単行本 - エッセイ
【試し読み】梶裕貴さん初の著書『いつかすべてが君の力になる』マンガ化記念☆第1章まるごと公開
梶裕貴
2018.11.20
梶裕貴さん初の著書『いつかすべてが君の力になる』のマンガ化が決定しました。本日11月20日発売の少女マンガ誌「Sho-Comi」(小学館)24号で連載がスタート、来年2月下旬にコミックスが発売されます。
梶さんは同号に「コミカライズを提案してくださったSho-Comi編集部様、すてきなマンガを描いてくださった橘ノゾミ先生、都築奈央先生にあらためて感謝です。心を込めて書かせていただいた文章です。これを機に、より多くの方に本作のメッセージが届きますように」とコメントを寄せています。
このマンガ化を記念し、『いつかすべてが君の力になる』の1章をまるごと公開します。マンガではじめて本書に出会う方も、ぜひ梶さんの手による文章も併せてお読みください。
第1章 僕が14歳だった頃
怒られたくない、嫌われたくない
『声優』という大きなテーマを紐解く前に、まずはそんな声優である僕がどんな人間なのか、そこからお話しさせていただければと思います。
「いきなり関係ない話……?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実はとても密接に絡んでいるエピソードだったりするんです。少しの間、我慢してお読みください(笑)。
僕がまだ幼かった頃、大好きな戦隊ヒーローのショーに連れていってもらったときのことです。さまざまな展開を経た後半戦、ヒーローがピンチになると、司会のお姉さんが会場のちびっこたちに向かって呼びかけます。
「一緒に戦ってくれるお友達!」
ほとんどの子どもたちは、元気いっぱいに勢いよく手を上げます。中には、飛び跳ねてアピールする子も。
けれど、僕は黙ってその場に立ち尽くしたまま。
本当は自分もヒーローと一緒に戦いたくて仕方がないのに、どうしても手を挙げられませんでした。
……だって、恥ずかしいし、怖いから。
そう。子どもの頃の僕は、好奇心はひと一倍旺盛なくせに極度の恥ずかしがり屋という、少々面倒くさい男の子。加えて人見知りでもありました。とにかく目立ちたくないし、自己主張も大の苦手。
でも不思議なことに、小学生時代は学級委員長、中学生時代には生徒会長を務めたり。我ながら、ひどく拗らせていた少年時代だなと思います(笑)。
それもそのはず。
当時は周囲の期待に応えられる自分であろうと、ただそれだけのために一生懸命だったように思います。
親や先生、クラスメイト、友人、チームメイトからの「あなたは/君は、こういう人間だ」というイメージ。それによる期待。
自分がなにを期待されているかがわかると「本当は嫌だな、不安だな」と思ったとしても、「そうあるべきなんだ」と自分自身で思い込み、無意識にその役割を〝演じよう〟としていた。
今思えば、周囲の期待を裏切り、失望されるということをなによりも恐れていたんだと思います。
とはいえ。
実のところ本当の自分は、知らない人の前で、または多人数の前で、自分からなにかを発言するのがすごく怖い。
自分が発言したことに対して、相手が嫌な感情を抱いてしまったらどうしよう─。
そう考えてしまうと動けなくなってしまうタイプなんです。なにより怒られたくないし、嫌われたくない。
そんな相反する内面を持った人間だったので、中学生時代、生徒会長の任期が終わったときには「なんて自由なんだ!」と、衝撃的な解放感を感じたことを覚えています。自覚はなかったものの、知らず知らずのうちに「ちゃんとやらなきゃ!」と勝手にプレッシャーを感じていたのでしょう。
そんな僕ではありますが、今お話ししたような子ども時代を経て大人になり、今ではすっかり人見知りも、恥ずかしがり屋なところも克服でき……るわけもなく、根本的な性格はあまり変わりません(笑)。
では、そういった人間がなぜ、曲がりなりにも声優という職業を今日まで続けてこられたのか。
おそらく、恥ずかしがり屋な人、人見知りな人の多くが共感してくれると思うのですが、「積極的に目立つのは嫌だけれど、内に秘めた野望や夢の大きさだけなら誰にも負けない!」、そんな〝根拠の無い漠然とした自信〟みたいなもの、ありませんか? こうして文字にしてしまうと、なんだかとても恥ずかしいですが……(笑)。
でも、その熱い想いは決してマイナスなものではなく、上手にコントロールすれば、ここぞというときに弱い気持ちを乗り越えるための強力な武器にもなるんです。
あとは、そのパワーを発揮する場を見つけるだけ。
恥ずかしがり屋だった僕が『声優』という、自分本来のエネルギーをぶつけられる場と出会えたように、皆さんにもいつかきっと、そんな運命の出会いが訪れるはずです。そのときまで、その熱い想いだけは忘れないでほしいんです。
根拠のない自信でもいい。その想いさえしっかり胸にあれば、絶対に「自分」がブレることはないはずですから。
第1章では、そんな僕が、皆さんと同じくらいの年齢だった頃にはなにを考えていたのか。それをお話ししていければと思います。
将来、なりたいものはありますか?
