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〈ジル・ドゥルーズ 生誕100年〉豪華推薦陣による書店フェア開催! 推薦コメント&特別寄稿「 はじめてのドゥルーズ」全文公開!

 

2025年はジル・ドゥルーズ生誕100年、没後30年の節目の年です。

20世紀現代思想を代表する哲学者ジル・ドゥルーズ(1925年1月18日~1995年11月4日)は、パリで生まれ、高校、大学で教鞭をとるかたわら、多くの著作、研究書を世に送り出しました。

「差異」「強度」「生成変化」など、その独自に生成させた思考、新たに打ち立てた数々の概念は、60年代後半に誕生したポスト構造主義、80年代の日本を席巻したニュー・アカデミズム、そして近年では思弁的実在論や加速主義といった様々な分野へ絶大な影響を与え続けています。

ドゥルーズの著作を数多く出版してきた河出書房新社が、この記念の年に豪華推薦陣による文庫フェアを全国約250店舗で開催いたします。

 

全国約250店舗で開催!

〈ジル・ドゥルーズ生誕100年〉記念フェア!

 

 超豪華推薦陣とコメントを公開!

 

玉城ティナ(俳優)さん

二人の共働によって産まれた哲学へのラブレター。

カオスに潜り、脳の舞台の中で踊る。

面白く生きる為に、哲学が必要だったのでしょう。

●『哲学とは何かG・ドゥルーズ/F・ガタリ 財津理訳

 

千葉雅也(作家/哲学者)さん

本書には、ドゥルーズという哲学者と、世界との微妙な距離がかいま見える。

それは非常に微妙なものだ。その感覚から、僕のドゥルーズ研究は始まった。

記号と事件ジル・ドゥルーズ 宮林寛訳

 

三宅香帆(文芸評論家)さん

現代の国家や戦争についての手がかりは、実はこの本が握るのではないか。

歴史の新しい地平がここにある。

千のプラトー 上G・ドゥルーズ/F・ガタリ 宇野邦一/小沢秋広/田中敏彦/豊崎光一/宮林寛/守中高明訳

 

魚豊(漫画家)さん

©︎魚豊

文字も、意味も記号も欲望も、政治も思想も哲学も、

君(出会)がいなきゃ始まらないっ!

意味の論理学 上ジル・ドゥルーズ 小泉義之訳

 

坂口恭平(建築家/作家)さん

読んで中身を理解するよりも先に、読むとすぐ体が反応して何か作りたくなる。

こういう本を僕もいつか作りたい。

『ディアローグ』G・ドゥルーズ/C・パルネ 江川隆男/増田靖彦訳

 

佐藤究(作家)さん

©︎西田香織

謎めいた嵐の音を聞き、未知なる稲妻の光を見上げる。

ドゥルーズに導かれ、私はフーコーの思考と出会えた。

フーコージル・ドゥルーズ 宇野邦一訳

 

福尾匠(哲学者/批評家)さん

©︎金川晋吾

この本の思考はまだ終わっていない。

本書との〈出会い〉の威力は、新たな読者を反射板として増幅し続けるからだ。

差異と反復 上ジル・ドゥルーズ 財津理訳

 

荘子it(ミュージシャン)さん

偽りの解放や、見せかけの強さを疑え。

本当の力は、それらと無縁にある。僕の音楽も常に本書と共にある。

アンチ・オイディプス 上ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ 宇野邦一訳

 

 

〈ジル・ドゥルーズ生誕100年〉ロゴ(デザイン:水戸部功)

フェア開催店では、これまで数々のドゥルーズ作品を手掛けてきた編集者、阿部晴政氏による「はじめてのドゥルーズ」を掲載したフリーペーパーを配布します。

その思考の軌跡や著作の魅力、重要なキーワードを分かりやすくまとめた、入門に最適なガイドとなるプレミアムなフリーペーパーです。

フェア開催を記念して、特別に全文を公開いたします。

※〈ジル・ドゥルーズ生誕100年〉記念フェアは、2月下旬より全国書店にて順次開催となります。

 

