単行本 - エッセイ
【特別対談】岸政彦×花田菜々子〜出会い系サイトで会った70人に本を薦め続けた書店員が語る〈その場限り〉の切実さ
花田菜々子
2018.07.25
去る5月26日、大阪のスタンダードブックストア心斎橋店で、書店員の花田菜々子さんと社会学者の岸政彦さんによるトーク&サイン会「〈その場限り〉の切実さについて」が開催されました。花田さんが刊行した『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(通称「であすす」)は発売直後からSNSを中心に口コミで評判が広がり続け、現在発行部数3万部を突破。「ダ・ヴィンチ」誌の「今月のプラチナ本」にも選ばれるなど、新聞、週刊誌などでも話題となり、「まさかの感動を味わった」「一歩踏み出す勇気をもらえた」と大きな注目を集めています。お二人が語る、他者との出会いとそのかけがえのなさとは……?
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岸政彦(以下、岸) これはどういう本かというと、出会い系サイトで出会った人に本をすすめた話ですね、って、タイトルそのまんまですが……。使っていたのはどんなサイトですか?
花田菜々子(以下、花田) 出会い系サイトというと恋愛目的のものを想像されがちですが、わたしが使っていたのはいわゆる“意識高い系”のような人たちの情報交換を目的にしたサイトです。カフェで待ち合わせして30分間話して、後でその人がどんな人だったかを会員みんなが閲覧できるサイトに書き込むという点で、ふつうの出会い系よりもオープンな面があるのかなと。
岸 実はこのサイトの名前を教えてもらって、今日のトークのために登録してみたんですよ。プロフィールには「社会学者です。人の人生を聞く仕事をしています」と書いたんですが、まっっったく反応がなかった(笑)。こっちから申し込みするのもいろいろ考えてしまって、結局誰とも会わないままでした。ちょっとぶっちゃけたところから聞きますけど、けっこうきわどい目に遭ってるでしょ?
花田 そうですね。でも意外と、それほどキモさは感じなかったですかね。
岸 この本のなかで最初の方に会う人たちは、“シモ”目的でしたよね。そういう目的で来ている男性たちに対しても何も思いませんでしたか?
花田 本を読んだ方からも、「ほんとクズですね」とか「最初のふたりでウンザリしてやめようと思いませんでしたか」とか言われますが、たしかに残念な気持ちはありつつ、それ以上に「知らない人としゃべったぞ!」っていう前向きな実感の方が当時は大きかったですね。
岸 最初はたまたまのきっかけでそのサイトを知ったと書いてましたが、その頃は寂しかったんですか?
花田 寂しかったというよりは、自分の生きている世界が狭いものだなと感じていて。自分の居場所だと思っていた会社と、少しずつ距離が生まれてきたのがちょうどその頃でした。本よりもアニメのキャラクターグッズに力を入れようと、会社が方針を変えていくなかで仕事への自信も失われてきて、自分には本当に何もなくなってしまうんじゃないかっていう不安がありました。
岸 行き詰りや居場所のなさを感じたときどうするかっていうと、人はまずインドに行って人生変わりがちですよね(笑)。ぼく自身がその手なんですけど。いま沖縄を研究テーマにしてますが、最初に沖縄に出会ったのは25年ぐらい前で、当時大学院に落ちて、仕送りももらえず金がない。さらには当時の彼女にも振られたりして、そういう嫌なことが続いたあるとき沖縄にハマったんです。それが研究のテーマになった。そのあと、そういうのってただの「植民地主義」なんじゃないかとか悩んで、10年ぐらい何も書けなくなりましたが、最初に書いた沖縄の本(『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』ナカニシヤ出版)は、それまで生きてきた25年間の落とし前をつけるつもりで書いたんです。