皆さんには、将来の夢がありますか?
大人になったらどんな職業に就きたいですか?
もしかしたら、やりたいことやなりたいものがなかなか見つからず、悩んでいる人も多いかもしれませんね。実は、僕もそのひとりでした。
ただし。僕の場合は、やりたいこともなりたいものも多すぎて、ひとつに絞れない─という、ある意味贅沢な悩み。小さい頃は、いくらでもなりたい自分がイメージできました。
たとえば、サッカー選手。きっかけは小学校低学年の頃に放送していたテレビアニメ『蒼き伝説 シュート!』(※1)です。葛藤しつつも輝いている主人公の姿に憧れてすぐにサッカーをはじめ、その楽しさにすっかり夢中になりました。
「僕もこんな風にサッカーがうまくなりたい!」
一度そう思うと、もう頭の中がサッカー選手になることだけでいっぱいになってしまうのです。
放課後は友だちと暗くなるまでサッカーをし、帰ってからも自主練を黙々とやる。
「どうやったら強いシュートが打てるんだろう」
「自分より体の大きな相手とマッチアップするときにはどう対処したらいいんだろう」
常にそういったことばかりを考えて生活していました。
……と思えば。ある程度時間が経つと、すぐに別の夢が膨らんできます。体育の成績が良かったりすると、「オリンピックで金メダルを取りたい!」といった具合に。
スポーツだけではありません。図工の時間に絵を描く楽しさを覚えると、マンガ好きだったことも相まって「マンガ家になりたい!」と思っていた時期もありました。
それから、勉強が楽しくて仕方がない時期もあって、そんなときの夢は「科学者になりたい!」でした。
「なにかを発明して、人類の役に立ちたい!」なんて。
勉強でもスポーツでも、一度ハマると夢中になってしまうクセ。
良く言えば〝なんにでも興味を持つ、好奇心旺盛な少年〟。悪く言えば〝同じことを続けていられない三日坊主〟ですね(笑)。
でも、その都度、「夢に近づくにはどうしたらいいんだろう」と、全力で、真剣に考えていたんです。
そんな小学生当時の夢。やはりマンガやアニメの影響が大きかったかもしれません。『SLAM DUNK(スラムダンク)(※2)』が流行ればバスケをはじめる。『名探偵コナン(※3)』を観れば「探偵になりたい!」といったように。学校で失くし物があったときには、名探偵気分で率先して捜査をはじめたりもしていました(笑)。
なんとも子どもらしい安直な発想ですが、それでも当時の僕は常に本気でした。
今考えれば……もしかすると、そうして大好きなキャラクターになりきることで、自分ではない誰かを〝演じて〟いたのかもしれません。
常に「自分はなにをすべきか」を考える
色々なことに興味を持ち、その度にチャレンジしてきた僕ですが、その間も変わらずずっと好きであり続けたのは、やはりサッカーでした。小学校3年生から6年生までの4年間、学校のFCに所属し、夢中になってプレーしていました。卒業後もサッカー好きは変わらず、中高ではサッカー部に所属はしなかったものの、近所の友達と集まってはよくボールを蹴っていましたね。
今でも大好きで、時間があるときには試合を観に行ったりもしています。
FCに所属していた頃。色々なポジションを経験しましたが、最終的に任されていたのはセンターバック。
センターバックとは、中央を守るディフェンス(守備)の要、キーパーを残した最後の砦といっても過言ではないポジションです。「ディフェンスってなんか地味?」なんて思った人もいるかもしれませんが、このポジション、実はとても重要なんですよ。
