文庫 - 日本文学

町田康が驚いた、『おらおらでひとりいぐも』の特異性──「桃子さんは小説の登場人物ではない」

 

田中裕子15年ぶり映画主演作!芥川賞&文藝賞W受賞、新たな老いを描き、日本中から共感の声を集めた50万部突破のベストセラー『おらおらでひとりいぐも』が映画化されることになりました。

メガホンを取るのは『南極料理人』『モリのいる場所』などで知られる沖田修一監督。映画化困難かと思われた本作に、みごとに新たな命を吹き込んでいます。

2020年秋の映画『おらおらでひとりいぐも』公開に先駆けて、原作は待望の文庫版が発売になりました。

文庫化に際して、若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」を文藝賞に推した当時の選考委員 町田康さんが本作の魅力を「解説」として書き下ろしてくださいました。

だから「おらおらでひとりいぐも」を読んだときには驚いた。
と町田さんが綴る、若竹作品のすごさ。
原作文庫に収録された解説を全文公開します。
ぜひ映画の前に、原作世界をご堪能ください。

 

解説

町田康

 たいへんに愚なことをしでかしてしまい、人に、「貴様はなにゆえにあのような愚なことをしたのか。その理由を述べよ。文字数はどれだけ長くなっても構わない」と言われた。そこで、その愚なことをしでかした理由を考えたが、いくら考えても、まったく理由がわからない。というか、あるところにくると急に考えが進まなくなり、気がつくとよそ事を考えている。それで慌てて、本道・本筋に戻ろうとするのだけれども、何度やっても同じこと、そこに至るや、なぜか靄がかかったようになってしまって、どうしてもそこから先に進めない。

 なんてことが人間にはよくある。

 なんでそんなことになるかというと、そこから先に考えを進めると、自分が非常にアホであったり、非常に極悪であったりすることがわかってしまい、それが自分としては非常に辛く、苦しいことだからである。

 そしてそこに考えがいたってしまったことにより生じる苦しみは激甚でそれによって人がぶち壊れてしまうことがままある。というのは自決したり、発狂したりするということである。そこでそれを防止するため、そこに考えがいたりそうになると、考えが急に遮断される、いわば漏電遮断器のようなものが人間には予め埋め込まれており、危なくなるとこれが作動して考えが先に進まなくなり、安全を確保するのである。

 

 けれども、愚かなことをしでかした本当の理由は、その先にあるので、考えても考えてもそこにたどり着けず、詮ないことを考え続けるうちに、次第に考えることに倦み、気晴らしにスロットを打ったり、アフタヌーンティーを楽しんだりしてしまって、そのことを忘れ、また同じような愚行を繰り返してしまう。

 あかんやないかい。

 と思うとき、大変に有効なのが、言葉、文章ってやつで、これを駆使して、本当の考えにいたる手前で、愚かなことをした、それらしい理由をでっちあげることができる。

 これは実に素晴らしいことで、人が、「なにゆえあのような愚なことをしたのか」と問うのは、それに対して納得のいく説明がない場合、苛々してしまうからで、その苛々する人の溜飲を下げる役割を果たす。

 これに熟達して商売にしたのが小説家という御連中で、

「なんであんなことしたんじゃい」

「実は……」

「実はなんじゃい」

「あいつは親の仇だったんですう」

「マジかー。ほんだら熱々のパスタ、頭からかけてもしゃあないのお」

 って具合に、言葉、文章を用い、道理とかそんなものを拵え、その範囲内ということは、サーキットブレーカー手前で回路をつないで、人々の心に明るい光を灯す。

 よかったあ、よかったあ。考えの漏電から齎される発狂や自死から私たちは救われた。楽しいなあ、うれしいなあ。てなものであるが、けれどもその回路は愚行の根拠とはつながっていないし、その弊害も自他に及び続けるから、実はこれはまやかしにすぎない。

 ということは小説家も訣っているから、なんとかしてその先に回路をつなごうとする。しかしなかなかできず、過酷を避け、そのときどきの道理・道義を急造してこれを避けてしまう。しかもそれがなかなかに複雑で精妙であり、また美しかったりするので、「まあ、これはこれでよいのかも知らん」と思ったり、その複雑精妙や美、それ自体が目的となってしまう。

 

 しかしそうなるのはなにも小説家が腐敗堕落しているからではなく、一には、文章というものはその性質上、どうしても首尾一貫して、しょうむないにしろ、ちゃんとしてるにしろ道理を作ってしまうからで、二には、そこから先に進むと自分が崩壊してしまうのだけれども、さっきから言ってるとおり人間に自壊を防止しようとする装置が埋め込まれているからである。 「いっやー、右腕、切断したら気持ちよかったわー。ぎょうさん血ぃ出たけど」とか、「どうする、飯行く? それとも屋上から飛び降りる? どっちでもええよ」とならないのはそのためである。

 

 

 だから『おらおらでひとりいぐも』を読んだときは驚いた。

 誰もいかない、その漏電ブレーカーの先、人間がそれを突き詰めて考えてしまったら短絡してしまう、すなわち頭がおかしくなってしまう領域に入っていって、その一部始終を文章で表現していたからである。

