文庫 - 日本文学

小林聡美の文庫解説を公開『家と庭と犬とねこ』 4ヶ月連続刊行!石井桃子の生活随筆集

家と庭と犬とねこ
石井桃子

季節のうつろい、子ども時代の思い出、牧場の暮らし…日々のできごとを活き活きと綴る初の生活随筆集、待望の文庫化。

石井桃子の随筆集、4ヶ月連続文庫化を記念して、
文庫版のみ収録の小林聡美さんによる解説を特別公開します。

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解説 石井桃子さんのまなざし

小林聡美

 

戦後間もない頃の山村を舞台にした『山のトムさん』は、石井桃子さんご自身の体験をもとに書かれた児童文学だ。トシちゃんとトシちゃんのお母さん、その友人のハナさんと甥のアキラくんが“開墾の人”として山村で暮らしはじめ、そこにネズミ捕獲要員として猫のトムが加わる。大変な労働と厳しい自然の中、女性と子供だけの暮らしはさぞかし過酷だったに違いないが、しかしその物語はすがすがしく、きらきらと光を放ち、希望と優しさに溢れている。それは石井さんの、猫のトムをはじめ暮らしの中のあらゆるものへの温かいまなざしのせいだろう。

そして私はドラマ「山のトムさん」でハナさんを演じることになった。時代背景を現代にうつし、長野の八ヶ岳で約ひと月撮影が行われた。自然豊かな里山での撮影は、都会のコンクリートの中で撮影するストレスとはまったく無縁で、目に優しい木々の緑や、吹き抜ける風、匂い、光、土、すべてに癒されながらの撮影だった。しかし撮影は自然の良いとこ取り、石井さんの過ごした開墾生活の厳しさとは比べ物にならない。戦後の食糧難で必死の暮らし。肉体労働。それを考えると、ドラマは「きれいなだけの物語ですみません」と思うのだが、しかし『山のトムさん』はそんな“戦後の厳しい生活”部分を取り除いても十分、現代の私たちの心に沁みる物語だった。

『家と庭と犬とねこ』はちょうど、そんな開墾時代のことやトムと暮らしていた頃に書かれた随筆が多く収録されている。

終戦間際、石井さんは友人の狩野さんと宮城県の鶯沢の農家に移り住み、村人に交じって玉音放送を聞いた。

「狩野さんと顔を見あわせると、何が何だかわからないのに、涙だけボロボロとこぼれて来た。まわり中のふしぎそうな顔。「戦争、もう終ったんですよ」と、私たちはいった。」

戦争を必死で生き抜く村の生活の虚をつくような放送。その日の午後、石井さんは最初の鍬を自分たちの土地に打ちこむ。

「タカン! と最初の鍬を私たちの土に打ちこんだ。唐鍬でたち割られる萱の根っこは、血がかよっているように赤かった。空の青いこと、青いこと、もう今夜から逃げて歩かなくても、ゆっくり寝られるね、と、私は土を起こしながら、遠くの姉たちに話しかけた。」

こんなふうにして始まった開墾生活。これからどうなるのかわからない未来だけれど、空の青さを、額を流れる汗を、石井さんの心はとても前向きに感じていた。そうしてその年の十二月、地元の大工さんと青年団の幾人かに手伝ってもらって雀のお宿のような小屋を完成させ移り住む。

「でもそのぼろ障子をあけた人たちは、たいていあっと言ったくらい、たのしげに私たちは、中の細工をした。丸太づくりの二段ベッドもあるし、小さいストーヴもあった。ベッドはレースのカーテン(さわれば破れそうなものだったけれど)でかこいさえした。」

こんな開墾時代の苦労話も、ほほえましく、わくわくするのは、やはり石井さんの、ものごとの明るい部分をすくいあげる才能ゆえのことだろう。お便所やお風呂の不便さ、畑仕事や酪農の過酷さはあっても、山の生活の喜びが溢れる。

しかし、働けば働くほど借金がかさんでいく農業や酪農の仕組みに直面し、やむなく石井さんは東京にでて、出版の仕事と山の仕事、二足の草鞋を履くことになる。そしてそのことによって、戦後、急速に変化していく時代を肌身で感じることになるのだった。

「都会では月給をとって、その月給で食糧がわりにらくに手にはいるようになると、私たちの身近の人数は、だんだんにへっていった。(中略)私たちの畑のようすも、大分かわりつつあった。私たちは、馬鈴薯や豆をつくるかわりに、牛を飼いはじめていた。つまり自分たちのたべるものより、売るものをつくりはじめていたわけである。」

自給自足の生活から商売へ。時代は山の暮らしも変化させた。さらに都会を行き来する人に対する石井さんのまなざしもするどい。

「この不自由さ、不自然さはどうだ、と私はおもった。東京で一人まえの様子をして仕事をするには、よその国の人の形にあった型の服を着、ない靴下をはき、ない靴をはかなければならない。」

「つけまつげやにせの乳房の話をしたら、「なしてそんなことするのや?」とびっくりするだろう。美しく見せるためにといっても、彼らにはわからないだろう。それでも彼らは、とにかくどぶろくをのみ、はらいっぱいたべ、ろばたで居ねむりをする。日本というところは、心臓と手が、ずいぶんばらばらに働くところだなあと、私は思った。」

しかし、諸行無常で片付けるのはさみしいが、石井さんの生活は山から東京へと比重をかえてゆくことになるのだった。

本書は『山のトムさん』ファンには、開墾時代の暮らしの興味深い話が満載だ。『山のトムさん』を読んだことがなくとも、あの時代の普通の人々の、つつましく健気な暮らしをいとおしく、そして戦争というもののつまらなさを思うだろう。石井さんのまっすぐで明るい視点で書かれた文章は、読む私たちの胸の奥を明るく照らす。都会といなかの矛盾をわかりやすく痛快に指摘した「都会といなか」は今読んでもはっとさせられるし、傷をおった野良猫が飼い猫となるまでの「愛情の重さ」や、大型犬のデュークに振り回される「朝の散歩」などは、石井さんの動物に翻弄される姿が微笑ましい。

かずかずの児童文学を世に送り出した石井桃子さんは、まっすぐで透明で謙虚で明るいまなざしで世の中を見ている。そして「自分はひとりぼっちでいるほうが、いい人間になれる」と自分の歩みを大事にする。友人や山の人に囲まれた賑やかな暮らしの中でもきっと“ひとり”でいられる人だったにちがいない。そんな静かなまなざしは、私たちをいつも安心させてくれる。

(女優)

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●石井桃子の随筆集、4ヶ月連続刊行●
2月刊『家と庭と犬とねこ 全国書店で好評発売中
3月刊『みがけば光る』 生活随筆集第2弾。類まれなる言葉と感覚で綴られた全90篇。
4月刊『プーと私』 「クマのプーさん」「ピーターラビット」など、著者が世に送りだした永遠の文学作品をめぐって、活き活きと綴った随筆集。
5月刊『新しいおとな』 生涯を子どもの本と歩んだ著者の、子ども、本、本の置かれる場所をめぐる読書案内随筆集。

関連本

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著者

石井桃子

作家、翻訳家。『クマのプーさん』『ちいさいおうち』「うさこちゃん」シリーズなど数々の欧米児童文学の翻訳を手掛けながら、『ノンちゃん雲にのる』等の創作も行い日本の児童文学普及に貢献した。2008年没。

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