単行本 - 日本文学

吉本ばななの最新エッセイ集『私と街たち(ほぼ自伝)』より、「甲州街道はもう春なのさ」試し読みを公開!

吉本ばななさんの最新エッセイ集『私と街たち(ほぼ自伝)』が発売されました。
子ども時代を過ごした東京の下町のお話から、変わりゆく下北沢の風景まで、「街」を通じて、忘れがたい折々の記憶をひもとく一冊です。
刊行を記念して、本書の第一章にあたる「甲州街道はもう春なのさ」の前半部分を公開します。ぜひご一読ください!

 

吉本ばなな『私と街たち(ほぼ自伝)』

吉本ばなな『私と街たち(ほぼ自伝)』吉本ばなな『私と街たち(ほぼ自伝)』 ¥1500+税 河出書房新社

 

甲州街道はもう春なのさ

 

 タイトルはRCサクセションの「甲州街道はもう秋なのさ」からお借りした。
 この歌が大好きで、大人になってからひとりで初めて甲州街道を通ったときは嬉しかった。子どものときは甲州街道だと知らないで訪れていたからだ。この道、ほんとうにあるんだ! あの道がこの歌の中の道だったんだ!と思った。
 そして今の私にとっては、甲州街道を歩くというのはいつだって特別切ないことなのである。そんな日が来るなんて思ってもみなかった。大人になるとはそういうことだ。街に自分だけの歴史が積み重なり、深い色になっていく。その塗り絵が極まったころ、自分もまたそれごとこの世から去っていく。濃くなった心の地図を残して。
 住んでいる人にはすっごく悪いのだが、甲州街道は今の私の心の中では「死を受け入れていく道」なのだ。

 明大前の、甲州街道沿いの築地本願寺和田堀廟所で父のお葬式をしたのは二〇一二年の三月のことだった。そういえばお父さん、よく言ってたな、「願わくば花の下にて春死なむ、その如月の望月の頃」という西行の和歌が好きだって。その通りになったな、そんなことをぼんやりと思っていた。
 遺体はなんだかつるっときれいな顔をしていて、父の苦しみの深み(決して「深い苦しみ」ではない)が父から去ったことがよくわかった。
 そのお寺の、祖父母やご先祖さまの眠るお墓に、父はよく幼い私だけをともなってお参りに行った。
 当時住んでいた千駄木から明大前は遠かったから、母は留守番、姉は学校、そんな感じで私だけが午後ひまだったのだろう。電車を乗り継いだり、タクシーで向かったり、いずれにしてもなんて遠いところだろうと思っていた。
 お寺の入り口には小さなお花屋さんが二軒あり、左側のお店の人たちのご一家の謙虚なまじめさと笑顔を父は愛していた。
 後にそのお花屋さんが撤退したとき、いとこを通じてやりとりをした。長い間お世話になりました、父はみなさんが大好きでした。そうお伝えすると、信じられないくらいすてきで謙虚なお返事が来た。そのお返事によって、私たちは一族のある時代をちゃんと終えることができた。お寺にあるお花屋さんってそのくらい大事なお仕事なんだと思う。
 いつもその店でお花とお線香を買い、お掃除セットを借りて、天草から佃島に出てきた人たちが眠る一帯にある吉本家のお墓に歩いていった。
 墓地はものすごく広く、しかも道がちょっと曲がっていたりする。
「大きな墓石より、小さいほうがいいんだ」と言っていたという祖父のおかげで、吉本家の墓は信じられないくらい小さい。その考え方はすばらしいと思うし尊敬できるけれど、見つけるとなると一苦労だ。
 方向音痴でない母と姉がいっしょにいるときは全く問題なくお墓にたどりつけたのだが、父と私の組み合わせだとほぼ遭難と呼んでいい状態になった。
 父はいつも「親鸞像のお尻から入って、大きなわかりやすい道を樋口一葉のお墓の立て札まで行って、曲がって戻ってくればいいんだ」と言うのだが、それがものすごい遠回りなのは子どもの私にもさすがにわかった。しかしショートカットしようとすると迷ってしまい、必ずお線香が燃え尽きることになる。
「こういうことははしょってはいけないんだ、とにかく確実に!」
とまるで「ウォーキング・デッド」というサバイバルドラマのセリフのように父は言っていたが、単に目の前の道の数列目にあるお墓にたどりつくっていうだけのことで、そんなサバイバルなことでは決してない。
 迷うから樋口一葉のお墓の列までいったん行くんだというと、方向感覚が優れている母と姉はいつもげらげら笑っていた。
 後年、隣に古賀家のお墓ができた。古賀政男さんのお墓で、なんとギター形の墓石だ。
 遠くからでもギターのネックが見える。
 おかげさまで私はもう迷わなくていい。
 以降、樋口一葉の墓を見ないで吉本家のお墓にたどりつけるようになった。毎回お線香をもう一対買って古賀家にもお供えするほど感謝している。あの、お線香が燃え尽きそうになる、あるいは風で炎上して花に燃え移りそうになるスリルを味わわなくていい。似たような見た目のお墓群の中で迷い続け、パニック状態にならなくていいのだ。

