コンダクター
『コンダクター』 4
矢月 秀作(やづき しゅうさく)
2016.08.29
4
気がつけば、五月も末日となっていた。
松川たちの家では、誘拐した者たちとされた者が普通に暮らすという奇妙な生活が続いていた。
拘束を解かれた千尋は、食事の後テレビを観たり、ゲームをしたりと、気ままに過ごしていた。
その様子は、女子高生の休日そのものだ。
上田とは相変わらず言葉を交わさないが、松川、谷岡とは顔を合わせれば話すようになっていた。
その日の夕飯時、上田は相も変わらずパチンコに出かけていた。松川と谷岡は、千尋と三人で弁当をつついていた。
軽い雑談を交わし、時折、笑みがこぼれる食卓には、とても犯罪が進行中であるとは思えないほどの和やかな空気が流れていた。
「尚、受け取り方法、思いついた?」
千尋が訊く。
千尋は、日ごろ、松川たちが呼び合っている名前で松川たちのことを呼んでいた。フルネームは明かしていない。
「まだだ」
松川は雑談でもするかのように答えた。
「洋介はともかくさあ、晋ちゃんは何か思いつかないの?」
千尋は谷岡を見た。
「僕には、そんな頭ないから」
「漫画家志望だったんでしょう? 想像、想像」
「それができなかったから、挫折したんだよ」
谷岡は苦笑し、麦茶を少し飲んだ。
「千尋ちゃんはまだ出て行かないのか?」
松川が訊いた。
「なんで?」
千尋はきょとんとする。
「なんでって……。この手詰まり状況を見てたら、いつ身代金を要求するかわからないだろう? いい加減、疲れたんじゃないかなと思って」
「疲れてなんてないよ。拘束されていたら別だけど、今は自由にさせてもらえてるし。むしろ、楽しいくらい」
千尋は白飯を摘まみ、口に入れた。
松川と谷岡は顔を合わせ、ふっと微笑んだ。
「怖くないの?」
谷岡が訊く。
「何が?」
「いや……ほら、誘拐した男三人との共同生活じゃない。見も知らない男たちと暮らすのって、怖くないかなと思って」
「私に何かするつもり?」
千尋が大きな瞳を細め、じっと見つめる。
「な……何もしないよ……」
谷岡がドギマギする。
千尋はすぐに笑いだした。
「うそうそ、ごめん。晋ちゃんが何かするわけないもんね」
楽しそうに目尻を下げる。
「私、本当に楽しいんだ。一度、こういうことしてみたかったから」
千尋は言った。
松川には意外だった。
千尋の動向は、真面目な女子高生そのものだった。友達との関係もよさそうで、夜な夜な出歩いたりすることもない。
悩みの欠けらもなさそうな天真爛漫な少女に見えたが、そうでもなかったようだ。
「家は嫌いなのか?」
松川が訊いた。
「うん、嫌い」
千尋は躊躇なく答えた。
「なぜ?」
「お母さんがいないから」
「出て行ったのか?」
「死んだ」
千尋が言う。
松川と谷岡は言葉を詰めた。
「ごめんね、知らなくて……」
谷岡が目を伏せる。
「そりゃあ、知らないでしょう。赤の他人だもの」
千尋は笑った。
「いつ亡くなったんだ?」
松川が訊いた。
「十二年前。私が五歳の時。お母さん、病気がちでさ。どこかに一緒に出かけたりとかした記憶はあまりないけど、すごく優しかった。お父さんはその頃から忙しくて、ほとんど家に帰ってこなかったけど、私にはお母さんがいれば十分だった。でも、私が幼稚園から帰ってきた時だったな。急に具合が悪くなって。お姉さんみたいに慕ってる澪さんって人が救急車を呼んでくれて、お父さんにも連絡してくれて、一緒に病院へ行ったんだけど、それから一日ももたずに逝っちゃった」
「苦しまず、家族に看取られたんだね」
松川が言うと、千尋は首を横に振った。
「あの人は来なかった」
「あの人?」
「お父さん」
宙を睨む千尋の眉間に皺が立つ。
「澪さんが何度も何度も電話してくれたのに、最後まで来なかった。葬儀の手配まで、澪さんに任せっきり。あの人が来たのは、火葬が終わった後だった」