確かに、サッカーの花形的ポジションといえば、鮮やかなゴールで得点を取る、オフェンス(攻撃)のフォワードが連想されがちです。サッカーに詳しくない人でも、クリスティアーノ・ロナウドやメッシなど、世界的なスター選手の名前はご存知かと思いますが、彼らはすべてフォワードの選手。すごく格好いいですよね。
ドリブルで相手をかわし、自ら強行突破を仕掛けてもいい。ゴール前でどっしり構えて仲間からのパスを待ってもいい。フォワードは基本、点を取ることが仕事なので、そのためにはどう動いたとしてもある程度は許される、非常に自由なポジション。しかも、ゴールを決めれば会場中が沸いて、誰よりもスポットが当たる。
対して、僕が担当していたセンターバックというポジションは、相手を自分より後ろに行かせないことが仕事です。もし抜かれてしまったら、敵のフォワードと味方のキーパーが一対一になり、点を取られてしまう可能性がとても高くなります。
だからこそ僕たちディフェンスは、自由さや想像性よりも、「相手に対し、どう動くか」を常に考えなくてはいけません。言うなれば「職人」のようなポジションです。自分がミスをしてしまえば、すぐさま致命的なピンチになってしまう。課せられた責任はとても大きいんです。にもかかわらず、わかりやすく派手なプレーではないので、なかなかスポットも当たりにくいんですよね。
けれど、そんなポジションだからこそ、自分の性格に合っていました。
僕はきっと、自由過ぎるとダメなタイプなんです。制限がある中でどう動くか─それを考えるのがとても楽しい。
「今の状況に対し、自分はなにをすべきか」
「数で負けている中で、どうやって相手の攻撃を防ぐか」
周りを見渡しながら自然と自分の立ち回りを考えてしまう。
当然、責任も伴いますが、同時にやりがいも感じるんです。
そんな僕の性格は、日常の中でも多かれ少なかれ表れていると思います。
皆さんのお友達にも、きっと色々な性格の人がいますよね。
会話のやりとりを思い返してみてください。一見、積極的にしゃべっている人がその場をリードしているように思いがちですが……、当たり前ではありますが、会話はひとりでは成立しません。絶妙なタイミングで相槌を打ったり、黙っている人に話題を振ったりする人がいて、初めて楽しい場になるのです。言うなれば〝回し役〟ですが、僕は比較的それが得意なんだと思います。
サッカーでも友達関係でも、チームプレーという意味では同じ。場を読んで、自分はなにをすべきかを見い出す。その上で、各自が役割を果たせばいいのです。
そう考えると、少年時代にサッカーを通してこういった経験ができたことは、その後の僕の人生にとって、とても大きな財産になっていると感じます。
人間関係の悩みは、時間が解決してくれる
14歳前後。中高生という、まさに多感な時期を過ごされている皆さんにとって、親子・家族関係ってすごく難しいテーマですよね。愛情と厳しさを持って、良くも悪くも子ども扱いしてくる親に対して、つい「うざったいなあ」と感じてしまうこともあるでしょうし、幼い頃は無条件に受け入れられていた親の言動に疑問や反発を感じて、「もうこんな環境イヤだ!」と家を飛び出したくなることもあるかもしれません。
僕も中高生時代、家族関係で悩んだこともありました。母親や9歳年の離れた妹とはとても仲が良かったのですが、父親との関係はなかなか上手くいかず……。今ではお酒を飲みながら会話ができるほどになりましたが、男同士って色々と複雑なんです。
当時の僕からすると、父は真面目すぎて、ちょっと融通が利かないところがあるように思えたんですね。
物事の道理からしてみれば正しいことを言っているのかもしれませんが、10代の僕からしてみると、とても理不尽に感じてしまったり。
