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その昔チョコレートは「神々の聖なる飲み物」だった。甘くて苦い不思議な魅力を語り尽くした名著。

チョコレートの歴史

遥か三千年前に誕生し、マヤ・アステカ文明に育まれたチョコレートは、神々の聖なる「飲み物」として壮大な歴史を歩んできた。香料、薬効、滋養など不思議な力の魅力とは……。

チョコレートの魅力を語りつくした名著!

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序章より

チョコレートといえば、現代人がまず思い浮かべるのは固形の甘い食べ物である。その証拠に、食物関係の文献でも明らかに固形のチョコレートに重点が置かれている。だがチョコレートは、その長い歴史の約九割に相当する期間、食べ物ではなく飲み物だったのだ。本書では、貴重な飲み物としてのチョコレートにもっと目を向けることで、その不均衡を是正したいと思う。チョコレートを扱った本や論文のほとんどが、スペイン人による征服以前の時代についてはほんの数行か多くても数ページしか割いていないので、本書では二章を費やしてこの領域について論じた。つまるところ、アステカ王国の首都が陥落した一五二一年から現在までは、チョコレートの歴史全体から言うとほんの五分の一ほどにすぎないのだ。
私たちがチョコレートと呼んでいる、暗褐色でほろ苦い、化学的に複雑な成分を持つ物質は、その原料であるカカオの果肉に包まれた種子とはあまり似ていない。知らない人は、その種子からチョコレートが作られるとはとても想像できないだろう。カカオノキ(テオブロマ・カカオTheobroma cacao)の素性や、その種子すなわちカカオ豆からチョコレートが作られる過程を正しく理解するために、まず第1章ではその実用植物学と、チョコレートの化学的性質や特性について考察する。とはいえ、昔から謎とされているカカオの素性や栽培植物化という問題が完全に解明されるまでには、まだ時間がかかるだろう。おそらく緒についたばかりのDNA研究がその鍵となるかもしれない。
だが第2章で述べるように、加工処理されたチョコレートを最初に作り出したのは、三千年ほど前にメキシコ南部低地の森林地帯に住んでいたオルメカ人らしいとわかっている。次いで、マヤ古典期の壮麗な都市における支配者たちとその王宮を取り上げ、最近の絵文字の解読によって明らかになった、マヤにおけるチョコレートの飲用に関する新しく興味深いデータを紹介したい。続く第3章では、信じられないほど豊富な記録文書に基づき、アステカ族における飲み物兼貨幣としてのカカオの使用と重要性、さらにその飲み物が人間の血液の象徴として儀式的な意味を持っていたことを検証する。
一五二一年に、標高一六〇〇メートルあまりの高地に位置するアステカ族の首都が陥落し、彼らの皇帝がその地位を追われたのを境に、チョコレートの歴史は新しい時代に入る。チョコレートの摂取はスペイン人征服者たちによって変容し、西洋化されて、それに関する専門用語も新たに作り出された。「チョコレート」という呼び名自体もその一つだ。第4章と第5章では、変容して新しい名を付けられ、味も変化したこの飲み物が、どのようにしてヨーロッパに持ち込まれたかを述べる。当時のヨーロッパでは、まだ古代ギリシャの医師ヒポクラテスやガレノスの古めかしい医術が幅を利かせており、チョコレートも薬の一種として飲まれていたのだ。また、カソリック諸国で広く行われていた断食の習慣と折り合うための紆余曲折もあった。
「バロック」という語は、今では目を驚かすような美的効果を狙った華麗で複雑な様式を意味するようになった〔もともとは「いびつな真珠」の意と言われる〕。確かに、バロック時代のヨーロッパにおけるチョコレート飲料の調合は恐ろしく手が込んだものとなり、貴族や聖職者の食卓に供されるご馳走の仲間入りをするまでになった。第5章では、イエズス会とカソリック教会がこの点に深く関わっていたことを明らかにし、また大胆なイタリア人たちのチョコレートによるさまざまな試みについても触れたい。彼らはこの素材の調理法を、ある意味でその極限まで到達させたのである。
