文庫 - 外国文学

本書をより美味しく召し上がっていただくために――2016年6月映画公開の『帰ってきたヒトラー』、原作文庫解説を公開。

帰ってきたヒトラー』(上下)9784309464220
ティムール・ヴェルメシュ 森内薫訳
【解説】マライ・メントライン



本書『帰ってきたヒトラー』は、2012年にドイツで発売された直後から大きな反響を呼び、即座に大ベストセラーとなった。現代によみがえったヒトラーの「魅力的側面」を描くというのは、ドイツの文化的作法から見てあまりに大胆すぎる試みだ。その騒ぎを知ったときの私の先入観は、おおよそ以下のようなものだった。
●まあたぶん、一発アイディア勝負のキワモノ小説だろう。
●ヒトラーを戯画的に描き、歴史原理を単純化して描いているのだろう。
●どうせ、最後はヒトラーが成敗されるお約束的な展開だろう。
すばらしいことに、これらの予見はすべて外れた。読めばわかるが、本書は21世紀初頭のドイツ社会とその歴史認識の精神的アキレス腱を的確に突く、実に見事な「警世の書」である。しかも抜群に面白い。もちろん、ナチズムやヒトラーに関する専門知識がなくとも興味を失わずに読みきることは可能だが、読み手のドイツ社会に対する……いや、現代社会に対する見識が深ければ深いほど、より笑うに笑えない漆黒な笑いで神経が満たされてゆく構造になっている。そのあたり、実に知的に秀逸だ。

ナチス暗黒時代に対する戦後ドイツの社会的反省、とくに教育現場におけるその徹底ぶりは、日本でもかなり好意的に……ときにいくぶん理想化されて……報じられている。お国柄ゆえ徹底しているのは間違いない。しかし戦後70年、硬直化と教条化の弊害が表出してきているのも事実だ。反ナチス・反ヒトラーの姿勢を示すことが「ヨーロッパ人」たるドイツ人の責務として最優先された結果、「なぜ?」「どうして?」という心理的ダイナミズムの考察を抜きに、単に脊髄反射的にナチス関係の事物を拒絶しがちなドイツ人がけっこう多数存在する。もちろん、絶対悪を肯定するより否定する方がマシなのは言うまでもない。しかし冷静に考えた場合、思考停止状態での類型的な拒絶は、むしろ将来的に大きな危険をもたらす可能性が高い。

もしナチスが復活したとして、彼らが最初から非理性的な暴言を吐きまくるような存在ならば、脊髄反射的な人たちでも悪の拡充を防げる公算が高い。たとえば、いわゆるネオナチのようなゴロツキたちには対応可能だろう。しかし「ホンモノ」が現れてしまったらどうなのか? かつてナチスが、ヒトラー自身がそうだったように、彼らの最初の語りかけは「いやぁ、最近のガソリンの値上げはキツいっすよねえ……」というような、党派や主義主張を超えて誰もが納得し、ついうなずいてしまう内容なのだから。

現代ドイツ人に、果たしてネオナチでない「本家ナチス」に対しての免疫力は充分にあるのか? 率直に言って実は不安だ。たとえ90%の人々が大丈夫だとしても、その90%で「安全圏」と言えるのか……?

『帰ってきたヒトラー』は、このパンドラの箱を正面から堂々と開けてみせた小説だ。「開けた」こと自体をチクチクと批判する論調もドイツ国内にあるけれど、ほっといた末に最悪の形で爆発する可能性を考えてみてほしい。むしろ、著者に対して大いに感謝すべきだろうと私は思う。

本書を語る上で欠かせないのが、著者ティムール・ヴェルメシュの出自と経歴だ。彼はハンガリー系移民(父親が1956年のハンガリー動乱後にドイツに移住)の家系で、ジャーナリストとしての経験を持つ。それも本作中でキーポイントとなる、いわゆる大衆系タブロイド紙の記者だ。また、ゴーストライターとして複数の書籍(特殊清掃人の体験記など)を執筆している。つまりドイツ社会の内側と外側、そしてジャーナリズムの表と裏、という多重的な観点を有しているのだ。そのポテンシャルを、非ドイツ的ともいえる絶妙なウィットを交えながら存分に活かしきった筆力は並大抵のものでない。