【フリーペーパー全文はこちらから!】

 

 ジル・ドゥルーズと並走した20世紀後期を代表するもう一人の思想家ミシェル・フーコーは「世紀はドゥルーズのものになるだろう」と予言しました。ドゥルーズは生誕100年、没後30年の今も人々を惹きつけます。それはなぜなのでしょう。

 

1 ドゥルーズは何を考えた人か

 ドゥルーズの哲学を一言で言うなら「差異」の哲学です。もしくは「肯定」の哲学、あるいは「内在」の哲学です。
 差異はAとBが異なるということではありません。これではAとBという同一性が前提とされています。AもBもそれ自体、自己への差異であり、すでに生成変化なのです。すべてが異なり、かつ等しい。したがってここにはいかなる位階秩序もありません。
 「超越」とはこの世界を超えた何ものかを設定しますが、「内在」にはそのようなものはありません。超越は必ず否定を伴いますが、内在は肯定しかありません。だから差異と肯定と内在は同じことです。これを理解すればドゥルーズの核心にせまったことになると言っていいでしょう。
 しかしこの世界は同一性と超越と否定で満ち溢れているので、差異=内在を絶えず妨げます。内在において思考するとは同一性と超越と否定に溢れたこの世界と闘うことです。ドゥルーズの哲学は絶対的な肯定の哲学ですが、肯定とは現状の追認とは真逆の、終わりない闘争のことに他なりません。そしてこの思考はいかなる既成のものも拒絶する、未曾有のものとなるでしょう。だからこそドゥルーズの愛弟子ラプジャードは師の哲学を「常軌を逸脱した哲学」と呼びました。

 

2 ドゥルーズへのいざない――その軌跡とともに

 1925年に生まれたドゥルーズは、最初は哲学を研究しながら、高校で哲学を教えていました。その時、すでにその後の思考の萌芽を育んでいたことは、学生のために編まれた哲学の教科書からうかがえます。その最初の著作経験論と主体性は、いかなる観念の先行性を認めず主体を感覚の効果として捉えた情念の哲学者としてヒュームを論じました。あらゆる最初の作品がそうであるようにここにはドゥルーズの主題が織り込まれています。
 そのあと、8年の沈黙を経て、ドゥルーズは当時の哲学界では傍流に置かれていた3人の哲学者、ニーチェ、ベルクソン、スピノザを甦らせました。

 永遠回帰のニーチェ、持続と記憶のベルクソン、すべてを実体の表現としてとらえるスピノザ、いまも脚光を浴びるこの3人は一見方向を異にしているようですが、肯定の思考であることにおいて深いところで共鳴しています。
 これを総合して新たな哲学をつかみ出したのが1968年に出された差異と反復です。ドゥルーズはニーチェ、ベルクソン、スピノザのみならずカントやフロイトなどを大胆に、かつ緻密に読み替えながら、差異と反復を取り出して、同一性という牢獄から生を解き放ちました。もはや古典と言っていい同書は正統的な哲学書として書かれていましたが、翌年の意味の論理学では全くスタイルが変わります。重厚な5章からなる『差異と反復』に代わって『意味の論理学』はセリーと名づけられた23の断章からなります。ここでドゥルーズは差異と反復を表層と深層における意味=無意味の発生を「出来事」として捉えます。この「出来事」はその後のドゥルーズの思考でも通奏低音となります。

