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アジアの作家たちは新型コロナ禍にどう向き合うのか。「文藝」夏季号で緊急特集。ノーベル文学賞有力候補にして現代中国の最重要作家・閻連科による書き下ろし手記を緊急全文公開。

「文藝」夏季号では、「アジアの作家たちは新型コロナ禍にどう向き合うのか」と題した緊急特集を掲載。中国・韓国・台湾・タイ・日本、といった東アジアの作家6人が寄稿しました。その中で発表された中国の作家・閻連科によるエッセイ「厄災に向き合って 文学の無力、頼りなさとやるせなさ」を、緊急全文公開します。新型コロナウィルスによって世界に混乱と不安が拡がる現在、文学が果たす「力」とは?  戦争や災害、災厄下における作家の使命とは?
 
Jen Lien – Kche, Yan Lianke, čínský spisovatel, prozaik, Víkend, Praha, 16. 11. 2013


厄災に向き合って――文学の無力、頼りなさとやるせなさ
閻連科=著
谷川毅=訳
 
 私は、今日の文学に人々が言うような大きな意義があるのだろうかと、ずっと疑念を抱いている。
 こう考える根拠は2つある。1つは偉大な文学はすでに煙のように果てしなく広がっていて、どうやら書くべきことはもう先人たちが書き上げ、しかも書き尽くしてしまっているようだということ。2つ目は偉大な文学は、生まれるのに適した時代に生まれなくてはならないということだ。そして今日、時代はネットと科学技術に属し、文学はただ時代の周縁で脇役を演じているだけで、18世紀末から20世紀の1970年代までのような、文学が世界という舞台の上で文化の柱となり主役を演じた時代ではない。
 
 偉大な文学を産んだ時代はすでに過ぎ去ってしまった。天の配剤を得て、この世に逆らった驚天動地な偉大な作品を生むことができるのは天才だけだ。ただ中国のあの偉大な作品を産んだ時代はすでにひっそり終わっていて、今の現実と情勢は、私が言う偉大な作品を産み出すのが難しい時代なのだろう。世界文学はすでに19世紀と20世紀の200年にわたる光と輝きを持っているのだから、人類の歴史は文学に対して大いに自慢していい。そのおこぼれをもらった作家がやるべきことは、力を尽くしてすばらしい脇役を演じることだ。たくさんの小説、映画、演劇の中で、脇役の輝きが主役にまさることがある――我々が倦まずたゆまず探求し創作するのは、おそらくこの意外さのためだろう。意外な偉大さのために創作するものの、我々はまた、主役は結局主役であり、脇役はしょせん脇役に過ぎず、歴史がそれを分配したことを忘れてはならない。文学が脇に追いやられることを黙認するのは悪いことではなく、それは、この時代において作家は作家でしかないことを我々に知らしめてくれるのだ。作家がこの時代の中で、彼(彼女)が何をしたいのか、そして彼(彼女)らに、できることはこれだけだということを知らしめてくれるのだ。
 
 新型肺炎がやってきた。
 
 果たして、あってはならない戦争のごとく、突然銃声が四方に鳴り響き、武漢、湖北、中国だけでなく、全世界までも、一歩一歩その災難の中に引きずり込んでいる。中国の内陸都市─武漢がこの厄災の中心点で、疫病と死の災難は津波のように中心から周囲へ、世界へと広がり各地を席巻している。世界各国はどこも、こんなやり方で「人類が一つの共同体である」と証明することになるとは、思いもしなかっただろう。不条理と倒錯は、永遠に人類の一部分である。不条理と倒錯の中で、死んだ者たちがまだ目を閉じないうちに、悲しみの叫びと涙が、都市や町の通りや農村の村人たちの家の軒先にあふれて流れ出す。中国の数万の医師や看護師たちが、家を捨て子供から離れ、武漢、湖北に順番に押し寄せ治療に当たった。医師と看護師たちが命をかけて疫病と死に抵抗する中で、多くの医師と看護師たち自身もまた死者の一部分になった。疫病のはじまりがどこにあろうが、疫病の蔓延は疑いもなく、中国の特殊な社会構造の隙間から漏れて爆発したのだ。しかし武漢が封鎖されてから、中国全体があっという間に一体となって、バラバラになった薪を素早くまとめて縛って火をつけたようになった。この間、湿気った薪の出す黒い煙のように、人間の醜いところが我々の間に渦巻き纏わり付いた。しかし一方で、人間の輝きと純粋さも、世界を、天地を、人々を、そして一つの民族の最も根本にある民間の草の根や塵芥をも、まばゆい光のように、温め、照らした。
 
