません。それで言えば、そもそも一心太助の女房に中原ひとみを持って来ること自体、考証的には間違いなんですね。
でも、ここで必要なのは間違いかどうかという問題では全くありません。昭和の三十年代に〝一心太助〟を観る人と作る人は、「絶対に一心太助の恋女房は現代的で明るい可愛い女の子がいい!」と思ったんです。だからその役を中原ひとみが演じたんです。
みんな、チャンバラ映画に自分達・・・を見たかったんです。だから〝噓〟がなければいけなかったんです。
私は前に、「チャンバラ映画を見る人にとって〝現代〟はそんなに魅力的な時代じゃなかった」なんてことを言いましたけども、その話がここに続きます。
チャンバラ映画は、江戸時代が終ってから出来て来た新しい芸能です。「なんで今更終った時代がいつまでも背景になってなくちゃいけないんだ」という軽蔑がチャンバラ映画にはあったと言いましたけれども、でも人間というものはそう簡単には変らないんです。変れないんです。
頭では「それは古い」と分っていても、でもそれだけで自分の今迄を切り捨ててしまうのはお調子者のバカだけです。明治の初め、日本は文明国だということを諸外国に見せる・・・為に、ドレスを着た貴婦人達が毎夜毎夜鹿鳴館で舞踏会をやって、「とんだ猿芝居だ」とみんなに笑われたのはその為ですね。まだその頃の日本人は、〝西洋的な文明人〟ではなくて、圧倒的に〝江戸時代人〟だったからです。そして、圧倒的に〝江戸時代人〟であることを困ったことだとして、ズーッと頭をかかえて来たのが近代の日本人でした。「まだまだ日本は遅れているし」と、ズーッと言って来たのでした――インテリとかエライ人は。
確かに、何かは遅れてたんです。でも、遅れてるのは〝何かが〟であって、全部ではなかったんです。江戸の三百年は平和だったんだから、その為に〝何か〟は遅れたとしても、それに見合うだけのやっぱり〝何か〟は、満ち足りていたんです。江戸時代が終ってもズーッとお歯黒をつけているお婆ァさんがいたということは、その一つの例なのかもしれません。もっとも、そういうお婆ァさんを〝時代とは無関係な困った人〟〝時代遅れの旧弊な人〟ということだって出来ますけども。出来ますけども、でも、それで行ったら、日本人の多かれ少なかれは時代とは無関係な部分を持っていて、時代に乗り遅れているということにだってなるんですよ。
これだけテレビを初めとするマスコミ・ジャーナリズムが発達した現代で、そしてそういう現在であるがゆえに、日本人のほとんど圧倒的多数の大部分のかなりの人が、「自分は時代とは関係ないのかもしれない」「流行に乗り遅れないように」とウの目タカの目でキョロキョロしているということは、日本人はみんな、今だって、どこかで〝お歯黒をつけたお婆ァさん〟を演じているってことなんですよ。
「もう、はやらない」という声がどこかから聞こえて来ると、誰に命令される訳でもなく、日本人の大多数がある方向に突進し始めるという、そういう落ち着きのなさが、明治からこちらの日本人の歴史の底流にはありました。
だから、日本人は「落ち着きたい」「のびのびとしたい」と思った時、さっさと自分の住んでる〝現代〟を捨てて、江戸時代へ行ったんです。そこだったら「もう、はやらない!」という声は聞こえて来る筈がありませんから。
それくらい、日本のこの百年は落ち着かない百年だったんです。だから〝都会的〟とか〝現代的〟というものは、いつも不安定で軽薄なものとしてとらえられて来たんです。日本に〝都会的コメディー〟というものが定着しないで、喜劇はみんな〝人情喜劇〟という昔ながらのもの・・・・・・・に落ち着いてしまったのはその為です。それくらい、この百年間の〝現代〟は面白いことが定着しにくい百年ではありました。面白いことが定着しにくいということは、ドラマが生まれにくいということですけれども。
ショッキングな事件が起こっても、それがドラマとして定着することはない――それ以前三百年以上も昔の元禄の事件が〝忠臣蔵〟というドラマになって今に残っている、にもかかわらずですよ。
この百年の間、圧倒的多数の日本人は、自分達のドラマを全部、江戸時代から持って来てたんです。「教養のない人だからそういうことをする」なんていう発言は勿論、バカのすることですね。誰になんと言われようと、〝本音〟というものは、存在するのなら揺るぎなく、存在するものなんですから。
チャンバラ映画が存在していた日本というのは、実はそういう一面を持っていたんです。
だから、昭和三十年代の日本人は〝現代的な奥さんを持っている自分〟というのを発見する為に、わざわざ江戸時代まで行った・・・・・・・・・んです。一心太助になって、自分の奥さんにお歯黒をやめさせたんです。
多分、こういうことだと思います――江戸時代が明治以降もあったというのは、明治以降の日本人達が「あそこからやり直すんだとすると、自分はすごくスッキリと自分の人生に筋を通すことが出来るんだけどなァ」と思い続けていたからだ、と。言ってみれば、江戸時代というのは、もう帰ることが出来ない自分の子供時代のようなものだ、と。
子供のまんまでいたら世の中にはついて行けないけれども、でも子供の時はそれなりに何かが満ち足りていた・・・・・・・――あの時の状態がそのまんま素直に続いていたら自分はもう少しうまく落ち着いてなんでもうまくやれていたんじゃないか、そう思わせるものが娯楽としての江戸時代、娯楽としてのチャンバラ映画だったんです。
「たかが娯楽」と言われたってバカにしたものじゃない、そういう娯楽に接している時、日本人の圧倒的大多数は「今の自分のいる世の中はどっかおかしいところがある」と黙って・・・言っていたということになるんですから。

明治以降も江戸時代があったということはそういうことです。
それは夢の時代だし理想の時代だし、ドラマのある時代でもあったからです。明るい夢だってあれば妖しい夢だってある。〝怪談〟というものの舞台が圧倒的に江戸時代で、現代の怪談というのがいつもどっかおかしい、そぐわないというのは、そういうことですね。
江戸時代の衣裳を着ればドラマが演じられた、演じやすかった。だから現代人は着物を着た。そういう意味でチャンバラ映画は、常に〝着物を着た現代劇〟だったんです。
どんな話でも、平気で昔ながらのパターンに収めてしまう――チャンバラ映画が全然前向きじゃないと否定されてしまうのと同時に、そこで描かれる〝昔〟はかなりにいい加減だと、今度は不徹底な後ろ向き加減を非難される。そして、「要は通俗なんだから、いい加減で中途半端でもしょうがない」と許される・・・・
まァ、誰に許されるのかは知りませんが(多分それは〝権威〟でしょう)、しかしチャンバラ映画が一貫して〝着物を着た現代劇〟であった以上、いい加減であらねばならなかった・・・・・・・・し、中途半端であらねばならなかった・・・・・・・・のです。それこそが必要で、美点であり長所であり、魅力だったのです。

多くの日本人はこの百年の間、まだ、〝魅力的な現代生活〟〝ちゃんとした自分の生き方〟なんてものをつかまえられなかったから、チャンバラ映画を見て勉強していたのです。「ああすれば楽しくなる」「ああすれば正しくなる」と!
〝通俗〟ということのすごさを誰も知らないようですが、通俗こそは、そうした人達に向けての、人生の教科書ではあったのです(どうだ、チャンとした〝講座〟だろ! てな啖呵の一つでも切りましょうか?)。

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