 父が死んだことはもちろんよくわかっていた。
死にかけたところも、死んでいるところもちゃんと見た。触ってみたらドライアイスの力でものすごく冷たかったことだって、しっかりこの体に刻み込まれている。だからこれ以上納得できないくらい納得していた。
 それなのに、お葬式のときいつものお寺で、親戚や知人がたくさんいる中、急にものすごい違和感を覚えた。
 これまでの人生、このお寺で何回お葬式に出たか数え切れないほど。そしてそんなときはいつでも、父がいた。喪服を着てそこに立っていた。だから私は子どもでいられた。
 その父がいないのだ。そんなことってあるだろうか。これが死ぬってことだ。だって、このお寺のこのお葬式のどこを見ても父がいないんだもの。
 そう思った。
 もう私はむきだしなのだ、スーパーで売ってる、貝がない、剝き身のあさりなのだ。
 あのときのその実感がどれだけ今の私を支えているかわからない。
 そんなことを、死体よりむしろ生きてる姿のほうで教えてくれていたなんて、父はやっぱりすごい。
いつも父と歩いたお墓への道を、私は毎年ひとり歩く。
 あのお花屋さんのあとには、大きな葬儀社のお花屋さんが取って代わって入った。
 古賀さんのおかげさまで、父と母の眠るお墓にすぐたどり着いてお花とお線香を供える。まわりは天草から来た人たちのお墓ばっかりで、なんとなく安心する。古賀さんにもお礼を言ってお線香をあげる。
 全てが終わってまたひとりで甲州街道に出る。川のように車が流れている。狭い墓の道から急にだだっ広い道路になるから目が慣れない感じも昔と変わらない。
 子どもの頃の私に「あんたは将来この近くの下北沢に家族と住む、そしてお父さん抜きでお父さんのお墓参りに来るの」なんて言ったら「絶対ムリ」と言うだろう。お墓も見つけられないし、と。
 もちろん古賀さんのお墓についても優しく教えてあげたいものだ。
 いつか、大人になって下北沢に住むようになってから、ひとりでお盆にお墓参りをしたことがあった。
 まだ古賀家のギター墓がなかった頃で、私は案の定墓地で迷った。線香が燃えつきてしまいそうだったので、実家に電話した。父が出て、親鸞のお尻から入るんだ!と言った。親鸞について何冊も評論を書いている父が、そんなときまで親鸞に救われていたとは誰も思うまい。
 それでもまだわからなかったので、父が母を呼び、母が電話に出てきた。母の言う通りに道を戻り、墓地の細い道を辿った。
「あった、あった! ありがとう」と私は言い、「よろしくね」と母は言った。
 今、同じ墓地にはそのふたりが眠っているのに、少しでも迷いそうになると私の耳にはそのときの両親の声が聴こえてくるような気がする。墓地に響き渡るようにしかし優しく。

続きは単行本でお楽しみください!

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