単行本 - エッセイ
世界中で社会現象を巻き起こしているドラマ「GIRLS/ガールズ」製作・脚本・監督・主演レナ・ダナムがすべてをさらけ出した!
レナ・ダナム
2016.11.09
レナ・ダナム/山崎まどか訳
世界中で社会現象を巻き起こしているドラマ「GIRLS/ガールズ」製作・脚本・監督・主演レナ・ダナムがすべてをさらけ出した、全米35万部のベストセラー『ありがちな女じゃない』がついに発売!
愛、セックス、身体、友情、仕事、フェミニズム…時代の寵児である30代クリエーターが語る、誰よりも赤裸々&真摯な「ガールズトーク」である新世代エッセイです。
【訳者あとがき】を公開中
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山崎まどか
本書は二〇一四年に出た Lena Dunham, Not that kind of girl の全訳である。
このエッセイ集はその出版の二年前から話題だった。版権を巡って各出版社が争奪戦を繰り広げ、ランダムハウスが三百五十万ドル以上という高額で落札したということがニュースになったのだ。本は発売と共にベストセラーとなり、そのあまりに正直過ぎる内容と語り口が大きな話題を呼んだ。
この本が出た時、レナ・ダナムはまだ二十八歳だった。二十代の女性が自分の人生から学んだことについてのエッセイ集が、どうしてそこまで世間を騒がせたのだろう。それについて語るためには、まず、日本では一部の海外ドラマのファンにしか知られていないレナ・ダナムという女性が本国でどんな存在なのかを説明しなくてはならない。
レナ・ダナムは一九八六年、ニューヨーク生まれ。マンハッタンのトライベッカという都会の中でも都会的な環境で育った。このエッセイ集にも度々登場する母親はビジュアル・アーティストのローリー・シモンズ、父親は画家のキャロル・ダナムで、双方ともアートの世界では有名な存在だ。
レナはオーバリン大学在学中から YouTube で短編映画を公開し始め、二〇〇九年には今やインディ映画の登竜門となったサウス・バイ・サウスウェスト・フェスティバルで自身の監督・脚本・主演作の『クリエイティブ・ノンフィクション(Creative Nonfiction)』を出品して話題を呼んでいる。更に翌年、同フェスティバルで『タイニー・ファニチャー(Tiny Furniture)』を発表すると、次代のインディ映画シーンを担う存在として大々的にマスコミに取り上げられるようになり、映画業界の内外に名前が知られるようになった。『タイニー・ファニチャー』は、当時〝マンブルコア〟と呼ばれていた超低予算インディ映画のムーヴメントに触発された作品である。レナ・ダナムはキヤノンEOS7Dのデジタルカメラで、自分の実家であるトライベッカのアパートメントを舞台にこの映画を撮影した。大学を出て、職もなく、展望もなくニューヨークの実家に帰ってくるヒロインのオーラを演じるのは彼女自身。母親役は実の母のローリー・シモンズで、妹役も本当の妹のグレース・ダナム。悪友のシャーロットは古くからのレナの友人で画家のジェマイマ・カークが演じ、素人とは思えない美貌とハスキーな声、飾り気のないリアルな演技で話題をさらった。
「ありがちな女じゃない」を読めば分かるように、オーラのストーリーはレナ・ダナムの実体験に近い。この映画で彼女は恵まれた環境で育っていることさえ有利に働かず、親の世代のような成功は望めないと知っていながら野心だけが空回りするミレニアル世代(一九八〇年から二〇〇〇年代初頭に生まれた若者たちの総称)のリアルを生々しく映し出した。
『タイニー・ファニチャー』の成功は、インディーズの映画で活躍していた二十三歳のレナ・ダナムを大きなフィールドに引っ張り出した。この映画を見て、『恋人たちの予感』の脚本や『めぐり逢えたら』等の監督・脚本作で知られるノーラ・エフロンがレナにEメールを送ってきた。エフロンは映画作家としてのみならず、コラムニストとしても彼女に大きな影響を与えた存在だ。ノーラ・エフロンは晩年、レナ・ダナムのメンター的な存在となり、彼女に様々なことを教えてくれたという。エッセイにおけるレナの正直な語り口は、ノーラ・エフロンの作品に影響されたものだろう。このエッセイ集は家族や恋人のジャック・アントノフと共にノーラ・エフロンに捧げられている。
