文庫 - 日本文学
西さん、女性器、モザイク、相俟って。泣きそうだにゃあ
【評者】藤田貴大(マームとジプシー)
2016.01.14
西加奈子
【評者】藤田貴大(マームとジプシー)
女性器について考え、想いを巡らせたときに、いつもぶち当たってしまう壁のようなものがあって、それはぼくが、男性だからかもしれないし、男性であるから、だから。女性器について、虚構性の高い、空想を。してしまうからかもしれなくて、だから。いつもぶち当たってしまう壁のようなものが、あるのだけれど。この壁について、どう言語化すればいいのか、わからずにいるから、だから。たぶん、男性であるから、だから。憧れもあるのだろう、女性器を見たくなるのだ。触りたくなるのだ。いやでも、だから。ここで書かれているのは。つまり、西さんの『ふる』で描かれているのは、ぼくの。いつもぶち当たる壁について、への回答であるような気がしてならない。それが過去と現在の往復で、揺さぶられ。炙り出されているから。しかも、ひょいひょいと。軽々と。言われてしまった気がして。ぽかんと、穴を開けられたような、感触があった。でもその感触も“モザイク”をかけられる。たしかに掴みかけた感触に“モザイク”を。花しすは、かけているようだった。これを受けて、ぼくは。初めてアダルトビデオを見たときのことを、思い出してみる必要があった。初めて見たアダルトビデオには、金髪の白人女性が出演していて。何故だか、それには“モザイク”が、かかっていなかった。悪い先輩たちが、もう見飽きたような、ぼろぼろのVHSが。ぼくの手元に渡り歩いてきて。それを恐る恐る、見てみると。そこには、金髪の白人女性が出演していて。何故だか、それには“モザイク”が、かかっていなかった。のだ。奇しくも、ぼくはそこで。初めて女性器を見た。あのときの動悸が忘れられない。でも、あれもだ。あれも、なんとも形容しがたい。あれ、だったんだ。すこし、ふわりと。宙に浮いてしまった。みたいな。いや、たしかに、画面のなかには、女性器が映っていて。そしてぼくの男性器は、たしかに勃起していた。でもなんだか、その、たしかである幾つかのことを。ぼくは受け入れたくないような気がしていた。あの、たしかなことから、目を背けたり。そして“モザイク”を。かけたくなったりする。あの、なんとも形容しがたい。ふわりと。宙に浮いてしまった。みたいな。それを、書こうとか。普通しないよな。それを、書こうとか。西さんはしたんだな。とうとう。と。そういや、西さんと初めてお会いして、話したとき。
猫の性処理について話して、盛り上がったっけ。なんて。そんなことも、思い出しちゃって。だから『ふる』の最後の、くだり。祖母の性器の、くだり。ぼくは、いろんな。思い出すこと、それぞれを。過去と現在を、たしかなことにする作業と、さらにはそれに“モザイク”をかけようとする、弱さ。やら、なんやらが、相俟って。そして、そうゆう、西さんの優しさみたいなものに触れた気がして。嬉しくなってしまいました。それは、ぼくが。ぼくたちが、いま。必要としている、体温に。近いような気がしたからだ。
(「文藝」2013年春号より)