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【試し読み】文藝連載中の町田康『ギケイキ』最新話

町田康「ギケイキ」(第十三回)

    巻四(承前)

 私は静の乳をいらったり口を吸ったりしただろうか。多分、したと思う。けれどもあまりにも前後不覚に酔っていたため、それ以上のことはできず意識を失った。なので以下に記すことは後で人に聞いたり、本で読んだりして知ったことなのだが、そうして私に中途半端に身体を弄くられた静はどうしただろうか。
 かき立てられてしまった情欲を持て余し、自分で自分を慰めただろうか。勿論、しなかった。静はそんな状況の読めぬ女ではなかった。いつ土佐坊軍が押し寄せてくるかわからない状況で、そんな気楽なことをしている場合ではない。というか、私が泥酔して寝ているということがそもそもおかしいのであり、下手をしたら自分たちは滅亡してしまうかも知れない、と考えていた。
 つまり正確に状況を判断していた。けれども女なので武器を取って闘うということができない。いても立ってもいられなくなった静は自分の身の回りの世話をする女を呼んだ。この女の顔はぼんやりと覚えている。別嬪という女ではなく、むしろどちらかというと不細工な部類の女であったが、どことなく愛嬌があるというか男好きがするというか、独特の色気のある女だった。そうして顔や全体の印象は覚えているが、名前は忘れた。なので便宜上、クフ、ということにしておこう、寝所から隣の間に出て静は囁くような声で呼んだ。「クフ、クフ」と。ところがクフが出てこない。そこで今度は普通に話すくらいの声で呼んだ。にもかかわらずクフが出てこない。もー、なにやってんのよ。早く出てこないと情報がゲットできないじゃないの。情報は鮮度が命なのよ。と、むかついた静は、普段は芸能人として人前では絶対に出さない、腹からの野太い声で、
「クフ、ええ加減に出てこんとシバキ回すぞ、こらあっ」
 と絶叫した。これに至ってようやっとクフが縁先に現れた。
「お呼びでございますか」
「クフか。次から呼んだらすぐに来て頂戴ね」
 と静は取り澄ました声で言った。いまさら遅いんじゃ、とクフは内心で思ったのだろうか。静はそんなクフに言った。
「大変なことが起きてしまったのよ。状況は読めてますか」
「ええ、なんとなく。土佐坊正尊様の軍勢がほぼ間違いなく攻撃を開始するという情報が齎されたというのに、なにを思ったのか判官様は武蔵坊を初めとする部下の者をすべて自宅に帰らせ、ご自身は泥酔して眠っておられる。いま、攻撃が始まったら私たちは全員殺される、ということですよね。そして、判官様の一連の意味不明の行動はご自身の鎌倉殿に対する屈折した心情に原因があるとも推測される、くらいのことしか私にはわかりませんが」
「ムチャクチャわかってるやないの。それなら話が早いし、あなたなら安心して任せられる。あなた、土佐坊の宿所、知ってるわよね」
「もちろん」
「じゃあそこに行って」
「みなまで言わないでください。心得ました。様子を窺って参ります」
「頼んだわよ」
「お任せください」
 そう言ってクフは目立たぬ衣服に着替え、布で顔を隠して庭へ降りていって暗闇に消えた。静は暫くの間、闇を見つめて動かなかった。

(続きは「文藝2016年夏号」でお楽しみください)

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