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O・ヘンリー賞受賞作収録の、イーユン・リー作品集。不器用で一途な愛の物語

『黄金の少年、エメラルドの少女』イーユン・リー『黄金の少年、エメラルドの少女』イーユン・リー

黄金の少年、エメラルドの少女

イーユン・リー 篠森ゆりこ訳

【解説】松田青子

 

なんて不器用な愛なんだろう。

 

イーユン・リーの小説を読むと、わたしはいつも圧倒されてしまう。そして、なんて一途な愛なのだろう、と。

普段、物語に登場する愛に心が動かされることはそんなにない。恋愛や家族愛など、何千回と描かれてきた愛のバリエーションにすっかり慣れてしまって、不遜だけれども、これは知っている愛だなと感じてしまう。それに、これは愛ですよ、と提示された愛には反抗したくなるし、退屈してしまう。愛ってそんなものなの。イーユン・リーの愛は、違う。何かが違う。

たとえば、本作『黄金の少年、エメラルドの少女』の一編目にあたる「優しさ」は、孤独を愛する四十一歳の数学教師、末言が主人公だ。他者と関わらず、「ほとんど人生ではない」生活を地味に送ってきた彼女は、二十年以上前、人民解放軍にいた頃の上官である魏中尉が死去したという連絡を受け、かつて魏中尉に「どうして不幸そうなの」と言われたことを思い出す。心を開かない末言を見かね、「何か問題でもあるの?」と問う魏中尉に、「何か問題? 私は笑って、〈問題〉というのが一つもわからないから困ってるんです、と答えた。からまった毛糸が見えもしないのに、どうやってほどくんですか」と末言は反応する。末言の姿勢は、『独りでいるより優しくて』に出てくる、猛々しい信念を持って他者を排除しようとした如玉にも通じるし、ほかの作品の登場人物の多くも、それぞれの理由で「関わらない」ことを選んでいる。一般的には、「関わらない」という態度は消極性の表れとされるが、リーの登場人物たちは積極的に「関わらない」し、前のめりとも言える勢いで閉じている。

十代の末言に、魏中尉とは逆の信念を教え込もうとした杉教授もその一人だ。末言に英語で文学を読むことを教えながら、同時に「閉じて生きろ」とレクチャーする。

「若いときは、何よりも愛を大切に思うものだわ」

「あなたがそう思っても無理はないのよ。でもあなたに読み聞かせている本から、少しは学ぶことがあってほしいわね。人は鏡に映る花だの川に映る月だのを追いかけて人生を無駄にしがちだけど、あなたがそうなるのは見たくない」

「心の中に誰かが入るのを許したとたん、人は愚かになってしまう。でも何も望まなければ何にも負けないの。わかった、末言?」

恐ろしい英才教育である。けれど、愛など愚かなものだと、人生を無駄にするんじゃないと、若い女に教えようとするのもまた愛の行為だ。末言にはそれがわかる。

「愛は人に借りを負わせるの」

「最初からそんなものは負わないのがいちばんよ、わかった?」

と杉教授は言うが、末言はこう思う。

「優しさは愛と変わらないほど執拗に人を過去に縛りつける。そして杉教授や魏中尉のことをどう思おうと、優しさをもらったのだから私は彼らに借りがある」

愛など信じるなと言う杉教授の言葉と気持ちは、愛として、末言に伝わる。そして末言は、その愛を「借り」として受け取って、生きていこうとする。崩壊しているように見えた末言の両親の結婚生活は、母が父への「借り」を返そうとしていた、ある意味、ロマンティックな出来事だったことがわかる。どんなに小さいことでも他人に受けた愛を律儀に返そうとする彼らは、わかりやすい愛など必要ないくらい、愛を感じやすい人たちなのかもしれない。

この「借り」という言葉は、リーの小説を読んでいると、よく目にとまる。「流れゆく時」の、幼い頃に義姉妹の契りを結んだ三人の絆は、愛林の提案が悲劇と変わり破綻した後も、この「借り」でつながっている。「あなたは梅に対して息子という借りが、私に対しては娘という借りがある」という無茶苦茶な論理に愛林は納得する。「憎しみは愛と同じように、理性から生まれるのではなく、ちょっとした無意識の力が働いて生まれる」からと。不遇な女たちの世話を焼き、彼女たちの人生を良くしてやろうとするが、「誰も変わってくれない」と焦れる「女店主」の主人公は、自分を認めて欲しい、自分に対して「借り」を感じて欲しい人物とも言える。その点で、彼女は片思いなのだ。また、「彼みたいな男」の費師のように、世の中は自分に対して「借り」があるはずなのに、すっかり忘れられてしまったと感じている男たちは、同じような境遇の男同士労り合おうとしたり、ネットの世界に溺れたりと、痛々しい。

