いま話題の『戦力外捜査官』連続文庫化&新作刊行! 第4弾『世界が終わる街』試し読みを公開

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いま話題の『戦力外捜査官』連続文庫化&新作刊行! 第4弾『世界が終わる街』試し読みを公開

テレビドラマ化もした人気の警察小説シリーズ!
推理だけは超一流のドジっ娘メガネ美少女警部とお守役の設楽刑事の凸凹コンビが難事件に挑む!

〜〜「戦力外捜査官」シリーズ第4弾〜〜
世界が終わる街試し読み

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井畑道夫いばだみちお死刑囚の証言

──あなたは宇宙神瞠会うちゅうじんどうかいの後継組織である宗教法人「友愛の国」に所属していましたね。

はい。十月二十五日のテロ事件の後、信者の数は半分くらいになりましたが、それでも宇宙神瞠会をやめられない人がたくさんいました。ほとんどがすでに家を出て、教団の施設で暮らしている人で、私もそうでした。家に帰ればテロリスト扱いされると思うと、とても帰る気にはなりませんでしたし。

──他に居場所がなかった、ということですか。

はい。私もそうでしたし、他の皆もそうだったと思います。皆、日本の社会に居場所がなく、信者であることを隠してひっそりと働き、身を寄せあってなんとか暮らしている、といったような状態でした。

──その教団自体も一度解散させられ、「友愛の国」も常に警察に監視されていました。

結局それが、今回の事件の原因だったのだと思います。もうこれ以上、今の日本に期待はできない、それならば皆で神の国に行こう、と。実際にそう主張する人もいました。今の日本は世俗のサタンに染まりきっているし、マスコミは国家権力の言いなりで情報操作をしているし、どこに行っても信者は差別される。こんな国にいてもどうにもならない、と。

──残った信者たちは、昨年のテロ事件の報道はどう受け止めていたのですか。

テレビで報道がされた時、最初は信じられませんでしたが、教祖であるエノク道古どうこが逮捕される姿が映り、本当なんだと分かりました。その時、私は松戸まつどの道場にいたのですが、皆、食い入るようにテレビを見つめていました。誰かが「陰謀だ」と言いました。それで、そうかもしれないと思いました。エノク道古は逮捕される前から、教団が国家権力の陰謀によって弾圧されているということと、マスコミは国家権力の言いなりで情報操作をしているということを繰り返し言っていました。私たちもそれを信じていました。だから皆で、陰謀だ、そうだと言いあいました。テロ事件を起こしたのは公安警察で、エノク道古がその罪を着せられて逮捕されたのだと。

──では宇宙神瞠会としては、テロ行為を認めるような雰囲気はなかったのですか。

大半の信者はそうでしたが、一部の信者と、幹部は分かりません。当時聖徒だった小寺こでらたちは「革命が必要だ」と言っていました。ラファエル湯江ゆえは反対しているようでしたが、経典である「ご本」には「未開の国民たちを覚醒させるため、大きな改革が必要になります」と書かれていましたし、エノク道古自身も「信仰のための戦いでは犠牲が出ることもあるが、我々がきちんと導けば、彼らは死後に悔い改めてエデンに行く」と言っていました。

──あなたが小寺と親しかったということは、あなたもそう考えていたのですか。

結果としてエデンに招かれるのだし、そのくらいの荒療治も必要かもしれないなと思っていました。

──他にもそういう考えを持つ信者たちがいて、派閥はばつのようなものを形成していた。

はい。「十字軍」と名乗る私たちは、小寺に賛同する信者たちの集まりでした。小寺はラファエルとはうまくいっていないようでしたし、使徒クシエル小寺と名乗っていたのですが、正式に使徒だったのかは分かりません。今思えば、自分で勝手に名乗っていたのかもしれません。

──「友愛の国」内では孤立していた?