 68年は世界的な叛乱の時代でした。フランスでは学生や労働者の激しい闘いが政府を追い詰めて、これは5月革命と呼ばれました。そのうねりはドゥルーズにとっては精神科医であったフェリックス・ガタリとの出会いとして実現します。叛乱は精神医学ではそれまでの隔離と監禁を主とする医療のあり方を問い返し、狂気と呼ばれる現象が社会構造に基づくことを明らかにしました。コミュニストでもあったガタリはこれに応える活動を先駆けて実践していました。
 ガタリとの出会いは72年のアンチ・オイディプスに結実します。この書は当時大きな影響力をもっていた精神分析を批判しつつ、フロイトが発見した無意識が革命的なものであることをあきらかにしながら世界史と資本主義論を再構成した驚くべき力業でした。この新たに定義された無意識はアントナン・アルトーにならって「器官なき身体」と名付けられます。ドゥルーズは思考に身体を組み込んだことで、決定的に新たな次元に踏み出しました。
 二人の共同作業は実存の作家として読まれてきたカフカをマイノリティへの生成変化として論じたカフカを経て、80年の千のプラトーという空前の書を実現させました。「器官なき身体」は全てに先立ち、それが地層化されることによって大地が形成されますが、「器官なき身体」は逃走線を走らせて、大地を脱地層化させていくのです。政治も芸術も含めてわたしたちのあらゆる営みの全てはこの運動であり、したがって世界は限りなく分裂していくのです。
 もちろんこの要約もまた一面的なものにすぎません。前著をはるかに上回るスケールで書かれた『千のプラトー』はいまだくみ尽くすことのできない巨大な震源です。本書が脱稿する頃、クレール・パルネとともに書いたディアローグはそのエッセンスを抽出したものです。『千のプラトー』の前に開かれることをお勧めします。

 このあと、ドゥルーズはまたひとりに戻って、その思考を展開していきます。81年に刊行されたフランシス・ベーコン 感覚の論理学はベーコンの絵画における形態(フィギュール)を「器官なき身体」として捉える唯一の絵画論です。この本を準備していた過程で行われた絵画をめぐる講義が昨年、フランスで刊行されて注目を浴びました。同書はまもなく訳出されます。
 84年にはかつて同志的な存在であったもう一人の巨人ミシェル・フーコーが亡くなります。ドゥルーズとフーコーはとても近しかったものの、77年以降、さまざまな理由で交流は途絶えていました。その思想的分岐はドゥルーズの「欲望か快楽か」というフーコー宛の書簡であきらかにされています。そうした経緯にもかかわらずドゥルーズは86年にフーコーを刊行し、フーコーの全軌跡を「知」「権力」「主体化」を軸に見事に凝縮しながら、〈思考されないもの〉としての「外」をフーコーの究極に発見し、そこに自身の哲学を展開させて、友情の証しとしました。
 この「外」は83―86年に出された2巻の大著シネマの主題でもあります。ドゥルーズはここで自身の出発点の一つであるベルクソンに戻って、そこから知覚の運動として映画をとらえます。しかし運動―イメージとしての映画を成立させていた感覚のあり方は第二次大戦という空前の破局によって転換し、未知の時間を開く「時間―イメージ」があらわれます。この「時間―イメージ」は永遠回帰、もしくは「器官なき身体」の新たな展開に他なりません。本書はドゥルーズの哲学を映画において深めたものでしたが、その後の映画研究にとっても最も重要な書として参照され続けています。
『シネマ』における時間―イメージ論は89年に出された襞 ライプニッツとバロックで新たなバロックとして提出されます。ドゥルーズはライプニッツの可能世界論をライプニッツの意図とは全く逆に読みかえました。ライプニッツの神は多世界から最良の世界を選択します。しかしドゥルーズはこの世界とは共にありえないはずの世界(非共可能世界)が共にある世界をライプニッツから構想します。これは『千のプラトー』の分裂の世界、『シネマ』の「時間―イメージ」の世界であり、永遠回帰の世界でもあります。
 そして91年、ドゥルーズは最後のガタリとの共同作業として哲学とは何かを刊行します。これは哲学、芸術、科学の役割を再定義しながら、哲学とは「内在」であることを示しました。これと前後してインタビューや対話を集めた、ドゥルーズ自身によるドゥルーズ入門記号と事件、そして文学論などをまとめた批評と臨床を刊行して、95年、自室のアパートから身を投げて死にます。
 最後のテクストは「内在、ひとつの生…」と題されていました。「内在は内在は「ひとつの生」であり、「ひとつの生」はいたるところで私たちを横切っていく何ものかである」とそこには記されていました。

 