 これもいわゆる民族の力だろう。
 これもまた我々の言う民族の希望だろう。
 
 この力、この希望のうちに、文学からはほど遠い、厄災に間近の激動の現場で、逆巻き襲来してくる災難に文学が向き合ったとき、我々はもう一度、文学の無力と頼りなさとやるせなさを感じるのだ。文学はマスクになって疫病蔓延地区へ送ることもできないし、医療従事者の使っている防護服にもなることはできない。食べ物が必要なときに、それはミルクでもパンでもないし、野菜が必要なときに、それは大根でも、白菜でもセロリでもない。人々が不安や恐れや焦りの中にあるとき、それは偽薬にさえなることもできない。なぜ中国の一部の政府メディアやほとんどすべての思慮深い民間の声は、期せずして一致したように、封鎖された武漢を「アウシュビッツ」と言ったのだろうか? どうしていつもアウシュビッツと「詩」を一緒に関連づけるのだろうか? それは武漢の新型コロナウイルスがすでに隠喩になっているからなのだ。この突然訪れた災難の中で、中国社会は異なる音を受け入れる重要性を再び体得したのだ。そしてまた、アウシュビッツで詩を書くことができるときには、やはり詩を書かなくてはならないことを命をもって証明したのだ。というのは、このときの詩、それは詩ではなく異なる音であり、次から次へと伝わり生きているからだ。もし当時アウシュビッツで詩を書くことのできる人がいて、またその詩が伝わったのなら、アウシュビッツはあんなに長くは続かなかったはずで、あんなにたくさんの無辜の命が蟻のようにファシストに踏みつけられた上に捻り潰されることはなかったはずだ。
 
 戦争の中でもし真実を命とする戦場記者がいないなら、それは本当に愚かで恐ろしいことだ。
 
 人類が災難に直面したとき異なる音が存在しないことが最大の災難なのだ。
 
 戦争や厄災が訪れたとき、作家は「戦士」や「戦場記者」になることができる。彼らの声は銃声よりも更に遠くまで響くはずだ。その異なる音は多くの場合、相手のナイフを引っ込めさせ、相手の銃声を止めさせた。たとえば、イサーク・バーベリやヘミングウェイ、ノーマン・メイラー、アイザック・バシェヴィス・シンガーやオーウェルのように。作家は戦争中は記者になってこそ良い作家だと言っているのではない。もし一人の作家が戦争の中で死を見ず、銃声も聞かないとしたら、それはなんと不条理なことだろう。あるいは、あきらかに死を見て、銃声も聞いたのに、その銃声を凱旋将軍の爆竹の音にするなら、それは戦争や厄災よりももっと恐ろしいことだ。カフカは彼の日記に「午前戦争が勃発し、午後お風呂に入った」と書いたが、我々は彼が不条理に対して最も敏感で、本当の不条理を書いた人間だということを忘れるわけにはいかない。しかしながら、我々は往々にして、銃声を爆竹の音にする人間であり、自分のペンで、銃声を確かに爆竹の音だと言うように、不条理を正常だと証明することまでする人間なのだ。
 
 あたり一面の泣き声の中、鬨の声を上げたり手を振り声高に叫ぶ人になるのを責める権力は誰にもないし、また無数の真実がまだ明らかでないときに、詩人や作家や、大学教授や知識人が政治的に正しい選択をして、早々に彼の選択、立場や判断を宣言するのを責めるべきでもない。世界で中国の作家の置かれている弱くてやるせない立場をわかってくれる人は少ない。まるでただ寒い中でしか生きていくことのできない南極ペンギンのようだ。これも中国人と中国の作家が置かれている境遇なのだ。境遇は往々にして作家と作家、文学と文学の優劣と違いを決定する。中国では、言おうと思ったことを言えるのは限られた人だけだ。もし他の人が同じようなことを言ったら、その人はもう存在できなくなるのだ。だから異なる音の存在を許すことは、一冊の、あるいは何冊かの偉大な作品を生み出すことより、切迫した重要なことなのだ。中国の作家の無力、頼りなさとやるせなさを理解できる人はいない。そしてまた中国の作家が必ずしも、あなたはそれでいい、私はこれでいいということを受け入れることを必要としているわけではなく、自由にできることを十分に大事にしたいと思っているわけでもないことを理解できる人もいない。人類は寒い日があればみんな寒く、暖かければみんな暖かく、というみんな同じだという心理が働く。しかし本当にみんな同じなのか? 作家、文壇というこのバラバラの群れはと言えば、寒い冬がやって来て、本当に寒くなったら、人からもらったご褒美の綿入れを余計に着込むのだ。これもまた今日の中国の作家と中国文学の、微妙で、気まずくて、悲しいところなのだ。あたり一面本当に寒い中、大多数の作家は他の人よりもたくさんの防寒の綿入れを着ているからだ。
 