おそらくそうだったと思います。いつも自分たちだけで集まっていましたし、小寺の「ラファエルは生温い。あれには真の信仰が欠けている」という主張には、集まった者は皆、賛同していました。ラファエルはエノクが処刑されたらエノクに代わって教団内の権力を握るつもりではないかとか、今回の逮捕もラファエルが手引きをしたのではないかといった話もしていました。そんな男についていったらせっかく高めた聖性が下がってしまう。あれはユダだと。

──自分たちは孤立無援である、と。

はい。

──そこに飯能はんのう道場での事件が起きたわけですね。過激化したのはそれがきっかけですか。

そうだと思います。飯能道場の事件の後、誰かがすぐに「冷静になろう」と言っていれば、今回のようなとんでもない事件を起こしてしまうところまでは行かなかったかもしれません。

──飯能道場襲撃事件の犯人は「名無ななし」と呼ばれる連続殺人犯ですが、知っていましたか。

ここ最近、宇宙神瞠会の信者を続けて殺している男がいる、ということは聞いていました。信者に殺された娘の復讐らしいという話は、逮捕されてから知りました。当時、たまたま飯能道場に顔を出していた小寺は「名無し」を見て、公安警察が教団を潰すために差し向けた殺し屋だと言っていましたし、現場にいて事件を見ていた私にも、そうとしか思えませんでした。飯能道場襲撃事件の生き残りは皆、「名無し」をプロの殺し屋だと言っていました。あんなに恐ろしい人間は見たことがありません。

──襲撃事件があった時、飯能道場にあなたもいたのですね。事件時はどんな様子でしたか。

夜でした。午後十時頃で、勉強会が終わって皆、食堂で雑談していたと思います。すると、窓の外から、敷地の門が「がしゃん」と鳴る音が聞こえました。何だろうと思って一人がカーテンを開け窓の外を見ましたが、その時は何も見えませんでした。
それから、足音が建物の方に向かって近付いてくるのが聞こえました。私の向かいに座っていた、たしか林田はやしださんが、「誰だろう」と言いました。こんな時間に郵便も来客もないはずなので、私も少し、おかしいなと思いました。一番入口の近くにいた中森なかもりさんが立ち上がり、廊下に出ていきました。

──そこで入ってきたのが「名無し」だったわけですね。

はい。食堂のドアは開いたままだったので、中森さんが応対する声が聞こえました。相手の声は全く聞こえませんでしたが、何か揉めているようで、中森さんの声が荒くなっているのが分かりました。「やめろ」とか「公安か」とか言っているようでした。
それから、壁に何かがぶつかる「どしん」という音が聞こえ、中森さんのものらしき呻(うめ)き声が聞こえてきました。それで私たちは、何かトラブルがあったのだと分かりました。
一番最初に口を開いたのは小寺で、小寺は皆を見回し、「敵だ。攻めてきたぞ」と言いました。それまでも「政府は公安警察を使って教団を監視している」とか「いずれ潰しにくる」と言っていた小寺はすぐに、これは襲撃だと考えたようでした。小寺が「道具を出せ」と言い、たしか辻本つじもとさんだったと思いますが、一人が部屋を出て、隣の部屋に隠してあった猟銃を抱えて戻ってきました。その時には、小寺もいつも持っているサバイバルナイフを出していましたし、林田さんも特殊警棒を持っていました。私も立ち上がりはしましたが、とっさのことで動けず、一人だけ手ぶらで立っていました。
廊下からはもう中森さんの声が聞こえなくなっていました。廊下に向かって猟銃を構えた辻本さんが、「何だ貴様」とかいったようなことを怒鳴りながら発砲しようとしました。するとそれより先に、猟銃のものではない銃声が聞こえて、辻本さんが腹から血を出して倒れるのが見えました。仰向あおむけに倒れた辻本さんが椅子にぶつかり、椅子も倒れました。
私は何が何だか分からず、ただ倒れて呻く辻本さんを見ていました。すると、土足の足音がごつりごつりと聞こえてきて、スーツを着て拳銃を持った男が食堂に入ってきました。私は最初、辻本さんを撃ったのが入ってきたこの男だということを認識できていませんでした。それにしては落ち着きすぎていると思ったのです。男は食堂に入ってくると銃をしまい、私たちを見回して「湯江孝太郎こうたろうはいるか」と訊きました。一瞬「誰のことだろう」と思いましたが、それが「友愛の国」代表であるラファエル湯江の息子であることに気付きました。
一番入口の近くにいた小林こばやしさんが、「何だ」とか何か叫び、警棒を振り上げて殴りかかりました。私のいた位置は小林さんの斜め後ろだったので少し陰にはなっていたのですが、男が手を無造作に突き出し、小林さんの目に突き入れると、もう一方の手で小林さんの後頭部を掴んで、突き入れた親指を目の奥まで押し込むのが見えました。男が指を抜くと小林さんは力が抜けたように膝から崩れ、横向きに倒れるとしばらく痙攣けいれんして、そのまま動かなくなりました。
小寺が「公安か」と怒鳴るのが聞こえました。小寺はナイフを腰のところで構えて男に体当たりしようとしましたが、男は軽々と刃先をよけて、気がつくと小寺が殴られて膝をついていました。部屋にいた人間はあと私だけで、男は私の方に来ました。私が動けないでいると、男は私のシャツの襟を掴み、「湯江孝太郎はいるか」と訊いてきました。私は「ここにはいない」と答えましたが、それで相手が納得してくれなかったらと思うと怖くなり、つい、たまたまその時不在だったたけはらさんの名前を出し「竹ヶ原さんなら知っていると思う」と答えました。すると男は私を突き飛ばし、部屋から出ていきました。竹ヶ原さんがこの場にいないことをすぐ理解した様子だったので、この男は私たちのことを知っているのだと分かりました。「名無し」と呼ばれるその男は元警察官だそうで、捜査情報などで私たちのことを知っていたのですね。