3 キーワードから読むドゥルーズ

「差異」「内在」「肯定」については先に書きましたので、ここではそれ以外の7つの言葉をドゥルーズへの導入としてみます。

永遠回帰
 ニーチェの永遠回帰を論じて、ハイデガーをはじめ多くの哲学者たちはこれを「同一物の永遠回帰」としました。ドゥルーズにおいて回帰してくるのは「異なるもの」です。あらゆる同一性を破棄する運動こそが永遠回帰であり、すなわち永遠回帰とは生成変化それ自体であり、差異の反復に他なりません。『差異と反復』は「すべては等しい」、「すべては回帰する」という言葉で締めくくられます。

生成変化
 ドゥルーズにとって生とは生成変化以外ではありません。私たちは絶えず動物に、女性に、子供になります。ドゥルーズは絶えず「動物の死」に立ち戻ります。路上で死にゆく犬や猫たちをみて、心を震わせない人はいないはずです。この情動の発動によって「群れ」になることが生成変化です。生成変化はつねにマイナーなものへの生成であり、その究極の姿は「ありふれたものになること」、「みんなになること」であるとされます。

機械
『意味の論理学』で予兆のように出てくる機械は『アンチ・オイディプス』では欲望機械、『千のプラトー』では抽象機械として中心に据えられます。無意識を、そして強度を生産する機械は、永遠回帰を現実に置きなおしたものと理解されるでしょう。世界は機械です。機械とは異なるものが異なるままにあって、その結びつきの不在を結びつける結合のアンサンブルです。

自然
 ドゥルーズが深く愛したスピノザやストア派、そしてエピクロスの哲学は自然哲学でした。ドゥルーズの哲学もまた自然哲学です。しかしその自然は調和的なものではありません。それとは対極にあるのがドゥルーズの自然です。自然とは分裂であり、差異そのものです。

器官なき身体
 残酷の演劇を提唱し、その生涯の多くを精神病院で過ごしたアルトーがその最晩年にかきつけた「器官なき身体」という言葉は中期以降のドゥルーズの核心を示します。器官とは有機体であり、これは有機性、あらゆる目的や根拠と絶縁した身体を示します。身体とは感覚であり、感覚とは強度です。「器官なき身体」はこの強度ゼロそのものであり強度を発生させるのです。「器官なき身体」はすべてに先立ち、同時に未来でもあります。ここにドゥルーズの最深部があります。

戦争機械
『アンチ・オイディプス』で世界史を未開、野蛮、文明の三つの区分で再定義したドゥルーズ=ガタリは国家に先立つ原国家を見出しました。『千のプラトー』では国家と資本の発生の起源は戦争機械と捕獲装置の攻防として描き直されます。夭折した人類学者ピエール・クラストルは先住民による国家を回避するために戦争を考察して「国家に抗する社会」を論じましたが、これをヒントにドゥルーズ=ガタリは地層以前に「器官なき身体」があったようにまず戦争機械があったとします。そこにおける人々のあり方がノマドと呼ばれます。しかしノマドは通常考えられているように移動の民ではなく、困難な地に住むことを強いられている民なのです。その戦争機械を捕獲するのが国家であり、資本です。しかし戦争機械はつねに形成され続けています。

来たるべき人民
 哲学とは、映画とは、文学とは、「人民が欠けている」と叫び、来たるべき人民に呼びかけ、来たるべき人民を作り出すことである、と後期のドゥルーズは繰り返し書きました。もとよりドゥルーズは現に抑圧されている人民がいないと言っているのではありません。むしろそれがなきものとされているからこそ人民を作り出せと呼びかけているのです。ドゥルーズは来たるべき人民のモデルとしてパレスチナを挙げていました。2023年からイスラエルによるパレスチナへのジェノサイドとも言える攻撃が続き、これに全世界から抗議の声が上がっていますが、ドゥルーズは最も早い時期からパレスチナを擁護する姿勢を鮮明に打ち出していました。フランスでは左翼的な人々の間でも、ホロコーストへの贖罪のため、親イスラエルの立場をとることが多かった中で、これは極めて例外的な、そして勇気を必要としたことでした。これはドゥルーズが政治的にも徹底してラディカルであったことの一例であり、差異と内在の思考が何かを示しています。