千尋は乾いた口調で話した。
「それで、お父さんを嫌いになってしまったのか?」
「嫌いとかじゃないよ。扶養してくれている赤の他人」
千尋が宙に視線を投げる。淋しさを通り越した無感情な瞳だった。
動向を見る限り、何の不自由もない恵まれた少女だと思っていたが、胸の内に拭い難い思いを抱えていた。
「お父さんにいい思い出はないんだね」
谷岡が言う。
「あんまりね。でも、全然ないわけじゃないんだよ」
千尋は谷岡に顔を向けた。
「いいことあったの?」
「お母さんが死ぬ半年前くらいだったかな。白樺湖に行ったの。電車で」
「電車? 車じゃなくて?」
「うん。なんでも、お父さんとお母さんが結婚する前に、よく電車で蓼科高原に行ってたんだって。お母さんがどうしても行きたいって言ってね。家族三人で出かけたの。向こうでレンタカー借りて、お母さんたちがよく行っていたというペンションに泊まって。宿泊先では、お母さんはずっと部屋にいたけど、それでもとてもうれしそうだったのを覚えてる。その時のお父さんの顔も、家では見たことないくらい優しかったな……」
千尋は遠い目をした。
松川が口を開いた。
「蓼科だと、新宿からスーパーあずさかあずさに乗ったんだな」
「よく覚えてない。けど、そうなんだろうなとは思う。中学生の頃、スキー合宿で長野に行った時にスーパーあずさに乗ったけど、なんとなく景色に見覚えがあったから」
「貸し切りバスじゃないの?」
谷岡が訊く。
「重い荷物を持って電車で旅行に行くのも社会勉強だ、とか言ってたなあ、担任の先生。当時はめんどくせーってみんなで言ってたけど、今考えたら、電車の方が楽しかったかも」
千尋は言って、フライを食べた。
松川は箸を止め、腕組みをしていた。小難しい顔をして、テーブルを見据えている。
「あれ? 私、そんなにヘンな話をした?」
谷岡を見る。谷岡は首を傾げて、松川に目を向けた。
松川はぶつぶつと小声で何かをつぶやいていた。そして、いきなり顔を上げた。
「うん、電車だ!」
千尋と谷岡がびくっとした。
「何よ、急に……」
千尋が箸を止める。
「電車だ! って、何?」
谷岡が訊いた。
松川は谷岡と千尋を交互に見た。
「身代金の受け取り方法だよ。電車を使おう」
「電車の中で受け取るってわけ?」
千尋が訊く。
「いや、そんな単純なものじゃあ、すぐ捕まってしまう。ちょっとまとめてくるよ」
松川は言うと、弁当を食べ残し、リビングを出た。
谷岡と千尋は顔を見合わせ、きょとんとするだけだった。
5
野村は自宅で東原を待っていた。
東原との情報のやり取りは、野村のアパートで行なっていた。本来なら、捜査員を交えて本庁で行なうところだが、現在捜査しているのは、野村と東原しかいない。加えて、極秘捜査だ。
なるべく、仲間内の目に付かないところが最適だった。
東原とは、手分けして、白いワゴンの行方を追っていた。
野村は地道に店やマンションに取り付けられた防犯カメラやオービスの画像を調べ、白いワゴンが走り去った方向を調べた。
東原は白いワゴンの持ち主を特定し、車の所有者の線から五月九日の足取りを追っていた。
午後六時を回ったころ、東原がアパートに顔を出した。
「ふう、足腰に堪えるな……」
東原はハンチング帽を脱いで、ポケットからハンドタオルを出し、汗に光る坊主頭を拭った。
冷蔵庫から缶ビールを取って、居間に入る。
「お疲れさん。どうだった?」
「厄介だな、あのワゴン」
東原は野村の対面に座って胡坐をかき、缶ビールのプルを開けた。一口、ビールを飲み、大きく息をつく。
「元は建設会社の持ち物だったんだが、三年前に手放している。そこから三人、所有者が変わっているんだが、そのうち二人が見つからねえ」