自分の中にゆるぎない正義があって、それを外れることを絶対に許さない。
そんな父とはことあるごとに衝突し、よく怒られていました。
僕が怒られることを極端に恐れるようになったのは、もしかすると、そのトラウマが原因な部分も少なからずあるのではないか、なんて考えたりもしていました。
今考えると恐ろしく短絡的な思考ではありますが、これぞ〝ザ・思春期〟。
そんな思春期の真っただ中、中学生当時の僕はある事件を起こしてしまいます。
なにを思ったか、「父の日」に手紙を書いて渡そうと思いついた僕。
「これまで、なかなか素直に伝えられなかった感謝の気持ちを文章にして伝えたら喜んでくれるかな」という純粋な気持ちから……だったはずでした。感謝の手紙、です。
想定していた内容は「おかげ様でこんなに大きくなりました。それもこれも、お父さんが仕事をしてお金を稼ぎ、ごはんを食べさせてくれているからです」といったようなもの。
けれど、筆を進めれば進めるほど、なぜか雲行きが怪しくなってきます。
気付けば、いつのまにか結びの言葉が「あなたのような人間にはなりたくありません。僕は子どもの気持ちのわかる、立派な大人の男になってみせます」といった具合に。
……これでは、完全に宣戦布告。
この文章で伝えたかった本当の内容は「お父さんのおかげで僕も色々なことを考えられるような歳になり、将来、自分が理想とする父親像がなんとなく見えてきました。お父さんとは少しタイプが違いますが、僕はいつまでも子どもとの距離が近い、アットホームな父親になりたいです」というようなものでした。
この手紙を読んだ父親は、さぞかし傷ついたでしょうね……(笑)。
でも、そこは子どもの底の浅さ。許してください。ごめんなさい。
そんな父親とも、紆余曲折あって今ではすっかり仲良し……とまではなかなかいきませんが、僕が大人になるにつれて父も丸くなり、関係性もだいぶ変化してきているように感じています。もう以前のようにぶつかることもありません。
2016年3月に『ダイヤのA(※4)』という野球マンガが原作のアニメとのコラボ企画で、東京ドームで始球式をさせていただいたことがあるのですが、ありがたいことに、その試合に両親を招待することができました。
父は大の巨人ファン。昔はよく一緒にテレビで試合を見たりしていました。
僕は野球選手にはなれなかったけれど、どんな形であれ、巨人軍の本拠地である東京ドームのマウンドでボールを投げる姿を見せられたのは、父に対して、少しだけ親孝行ができたのではないかなと思っています。
多感な思春期真っただ中の皆さんにとって、家族関係に限らず、あらゆる人間関係は悩みの種だらけかもしれません。
そこで、その時期を既に通り過ぎた人間から、少しだけアドバイスできることがあるとしたなら─。
ありふれているかもしれませんが、それは「時間が解決してくれる」という言葉を、どこか心の片隅にでも置いておいてほしいということです。
人間同士の関係性は、時間が経つにつれ、少しずつでも確実に変化していくものです。一見、なにが起きても絶対に変わることのないように思える家族関係ですら、ふとしたきっかけで、想像もしていなかった変化を迎える可能性は十分にあります。
同時に、自分が大人になるにつれて、見えてくるものも少しずつ変わってきます。
目の前のハードルに気をとられ過ぎて息苦しくなってしまったときには、どうかこの言葉を思い出してみてください。
最後に、父との後日談をひとつ。
これは大人になってから母に聞いたことなんですが、なんと父も若い頃、吹き替えの仕事─つまり、声優に憧れていたことがあるそうなんです。びっくりですよね!
