ためし読み - 14歳の世渡り術
【乗代雄介さんの寄稿ためし読み!】『みんなどうやって書いてるの? 10代からの文章レッスン』の一部を特別公開します。 武田砂鉄さんの寄稿文も同時公開!
小沼理編 安達茉莉子/荒川洋治/石山蓮華/頭木弘樹/金原瑞人/国崎和也/古賀及子/全卓樹/武田砂鉄/乗代雄介/服部文祥/pha/僕のマリ/宮崎智之
2024.10.18
文学フリマが活況を呈し、書店にも趣向を凝らしたZINEがならぶなど、いま「書くこと」の周辺は、かつてない盛り上がりを見せています。
本書はその第一線で活躍する15名が、それぞれの考えと方法、書く喜びと苦労とを綴ったアンソロジー。
日記、エッセイ、詩、小説、プレゼンの企画書から誰かにあてた手紙まで、宛て先の有無はべつにしても、私たちはみんな何かを書いています。
寄稿いただいた皆さんの、実に多彩な方法から、自分に合ったやり方が見つかるかもしれません。
好評につき、小説家の乗代雄介さんとライターの武田砂鉄さんの寄稿から、それぞれ冒頭の一部を特別公開いたします。
本ページでは、乗代雄介さんの寄稿(一部)がお読みいただけます。
▷▷▷武田砂鉄さんの寄稿ためし読みはコチラから!
==↓ためし読みはこちらから↓==
『みんなどうやって書いてるの? 10代からの文章レッスン』
小沼 理 編著
『一人ぼっちで、それでも伝えるために』
乗代雄介(小説家)
⚫︎練習として始めた風景スケッチ
僕は五年ほど前から、野外で風景スケッチをすることを習慣にしています。スケッチといっても絵を描くのではなく、文章を書くのです。
近所で、旅先で、ここぞという景色を見つけるとシートを敷いて座りこみ、三〇分ほどノートにペンを走らせます。大きな川の土手の中ほどだったり、山道の途中の茂みの奥だったり、漂着したゴミが散乱している干潟だったり、廃墟の中だったりするんですが、共通しているのは人のいない場所だということです。
風景スケッチを書き始めた時、僕はすでに小説家の仕事をしていました。始めた理由は、小説にも沢山出てくる風景描写の練習をしたいと思ったからです。
「描写」という言葉を辞書で調べると「あるがままの姿をうかび上がらせるように、えがき出すこと」とあります。ヨーロッパの美術にあった「現実をそのまま描くべきだ」という考え方が文学にも取り入れられて、小説の中で描写が重視されるようになりました。明治時代の日本にその考えが輸入されたあと、正岡子規は、画家が実物を見てスケッチするように文章で風景を表現することを目指します。その文章は「写生文」と呼ばれました。
正岡子規はみんなでそれを見せ合ったりする会を開いていたようですが、僕の場合は練習なので、誰に見せるつもりもありませんでした。どこかに発表するつもりもないし、ノートにたまっていくその文章を読むのは、自分一人。つまりそれは、誰も読まないものを、誰かが読んで思い浮かべられるように書くという、ちょっと変な行為なのでした。
しかし、よく考えてみると、文が書かれるとき、つまりは文を書くとき、人はいつも一人ではないでしょうか。それについて、僕が風景スケッチから学んだことを紹介してみようと思います。
⚫︎風景ってなんだろう
家の近くにある広大な公園の片隅に、小さな池があります。そのほとりが気に入って、週に二回ほど通い始めました。数ヶ月もすると、いつも座るところに草が生えなくなって、自然が認めてくれたような気がしたものです。一年経つと、一〇〇ページあるノートが一冊、文字で埋まりました。一回分はだいたい八〇〇文字ほど、原稿用紙で二枚分くらいです。
始める上で、いくつかのお手本というか指針がありました。正岡子規はこのように書いています。昔の文ですが、意味はわかるかと思います。
或る景色を見て面白しと思ひし時に、そを文章に直して読者をして己と同様に面白く感ぜしめんとするには、言葉を飾るべからず、誇張を加ふべからず、只ありのまゝ見たるまゝに。
正岡子規「叙事文」
景色を面白いと思うことは、誰にもあるでしょう。景色自体がきらいだという人に、僕は会ったことがありません。どんな人でも何かしら、自分の好きな景色というのがあるはずです。同じ景色を見ても、感動する人もいれば何も思わない人もいます。海か山か、朝日か夕日か。満月が好きな人もいれば、欠けた月が好きな人もいるでしょう。好みは人それぞれで少しずつちがうものです。
それどころか、一人の人であってもその時々でちがってくるのが、風景の面白いところです。風景スケッチをする上で、僕が最も大切にしたのは、柳田國男という民俗学者の、次のような言葉でした。
誰にもいつ行ってもきっと好い景色などというものは、ないとさえ思っている。季節にもよろうしお天気都合や時刻のいかんもあろうし、はなはだしきはこちらの頭のぐあい胃腸の加減によっても、風景はよく見えたり悪く見えたりするものだとも思っている。
柳田國男「豆の葉と太陽」「旅人の為に─千葉県観光協会講演─」
僕は風光明媚で知られる土地を歩くことがよくありますが、トイレに行きたかったり最終バスに間に合わないかもとあせっていたりすると、景色を楽しむ余裕なんか全くなく先を急ぐばかりなので、こういうことはよくわかります。学校でうれしい出来事があっていつもの通学路が輝いて見えることも、なんだかさびしい夜には満月を疎ましく思うこともあるでしょう。
状況や気の持ちようによって、景色の見え方は変わります。「多くの人が美しいと思う景色」はあったとしても、「美しい景色」というものはないのです。「風景」というのは、そんなぶれを含んだ言葉なのかもしれません。
僕は、風景スケッチに「美しい」や「きれいだ」などの言葉を使わないとルールを決めました。それらは、自分の主観に基づいた、そこにあるものを飾ったり誇張したりする言葉のように思えたからです。
誰が読んでも同じ景色を思い浮かべられるように書こう、というのが目標でした。
⚫︎書けない自分に気づく
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続きは単行本
『みんなどうやって書いてるの? 10代からの文章レッスン』でお楽しみください
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