花田 沖縄の話だと先日出された『はじめての沖縄』も、とても面白かったです。沖縄についての真摯な語りが、自分についての語りにもつながっていくところが素晴らしかったです。突き詰めていくと自分の話になるっていうところが、沖縄を利用して自分を語るっていうのとは全然別物で。
岸 自分に自分の本をすすめられている感じですね(笑)。現状を打ち破る方法として、ぼくの場合は「別の場所」に向かったわけですが、花田さんは人に会うことを選んだのがすごく面白いなと思いました。
花田 アウェイの世界に飛び込まないと自分は満たされないだろうと思っていたのかもしれません。たとえば「ちょっと気持ちを変えたい」っていう目的だったら、ヨガを習い始めるとか。
岸 いまちょうどぼくも「ホットヨガ習いがち」って言おうとした(笑)。
花田 (笑)。あと、本をすすめるにしても本好きの人のコミュニティを対象としてしまうのでは、傷が浅くて済んでしまうと思ったんですよ。浅い傷だと自分の渇きみたいなものが満たされないだろうと。自分がアウェイであるような場所での他者との出会いというか、そういうことによって修行する必要があるのかなって。
岸 自分を変えようと本気で思ってたんですね。ぼくも沖縄にハマったときはちょうど、自分の退路を断ちたくて、まったくちがう世界のことをしようと日雇い労働を始めた時期だったんです。今日岸和田の方いらっしゃいますかね。岸和田市民病院の4階フロアはぼくがつくりました(笑)。日雇いのバイトはなんだかんだで4年間も続けました。
全然ちがう世界に飛び込むことで自分を変えようとする、ということは、みんなよくやると思うんだけど、そこで「人と出会う」という道を選んだのは、ほんとに面白いと思いました。ぼくも、どうしたら自然に人と出会えるのかっていつも考えています。『断片的なものの社会学』(朝日出版社)のなかで「寄せ鍋理論」っていうのを書いたのですが、たとえばその辺の道端で「今からしゃべりません?」って声をかけたらすごくひかれるでしょ? あと友だちが「ちょっと一回喋らへん?」って言って来たら、なんか深刻な話かなと身構えますよね。でもたとえば人を集めて鍋を囲んだ状態なら自然に話ができる。これを「寄せ鍋理論」と名付けました。ぼくにとっての寄せ鍋が、花田さんにとって本だったのかな。
岸 あと花田さんの「すすめたい」って願望も面白いですよね。
花田 それが自分の得意なところなのかなと思っていて。たとえば人に服を選ぶことに似ているのかなと。岸さんを見たときに「今着ているその色もいいけど、こういうのも似合いそうですね」ってすすめるような。
岸 ドキッとします…このポロシャツ似合ってなかったら言うてくださいね……。
花田 いやいや、服のことは詳しくありません(笑)。服のことを詳しいのであれば「あの人はああいう組み合わせをしたらきっと似合うな」とか「その人の良さが際立つんじゃないか」なんて考えるのがすごく楽しいというか。わたしの場合はそれが本だったんですね。でも向こうからしてみたらありがた迷惑な面もあると思うし、勝手に押し付けているっていう側面もありますよね。あと、ナンパ師みたいな罪悪感があったりもしました。「わたしは人をやり捨てているな」と。
岸 すすめ捨て(笑)。
花田 最初から「こいつとは30分会うだけの関係だ」って思ってやっているので、関係性を続けていく気がないんですよ。
岸 だからちょっと「キモい」人来ても平気だったのかも。
花田 そうかもしれないです。サンプルを見るのが楽しい、っていう気持ちですね。
岸 でも、すごく寛容な人って、実は他人に興味がなかったりしますよね。
花田 冷たいんですよね。我関せず、というか。
岸 人との付き合いっていろんなものがくっついているから、やっぱりリスクはありますよね。だからその辺のリスクを減らそうとしていろんなものを切ってしまうと、たぶん30分お茶して二度と会わない、となりますよね。でもそれはそれで、花田さんにとって貴重な経験になったんですね。現在そのサイトは卒業したということですが、いまは人とどうやって出会います?
