単行本 - エッセイ

【バレンタイン♡特別企画】宮下奈都「チョコレート」無料公開中

『うっとり、チョコレート』

人気シリーズ〈おいしい文藝〉の最新刊は季節柄『うっとり、チョコレート』です。
身も心もとろけるようなチョコレートの甘い味と香りを堪能できるエッセイアンソロジー。
38人の名手によるバレンタインのステキな? 悲惨な? 思い出が詰まったロマンチックな一冊。

その中から、バレンタイン記念に、宮下奈都さんの作品を特別公開いたします。
どうぞお楽しみください。

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チョコレート
宮下奈都

 

若かった頃、バレンタインに意を決して、好きだった人にチョコレートを贈った。贈るのがチョコレートだけでは気に留めてもらえないかと思い、迷いに迷った末、ちょっと高級なお店で見つけたカップアンドソーサーもつけた。詳しく書こう。カップアンドソーサーの箱を一度開け、少し余裕のあったソーサーのスペースにおいしいチョコレートを詰めてからカップとソーサーを箱に戻し、蓋を閉める。その上からきれいにラッピングして、郵送した。当時、好きだった人は遠方に住んでいたのである。
反応は特に芳しいものではなかった。コーヒーカップをありがとう、という電話をもらったくらいである。ちがう。大事なのは中に入っていたチョコレートなのだ。そう思ったけれど、あまり強くは出られなかった。こちらが一方的に思いを寄せていた相手だった。
ホワイトデーにお返しはなかった。つまりそういうことなのだと悟ってもよかったのに、もしかしたらイベント的なものがあまり好きではないのかもしれないと思ったりした。ホワイトデーの存在自体を知らないのかもしれない、とまで自分に都合よく解釈して、私はホワイトデーを忘れることにした。
時は流れた。うちには子供が三人いて、上のふたりが男子である。どちらもわりとぼんやりしている。この子たちもいつかホワイトデーを忘れて女の子に寂しい思いをさせるのではないかと心配になるくらいには十分ぼんやりしている。世の中にはホワイトデーという日があってね、と教えようとすると、「その話はバレンタインにチョコをもらってから聞くことにする」と遮られた。もっともである。
夫の部屋に大きな本棚がある。そこに、一生かかっても読み切れないんじゃないかと思うほど本が並んでいる。ぎっしり並んだ本の奥にもまた本があって、さらに足下にも積んであって、掃除のしようもない魔窟となっている。自由に取って読んでいいと夫は日頃からいっているけれど、あまり気が進まない。堅い本や重い本が多い。
ある日、調べたいことがあって本棚を眺めていたら、そこに箱を見つけた。本たちに挟まれて窮屈そうな箱。何の変哲もない箱だったのに、記憶の隅で何かが引っかかった。何だろう、というよりも、何だっけ、という感じだ。私は確かにこの箱を知っている。でも、中身を忘れてしまった。
蓋を開けると、中から出てきたのはコーヒーカップだった。あのときのカップだ、と思い出すまでにしばらくかかった。ペアでほしかったのに勇気がなくて一客だけ贈った。ホワイトデーにも返事がなかったんだよなぁと懐かしく思い出す。ふと見ると、カップの下が少し盛り上がっていた。不思議に思って手で触れたら、そこから箱がさらに開いて、ソーサーを収納するスペースになっている。きれいな包み紙のチョコレートがそのままあった。二十年前のチョコレートだ。彼はここにチョコがあることに気づかなかったのだ。
バレンタインにカップをもらうことがあったら、ソーサーがついているんじゃないかと疑え。そこに何かが隠されているんじゃないかと調べろ。二十年前の夫にいいたいが、すでに遅い。ゆくゆくは、ぼんやりした息子たちに伝授しなければならないだろう。

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著者

宮下奈都

一九六七年、福井生まれ。小説家。『羊と鋼の森』で本屋大賞受賞。その他おもな著作に『遠くの声に耳を澄ませて』『誰かが足りない』など。

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