もう一人、『タイニー・ファニチャー』を見てレナにEメールを送ってきた大物映画人がいる。プロデューサー/監督のジャド・アパトーだ。セス・ローゲンをはじめとする新世代コメディアンたちを育てたアパトーは彼女の映画を見るなりその才能に惚れ込み、こんなメールを送ってきた。「大金を捨て去る覚悟のあるプロデューサーが欲しかったら声をかけて欲しい。それは僕のことだから」ジャド・アパトーはレナ・ダナムのもう一人のメンターとなり、彼のプロデュースによって、レナ・ダナムは連続ドラマをケーブル局HBOで製作するチャンスを得た。
そうして生まれたドラマが「Girls/ガールズ」だ。二十代半ばの女性がテレビ番組のクリエイターになるというだけでも異例だが、この番組でレナ・ダナムは映画の『タイニー・ファニチャー』の時と同じく、監督/脚本/主演の三役を一人でこなした。驚くような大抜擢である。(それだけに重圧も大きかったことが、本の中で明かされている)
「Girls/ガールズ」は新世代のドラマとして、放映前からメディアで大評判となった。ニューヨークのブルックリンで将来を模索する四人の女子を主人公としているところから、同じくニューヨークに暮らす四人の女性を主人公とした「SEX AND THE CITY」と比較されることも多かった。同じHBOの番組ではあるが、両者は大きく趣が違う。「SEX AND THE CITY」では最新ファッションに身を包んだ三十代の働く独身女性たちがマンハッタンで恋愛とショッピングを謳歌していた。「Girls/ガールズ」が描くのはリーマン・ショック以降、キャリア構築がままならなくなった二十代の貧乏な若者たちの生活である。レナ・ダナムの仕事のファンである作家のジョイス・キャロル・オーツは、「Girls/ガールズ」を見て彼らを Floating Generation(漂う世代)と名づけた。
レナ・ダナムは「Girls/ガールズ」で作家志望の主人公、ハンナを演じている。番組の初回、彼女は両親から仕送りの打ち切りを宣言される。それならばインターンで入っている出版社に雇ってもらおうと上司に働きかけるが、待っていたのはクビの宣告だった。思い余ったハンナは両親が泊まっているホテルに押しかけ、成功するまで自分を支援して欲しいと訴える。「何故って、私は時代の寵児(Voice of generation)なの!」甘ったれでエゴイストのヒロイン、ハンナを象徴するセリフであるが、レナ・ダナム本人は「Girls/ガールズ」で本当に時代の寵児となった。番組はヒットや話題作という枠を超えて、社会現象となったのである。
それと同時に、「Girls/ガールズ」は様々な物議を醸した。レナ・ダナムは従来のテレビドラマではあり得ない、インディ映画の文法を自分の番組に持ち込んだ。レナ本人のフルヌードによる生々しいベッドシーンに戸惑う視聴者や批評家も多かった。レナは長いまつげに縁取られた大きな瞳を持つ美女だが、ハリウッド・タイプのスリムな体型ではない。彼女にとってベッドシーンは視聴者へのセクシーなサービスではなく、時に居心地悪く、時にグロテスクな二十代の現実の一部を映し出す鏡なのだ。
好感度を無視したキャラクター造形にも批判が集まった。失敗を繰り返し、かつ成長もしない主人公のハンナをはじめ、登場人物たちはみんな我が強く、一筋縄ではいかないタイプだ。しかし、だからこそ彼らにはリアリティがある。ハンナの最低なセックス・フレンドとして登場し、やがて彼女との本気の恋愛を経て複雑な人間性が明らかになっていくアダムもそんな魅力的な登場人物の一人だ。演じるアダム・ドライバーは番組当初は無名の俳優だったが、このドラマ一本で人気に火がつき、映画『スター・ウォーズ』の新シリーズで主役の一人、カイロ・レン役に大抜擢された。今やハリウッドの若手俳優を代表する存在と言っていい。