それを踏まえて、あらためて自分を振り返ってみると……なんだか悔しいですが、強すぎる正義感や頑固なところなど、父親そっくりなんですよね(笑)。
やはり親子。どこか似ているからこそ、反発し合ってしまうものなのかもしれません。
なにごとも全力で頑張ったことが、すべて力になる職業
声優という職業を初めて意識したのは、中学2年生のときでした。
小学生の頃から、色々な職業に憧れては目移りしてばかり。
そんな僕が、声優の道を志すことを決定付けられた理由。それは、あるひとつの言葉との出会いでした。
「声優とは、なにごとも全力で頑張ったことが、すべて自分の力になる職業」
テレビで聞いたのか、それとも本で読んだのか、今となっては細かいことは思い出せないのですが、その言葉に触れたとたん、雷に打たれたような衝撃を受けたのを覚えています。
つまり、「努力したことのすべてが、声優という職業の役に立つ」ということです。サッカーやテニス、バスケなどのスポーツはもちろん、マンガや勉強、さらには生徒会長としての経験まで……。そのすべてが、です。
「なんて自分にぴったりな職業なんだ!」
これはまさに、好奇心が旺盛すぎて、なんにでもすぐにのめり込んでしまう自分のためにあるような職業なのではないか─。
自分の考え方、そして、それまでの人生を全肯定してくれたようなこの言葉に、当時の僕は深い感銘を受けました。
なにが好きでもいい、なにに夢中になってもいい。その度に将来の夢を切り替える必要なんてまったくない。一生懸命頑張ったことの全部が夢につながっていく。
ゲームでいえば、すべてのジョブでマスタークラスを目指せばいいということです。
「そんな職業が、この世にあったとは!」
その瞬間から僕の夢は声優。もちろん、子どもの頃からマンガやアニメ、ゲームが好きだったということも、この選択の後押しになっていたのには間違いありませんが、それ以来驚くことに、一度も夢が変わったことはありませんでした。
声優になる方法がわからない!
「なにごとも全力で頑張る」ことをあらためて決意した梶少年としては、決まったばかりの夢に向かって、さっそく具体的な行動を起こさないと気が済みません。
けれど、声優になるには一体なにをどうすればいいのか?
当時の僕が把握していたのは、「声優=アニメや吹き替えの声をあてる人」というごくごく一般的なもの。そこで僕は考えます。
「声優になるには、どこでどんな勉強をすればいいんだろう?」
たとえば警察官になりたいのなら、警察学校に通えばいい。美容師なら美容専門学校、パイロットなら航空大学校やパイロット養成所、サッカー選手ならクラブチームに所属して結果を出せばいい。陶芸家の場合は弟子入りでしょうか?
さまざまな職業を思い浮かべてみましたが、なんとなくそれぞれのルートは想像がつきます。けれど、声優に関しては見当もつきません。歌手志望の方が歌のコンテストに出るように、声のコンテストでもあるのでしょうか?
今ならインターネットで簡単に、その職業に就くための方法を検索することができますよね。スマートフォンで「声優 なりたい」とでも検索をすれば、養成所の情報などが沢山出てくると思います。でも、僕が中学2年生だった1999年当時は、インターネット環境はまだまだ普及途上でしたし、もちろん我が家にもネット環境はありませんでした。インターネットが使えないなんて、今の中高生にとっては信じられない時代かもしれませんね(笑)。
そういった、なにをしたらいいのかまったくわからない状況の中、なんとか少しでも情報を得ようと書店に行き、なけなしのお小遣いで声優雑誌を購入。
そこには、沢山のプロの声優さんが、アフレコ(※5)だけでなく、歌ったり踊ったり、ラジオに出演したりと、さまざまな場所で活躍されている姿が載っていました。声優の仕事の幅の広さに驚きつつ、ますます憧れの気持ちが強くなった僕。
また、より具体的に「声優になりたい」という意識がひとつ加わるだけで、アニメの見方も変わってきます。
「なんて正義感のある声なんだろう」
「声だけでこんなに迫力が出せるんだ!」
役者さんのお名前にも注目しはじめると、同じひとりの声優さんでも、声にさまざまなバリエーションがあることに気が付きます。
「さっきの声と雰囲気が全然違う!」
「ただ良い声でセリフを読んでいるだけじゃないんだな」
あらためて、声優という仕事のすごさ、奥深さがわかってきたような気がするのと同時に、作品の脚本や編集の力などにも興味が湧き、以前よりさらにアニメへの理解が深まった気持ちにもなりました。
当時、特に好きだったアニメは『スレイヤーズ(※6)』シリーズ、『ロスト・ユニバース(※7)』、『無限のリヴァイアス(※8)』など。いずれも大人気を博していた作品です。
そんな大好きな作品の多くで主役を演じられていたのが、林原めぐみさん(※9)や保志総一朗さん(※10)でした。
