文庫 - 日本文学

五代ロスにこの一冊。五代友厚がいきいきとよみがえる傑作小説!

『五代友厚』織田作之助『五代友厚』織田作之助

五代友厚

【著】織田作之助

【解説】岡崎武志

 

「生」を燃焼し尽くした人

去年(二〇一五年)秋からNHKで放送開始した、朝の連ドラ「あさが来た」は、明治から大正期に活躍した女性実業家・広岡浅子をモデルにしている。原案の古川智映子『小説 土佐堀川──広岡浅子の生涯』を脚色したもので、登場する人物は同じくモデルがあっても、事実とは異なると考えた方がいいだろう。唯一、実名で登場するのが、織田作之助が小説化した「五代友厚」である。ディーン・フジオカという爽やかな印象の若手俳優が扮したこともあり、五代友厚そのものにも注目が集まっているようだ。
しかし、近代大阪の礎を築いたとされるこの実業家の名を知る人は、地元大阪でも意外にこれまで少なかったのではないか。現在、大阪市中央区本町橋にある「マイドームおおさか」前に、幾つか建つ銅像の中に五代友厚像がある。これは戦前、隣接する大阪商工会議所に位置したもので、戦時中に金属として供出され、今建つのは二代目だ。じつは、大阪商工会議所の創設者がもと薩摩藩士の五代友厚であった。いや、そんなものではとどまらない。金銀分析所、鉱山、活版印刷所、阪堺鉄道、大阪商船、関西貿易会社、大阪製銅所などを起業あるいは手助けし、大阪株式取引所創設にも関与している。大阪商法会議所設立も五代の仕事だし、教育面においても大阪市立大の前身となる大阪商業講習所を開いたりもした。すべての道はローマに通ず、という故事をもじれば、大阪近代化のすべての道は五代友厚に通ず、と言えるだろう。書き写すだけでめまいがしそうな八面六臂の活躍である。大阪に銅像一つぐらいでは間に合わない。
織田作之助は、二年の東京生活を経て、大阪へ戻って就職した日本工業新聞社へ通っていた頃、社が堂島にあり、商工会議所前にあった五代友厚像をよく見上げ眺めていたと言う。「自信に満ち満ちて、昂然と中之島界隈を見下ろしながら、突っ立っているその姿を、私は自分に擬し、そして瞬間慰められたものだ」と、五代の生涯を描く評伝『大阪の指導者』(錦城出版社/一九四三年)に書いている。
これは五代友厚伝のいわば「後編」で、前年にその青春期を扱った『五代友厚』をすでに日進社から出版している。『五代友厚』は新聞連載であったが、『大阪の指導者』は書き下ろしであった。同著の出た一九四三(昭和十八)年は、単行本では『清楚』『大阪の顔』、代表作の一つ長編『わが町』を書き下ろしで刊行している。その他、文芸誌「新潮」に「聴雨」、「文藝」に「道」、「若草」に「勝負師」をそれぞれ発表し、書きまくった一年であった。
そんな中、一度書いた題材にもう一度、しかも書き下ろしで挑むのは、織田の中に、よほど五代友厚にインスパイアされるものがあったと思われる。一瞬たりとも立ち止らず、「転がる石のように」生きた五代に勇気づけられ、わが道を見出したのではないか。織田は三高時代に一度喀血し、のち胸部疾患による喀血を繰り返す。胸の病は当時死病であった。死はとっくに覚悟していたはずなのだ。処女小説「ひとりすまう」を同人誌「海風」に発表した一九三八年から数えても、四七年一月に死去するまで、多く見ても作家生活は八年に過ぎない。
薩英戦争の際、長崎にいた友厚(当時、才助)に、『五代友厚』の中で織田はこう言わせている。「早くおれたちを死なしてたもし」、あるいは「おれは、まだ生き恥をさらしている」。世界一を誇るイギリス艦隊を向こうにまわし、譲らず戦い続ける日本人の姿は、太平洋戦争のさなかにある読者に時代を飛び越えて訴えかけたはずだし、織田もそれを十分意識していた。「神州の地を夷狄から守れ」という攘夷派の思想は、時局にうってつけでもあった。
ところで、『五代友厚』において、主人公を饒舌とし「日頃自分が喋り過ぎるということを彼も知っていた」とキャラクター化しているが、実際はどうであったろう。薩摩っぽがそんなに饒舌だったとは思えない。そこに、織田作之助的世界が加味されているはずだ。「五代友厚」が収録された文泉堂書店版全集第三巻における「作品解題」でも、青山光二は「稀代の話術家、愛嬌のある詭弁的饒舌家に仕立てあげられているのは、著者独自の設定」と見ている。
友厚は、長州藩のために船舶や武器弾薬を買い付け、その商才のため攘夷派から命を狙われた。藩の秀才を欧米へ留学させることを進言し、のち自ら随行してヨーロッパ視察を果たす、きわめて進歩的思想の持主だった。「彼はハイカラであった。いわば、当時の新知識であり、新人であった」と、織田は随筆「実業界の恩人を偲ぶ 五代友厚」に書く。もう一人の坂本龍馬とも言えるだろう。
何十人分にも匹敵する実業の覇者でありながら、友厚が四十九で生涯を終えた時、百万円の負債が残された。つまり「私」を殺し、「生」を燃焼し尽くした人生だった。実業とは縁遠い、燃焼し尽くさないまま世を去った織田作之助にとって、憧れの人物だったかも知れない。

関連本

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著者

織田作之助

作家。1913−1947。太宰治、坂口安吾と並ぶ無頼派三大作家のひとり。代表作に「夫婦善哉」。

【解説】岡崎武志

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