花田 ポーカーが趣味なので、それきっかけで人と知り合うと、ふだんの自分とは遠い人が多くてよいです。
岸 それも寄せ鍋理論ですよね。ポーカーが寄せ鍋。
花田 そうですね。終わった後に常連さんたちと飲みに行くことがあるんですが、実はその人たちとすごく気が合うかっていうとまた別で。もしポーカーなしで最初から飲み会だったら全く行きたくないんですよ(笑)。ポーカーなら「あのときのプレイはこうすべきだったんじゃないか」とかそういう話題が中心になりつつ、「仕事って何しているんですか?」とか「今日就活行ってきたんだけどうまくいかなくて」っていう身の上話がぽろぽろと出てくる、その距離感が楽しい。本屋界隈の友人とは話が合いますが、そればかりだと疲れます。
岸 なにか「フック」みたいな仕掛けが必要っていうことですよね……。考えたらスポーツでも音楽でも、あらゆる「趣味」というものの社会的機能は、それなのかもしれない。しかしポーカー以外のところで気が合うわけではないっていうのは面白いですね。あと逆に、いつも思うんですけど、職場の飲み会って共通の話題がたくさんあるから話も合うんですが、別にそこで出会いが欲しいわけじゃないですよね。なんていうか、そのへんの「真ん中」のところで、人と出会える仕掛けが欲しいですね。
それと関係するかわからないけど、うちは同業者夫婦なんですよ。ぼくの連れあいも大学の先生なんですけど、ぼくが教授会でものすごい疲れて家に帰って、連れ合いが「教授会しんどかったわ」って言ってるのを聞くとさらに疲れたりして(笑)。普段はとても仲が良いのですが、あまりにも共通点が多いと、それはそれでしんどい。
花田 わたしは分散型でいいのかなと思っています。特に夫婦だと誰かひとりを選ばないといけないけど、その人に全部求めようとすると苦しくなってしまいますよね。「ここを満たしてくれない」とか勝手に思ってしまったり。人と人との距離は近ければ近いほど美しいと思いがちなんだけど、友達でも毎日一緒にいたら嫌になってくるっていうか。それはその人の本当の部分を知ったから嫌になったというわけではなくて、1~2週間に一回だったら心地いい友達なんですよね。あなたを好きなことの証明として毎日会う、っていうことはしなくてもいいんじゃないかと思っていますね。
岸 なんかそれはそれで寂しくないですか?(笑)
花田 やっぱり冷めてる方なのかも…。なんかのめりこめないんでしょうね。
岸 なんかね、そういう「断片的な」つながりも良いと思いながら、やっぱりでも、人と人の関係って「調整可能」だとも思うんですよね。よく学生から「どんな相手を選んだらいいですか」って聞かれるけど、趣味の違いは全然乗り越えられますね。ぼくはジャズが好きなんだけど、連れあいはロック好きなんで、間とってサルサで落ち着いてるんですよ(笑)。こういうところはいくらでも調整可能です。だから、なんかお互いがんばってすり合わせてやっていく、ということも可能だと思うんです。
まあ、でもただ、政治的な価値観がちがうとつらいですね。たとえばホームレスのニュースがTVで流れていて、「こいつら遊んでるだけ、自業自得や」って反応か、「なんとかせなあかんな」って反応なのか、そこが違うと、日常生活はとても一緒に送れない。だからわりと理性的なところの価値観が大事なのかもしれないですね。
**質疑応答タイム***
質問者1 本を読んだ方は花田さんに本をすすめてほしくなると思うのですが、今でも本を人におすすめしていますか?
花田 じつは今、平均一日一人くらい「わたしも一冊お願いします」という方がお店にいらっしゃいます。さすがに30分まるまるお話を聞いて選ぶというわけにはいきませんけど、その方の経歴や好きな作家を聞いて、そこから自分のすすめたい本をすすめていきますね。あとは、悩みを話される方もけっこういます。こないだも泣きながら「姑とうまくいかなくて限界です」と話される方がいらっしゃいました。
岸 その問題に対しては本でいいのかって気もするけど(笑)。「恋愛小説をすすめてほしい」っていう風にジャンルから入るのか、「姑とうまくいかなくて」って悩みから入るのかだとどっちがむずかしいですか?
花田 より具体的なテーマや言葉が出てくるほどひらめくものがあります。恋愛小説ってジャンルだけだとしぼりにくいし、その方がどういう価値観をお持ちなのかっていうのがつかめないと選びにくいですね。
岸 言い尽くされていることだとは思うけど、花田さんの場合は本をすすめること自体が表現ですよね。人の話を聞いて花田さんは本をすすめる。ぼくは人の話を聞いて論文や本を書く。なんかすごい共通することしてるのかも。
質問者2 ぼくも本を人にすすめてみたいのですが、なかなかうまく伝えられません。花田さんは本を読んでいる最中から、人にどうやってすすめたらいいか考えていますか?
花田 どういう言葉を選べば伝わるかなっていうのはいつも考えてるかもしれません。ちょっと面倒なんですが、本読んだ時に感想を書き留めておくとあとで役に立ちますね。
岸 ほんとに花田さん、読むプロですね。読んで売るプロ。学生に勉強をしてもらう時、一番身につくのは、ほかの学生に教えさせることなんです。人から教わるよりも、人に教えるほうに立つと、深くコミットするし頭に入る。それと同じで、最初から人にすすめるつもりで読むと、頭に入りやすいのかもしれません。ヴィレッジヴァンガードのときからそうなんですか?