 

4 これからのドゥルーズ

 AIが人間にとってかわるような「進化」が劇的にすすむ一方、あらゆる意味でこの世界は行き詰まりを見せています。気候変動も、新しいかたちの戦争もそのあらわれです。世界は進化しながら破局へも向かっていることを誰もが日々実感しています。それを反映して、思想や表現のあらゆる領域で人間中心主義の終わりとポスト・ヒューマンが語られるようになってきました。人間という種そのものを相対化する人類学、物そのものを思考の対象としようとする新たな唯物論と呼ばれる哲学、あるいは統治そのものを問い直す政治哲学など、あらゆる場面でドゥルーズは最もよく参照される哲学者です。主体や人間の放棄を思考の出発点に置いて、人間の先を見据え続けたドゥルーズは、これからも読み直され、よみがえり続けるでしょう。
 日本でもその時代ごとの重要な思想はドゥルーズと共にありました。70年代には蓮實重彥など、80年代初めには浅田彰、中沢新一など、80年代後期からは宇野邦一、丹生谷貴志ら、そして2000年代には江川隆男、小泉義之、檜垣立哉らがいまだに新鮮なドゥルーズ像を提出しました。2010年代には千葉雅也、國分功一郎らが、そして近年ではそれらを引き継ぎながらさらに若い世代が次々と新しいドゥルーズを描き出してきて、そのどれもが魅力的で、この動向から目が離せません。これはドゥルーズが限りなく開かれた、そしてかぎりなく過激な哲学者であることをも示しています。
 しかしドゥルーズは決して難解な哲学者ではありません。『アンチ・オイディプス』刊行時、ドゥルーズはこれを理解したのは教養のある大人たちではなく、ものを知らない人たちだと書いています。彼は愛するスピノザが風に例えられてきたと書いていますが、ドゥルーズの本もまた、風として読むものを連れ去っていきます。ドゥルーズを読むことはドゥルーズとともに生成変化することです。それは自分を見つけることではなく、自分を打ち捨てていく過程です。その先にあるのは砂漠なのか、無人の荒野なのか、あるいは未知の惑星なのか。そこであなたもまた「なにものでもないもの」、「みんなになる」でしょう。

 

ブックリスト(言及順)

『哲学の教科書――ドゥルーズ初期』
 加賀野井秀一訳注、河出文庫
『経験論と主体性――ヒュームにおける人間的自然についての試論』
 木田元/財津理訳、河出書房新社(品切)
『差異と反復』上・下
 財津理訳、河出文庫
『意味の論理学』上・下
 小泉義之訳、河出文庫
『アンチ・オイディプス――資本主義と分裂症』上・下
 F・ガタリとの共著、宇野邦一訳、河出文庫
『カフカ――マイナー文学のために』
 F・ガタリとの共著、宇野邦一訳、法政大学出版局
『千のプラトー――資本主義と分裂症』上・中・下
 F・ガタリとの共著、宇野邦一ほか訳、河出文庫
『ディアローグ――ドゥルーズの思想』
 C・パルネとの共著、江川隆男ほか訳、河出文庫
『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』
 宇野邦一訳、河出書房新社
『フーコー』
 宇野邦一訳、河出文庫
『シネマ』
 1:運動イメージ/財津理ほか訳
 2:時間イメージ/宇野邦一ほか訳、法政大学出版局
『襞――ライプニッツとバロック』
 宇野邦一訳、河出書房新社
『哲学とは何か』
 F・ガタリとの共著、財津理訳、河出文庫
『記号と事件』
 宮林寛訳、河出文庫
『批評と臨床』
 守中高明・谷昌親訳、河出文庫

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著者

ジル・ドゥルーズ

1925年パリ生まれの哲学者。スピノザやニーチェの研究を通じ西欧哲学の伝統を継承しつつその批判者となる。主著にF・ガタリと共著『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』『哲学とは何か』他。

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