社会制度や人間関係に限界や息苦しさを覚えた彼らは、時として、アメリカに向かう。デビュー作『千年の祈り』表題作の、生活圏をアメリカに移した娘は、娘の変化を受け入れられない老いた父にこう説明する。

「ちがうのよ。英語で話すと話しやすいの。わたし、中国語だとうまく話せないのよ」

「父さん。自分の気持ちを言葉にせずに育ったら、ちがう言語を習って新しい言葉で話すほうが楽なの。そうすれば新しい人間になれるの」

新しい土地で、娘は古い慣習を脱ぎ捨て、新しい人間になった。同短編集の「ネブラスカの姫君」では、父のいない子どもを身ごもっている薩沙の胸に、「アメリカでは何だって可能なんだ」という思いが去来する。とはいえ、彼らが晴れやかな顔をしていないことは性格上明らかだ。硬い表情をした彼らは、それでもアメリカという希望に賭ける。アメリカという新天地で、不器用な人々は、不器用なまま生きている。

そのアメリカが悲劇の場所になってしまったのが「獄」だ。娘の教育のため移住したアメリカで、五十代手前の夫婦は自動車事故により娘を失ってしまう。中国で代理母を見つけることにした後も、英語を上手く習得できずアメリカで医者の仕事を失った夫は、生まれてくる子どもに「できるだけいい暮らし」をさせるために、生活の拠点を中国に移すことを拒否する。彼らにとって、アメリカは最後の希望なのだろうか。

表題作「黄金の少年、エメラルドの少女」は、ゲイであることを隠し、「アメリカは一見、幸せな場所のようだった」と二十代の時にアメリカに逃げた四十四歳の寒楓が、「人類への無関心」を研究に没頭することで隠してきた、母である七十一歳の戴教授のアパートに戻って来たところからはじまる。アメリカはもういいかなと諦念の観に落ち着いた息子に、母はかつての教え子である三十八歳の思余を紹介し、結婚を勧める。思余のことを、「世間は、独身のままでいる彼女を変人だと決めつけていた」が、彼女の中には秘かに、そして着実に育んできた愛があった。「花園路三号」の美蘭が、常氏への四十年間分の愛を心の片隅に生かし続けてきたように。彼らの愛の地味さと一途さには胸が締めつけられる。戴教授に話しかけてもらうまで、朝、ベンチで本を読むという日課を二年間続けるなど、それでいいのだろうかと他人事ながら心配になる切実なアプローチの数々を読んでいると、なぜか目頭が熱くなってくる。愛を求める権利がないと思い込んでいる彼らは、ただ愛を体内で育てる。読者は、この愛は一体全体何なの、これはそもそも愛なの、ともう一度愛について考えなくてはならなくなる。そして理解する。そう、確かにこれも愛だ。リーの描く愛からは、素通りすることができないのだ。

母への愛が、思余と寒楓を結びつける。でも、親のいいなりの、愛のない結婚ではない。心の中に深い愛を隠し続けて生きてきた三人分の愛が一つに重なった、むしろ濃密でむせるほどの愛の物語だ。理想のカップルを表す「金童」「玉女」という言葉からは遠いところにたどり着いたように見えて、ふたりはある意味で、完璧な「金童玉女」なのだ。そして、思余の愛の完全勝利でもある。イーユン・リーのぎこちなくて、不器用な愛に触れると、もう一度愛を信じたくなる。

 

二〇一五年十二月

関連本

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著者

イーユン・リー

1972年北京生まれ。北京大学卒業後渡米、アイオワ大学に学ぶ。2005年、短篇集『千年の祈り』でフランク・オコナー国際短編賞,PEN/ヘミングウェイ賞など数々の賞を受ける。現在カリフォルニア州在住。

【解説】松田青子

1979年兵庫県生まれ。作家、翻訳家。著書に『スタッキング可能』『英子の森』『狼少女たちの聖ルーシー寮』(カレン・ラッセル著)、『はじまりのはじまりのはじまりのおわり』(アヴィ著)などがある。

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