「転がしたということか?」
「たぶんな」
東原は頷き、再び、ビールを呷った。
〝転がした〟というのは、転売を繰り返し、名義をわからなくしたという意味だ。家や車、携帯電話など、所有者名が明示されるもので行なわれる手口だが、そのほとんどは反社会的行為を目的としたものだ。
「しかも、めんどくせえ話なんだけどな。転がしたのはナンバーだ」
「ナンバープレートか?」
野村の言葉に、東原は頷いた。
「グレーのワンボックスに付けていた番号だったようだ。元の車は廃車届けも出ていないし、どこにあるのかもわからない。山の中に放置されているのかもしれないな」
「転売所有者のうち、一人は見つかったんだろう?」
「ああ、六十代ホームレスの一戸幸三という男だ」
「そいつが、建設会社の者から直接、買ったのか?」
「いや。一戸の話によると、山谷の寄せ場で仕事を探していた時、手配師ふうの男に免許証の売買を持ちかけたらしい」
「手配師ふうとは?」
「本物の手配師かどうかはわからないって意味だ。見たことのない顔だったと言っていたから、おそらく手配師ではないのだろう。免許証は三万円で売ったと話していた」
「他の二人も、同じように山谷で身分証を売ったのか?」
「わからない。一応、登録名と住所を頼りに調べてみたが、免許証に記載された住所には当然いなかった。身寄りも見つからない。これ以上は、一人で調べるのは無理だよ」
「そうだな」
「手配師ふうの男は、四十前後の大柄な男だと言っていたが、具体的な人相風体に関しては曖昧な記憶しかなかった。で、一戸もまた姿を消しちまった」
「逃げたのか?」
「おそらくな。あまり、俺たちと関わりたくない人種だろうから。しかし、一戸の話が本当なら、かなり面倒だな。三年前から身代金目的の誘拐を計画していたということになる」
東原はビールで喉を潤した。
野村も腕組みをし、眉間に皺を寄せた。
犯人グループが要求してきた金額から鑑みて、犯人たちに周到な計画性は感じなかった。が、三年前からナンバープレートまでロンダリングして計画していたとなると、野村の見立ては違っていたことになる。
だが、どうも腑に落ちない。
「ノムさんの方は、何かわかったかい?」
東原が訊いた。
「白ワゴンの走行経路は、だいたいのところはつかめた」
野村はテーブルの端に置いていた地図を足下に広げた。吉祥寺以西の都下の地図だ。
「万助橋の駐車場を出た車は、吉祥寺通りを南下して多摩川を越え、その後、川崎街道を西へ向かった。各所の防犯カメラやオービスで画像、映像を確認しながら追跡した結果、車は連光寺付近で消えている」
「聖蹟桜ヶ丘近辺だな。一週間以上、歩いて探したのか?」
「仕方ないだろう。一人で調べなきゃならなかったんだから」
「いい運動になったな」
東原はからかうように笑う。
「老体には運動過多だ」
野村は苦笑した。
「聖蹟桜ヶ丘近辺の捜査は?」
「特定できたのは今日だ。さすがにそこまでは手が回っていない」
「普通、ローラーをかける話だもんな」
「まったくだ」
野村はため息をついた。
「白ワゴンに乗っていた連中は特定できたのか?」
「個々人の特定はまだだが、駐車場管理人の話から、作業員ふうの若い男だったということはわかっている」
「やはり、万助橋近辺で目撃された若い清掃作業員というのが怪しいな」
東原が言う。野村は頷いた。
「犯人グループからの連絡は?」
「まだ来ていないそうだ」
「通話記録の解析は?」
「発信基地と携帯番号は特定できた。しかし、携帯はトバシのようで、発信基地も一様ではなかった」
「そっちからは追えそうにねえか。そうなると、やっぱり聖蹟桜ヶ丘近辺を人海戦術でしらみつぶしにあたる方が早いな。事案発生からもう三週間以上経っている。ノムさん、そろそろ娘が危ないぞ」