 第一次大戦、第二次大戦中、イサーク・バーベリやヘミングウェイは銃声の鳴り響く戦場でペンを執ったが、すべての作家が前線や戦場に行ったわけではない。しかし私は思う。どの作家も知っているのだ。トルストイが兵隊にならなかったら、彼にどうやって『戦争と平和』が書けたのか? レマルクが第一次世界大戦に参戦して負傷しなければ、彼にどうやって『西部戦線異状なし』が書けたのか? ジョセフ・ヘラーと彼の『キャッチ=22』、カート・ヴォネガットと彼の『チャンピオンたちの朝食』、さらにはカミュと彼の『ペスト』、ジョゼ・サラマーゴと彼の『白の闇』など、戦争に関係のある前者2人は空軍の兵士或いは捕虜になったし、後者2人は人類の厄災に対して深い理解と共感がある。この角度から言うと、今日の状況は、では次に何を書くべきなのかという順番が中国の作家に回ってきたということなのだ。中国の作家に、最も痛みを異化し、最も不条理で耐えられない歴史、そして最も独創的な作品を書くべき順番が回ってきたのだ。中国の作家は中国の現実と歴史の中で、あまりに多くの不条理とそれに伴う死や災難を経験し目撃している。厄災の爆発とそれに伴う死と災難を忘れたあとの再爆発を経験し、目撃している。これらを経験して、我々はカミュやサラマーゴのように人の孤独、記憶そして人類の苦境を思考することができるだろうか? 彼らのように人と現実そして世界の真相に向き合い、独創的な見方で更に深い真実に到達できるだろうか? 書けるのだろうか、それとも書けないのだろうか? 書いたとして何を描き出すことができるのだろうか?
 
 実際確かに、中国には、多くの作家の才能があふれている。中国文学の問題点は必ずしも人が我々に何を書かせ、何を書かせないのかにあるのではなくて、やはり我々自身が何を書きたいのか、何を書くのかにあるのだ。ぼんやりとわけのわからないまま良心をごまかして生きるのは一つの生き方だが、それは良心をごまかして生きざるを得ないのとはまた別のことだ。しかし目覚めていて、良心をごまかして生きるのを自ら望むのは例外中の例外だ。私は自分が良心をごまかして生きているとわかっているし、良心をごまかして生きる中で幸福や快楽を得ることもできる。これは今日の中国人の気質であり文化で、遺伝であり特質なのだ。文学は無力で頼りなくやるせない。しかし作家は、その無力と頼りなさとやるせなさのせいにして、思考せず、自分のペン、声、権力を使って、不条理、死、号泣の現実に曲をつけ、賛美の歌を歌うこともできるのだ。良心をごまかして生きるために、英雄の靴をはいて、ただ死者の墓へ向かう足跡の上を踏みつけていくなら、これは文学を無力で、頼りなくてやるせないものにするだけでなく、文学を悪のためのものにしてしまっているのだ。
文学を文学でなくしてしまうのだ。
 
 恐ろしいのは歴史の中の文学の役割が変えられ隅に追いやられることではなく、それが無力で、頼りなくやるせないとはっきりわかっていながら、作家がその無力、頼りなさ、やるせなさに拍手を送り、無力で、頼りなくやるせない創作に「すばらしい! すばらしい! すばらしい!」と大声で叫び、文学の最後の靴まで脱がせ、裸足で荊の上を歩かせ、文学が倒れて死ぬのを見ながら、自分が文学を救い出す作家であり模範だと思っていることだ。
 これもまた今の中国文学のひとつだろう。作家が自分を文学の死刑執行人にするのだ。中国の文学の悲しみは、多くの作家が寒い中、他の人より余計に一枚綿入れを着ていることにある。その出口は、人々が寒がっている中、綿入れを一枚余分に着込んでいる人が、自分の綿入れを脱げるかどうかにある。そうでなければ文学に希望はなく、文学は悪のためのものになってしまうのだ。
 
 

二〇二〇年三月四日、隔離中

 

本稿は「文藝」夏季号に掲載されています。「文藝」夏季号では他に第1特集「源氏! 源氏! 源氏!」/第2特集「「日本文学全集」完結」/特別企画「追悼・古井由吉」をはじめ、文藝賞受賞第一作となる、ニヒリズムに満ちた青春ラグビー小説・遠野遥「破局」(170枚)、宮内勝典、いとうせいこうの連載完結など、70人超の著者陣の原稿を掲載。
「文藝」2020年 夏季号 詳細
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309980072/

面对疫劫:文学的无力、无助与无奈 by阎连科 Copyright © Yan Lianke, 2020

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著者

閻連科

(えん・れんか) 1958年、中国・河南省生まれ。80年代から小説を発表。2003年『愉楽』で老舎文学賞受賞。その後、『丁庄の夢』などが発禁扱いとなる。14年フランツ・カフカ賞受賞。ノーベル賞の有力候補と目されている。近刊『日熄』(仮題・河出書房新社)。

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