第6章では、ヨーロッパの王宮や貴族の館、さらにはチョコレートハウスにまで広まったカカオとチョコレートの生産者たちについて述べる。チョコレートの歴史は、ここに至って、植民地主義や、黒人奴隷の輸送とその労働力の活用、そしてスペイン政府による市場の独占といった問題に関わってくる。また、この頃からスペインの力は徐々に衰え、代わってイギリスやオランダ、フランスが制海権を獲得した。その結果、カカオの生産の主流は、スペイン領熱帯アメリカから、スペインの手ごわい競争相手となった国々が支配するアフリカやその他の植民地に移った。
バロック時代の凝りに凝った調理法に比べると、それに続く「ヨーロッパの理性の時代」と呼ばれる十八世紀のチョコレートの調合はやや精彩に欠けるように見えるが、チョコレートを飲む習慣は相変わらず王侯貴族や教会のものだった。ただしイギリスをはじめとする新教国は別で、それらの国々ではチョコレート(およびコーヒー)ハウスが登場し始めていた。そうした店は集会所としての役割も果たしており、やがて揺籃期にあった政党のためのクラブが生まれた。第7章では、フランスで革命によってカソリック教会と王制が打ち倒された後、哲学者たちのお気に入りの飲み物であり、啓蒙主義者が集まるサロンにつきものだったコーヒーと紅茶がチョコレート飲料に取って代わった状況を描く。ところが理性の時代も終わりになると、サド侯爵という風変わりで途方もない人物が登場する。はなはだしく反体制的な著作や行動にもかかわらず、彼はまさに筋金入りの「チョコレート中毒者」だったのである。
第7章まで、チョコレートの歴史の中心となってきたのは、褐色の肌をしたアステカ貴族であれ、蒼白い肌をしたイエズス会の聖職者であれ、選ばれた人々のための「飲み物」だった。最後の第8章では、チョコレートの近代史を扱う。チョコレートの近代史は、十九世紀初頭における産業化とそれに続く固形のチョコレート、つまり水と混ぜて飲むのでなく食べるためのチョコレートの発明によって始まる。チョコレートはたちまち庶民の間食にうってつけの食べ物として広まった。その代表がどこでも見られる板チョコだ。こうしてチョコレートは、お偉方たちがあれよと見守るうちに変貌を遂げ、イギリスやスイスをはじめとするヨーロッパ諸国に大規模製造業者が出現した。だが本格的な量産技術は、アメリカ合衆国でミルトン・ハーシーによって完成された。その工場を中心に一つの町ができあがり、さらにはディズニーランドばりのチョコレートのテーマ・パークまでできた。だが生産、販売、消費がうなぎ上りだったのに対して、製品そのものの質は急落した。にもかかわらず、この「真実の歴史」の結びは楽観的なものだ。チョコレートの品質低下は自ずから反作用を引き起こし、二十世紀末になって、懐の豊かなグルメ向けに選り抜きの最高級チョコレートが登場したからだ。といっても、むろん食べるためのチョコレートである。何千年も前に、名も知れぬメキシコの原住民が最初にカカオ豆から「神々の食物」を作って以来、その長い歴史の大部分はそうだったように、選ばれた人々のための飲み物というわけではない。

関連本

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著者

ソフィー・D・コウ

人類学者、食物史研究家。ハーヴァード大学で博士号。「料理の話」誌に食物・料理の論文を数多く寄稿。著書『アメリカで最初の料理』は世界的に賞賛を博した。

マイケル・D・コウ

イェール大学の人類学名誉教授。ハーヴァード大学で博士号。アメリカ科学アカデミー会員。メソアメリカ研究の功績でハーヴァード大学から「プロスクーリャコフ賞」受賞。著書に『マヤ文字の解読』『メキシコ』など。

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