「私もそう思っている。明日にでも、副総監に捜査結果をまとめて報告し、特一を引っ張り出そうと思っているのだが」
「その方がいい」
東原は残ったビールを飲み干した。
野村は足元の地図に目を落とし、聖蹟桜ヶ丘付近を見据えた。
6
松川は三日間、自室にこもり、計画を練り上げた。
その日の昼食後、いつものようにパチンコへ出かけようとする上田を止め、千尋を含めた四人でキッチンのテーブルについた。
「みんな。千尋ちゃんを攫って一ヶ月目となる六月九日の正午前に、身代金奪取を決行することにした」
松川は全員を見回した。
三人の顔が心なしか強張った。
「これが最初で最後だ。成功しても失敗しても、千尋ちゃんはその日の午後、解放する」
松川は千尋を見やった。
千尋は、どこか淋しそうに瞳をうつむけた。
「どうするんだ?」
上田が訊いた。
松川は頷いて、クリアファイルから用意していたプリントを一枚出した。上田と谷岡、千尋にも配る。
「電車を利用する」
「電車の中で受け渡しをするのか?」
「いや、実際に金を受け取るのは、ここだ」
松川はタブレットを取り出した。地図を表示して拡大し、テーブルの中央に置く。
三人が身を乗り出し、タブレットのモニターを覗き込んだ。途端、誰もが目を丸くした。
「ここ、中央高架下公園じゃない!」
千尋は声を上げ、松川を見た。
松川は頷いた。
「そう。この公園で千尋ちゃんのお父さんを待ち伏せして、金を奪う」
「大丈夫? 千尋ちゃんの家のすぐ近くだし……」
谷岡の声が震える。
「だからこそ、いいんだ。警察も、まさか誘拐された千尋ちゃんの地元で受け渡しが行なわれるとは思わないだろう? そこが盲点というわけ」
「なぜ、電車を使うんだ?」
上田が訊く。
「攪乱するためだよ」
松川が上田を見やった。
「そのプリントを見てほしい」
松川に言われ、三人が椅子に座り直し、それぞれがプリントを手に取り、見やる。
「まず、三笠さんにはサラリーマンのような恰好をして、ビジネスバッグと紙袋を持ち、吉祥寺発京王井の頭線午前十時五十六分の急行で渋谷に向かってもらう。その時、紙袋を網棚に置き、その下に座ってもらう。渋谷に到着後、三笠さんには紙袋を網棚に置いたまま、向かいの1番線に停車している十一時十六分発の急行に乗り換えてもらい、吉祥寺に戻らせる」
「金の入った紙袋を置いたままか?」
上田が言う。
「いや、そっちには金は入っていない」
松川が言う。
「三笠さんが乗ってくる急行は、渋谷で、折り返し各駅停車吉祥寺行きとなる。三笠さんが折り返しで吉祥寺に戻ってくる急行が到着するのが十一時三十二分。紙袋を乗せた各駅停車が吉祥寺に着くのが十一時四十五分。十三分のタイムラグがある。その間に、三笠さんには自宅へ戻るふりをして中央高架下公園を通ってもらい、そこで僕たちが金の入ったビジネスバッグを受け取り、車で逃走する」
「なるほど。紙袋を置いたままの電車に、警察を引き付けておくというわけだね」
谷岡が言う。松川は首肯した。
「もう一ヶ月になるからね。三笠さんが警察に連絡を入れていると考えた方がいい」
「でもさあ。お父さんには、警察の人が張りついているんじゃないの?」
千尋がプリントを見ながら言う。
「まず、現金の受け渡しを犯人が指定してきた際、警察は現金授受の瞬間、逮捕しようと警官を集中する。そこに多くの人員を割かせる。二、三人は三笠さんの動向を張ると思うけど、その際は尾行になるだろうから、三笠さんの後ろをついているだけ。そこで、三笠さんには高架下公園にある小山状の滑り台裏にある砂場に回り込んでもらう。そこに僕が待機しておく。駅から歩いてくると、その小山状の滑り台は尾行者の死角となる。その一瞬に鞄をすり替え、三笠さんにはいきなり走ってもらう。そうすれば、尾行者も不審に思い、追いかけるからね。僕は様子を見て、金の入ったバッグを持って、洋介が待つ車に戻る。洋介は高架下公園の並びにある駐車場に待機しておいてもらいたい」