 では通路は、あの世に繋がる通路は桃子さん自身の中にあるというのか、そこまで考えて、桃子さんはのどの奥でひゃっひゃと声にならない声をあげて笑う。何如たっていい。もはや何如たっていい。もう迷わない。この世の流儀はおらがつぐる。

 もう今までの自分では信用できない。おらの思っても見ながった世界がある。そごさ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひとりいぐも。

 というのは、愛する人を失い、悲しみの極みにある桃子さんが、その悲しみによって、亡くなった人の声をありありと聞き、しかし、普通に考えれば、亡くなった人が話すはずがなく、驚き惑った挙げ句、これをどのようにとらえたらよいのかを考え、真理や道理はどうでもよい、自らにのみ従う、と覚醒するシーンである。

 ここであの世に繋がる通路、というのは、右に言った人間の、立ち入ったら自壊するかも知れない、しかしそこに行かないと、自分がなぜこのように在るのか、というのが訣らない領域の話で、この小説はときに躊躇して立ち止まりながらも、桃子さんがその領域に、ひとりいぐ、小説で、何回も同じことを言って申し訳ないが、ここに行って生きて戻った人はほとんどおらない。

 

 ではなぜこの小説の作者、若竹千佐子にはそれができたのか。

 ひとつは、こんなことは説明にもなににもなっていないが、気合い、であると思う。例えば。

 このまま前に進めるだろうか、引き返そうか。振り返ると、今降りてきた階段が尚更高い壁になって目の前にある。(中略)やはり引き返そうか。やんた。強く遮るものがある。やんたじゃい。

 行くでば。行がねばなんね。

 というのは足を痛めた桃子さんが拾った棒切れを杖について遠い道を降っていくシーンだが、このとき何度も逡巡し、迷いつつ、先へ進むその力の源は、理屈や道理を超えた、やたけたのパワー、であり、気合いである。たあああああっ。

 といったものは普通、持続しないものだが、この作者は持続する気合いを生来、気質として持っているようで、だからこそこの傑作を書くことができたのである。

 

 というとしかし、体力に任せて、乗り一発で、こんなことができるのか。「小説なんてものはなあ、結局のところはなあ、気合いなんだよ」と嘯いて、浄衣をまとって滝に打たれ、えげつない水圧に耐えながら、合掌して口述筆記をする。敢えて骨折し、激烈な痛みに耐えながら執筆する。俗界との交わりを断って、断食などにより毒素を排出し、完全な状態の自分となって執筆に向き合う。などすればできるのか。

 

 というとそんなことはまったくなく、この小説では慎重な配慮がすみずみまで行き渡っていて、横溢する気合いと同時に作者の緻密な計算が働いていることがわかる。

 

 というのは例えば、右に引用した部分にも見られる、国言葉、方言の導入で、それは、それを標準的な言葉の意味から少しだけ浮き上がる音として響かせることによって、どうしたって首尾一貫してしまう文章が、道理を発生させてしまうことを防止する効果を生む、と同時に、桃子さんが意思して獲得した人格と、それをするために捨てたはずの自分、という二重性も描いていて、単に、書きやすさ、筆の滑りやすさ、調子のよさ、だけを目的としない。

 

 人間は、なんで自分がそんなことをしたのか、わからない。わかろうとすると自壊する。そしてそれは、なんで自分は生きているのか、ということと同じで、アホみたいな話だが、なんで死ぬのか、なんで死ぬのが悲しいのか、なんでかくも苦しいのか、なんでかくも悲しいのか、寂しいのか、ということと同じである。

 しかしそれはいくら考えても考え尽くせない。日なたでボロ布にくるまって、でも考えていると、知っているような知らないような、半知りの人が来て、「しょうむないこと考えてんと働け、ド阿呆っ」と言う。その人の顔を見るとまるで働き者のような顔をしている。なので働いたらそんなことは思わなくなるのかと思って、真っ黒になって働いた。なるほど働いている最中はあまり苦しくない。けれども気がつくと必ず同じところに戻っている。背広を着ていようが、女装していようが関係ない。

 それだから桃子さんは小説の登場人物ではない。間違いなく、老いと孤独、確立したはずの個の脆さに戸惑い、途方に暮れている私自身である。

 

 だから私は足の痛みに耐え、覚醒と惑乱を繰り返しながら言葉の中を行進していく桃子さんにひきつけられ、そして勇気づけられた。

 といってなにかがすっきりと解決したわけでなく、気がつくと同じ回路にいる。けれども私たちはまた戻っていく。また戻ってくる。どこへ。知るかあ、ボケ。言葉を喚き散らしながら繰り返していくんじゃボケ。と私はこの小説を読んでそんな気持ちになったのであーる。

(作家)

本日解禁! 映画『おらおらでひとりいぐも』予告(90秒)

田中裕子さんが歌声披露! 

 

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著者

町田康

1962年大阪府生れ。作家、歌手、詩人として活躍。96年、初小説「くっすん大黒」でドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞。2000年「きれぎれ」で芥川賞、05年『告白』で谷崎潤一郎賞など受賞多数。

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