初めてその存在を知ったときは、「こんなに沢山の主役をこなす、ものすごい声優さんがいるんだ!」と、とても驚いたのを覚えています。
余談ですが。
まだ中学生だった僕にとって、ほぼアニメキャラクターと変わらないくらい現実離れした存在であった憧れの先輩のひとり、林原めぐみさんとは、2014~2016年の3年間、子どもの頃から大好きだったアニメ『ポケットモンスター(※11)』シリーズでご一緒させていただく機会にも恵まれました。あらためて考えてみても、本当に奇跡的なこと。たとえ、中学時代の自分に「お前、将来ポケモンで林原さんと共演できるんだぞ」と伝えることができたとしても、たぶん信じないでしょうね(笑)。
さて、話を戻しまして……。
そんな手探りの日々が続く中、声優雑誌をパラパラとめくっていると、ある日、ふと「日本ナレーション演技研究所(※12)」という文字が目に飛び込んできました。当時はまだ中学生。それまで雑誌を読んでも、広告にまではなかなか目を留めていませんでした。
「ナレーション演技……? これってもしかしたら、声優になるための学校なのかな?」
そのとき、初めて〝養成所〟という存在があることを知りました。
声優ブームというものは過去、既に何度もあったと聞きますし、書店には数種類の声優雑誌も並んでいたので、『声優になりたい』という人も、それなりの数存在していたタイミングだと思います。でも前述の通り、まだネットが普及しきっていなかった当時、埼玉ののどかな町に住む中学生にその話題が届くほど、情報が豊富だったわけではありません。
また、今でこそ小学生からレッスンを受けられるような養成所もあるようですが、僕の知る限りでは、当時、中学生が受けられるようなレッスンやオーディションはなかったように思います。
「そうか。やっぱり、画家になるための美術学校があるように、声優になるための学校もあるんだ。それが養成所なんだ」
「〝養成所〟というくらいだから、声優になるためのレッスンをしてくれる場所に違いない!」
「ここに通えば、本当に声優になれるんじゃないか?」
まさに分厚い雲の隙間から、光がそっと射し込んだような心持ちでした。同時に、「まだ自分は中学生。東京の学校に通えるわけがないか」というネガティブな思いも。
大人になった今でこそ、埼玉の実家から東京なんて、そこまでの距離ではない(電車を乗り継いで1時間半ほど)と感じますが、当時の僕にとって東京は、まるで外国のように遠い場所。加えて学校生活もあるし、部活だってやっている。とてもそんな時間を作れそうにありません。なにより養成所に通うには、ある程度のお金が必要です。
ようやく希望の光が見えたかと思いきや、なかなか現実的ではありません。
どこか落ち込みながらその広告を眺めていると、『声優になりたい人のためのレッスンビデオ販売中』の文字が。こちらも、例の養成所と同じ「日本ナレーション演技研究所」が発売していたもの。
たしか、2万円くらいの価格だったと記憶しています。
「欲しい! でも、高い……!」
今の中学生にとっても2万円は大金のはずですよね。
それでも、八方ふさがりだった当時の僕にとっては、ようやく見つけ出した希望。
「これを買えば、なにか道が開けるんじゃないか」
手もとには、なけなしの貯金と残しておいたお年玉。
きっと、ビデオを買うことを周囲の友達に相談でもしていたら、「ありえない! ゲームソフトを2~3本買ったほうが絶対いいじゃん!」と止められていたと思います。かくいう僕自身も、もし声優に興味がないタイミングであれば間違いなく警告していたでしょうし(笑)。
我ながらよく決断したなと思います。
でも結果的に、このビデオを買ったことは今でも大正解だったと思っています。
もしあのタイミングでレッスンビデオと出会えていなかったら、情熱だけはあっても、それをぶつける対象が見つからず、もしかしたら、声優になりたいという夢自体がフェードアウトしてしまっていたかもしれません。
以来、レッスンビデオを見ながらトレーニングをしつつ、声に出してマンガを読んでみたり、録画しているアニメのセリフを書き起こして自作の台本を作り、映像に合わせてセリフを言ってみたりと、ひとり地道に声優になるための〝自主練〟の日々。体力をつけるためにジョギングをしたり、大きな声が出せるように腹筋をしたりと、なんの根拠もなく体を鍛えてみたりもしていました(笑)。
今振り返れば、直接役に立つ稽古ができていたかというと、到底そうは思えません。
それでも、なにかをせずにはいられなかった。
購入したビデオを文字通りすり切れるまで見続けながら、声優になるという夢を日々育てていきました。
大切な経験はいつも目の前に転がっている
よく大人が、「時間が経つのが早い」と口にしているのを聞いたことはありませんか?
