ためし読み - 文庫

ガザ虐殺を問うための緊急出版 イスラエル/パレスチナでは何が起きているのか?(4) 『見ることの塩(上・下)』(河出文庫)一部ためし読み

2023年10月7日、ハマスの越境作戦を契機に、イスラエル軍による大規模な復讐戦が展開しました。戦闘開始から半年が経過した今でも、日々痛ましいニュースが届けられ、第二次世界大戦以降の統治体制、宗教や民族の対立など、さまざまな要因が語られています。

この世界史的な悲劇にたいして、小社では四方田犬彦『見ることの塩』を河出文庫から緊急出版しました。本書の前半部は、2004年にイスラエルのテルアヴィヴへ、そして「壁」を越えヨルダン川西岸パレスチナへ、街を歩き、この土地に暮らす人々と対話を重ねた半年間の旅の記録です。

いま、パレスチナ/イスラエルではなにが起きているのでしょうか ―― 本書の冒頭を4回に渡って特別公開します。

 

===試し読みはこちら===

見ることの塩(上・下)
四方田犬彦

 

 

ユダヤ人の定義不可能性(2)

 

 戦争に勝利し、独立を確保したものの、イスラエルには別の思いがけない試練が待ち構えていた。本来シオニストが国民として移住を期待していた西欧の「文明化」されたユダヤ人の大半が、ナチスドイツによる強制絶滅収容所によって殺害されていたのである。若干の生存者がいたにはいたが、初代首相であったベン・グリオンは、そのような「人間の屑」は新国家には必要がないと公言した。アウシュヴィッツの生存者のいくたりかは結果的にイスラエルに移住することを許されたが、周囲の目を慮って、過去の体験を隠し通さなければならなかった。戦前にパレスチナに渡って困難な国家建設に携わった者たちにとって、どこまでもシオニズムを信頼せずヨーロッパに留まり、抵抗もせず屠畜場に引かれていく羊のような犠牲者とは、軽蔑されるべき否定的な存在でしかなかったためである。収容所の生存者がそれをポツリポツリと公言するようになったのは、1980年代に入ってからのことだった。もっともイスラエル国家は1960年のアイヒマン裁判の成功以来、ショアーの厄難と国家建設の間に積極的な因果関係があるという宣伝工作を行い、アラブ人を追放してユダヤ人国家を樹立することが正当な行為であるという論理を国際的に喧伝した。
 イスラエル社会が移民社会として複雑化してくるのは、この時期以降のことである。シオニストは当初の移民計画を大きく変更し、ユダヤ人国家を存続させるために2つの決定的な妥協を余儀なくされることになった。ひとつはユダヤ教徒との妥協である。それはニーチェの超人思想に親近感を感じていたヘルツルの理念を大きく裏切ることにほかならなかった。イスラエル国家は政治の中心を、ヘルツルの近未来小説の舞台となった架空都市の名を借りて建設されたテルアヴィヴから、古代からユダヤ教の聖地であったエルサレムに移すことを余儀なくされ、ユダヤ教の教義に応じて、日曜日ではなく金曜日夜から土曜日夕方までを安息日に指定することを受け入れた。こうした宗教的裁断は近代からの逆行であったが、背に腹は代えられないという危機意識ゆえのものである。ちなみに現在でも超正統派を自称する一部のユダヤ教徒のなかには、イスラエルが実現するのはメシアが再臨した瞬間であるはずだとの教義から、現実のイスラエル国家を否認する傾向が存在している。彼らはシオニズムこそが民族差別主義の元凶であると主張し、PLOやハマスに積極的に対話を働きかけている。日本ではともすればシオニストとユダヤ教徒が混同されて理解されている向きがあるので、ここに注記しておきたい。
 イスラエルの妥協のいま1つの点は、移民方針の変更である。彼らが到来を予定していたアシュケナジーム、すなわちドイツ、ポーランド、ロシアといった地域に出自をもつ西欧化されたユダヤ人が期待できないとわかった時点で、全世界に離散したユダヤ人に門戸を開くという政策が採用されることとなった。おりしも1940年代後半から50年代にかけては、中近東からマグレブまで、これまで英仏の植民地や保護領であった地域でイスラム教徒を中心とした国家が独立した時期でもあった。こうした地域に居住していたユダヤ系人口が、次々と新生国家イスラエルに移住してきた。地中海沿岸諸国から到来した者たちは、15世紀のスペインからの追放に因んでスファラディームと総称された。みずからをヨーロッパ人と同一視してきたアシュケナジームは、アラブ社会からの移住者を未開の徒として差別し、「東方系」という意味で、軽蔑的にミズラヒームと呼んだ。
 アシュケナジームにとってスファラディームとミズラヒームは、不可避ではあるが招かれざる客であった。両者は生活習慣から食物、言語まで、あらゆる点において異なっていた。アシュケナジームがイディッシュ語を捨てて、懸命に人工言語であるヘブライ語の再生に努力している一方で、ミズラヒームは平然と身内ではアラビア語で会話し、その出自であるアラブ文化圏の食事と音楽をイスラエルの地に持ち込んだ。遅れてきた移民である彼らの多くは貧しい宿舎を与えられ、不毛の土地の開拓に従事させられた。政治経済はもとより文化の規範にいたるまで、すべてはアシュケナジームを規範としてあらかじめ制定されており、スファラディームとミズラヒームは自らの文化的出自を否定することを強要された。60年代から70年代にかけては、モロッコから移住してきた貧しい少女がアシュケナジームの家庭でメイドとして働くうちに文明に目覚めて美少女へと変身するという絵本が、国民的規範の児童書としてロングセラーとなり、無骨だが純情なミズラヒームの若者とアシュケナジームの深窓の令嬢との純愛ミュージカル映画が大ヒットしたりした。劣悪な住居と教育環境のもとで、文化的アイデンティティの実現の当てもないまま、彼らは二級市民としての待遇に甘んじなければならなかった。驚くべきことであるが、1980年代のある時期まで彼らの音楽は公式的には音楽として認められず、ラジオは一貫して西欧のクラシック音楽しか放送しようとしなかったのである。