実際の話、現在、ドイツの文芸は彼のような移民系作家たちの活力に大きく支えられている。ドイツ文芸ではなくドイツ「語」文芸の時代、と言い換えることも可能だろう。さまざまな異文化からの発想がドイツ文芸界に流入し、化学変化的な盛り上がりを見せている。「多文化主義は失敗」というメルケル首相の政治的発言は内外にネガティブな衝撃を与えたが、こと文芸や映像芸術領域で、ドイツの多文化主義は見事な成功を収めている。本書はまさに「瞠目すべき」その成果のひとつと言えよう。

議論好きのドイツ社会で定番化している、「Hart aber fair(ガチで、しかし公平に)」という人気テレビ討論番組がある。ブームが昂じて社会現象化した『帰ってきたヒトラー』も当然取り上げられ、その回のタイトルは「どこまでヒトラーを笑うことが可能か?」であった。各界の有識者が議論する中、実際に「ヒトラー芸」で世間的物議を醸した経験のあるコメディアンの発言が印象に残った。

「ボクの『ヒトラー芸』に対するバッシングは、ある日突然、一人の著名な社会批評家がボクを糾弾しだしたときに始まったんです。そして炎上した。それまで、誰もそんな文句はつけてこなかったのに。マスコミ関係者も『別に問題ないよ』と言っていたのに……でもいちばん恐ろしかったのは、ボクを糾弾した人々が、そのとき、さも昔からボクを問題視していたかのように動きはじめたことです……」

ここには見のがせない要素がある。バッシングに参加した人たちは、少なくとも表層的には「道徳的な義挙」という意識のもとで動いたのだろう。しかし彼らの振る舞いの基本原理は、ナチス時代、「今日からユダヤ人は許されざる存在になりました」と決められた瞬間に多くのドイツ市民がとった「恥ずべき」振る舞いのそれと、まさにまったく同じなのだ。

そう、いまだ克服されていない重要な何かがある……
コメディアンの発言はすばらしい問題提起だった。が、そこで割って入った「とにかく、ヒトラーのような絶対悪を、面白おかしくコメディ的に描くことなど絶対に許されません!」という石頭なオヤジの発言のせいで、そのまま何も展開できずに終わってしまった。このスタジオの一連の情景は、『帰ってきたヒトラー』に対するドイツ社会の反応の見事な縮図となっているように思われて、どうにも忘れがたい。著者ヴェルメシュ氏もあの番組を観たのだろうか。もし観たのなら、あの「本質的な結論を回避する」無限連鎖の展開に何を感じたのか、聞いてみたいところだ。

2015年10月、映画『帰ってきたヒトラー』がドイツで公開された。製作時、「予告ぬきに街頭にヒトラーが出現する」ゲリラ撮影の敢行が大きな話題となった。驚いたことに、ヒトラーは街中で大いにバカウケしていた。主演俳優の見事な成り切りっぷりの効果もあるだろうが、とにかく「ヒトラー」本人が現代ベルリンの街頭でアイドル化するありさまには、原作の心理的な予見が想定以上に的中していたことを感じずにいられない。これには原著者も複雑な気分になったのではないだろうか。

2016年1月、著作権保護期間の終了を受け、ドイツでヒトラーの主著『わが闘争』が復刊されて大きな話題となった。読むべき本か否かは別として、発売後数時間でドイツアマゾンの在庫がなくなるほどの売れ行きだったという。好きでなくとも「気になりすぎる」存在はつい押さえてしまう……これは万国共通の購買心理かもしれない。