日々経験する新しい出来事に新鮮な感動を覚えているであろう皆さんにとっては、なかなか想像しにくいことかもしれませんね。
でも、その表現はあながち間違ってはいません。
大人になると、時間が過ぎる感覚がどんどん早くなり、毎年、毎月、毎日が、あっという間に過ぎ去っていってしまうんです。それはおそらく、経験を積むたびに色々なことに慣れ、徐々に新鮮だなと感じることが減っていき、感情の振れ幅が少なくなっていってしまうからだと思います。
振り返ってみれば、学生時代に過ごした時間は本当に愛おしいものばかりです。
当たり前の日常生活、なんでもない学校生活。
通り過ぎてしまうと二度とは戻れないもの。どんなに些細に思えたことも、今となってはすべてが宝物です。
この本を読んでくださっている皆さんの中には、まだやりたいことを探している途中の人もいらっしゃるかと思いますが、一方で、早くも将来の夢や目標がはっきり見えている人や、もしかすると、かつての僕のように声優を目指している人もいるかもしれません。
すでに具体的な夢の形がイメージできていると、今、自分の目の前にあってやらなければいけないことに対して、どこかもどかしく感じてしまうこともあるかと思います。
「勉強面倒くさいな」とか「部活なんて時間のムダ」といったように。
でも、一見無意味に思えることであっても、それを経験したこと自体が、いつかかけがえのない財産になるんです。
声優になるために、アニメやゲームなど多くの作品に触れ、先輩声優の方々の演技を聴くことも大切だとは思います。ですが、それだけではなく〝生身の体験〟をすることこそ、役者を志す上でとても大切なことだと僕は考えています。なぜなら、実際にお芝居をするときに必要になってくるのは、その経験や体験そのものだからです。
たとえば、中学生の役を演じるとき。その年齢感ならではの等身大な日常の経験がなければ、なかなかそれをリアルにイメージすることはできませんよね。
教室のざわめき、体育館に鳴り響くバスケットシューズの音、廊下のひんやりとした
空気感、雨上がりの通学路のしっとりした湿度や匂い。なんでもないような記憶が、意識的あるいは無意識的に声に混ざり、聴く人の共通体験を呼び起こす演技につながっていく─。
そんな学生時代の経験は、大人になればなるほど簡単には得ることのできない貴重なもの。たとえ今、僕が皆さんと同じような場に身を置いたとしても、その年代特有の研ぎ澄まされた感性でそれらを受け止めることができるかといったら、なかなかそうはいかないと思います。
『経験が引き出しになる』というのは、なにも声優を目指している人だけに限ったことではありません。形は違えど、ほかのどんな職業にも当てはまることだと思います。特に、なにかを表現したり、創作したりといった芸術方面の仕事に就きたいと思っている人にとっては、そんな〝経験の引き出し〟の数こそが武器になってくると思います。
恋愛だって、すごく大切な経験のひとつ。告白したりされたり、うまくいって付き合えたり、反対に振られてしまったり。そのときに感じる幸せや苦しみ、一喜一憂そのすべてが自分の糧になっていきます。
今、「自分にはそんな相手がいない!」と思った人も、たとえばひとりで過ごした昼休み、なにかに夢中になって取り組んだ放課後、ふとした瞬間に感じた寂しさなど、そのとき、その人にしか感じることのできない大事な経験は沢山あるはずです。
……とはいえ。かくいう僕だって、当時は日々の出来事に対し、いちいち「将来に役立てるために」なんて思いながら過ごしていたわけではありません。なにが自分の財産になるかなんて、その真っただ中にいる本人には、やっぱりわからないものですから。
だからこそ、常に目の前のことに全力で。
今はまだ、先のことなんかわからなくても大丈夫!