花田 ああ、言われてみるとそうですね。売り場がごちゃごちゃしているので、強い単語とか具体的な言葉で引き込まないと本を見てもらえないって環境で試行錯誤していたので、そこで鍛えられました。
質問者3 おふたりは社会学者、書店店長を職業とされていますが、生業となるまでにロールモデルのような人はいましたか?
花田 ロールモデル…そもそも本屋になりたいと思っていたわけではなくて。たまたまヴィレジヴァンガードという場所が自分にすごく合っていて、はじめて仕事のやりがいを教えてくれる場所でした。そういう意味では、ヴィレッジヴァンガードに、人間的にも仕事的にも自分にとってのロールモデルがたくさんいた。そこから尊敬できる人の幅もどんどん広がっていって、ほかの業種であたらしいことを考えている人とか、連続してそういう出会いがありました。
岸 昨日はホホホ座の山下(賢二)さんとイベントだったんですよね。もともとガケ書房っていう名前で、花田さんの本のなかにも、もっとも尊敬する方のひとりとして出てきますよね。
花田 そうですね。しばらくお店に通っていたのですが、山下さんご本人とお会いするのはだいぶ後のことで、でもお会いしてみると自分がお店で感じたものと本人にズレがなくて感激しました。山下さんも尊敬している人の一人です。
岸 ぼくはロールモデル、めっちゃいます。たとえば大阪市立大学は、青木秀男さん、石原昌家さん、野口道彦さんなど、錚々たるフィールドワーカーを輩出していて、「理屈はいいから現場に行ってこい」っていう考え方がそこでは当たり前なのですが、それが大学院時代に叩き込まれたのは本当によかったです。
質問者4 30分だけ人と話して本をすすめるのは、とてもむずかしいと思うのですが、限られた時間のなかでその人を理解するためにはどんなことに気を付けていましたか?
花田 おっしゃる通り30分ってとても短くて、だらだらした世間話だけでもすぐ過ぎてしまいます。だからこそ、少しでも何か芯のようなものを感じて帰りたいなって気持ちがありました。その人自身が持っている思いに触れないと、自分自身が退屈っていうか。30分話を聞いて、たとえば「実はさみしがり屋ですね」っていうと大体の人に当てはまりますよね(笑)。そう言われて「その通り」と感じる人もいるかもしれないし、「別にそんなことないけど」って人もいるかもしれない。それでも、「少なくともわたしは、あなたをこういう人だと感じた」っていうのを伝えることで、その人の心を動かすきっかけになればなぁっていう。すすめた本も別に読まなくてもいいのですが、「かかわってくれることがうれしい」と感じてくださる方が結構いるんだなっていうのは、やってみて感じましたね。
岸 もし花田さんが30分誰かと会って「あなた実はさみしがり屋ですね」って言ってるだけだったら表現にならないんですよね。やっぱり、その30分の話のなかから、とても本質的な部分を受け取ることが上手いんだと思います。
「人の話を聞く」という点でぼくらの仕事は似ていますよね。量的に統計で分析するのに比べて、生活史は人の人生や人格を理解できる方法だと言われています。最初はぼくもそう思っていたけど、ずっとやっていくうちにそうでもないなと思い始めて。だって、話聞くのってせいぜい2時間くらいなんですよ。80歳や90歳の沖縄の方の人生を、1時間や2時間で聞けるわけがない。でもそのなかでも、とても面白い話、良い話を聞くことができる。「その人ともっと関係性をつくった方がいいんじゃないですか」という質的調査や生活史に対しての批判は結構あって、社会学者のなかにも「わたしはこれだけ語り手とこれだけ深くかかわったから、すごくいい話が聞けた」ってことを本で自慢する人がいるんだけど、そういうのは不遜だと思うんですよ。たまたま会った人から、当然その人の人生全体ではないにせよ、1時間の話をありがたくいただいて持って帰って、あとは自分で表現をするっていう。だから私たちは本を書いたり、あるいは人に本をすすめたりするわけですよね。短い時間ではあっても、なにかの理解は発生しています。そういうことだと思います。
花田 単純に「時間の長さ=理解の深さ」ではないと思うし、「その場限り」であってもそこで起きたことが偽物というわけでもないのかなと思っています。
岸 費やした時間によって、それに適した書き方があると思いますね。花田さんの場合は、30分間人と話してそれをじぶんの中で咀嚼した上で本をすすめていたと。何度も言うけどそれ自体が表現ですね。「その場限り」でみたこと、感じたことを本をすすめるという表現に昇華させたことは、やはり本当に面白いことだと思います。
(2018年5月26日 スタンダードブックストア心斎橋店)
(対談構成=碇雪恵)