レナ・ダナム本人も様々な分野で注目されるようになった。本でも語っているとおり、全てをさらけ出すのが彼女の信条だ。インタビューや雑誌のエッセイのみならず、ソーシャル・メディアでフェミニズムや政治、女性のボディ・イメージ、そして私生活について赤裸々に語る彼女は新世代のオピニオン・リーダーと呼ぶにふさわしい。当然、激しいバッシングの対象にもなる。彼女の体型や恵まれた出自が批判の的となることも少なくない。しかし、好きでも嫌いでも、人々は彼女を無視出来ないのだ。そんな「時の人」である彼女のエッセイに大きな話題が集まるのは、必然だったのである。
ヘレン・ガーリー・ブラウンの『恋も仕事も思いのまま』に影響を受けたというこのエッセイ集で、レナ・ダナムは持ち前のユーモアを交えながら、短い人生経験の中で自分が学んだことを包み隠さず人々に伝えようとしている。自らの心身症や大学時代に性暴力を受けた体験についてもオープンにするその内容が、またしても話題を呼んだ。しかし、その筆致はデリケートであり、正直でとても好感が持てる。レナ・ダナムにもダークサイドはあるが、そのダークサイドさえも太陽に当たって日に焼けている。辛口で知られるニューヨーク・タイムズの書評家ミチコ・カクタニはこのエッセイの率直さとレナの観察眼に触れ「(この本は)鋭いのと同時に面白く、ホロリとさせられる」と評し、ミランダ・ジュライは「楽しくて、巧みで、びっくりするほど身近。共感に震えながら読んだ」と絶賛した。作品に出演している母や妹と違い、普段はレナの活動を一歩ひいたところから見ている父のキャロル・ダナムも推薦文を寄せた。「我々の文化において若い女性であるというのはどういうことか分かったつもりになっている人は、この本を読むべきだ。私は著者をよく知っていると思っていたが、それでも(決して歓迎すべきでないものも含む)驚きに満ちていた」
二〇一五年の八月、「Girls/ガールズ」の東京ロケのために来日したレナ・ダナムに短いインタビューをする機会があった。「あなたの本を翻訳している」と告げたら、大きなテーブルの向かい側に座っていた彼女がぱっと立ち上がり、こちらに突進してきてぎゅっと抱きしめてくれた。「私の本の翻訳者は、みんなシスターだと思っているの!」開けっぴろげで、正直で、裏表のないその態度に感激してしまった。彼女の『タイニー・ファニチャー』を初めて見たとき、情けなかった自分の二十代を肯定されたような気がしたが、実際に会って彼女の作品の秘密が分かったように思う。自分自身が不器用な二十代でありながら、それを包み込むような、輝く太陽のような大らかさを持っている。そんな稀有なレナ・ダナム本人の資質が映像作品やこのエッセイ集の魅力となっているのである。本を読んでいると、自分の悲しい失敗を語っている彼女に逆に励まされているような気がする。その励ましはきれいごとではない。自分を俎上に載せて生々しい映画やドラマを作ってきた彼女だからこそ、言葉のひとつひとつが信頼出来るのだ。
二〇一七年に放映予定の第六シーズンで「Girls/ガールズ」は完結する予定だ。制作当初は二十三歳だったレナ・ダナムも三十歳となった。「Girls/ガールズ」は彼女の二十代の集大成にしたいと言う。三十代のレナ・ダナムには、また様々な新しい仕事が待っている。そのフィールドは映像の世界にとどまらない。二〇一五年の秋には「Girls/ガールズ」のプロデューサーであり、レナと共にプロダクションを運営するジェニー・コナーと共に、二人の名前から取った「Lenny letter」という名のメール・マガジンを創刊。「Lenny letter」はグロリア・ステイナム、ヒラリー・クリントンといった大物へのインタビューから女性の問題を巡るエッセイまで、バラエティに富んだ内容とそのクオリティで話題をさらった。「Lenny letter」はランダムハウスと提携し、メール・マガジンのテキストをもとに様々な書籍を出版していくという。二〇一六年にはレナの初めての短編集がここからリリースされる予定だ。
彼女の名前の表記について、書き添えておきたい。レナの名前の綴りは Lena だが、「リナ」と書く方が実際の発音に近い。しかし、日本では既に雑誌やドラマのクレジットで「レナ・ダナム」という表記が一般化しているため、今回は「レナ」で統一させてもらった。
タオ・リンの『イー・イー・イー』の時と同じく、今回も河出書房新社の松尾亜紀子さんにお世話になった。レナ・ダナムの大ファンの二人で、この本の翻訳が実現出来て心から嬉しく思っている。
二〇一六年八月