 1959年にはハイファのモロッコ人集落で大掛かりな暴動が生じた。1970年にはスファラディームの2世の若者の間で、ブラック・パンサーが結成され、過激な政治活動に出た。時の首相であったゴルダ・メイアは秘密警察と機動隊を駆使して、彼らを徹底的に弾圧した。ブラック・パンサーという命名には云われがあった。アシュケナジームはしばしば自分たちの入植の歴史をアメリカ合衆国におけるワスプに喩え、先住民であるアラブ人を「アメリカ・インディアン」の位置において貶めてきた。であるならば自分たちスファラディームは黒人奴隷に対応しており、その抗議運動は同時代のマルコムXたちのそれに相応すべきであるという発想である。
 ブラック・パンサーから30年以上が経過した現在、眼に見えるかたちでの差別は、表面的には窺うことができない。各が別の居住区に住んでいることがその一因である。打ち続く戦争は、それまでほとんど接する機会のなかったアシュケナジームとスファラディームの若者たちに、軍隊内での接近の機会を与えた。かつて差別語であったミズラヒームは、アメリカ社会における  Black is beautiful という標語よろしく、ミズラヒーム自らによって肯定的に口にされる単語と化している。だが見えないところで差別は進行し、陰湿な形でイスラエル社会の底辺に横たわっている。政財界からアカデミズムまで、上流階級のほとんどを占めているのは相変わらずアシュケナジームであり、刑務所に入獄中のユダヤ人の8割はミズラヒームであるといわれている。とりわけ彼らのなかでも最下層だと見なされているモロッコ系が、その6割を占めている。わたしが知り合いになった映画監督ヨシ・マドモニは、自分が国際映画祭で話題を呼ぶたびに、イスラエルのメディアは自分のことを単なるユダヤ人としてではなく、「スファラディーム系ユダヤ人」と、わざわざ注付きで報道することに不満を漏らしていた。彼はところかまわずバーベキュー・パーティを開くことにしか眼のないスファラディームの庶民の幸福感を主題に、その名も『バーベキュー・ピープル』という喜劇映画を撮っていた。
 1990年代に入って、この対立の図式に新たなる2つのエスニック集団が加わってきた。旧ソ連からの移民とエチオピア人である。前者はもしソ連が存続していたならば、アメリカが自由主義の社会主義への優位を世界中に喧伝するために、悦んで歓迎した類のユダヤ人であった。冷戦体制の崩壊は状況を変え、アメリカは旧ソ連からの移民にいかなる利用価値をも喪った。アメリカに拒絶された者たちが向かったのが、ユダヤ人であるならば誰でも無条件に歓迎すると公言しているイスラエルである。
 ロシア系移民はイスラエルという社会に、ほとんど何も思い入れをもっていない。彼らはロシア語を捨てず、自分たちの背後にあるロシア文化がイスラエルのそれよりもはるかに高いというプライドを抱いていて、あっという間にロシア語の新聞雑誌からTV放送までを立ち上げてしまった。テルアヴィヴの下町アレンビー街を歩いていると、いたるところにロシア語書店が並び、ロシア語の看板が掲げられているのを眼にすることになった。店先からはタトゥーをはじめとして、最新流行のロシアのポップソングが流れていた。彼らは平然と肉屋で豚肉を販売し、超正統派の者を怒らせた。肉屋は行き場所のないロシア系の老人たちが屯して、日がなロシア語でお喋りをする集会所と化していた。そこで信仰篤き者のなかには、「豚はロシアに帰れ」というプラカードを立てて、店に投石をしたり、抗議デモをする動きが生じていた。
 旧ソ連系移民のなかには、グルジアやアルメニア、さらに中央アジアのイスラム圏から渡来した者たちも少なからず含まれていた。彼らをアシュケナジームとミズラヒームのいずれに見なすかをめぐって、微妙なやりとりがあった。とりわけ人数の多いグルジア系は閉鎖的で独自の共同体を崩そうとせず、モロッコ系をはじめとするミズラヒームとの間に軋轢を起こしていた。
 旧ソ連系移民のなかにはヘブライ語の習得に熱意を見せず、かつて自分が取得してきた技能や資格を認められず、希望通りの職業に就くことができない者が少なからずいた。彼らの多くはイスラエルの灼熱の夏を嫌い、休暇となると当然のごとくに故郷に戻った。イスラエルはどこまでも仮初の中継地にすぎず、いずれ機会を見てアメリカ合衆国に移住することがその夢だった。わたしはたまたまモスクワから到来した2人の女子大生といくたびか会話をすることがあったが、彼女たちはすっかり現地生まれのユダヤ人を馬鹿にしきっていた。あの人たちって、割礼とか、変なことばかりしてるのよねえ、という調子である。彼女たちは、モスクワにいたときは誰からもユダヤ人といわれたことがなかったのに、ここに来てからはどこでもロシア人、ロシア人と指差されて不愉快だと語った。
 ユダヤ人とアラブ人との対立だけを漠然と想像していたわたしは、この地に滞在してしばらく経つうちに、社会がけっしてそれほど単純なものではないことを、少しずつ理解するようになった。アラブ人社会については後の章に詳しく述べることにするとして、ユダヤ人社会はというと、先に述べたようにアシュケナジームとスファラディーム(あるいはミズラヒーム)の宿命の対立がまずあり、そこに新たに旧ソ連系とエチオピア系が到来して、事態を錯綜させていた。
 ミズラヒームの語るヘブライ語は、出自の言語である地方アラビア語の痕跡を留めていて、「シュ」と「ス」を区別しないことで特徴づけられていた。イエメン系では「ク」と「フ」の中間にある子音が、息を強く吐き出すように強調された。もっとも彼らだけは2,000年にわたってヘブライ語を保ち続けており、簡略化されない原初の母音体系をいまだに保持しているというので、独自の文化的誇りを携えていた。アシュケナジームのなかでもルーマニア系は鼻にかかった、くぐもった発音ゆえに、よくからかわれていた。ロシア系は[r]を、咽喉から込みあげるように発声した。こうした微妙な発音の差異を読み取ることで、ユダヤ人たちは目の前にいる相手が同じ出自をもっているかいないかを、瞬時に読み取るのだった。
 どのエスニック集団にも、彼らを嘲るさいに用いられる隠語が存在していた。アシュケナジームには、弱っちょろい奴という意味で、ヴズヴズという言葉が用いられていた。モロッコ系はフランス語を喋るというので、フランク。エチオピア系は文字通り差別的な「黒ん坊」という意味で、クッシ。これとは別にアラブ人を罵倒するときには、アラビ・マスリアッハという表現が口にされた。臭いアラブ野郎、というほどの意味である。