──「名無し」はそれで去っていったのですか。

いえ、その後、天井から物音が聞こえてきましたので、私たちが湯江孝太郎をかくまっていると考えて、二階の各部屋とトイレ等を捜していたのだと思います。しばらくすると階段を下りてくる音がして、廊下を足音が遠ざかっていきました。そのまま座っていると、外の門扉を開け閉めする音が聞こえてきました。その間、床に座り込んだ小寺はずっと「公安が」とか「襲撃された」とか言っていました。

──この事件が発覚したのは、今回起こったいわゆる「恐怖の八日間」の後でした。なぜ通報しなかったのですか。

通報すれば、飯能道場に警察を入れることになるからです。前のテロ事件以来、各地の道場には次々と警察の手が入っていて、皆、警察を中に入れることにすごく抵抗感がありました。それに当時、飯能道場には警察に見られるとまずいものがありました。猟銃の保管状態もそうでしたし、小寺は拳銃などの武器も隠しているようでした。また、小寺たちが常用していたマナも保管していました。

──教団の言う「マナ」というのは、つまり覚せい剤のことですね。

はい。すみません。そう言うべきでした。

──あなたも「マナ」つまり覚せい剤のことは知っていた。

はい。小寺たちは常用していましたが、私はあまり好きでなく、時々分けてもらう程度でした。でも今思えばそのことが、私が今ここでこうしている原因になったのではないかと思います。

──飯能道場に覚せい剤があることは知っていた。

はい。小寺以外の人たちも皆知っていたと思います。それで「警察は入れない」ということにすぐ同意しました。
とにかく、小寺が一番強硬に「警察に通報するな」と主張しました。襲撃してきたのは公安の殺し屋で、だから通報しても警察は何もしてくれない、それどころか捜査を口実に家捜しをするに決まっている、と。

──それで、小林の死体を秩父ちちぶに埋めた。

そうするしかありませんでした。重傷の二人は、信者の荻野おぎの医師を呼んで自分たちで手当てしました。今思えば、この時点で私たちはだいぶおかしくなっていたのだと思います。

──襲撃犯人である「名無し」の印象は。

それが、全く印象に残らない男でした。普通のスーツに灰色のネクタイで、四十歳くらいだと記憶しているのですが、顔は平凡すぎてよく覚えていません。
ですが、あれははっきり言って怪物でした。あの時もし何か少しでも抵抗していたら、私も簡単に殺されていたと思います。

(七月二十九日 東京拘置所)

* * * * * * * * * *

 

 

 

