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世界の見え方や生の手触りが変わる読書体験。『はたらかないで、たらふく食べたい── 「生の負債」からの解放宣言』

『はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言』 栗原康著『はたらかないで、たらふく食べたい
「生の負債」からの解放宣言』
栗原康著

『はたらかないで、たらふく食べたい ──「生の負債」からの解放宣言』

栗原康著

【評者】トミヤマユキコ

本書はアナキズム研究者による現代社会論だが、タイトルからしてなんだか可笑しい。「はたらかないで、たらふく食べたい」と訴える研究者なんて、聞いたことがない。「わたしはいま三五歳。独身で実家暮らし、フリーターである。大学院を博士課程まででたものの、その後、定職につくこともなく、大学や塾で非常勤講師をしてきた。もちろん、これでは食っていくこともできず、というか年収が八〇万円ほどしかないので、両親の年金に寄生して生きている」……このタイトルになったのも納得の貧乏ぶりである。

若手研究者の多くはたとえ貧乏暮らしであっても「研究者としては優秀ですから!」とアピールしたがるものだが、本書にはそういうアピールが見当たらない。というより、研究者に対して読者が抱く「敬意」みたいなものを、著者が守り抜こうと思っていないのである。そのため、どの章も拍子抜けするほどフランク。モテたいとか、合コンに行きたいとか、そういう話がたくさん登場する。その他にも、旅行先でおぼれかけたとか、自分は愛煙家だとか、話の糸口が卑近かつ個人的なので、途中から完全に「栗原くんの話」として読まざるを得なくなる。もはやそこに敬意などない。あるのは親しみだけだ。

そして、読者に親しみを抱かせておいて、いつの間にか国家や政治経済の話に引きずり込んでしまうのが「栗原くんの話」のすごい所だ。たとえば、恋人との婚約解消話は伊藤野枝の「矛盾恋愛」の話へと接続する。伊藤は好きな人と結婚したはずなのに幸せになれない自らの恋愛を「矛盾恋愛」と名付けた。好きな相手のために妻として母として犠牲を払う。そうしているうちに、好きだという気持ちがどんどんすり減っていって、また別の相手に恋をするのだが、結局同じことが繰り返される。伊藤がこの苦しみをどのように乗り越えていったのか、その思考の跡が鮮やかに記述されており、わくわくする。

あるいはまた、近所のひとからサツマイモをもらった話が、徳川吉宗の話に繫がる。当時の武士たちにとって、成長の様子がはっきりと目に見える米は収奪の対象として最適だったが、サツマイモは地中で育つため収穫量がわかりにくい。「国家というものが弱い人間をはたらかせて、その収穫をむしりとるものだとしたら、サツマイモはそれにさからうための武器」。けれど、吉宗はサツマイモ栽培を推奨した。「国家なんかよりも、ひとの安全のほうがぜんぜん大事。名君だ」……さっきまで松平健の『暴れん坊将軍』がかっこいい! とか言っていたのに、気づけば国政というもののあり方について、平易な言葉で深く斬り込んでいる。

著者はあらゆる事象を等価に語り、関係づけ、面白がっている。それを一緒になって面白がっているうちに、世界の見え方や生の手触りが変わる読書体験は、希有であり痛快だ。

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