単行本 - エッセイ
しょせん料理じゃん? 小林カツ代『小林カツ代の日常茶飯 食の思想』
荒木優太
2017.09.26
大学の外でも学問研究を続ける「在野研究者」の本を書いたとき、とても悩んだ思い出がある。「料理研究家」は在野研究者なのか否か。リブロポート社が出していた民間日本学者シリーズには、料理研究家の草分けだった辰巳浜子の評伝があった。成程。栄養学の先生でもないし、まあ、在野なのはいいとして……研究者? 新しいレシピや効率的な調理法を編み出すことを研究と呼べるのだろうか? 研究っていうのはもっと……ん? えーっと、アレ、そもそも研究ってなんだっけ?
勿論、外野の勝手な分類など拘泥せず、あまたの料理研究家たちは存分にその腕を振るってきた。二〇一四年に逝去した、小林カツ代もその一人である。雑誌に発表されたエッセイに加え、未発表原稿、対談、講演録、末尾に直筆原稿の写しを収める本書は、厖大な著作のある小林の食生活思想入門篇といった趣をもっている。
急いで断っておけば、リッチなくせに優雅に清貧の思想を説く高齢者のお説教を毛嫌うハードワーカーはこの本を読んではならない。これから時給九五〇円のパートに出かけます、とか、ブラック労働で残業つづきなんですけど、といった方々が間違って本書を読めば、すぐさま激怒すること必至である。「私の朝食は、パンとチーズと、アールグレイの紅茶だけ。ほかにはほとんど何も食べたくないの」……って、それすら食べてないんですけど! 「そぎ落としていったあとで残ったものは、その人そのものがにじみ出ているものなんじゃないかなぁ」……いやいや、そぎ落とす以前に持ってないんですけど! 単なるグルメに留まらない、リンドバーグ夫人『海からの贈物』に感化されたらしい、本質的に豊かな食生活の洗練こそが小林の到達した境地であり、これに白々しさを感じる現代人はたぶんそれなりにいる。
とはいえ、みながみな怒りん坊というわけではあるまい。講演で語られた自叙伝に触れると、彼女もまた女性ならではの苦労をしてきたんだな、と深く感じ入る。料理なんてしなくていいと承諾を得て結婚したのに、いざ新生活が始まると、女性なんだし当たり前、と有無を問わない先入見。やらなくていいって言ったじゃん! フェミニズム的な批判精神が根っこにあるせいか。料理研究家が書いたものにも拘らず、本書の筆のはこびは、どこか冷めている。だって、しょせん料理じゃん? そう、しょせん料理だ。岩村暢子の本なんかを読んで、荒れ果てた自分の家の食卓に戦慄した主婦は、この「しょせん」でちゃんと安心をとりもどすべきだ。どうせすぐに死ぬわけじゃないし、どーでもいいよ。どうせいずれ死ぬし、どーでもいいよ。料理は誰かの専売特許じゃありません。散々おふくろの握ったおにぎりをほおばってきたくせに、女の握る鮨は食えない、とか言い出す奴らって、ほんと頭悪いんじゃないかと思いますよね。
あ、そうそう、個人的にはフライパンをあっためる習慣をやめようと思いました。真理だ。