東京の鉄道には無数のお願いが溢れている。階段では「下り優先」「左側通行にご協力ください」ホームに下りると「この付近には立ち止まらないでください」「キャリーバッグ等はお気をつけの上」「携帯電話等を操作しながらの『ながら歩き』は」「二列に並んでお待ちください」電車が来れば「降りる方優先で」「前の方に続いて順序よく」「左右を見て少しでも空いているドアから」「乗車後はドア付近で立ち止まらず車両中ほどまでお進みください」「座席に荷物を置かずお一人様一人分で」「足を投げ出して座られますと」「ドア付近の方は一度ホームにお降りになり再度」と、始終お願いのされ通しだ。それ以外にも乗客たちの間で暗黙の了解になっているルールがある。駅では、人の流れの中で立ち止まってはならない。斜めに動いてもならない。流れに合わせた歩行速度を維持しなければならない。自動改札は歩調を緩めず速やかに通過できなければならない。Uターンや一旦停止をしたい場合は徐々に軌道を変え、柱の陰などで流れをかわしてからタイミングを見計らって歩き出さなければならない──高速道路上の自動車より厳しい。無論、個々のルール自体は事故を避け快適な利用を実現するための至極合理的かつまっとうなもので、東京の電車に一度でも乗ってみれば、むしろ守っていない奴に苛立つことになるのだ。しかし総体として見ると、随分と積もったものだと思う。窮屈きゅうくつだ。そして多すぎる。詰め込まれ、肩同士をぶつけあい、ひしめきあっている。ルールも電車も人間も。

そういう人の流れの中では弱者は簡単に呑み込まれて消える。ここでいう弱者とは体の小さい人間、体力のない人間、性格がおっとりしていたり人ごみを歩くことに慣れていない人間のことだ。そして困ったことに、俺の同行者はそのすべてに当てはまる。

俺は溜め息をついて後ろの人ごみを振り返った。人の頭と頭とマフラーと頭と帽子。立錐の余地なしで、上を泳いでいった方が楽そうだ。俺は一応身長がでかい方なのでJR品川駅四番線ホームの人ごみは遠くまで見渡せたのだが、三十秒前に姿を消した同行者の方は、大人ばかりのこの空間ではシベリアンハスキーの群れに紛れたチワワといったサイズである。すでに完全にロストしてしまっており、背伸びをしても見つけようがなかった。

それにしても人が多い。港南こうなん署の捜査本部に参加していながら諸事情により本部への使い走りに回されていた、というあまり笑えない状況なのだが、午後一時過ぎという時間のわりにホームは縁日なみになっている。品川駅はもともと一日中人が多いとはいえこれは少し異常で、向かいの五番線ホームに東海道線の車両が停まったままであることを考えると、何かの都合でダイヤが乱れているらしい。天気予報では氷点下まで冷え込むということだったが、周囲は人いきれでマフラーを巻いていると暑く、人波の上の空間は体温による熱対流でゆらめいているように見える。

行き交う人間にぶつからないよう柱にぴたりと背をつけて周囲を見回す。同行していた海月千波うみづきちなみ警部の姿はない。方向音痴の運動音痴で通常の捜査能力はゼロ、運転をすればぶつけるし張り込みが夜十一時を過ぎると眠気でふにゃふにゃにとろけ始める、というどうしようもない人だが、それでも一応キャリアであり、諸事情により越前憲正えちぜんのりまさ刑事部長の密命を受けて捜査一課に配属されている重要人物でもある。どうも話を聞くに越前刑事部長の親戚でもあるようで、だから「品川駅に落っことしてきました」などということになったら俺が大目玉をくらう。

ひと通り見回したところで一つ気付いた。ホームの大井町おおいまち方向、自動販売機の前あたりで、人波が不自然に膨らみ、空間ができている。

……てんじゃねえよ。……ろっつってんだよ。……のかよ。

はっきりとは聞こえなかったが、ありゃ揉め事だな、というのは声の調子だけですぐに分かった。それほど歳のいっていない男。声の感じからして、真昼間から酒が入っているようだ。相手の怒鳴り声も聞こえたなら喧嘩けんかだが、そうではないとなると、誰かに一方的に絡んでいるらしい。

面倒だなと思った。職務上放っておくわけにはいかないが、すでに周囲に空間ができている段階である。じきに駅員が来る。雰囲気からしてまだただの「揉め事」レベルだろう。駅ではよくあることで、駅構内での事件の管轄は鉄道警察隊だ。刑事部の人間が出しゃばることもないだろう。俺はそれより、早く海月警部を発見しなければならない。
しかし俺は揉め事の空間に向かって、人をかき分けながら歩き出していた。なぜなら。

「……海月さん」

中学生か高校生のようなベージュのダッフルコートに声をかけると、そのくらいの子供にしか見えない美少女顔の女性が振り返り、ぱっと笑顔になった。

設楽したらさん」海月は眼鏡を直し、なぜか説教口調になる。「どこに行っていたんですか? 捜してしまいました」

「どう見てもこっちの台詞です」ここに来るまでの間だって三十秒に一回は流されていたくせに、こちらが迷子になったかのように言わないでいただきたい。「いったい何回いなくなるんですか。もう、はぐれないように俺の尻尾しっぽ掴んでてください」