「こんなことくだらないな」「どうせ無理だな」と思う前に、まずは本気を出してみてください。あらゆることに本気でぶつかっていかなければ、夢中になれることなんて見つかりません。
全力でぶつかりきったその先に、きっと未来の自分はいるはずです。
*1 『蒼き伝説 シュート!』|1990〜2003年に『週刊少年マガジン』で連載されたサッカーマンガ。大島司著。サッカーを通じて少年たちの成長を描く青春群像劇。1993〜1994年にかけてフジテレビ系列でアニメが放送された。
*2 『SLAM DUNK(スラムダンク)』|1990~1996年に『週刊少年ジャンプ』で連載されたバスケマンガ。井上雄彦著。バスケットボールを題材に、高校生たちの青春を描く。1993~1996年にかけて、テレビ朝日系列でアニメが放送された。
*3 『名探偵コナン』|1994年から『週刊少年サンデー』で連載中の探偵マンガ。青山剛昌著。1996年から読売テレビ・日本テレビ系列でアニメも放送されている。子どもの姿に変えられてしまった天才高校生探偵・工藤新一が、次々と難事件を解決していく。
*4 『ダイヤのA』|2006年から『週刊少年マガジン』で連載中の野球マンガ。寺嶋裕二著。野球少年・沢村栄純が、野球の名門高校で甲子園出場を目指す成長物語。2013〜2016年にかけてテレビ東京系列でアニメが放送された。
*5 アフレコ|無音のアニメに声を吹き込んでいく作業のこと。「アフター・レコーディング」の略。洋画に声をあてる場合は「アテレコ」とも。
*6 『スレイヤーズ』|1990年から富士見ファンタジア文庫より刊行されているライトノベルシリーズ。神坂一著。1995〜2009年アニメシリーズが放送された。異世界を舞台に魔道士リナ=インバース(林原めぐみ)の活躍を描く。
*7 『ロスト・ユニバース』|1992〜1999年に富士見ファンタジア文庫より刊行されたライトノベル。神坂一著。1998年にテレビアニメ化。遠い未来を舞台に、主人公ケイン(保志総一朗)らと、巨大犯罪組織ナイトメアの戦いが繰り広げられる。
*8 『無限のリヴァイアス』|1999〜2000年にかけて放送されたテレビアニメ。人類のほとんどが死滅した近未来を舞台に、謎の宇宙船リヴァイアス号に取り残された子どもたちのドラマを描く。
*9 林原めぐみ|女性声優。1967年生まれ。1986年、『めぞん一刻』で声優デビュー。『らんま1/2』の女らんま役、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ役で一躍人気声優に。代表作は『七つの海のティコ』ナナミ・シンプソン役、『ポケットモンスター』ムサシ役、『名探偵コナン』灰原哀役など。
*10 保志総一朗|男性声優。代表作は、『機動戦士ガンダムSEED』キラ・ヤマト役、『最遊記』孫悟空役、『戦国BASARA』真田幸村役、『ひぐらしのなく頃に』前原圭一役など。
*11 『ポケットモンスター』|1996年から発売されているゲームソフトシリーズ。1997年からテレビ東京系列で、同ゲームソフトシリーズを原作としたアニメシリーズが放送中。ポケモンマスターを目指す主人公サトシと相棒ピカチュウの冒険と友情の物語。
*12 日本ナレーション演技研究所|声優事務所アーツビジョン、アイムエンタープライズ、ヴィムスなどのグループ会社。首都圏、仙台、名古屋、関西圏に展開する声優・ナレーターの養成所。
いつかすべてが君の力になる
梶裕貴 著
1300円(税別)
全国学校図書館協議会選定図書
単行本 46 ● 188ページ
ISBN:978-4-309-61713-8 ● Cコード:0376
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309617138/