実際に『わが闘争』の語り口を見ると、逆に『帰ってきたヒトラー』のモノローグ展開の凄さ、リアルさがよくわかる。両者はよく似ている。しかし単に形式的に似せているのではない。周囲の森羅万象を、オレ的な文脈ですべて徹底的に再解釈しつくす。そして言語的に定義する。すると周囲に一種の擬似世界が生じる、というヒトラーの「根本原理」が、作中で見事に機能しているのだ。ある意味、これが『帰ってきたヒトラー』の最大の価値かもしれない。レトリックの面白おかしさだけで満腹になってしまうのはもったいない。ちなみに「オレ的な文脈」というのは私利私欲への誘導ではない。オレには世界がそのようなシステムとして見えるから仕方ないでしょ、という首尾一貫した観点のことで、だからこそ強靭なのだ。

ヒトラーは徹底的に「オレ文脈」でのみ発言する。ゆえに本来的な意味で会話が嚙み合わない。しかし、相手にとって都合のいい誤解をさせるだけの余地も微妙に存在する。その結果、一種の精神的な「商談」が成立してしまう……これは、客観性を呑み込むほどに巧緻な主観を戦術的に活用した、特異で強力なコミュニケーション術といえる。

良くも悪くも、ヒトラーのような巨大な存在感を持つ人間になると、関係する知的ジャンルの数だけ異なるヒトラー像が発生する。ゆえにいざ正面から描こうとすると、あちらを立てればこちらが立たぬ的な状況に陥りがちだ。しかし本作の場合、私の知人のあらゆるジャンルの読者が異口同音に、「このヒトラーはウチの業界の観点からみてバッチリな出来です!」と述べていた。かなり驚くべきことだ。この上なく本質を突いたキャラクター描写が成立しているということだろう。その点もまた興味深い。

21世紀に復活したヒトラーは最終的に何を指向し、実現しようとするのか? 作中では社会全体を覆ってゆく不吉な予感が示されるのみで、明確な描写はない。

先段、ヒトラーはつねに現実のすべての再解釈を行い続けた存在だと書いた。ではその再解釈は何のためか? 一義的には、「既存の価値観の打倒」のためだ。では何故打倒するのか? 「既存の価値観は不当な既得権や寡占体制の温床だから」だ……と、このようなナゼナゼ問答システムを使って突き詰めてゆくと、やがてその先に見えてくるのは、
「持たざる者」が、世界に対してどれだけ効果的に怨念を晴らせるか
という根本動機である。自覚・無自覚は問わない。「持たざる者」を「非リア充」に置き換えてもよい。そのように考えると、ヒトラーとナチスの物語が、そしてその基本ダイナミズムが、本質的にまったく過去の遺物などではないことが理解できる。だからこそ本書『帰ってきたヒトラー』は、現代社会にて異様な説得力を放つのではないだろうか。それは黒い光のようなものだ。

実はヒトラーは「帰ってきた」のではなく、クラウド的に分散した形で「ずっとそこに居て、待っていた」と言えるかもしれない。自覚と目的意識を取り戻すための決定的なきっかけを待つ状態。第二次世界大戦の直接体験世代が完全に消え去りゆく今後、復活はより容易になるだろう。そのとき「彼」はどんな顔をしてやってくるのか。そして社会はそれを予見・知覚できるのか。作家の、そして読者の想像力の質がこれまで以上に真摯に問われる時代が、すぐそこに迫ってきているのだ。

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【映画公開】
映画『帰ってきたヒトラー』公式サイト
6月17日(金)TOHOシネマズ シャンテ 他 全国順次ロードショー

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著者

ティムール・ヴェルメシュ

1967年、ドイツのニュルンベルク生まれ。エルランゲン大学で歴史と政治を学ぶ。ジャーナリストとしてタブロイド紙〈アーベントツァイティング〉紙や雑誌などで活躍。ゴーストライターとして4作品を刊行。

マライ・メントライン

ドイツ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育『テレビでドイツ語』出演。早川書房『ミステリマガジン』誌、ドイツ大使館文化サイト『Young Germany』などでドイツ文芸・映像作品の紹介エッセイを執筆。東京ドイツ文化センター(ゲーテ・インスティトゥート)で文化イベントの企画運営や、来日作家・アーティストの通訳、ドイツマスコミ記事の翻訳に従事。

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