 

 加えてユダヤ人を弁別しているのは、その出自だけではなかった。移民した第1世代と、現地生まれの第2世代以降の間にある溝の存在を忘れるわけにはいかなかった。サボテンの一種から名を採って、サブラと呼ばれる現地生まれは、イスラエルそのものを故郷とすることで、両親の世代と大きく考え方を異にしていた。また移民してきた時期によっても、社会階層は微妙に異なっていた。要するに、ここにはユダヤ人一般など存在せず、誰もがきわめて細かな区分法によって分類されていた。彼らは職業のみならず、食事作法、音楽、微妙な言葉遣いなどによって、互いに隔てられていた。映画研究家として毎日、過去のイスラエル映画を集中的に観ていたわたしは、まもなく登場人物の設定を端的に示す記号の存在に気がついた。少女が部屋のなかでピアノを演奏していれば、それはアシュケナジームの家であり、壁に絨毯が飾られていればミズラヒームの家だという了解が、そこではなされていた。こうした事態はわたしに、かつて訪れたことのあるムンバイやデリーで見聞したカースト制度を連想させた。けっしてあからさまに公言されることはないものの、ユダヤ人の間には厳然と社会階層が横たわっていたのである。

 

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続きは
四方田犬彦『見ることの塩 上 イスラエル/パレスチナ紀行
四方田犬彦『見ることの塩 下 セルビア/コソヴォ紀行
でお楽しみください。
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イスラエル/パレスチナでは何が起きているのか?(1)

イスラエル/パレスチナでは何が起きているのか?(2)

イスラエル/パレスチナでは何が起きているのか?(3)

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著者

四方田 犬彦(よもた・いぬひこ)

1953年生まれ。あらゆるジャンルを横断する批評家。著書『映画史への招待』、『モロッコ流謫』、『日本のマラーノ文学』、『ルイス・ブニュエル』、『詩の約束』、『さらば、ベイルート』など。

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