「バレた時は?」
「バレそうになった時は、僕はそのまま吉祥寺駅に出て、電車に乗って家に戻る。洋介は素知らぬふりをして、僕を置いて車を出してくれ」
「バレた時はと聞いているんだ」
上田が松川を見つめる。
「その時は、僕が捕まるだけ。洋介と晋ちゃんは逃げてくれ」
「尚ちゃん一人で捕まるというのかい?」
谷岡が松川に目を向ける。
「みんなして、人生を棒に振るつもりはないよ」
松川は微笑んだ。
「千尋ちゃんはその時点で解放してあげて。千尋ちゃん。誘拐犯がこんなことを頼むのもおかしな話なんだけど、もし、僕が捕まって保護された後、警察に事情を聞かれたら、僕一人の犯行だと言ってほしいんだ。お願いできるかな?」
「何それ」
千尋が笑う。
「でもまあ、いいよ。洋介はともかく、晋ちゃんがかわいそうだから」
千尋が言う。
上田は千尋を睨んだ。谷岡は少しだけ目を潤ませた。
「順調に事が運べば、午後二時までには僕と洋介は戻ってこられる。バレそうになって、僕が逃走した時でも、うまく警察を撒ければ、夕方までには戻ってくる。午後六時を過ぎても、僕が戻ってこなかったり、僕からの連絡が入らなかったりした場合は捕まったとみなして、その時点で千尋ちゃんを解放し、洋介と晋ちゃんは逃げてくれ。できれば、洋介と晋ちゃんはバラバラの方がいい」
「一人で逃げなきゃいけないの?」
谷岡が不安を覗かせる。
「一緒だとリスクは高いよ。少しの間だから、がんばって」
松川は微笑み、強く頷いて見せた。
「ともかく、成功すれば、そうした心配もしなくていい。このままいたずらに時間を引き延ばしても仕方がない。もう、ここいらで実行しないとね」
松川は上田と谷岡を交互に見た。
「わかった。この計画で行こう」
上田は顔を上げ、松川を見返した。
「僕はどうすればいいのかなあ……」
谷岡はプリントを見つめる。
「そこに書いてある通り、成功を祈って、千尋ちゃんとここで待機しておいてくれればいい。現場には僕と洋介だけで向かう」
「私も行きたいな」
千尋が言った。
「おまえ、警察がいるのを確認して、逃げる気だろ?」
上田が言う。
「逃げるなら、とっくの昔に逃げてるよ」
千尋は上田を睨んだ。
「あの人が困る姿を見てみたいんだ」
千尋はプリントを軽く握りしめた。親子だからこその複雑な感情が、震える紙の皺に表われる。
「気持ちはわかるけど、受け渡しを成功させるには、少人数で動くことが大事なんだ。晋ちゃんとここで待っていてくれないか?」
松川が諭す。
「……仕方ないな。わかった」
千尋はプリントを折り畳んだ。
「じゃあ、晋ちゃんもそれでいいね?」
「うん……」
谷岡は不安げにうつむいた。
無理もない。松川も自分で計画を立てておきながら、不安で仕方がなかった。が、実行する機会は、もうここしかない。必死に湧きあがる不安や恐怖を抑え込んでいた。
「じゃあ、これでいくよ。三日後の月曜日に三笠さんに連絡を入れる。その三日後に受け取りを実行する。それと千尋ちゃん」
松川は千尋に顔を向けた。
「三笠さんに連絡する時、少し協力してほしいんだけど」
「何?」
「三笠さんをこっちの思い通りに動かすため、一芝居打ってほしいんだ」
「きゃーとか、助けてーとか言えばいいの?」
「まあ、そんなところ」
「楽しそうね。いいよ」
「おいおい、大丈夫か……」
上田が口角を下げる。
「こう見えても、学祭の演劇で主役張ったこともあるんだから」
「いや、そういう意味じゃなくてな……」
上田がため息をつく。
松川と谷岡は顔を見合わせ、笑った。
「じゃあ、みんな。六日後の実行日まで、体を休めてくれ」
松川は三人を見て、頷いた。
(つづく)