「設楽さん、尻尾があったのですか」

「冗談です。真に受けないでください」後ろに回り込もうとしてくる海月を押しとどめる。「それより警部、あれ見つけて寄ってきましたね?」

俺が後ろの揉め事を指してささやくと、海月は肩がぶつかった男性にすみませんと頭を下げ、それから頷いた。「はい。設楽さん、あれは事件の端緒だと思うのですが」

そんな難しい言い方をしなくてよろしい。「揉め事ゴタですね。……一応、分けますか」

「やはりですね。揉めている感じの声がしたので、そうではないかと思ったのです。おかげで事件の端緒を見落とさずに済みました」海月はまた肩にぶつかられてすみませんと謝ると、なぜか得意げにふふん、と笑った。「わたしは最近、刑事の勘というものが少しずつ利くようになってきた気がします」

「何を言ってるんですか」

誰がどう見たって揉め事だ。しかし海月は得意満面で人波をかき分けようとし、かき分けきれずにぶつかられてふらつき、どんどん揉め事の方向に移動していってしまう。俺はもう一度溜め息をついて続いた。捜査能力はゼロだが仕事熱心なのだ。揉めている人間や困っていそうな人間を見つけると、ビルの屋上だろうが川の対岸だろうが真っ先に寄っていく。もちろんそれは警察官として正しい姿であるし、俺が今、彼女を見つけられたのもその性質のおかげである。だから俺も続いた。

「『ああ』じゃねえよチョンカスが。人間に分かる言葉で喋れよ」

「どうせ痴漢しに来たんだろ。てめえらのせいで日本人が痴漢冤罪えんざいになるんだよ」

「こっち向いて息してんじゃねえよ。キムチ臭えんだよ」

胸の中に腐臭が広がる感覚があった。坊主頭の若い男が韓国人らしい中年の男性を自動販売機の側面に追いつめ、唾を飛ばし、首に青筋をたてながら罵声を浴びせている。外国人に対して通り過ぎざまに罵声を浴びせる、などの事案は聞いていたが、ここまで執拗に一人に絡むのは初めて見た。絡んでいる方の男はやはり酔っ払っている。周囲の人間たちはというと、ああいうのには関わるまい、と顔を伏せ、膨らんで距離を取りながら足早に通り過ぎている。

「暴行と言うには微妙なところですね」隣の海月が、前の二人を観察して言う。

「なら侮辱罪とかでもいいでしょう。普通なら分けて終わりですが、ヘイトクライムですからね。きちんとした方がよさそうだ」

俺が前に出ようとすると、海月が俺の袖を引っぱって囁いた。「設楽さん、これ、侮辱罪でいいのですよね?」

腰を曲げて耳元に囁き返す。「なんでそこで悩むんです。どう見てもそうでしょう」

「言われている方は日本語が分かっていないようなのです」海月は首をかしげた。「相手が何を言われているか分からなくても侮辱罪は成立するのでしょうか。判例上は、侮辱罪の保護法益は外部的名誉であるとする見解をもとに、昭和五十八年……」

「いらんこと悩まなくていいんです」いちいちそんな頭でっかちになっていたら現場が回らない、ということを、この人はいつ学習してくれるのだろうか。「そういうのは最高裁の先生方がやりますから、俺たちはとりあえずしょっぴいときゃいいんです」

俺は罵声を浴びせている方の男の肩を叩いた。「おいこら。やめろ」

「ああん?」

男は酒臭い息を吐きながら赤い顔で振り返り、思ったより俺がでかいことに気付いたのか一瞬ちらりと視線を彷徨さまよわせたが、すぐに眉を八の字にしてめあげてきた。「んだよてめえ」

「警察だ」コートのポケットから手帳を出し、「見えなかった」と言い訳のできない距離に突きつける。「ちょっと駅員室来てもらうぞ。暴行の現行犯だ」

 

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続きは本書にてお楽しみください。

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著者

似鳥鶏

81年千葉県生。鮎川哲也賞佳作入選『理由あって冬に出る』でデビュー。魅力的な人物や精緻な物語で注目を集めている。『ダチョウは軽車両に該当します』『パティシエの秘密推理 お召し上がりは容疑者から』等多数。

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